そして暗記は、とても苦手である
正直衣川には悪いと思ったが夕浜に逆らうことは避けたかった。屋上に着くと夕浜はポケットから縦横三mほどの尻敷きシートを取りだした。ご丁寧にエンジェルプリンセスのシートであった。
「さあ座ってください」
ためらいながらも靴を脱いでシートへと座った。夕浜もきれいに靴をそろえて正座する。するとポケットからオレのより半分ほど小さいサイズの弁当箱を取りだした。そのポケットの内部空間は何次元になっているのか気になるところだ。弁当の中を開けるとこれもまた小ぶりのサイズのおかずが並んでいた。しかしどれもそれなりにいい食材を使っている感じである。オレも夕浜に倣って弁当を開けた。中身は普通で安心した。いただきますを唱和する。
しばらくの間会話をすることなく食べていた。グラウンドの方からふざけ合う声が響いていた。
春巻きかほうれん草どちらにするか迷っていると声を掛けられた。
「なぜピンクのお弁当箱をつかっているのですか?」
おかずをつかもうとした手を止める。夕浜は箸を口に入れながら我が弁当箱を見ていた。
「え? あ、これ?」
「はい、もしかしてピンクが好きな乙女な面があるんですか?」
「い、いやそういう訳じゃないよ。ただピンクは色彩心理学的に平和主義や幸せを象徴するらしいから。あと動的なイメージがあるみたいで、オレ地味だからせめて色だけでもと」
「ふっふ生粋の理系人ですね。けど道後君は地味ではないと思いますよ」
「え?」
夕浜は理由をいう事なく食事をする作業に戻ってしまう。仕方なくオレも食おうとするがふと先ほどの疑問が頭を過ぎった。
「そういや、夕浜って昼ごはんの時教室にいないよね」
夕浜の手の動きが止まった。しかしすぐに卵焼きをつかむ。
「まあ」
「なんで?」
若干のタイムラグ。
「……私はクラスになじめないので」
と、卵焼きを口に入れながら夕浜は呟いた。わずかに目線が下がった気がする。
確かに夕浜は「癖」がある。現にオレも近寄りがたいと思っていたから皆もそう感じてしまうのだろう。だが夕浜が仮に笑顔で皆に接したら溶け込めるような気がする。綺麗なのだから。口にはしないが。
「道後君はいつも衣川さんとご飯を食べてますよね?」
目を覗き込むようにして訊いてきた。
「そ、そうだけど」
「衣川さんとはどのような関係なんですか?」
「オレの事調べたんじゃ、衣川はオレの幼馴染だよ」
夕浜はどうやったのか知らないがオレの生い立ちから好きな女性の部位まで知っていたのだ。……冷静に考えると死にたくなってくる。
彼女は表情を変えずに否定した。
「違います。そうではなくて衣川さんとは交際をなされているのですか?」
交際?
頭の中で辞書を引く。交際とは人と人とが互いに関わること。しかしこの場合、夕浜はオレと衣川が友人として交際していることは知っているはずだ。ならば問われた意味は男女としての交際ということになるだろう。いやいや。
「ち、ちがう。衣川とはそういうのはない。普通のオレの数少ない友人の一人だ。それにあいつはオレみたいな地味男とは付き合わない。あいつがオレと男女交際をする確率はリミットゼロだと思う」
「そうなんですか?」
「あ、ああ」
「ふっふ……そうですか」
夕浜を見ると口を動かしながら少し笑っていた。なにか面白い所でもあったのだろうか? 機嫌がよいのは=でオレの気遣い疲れ軽減になるで良いのだが。
「道後君は鈍感ですね」
夕浜は目をつぶって呟く。
「鈍感とは、神経感覚が鈍っているということか」
「ふっふ違いますよ、まあいいです」
夕浜はそういうと弁当の上に箸をおいた。弁当の中身はオレと違い意外に早く七割方なくなっていた。
「まあそれは置いといて、少し話しておくことがあります」
ポケットに手を突っ込むと今度は折りたたまれた紙を取りだした。その紙を広げてシートの上に置く。紙はトレーシングペーパーのように半透明になっておりそこに設計図面のようなものが描かれてあった。それが五、六枚ほど重ねてある。
「これは五嶌銀行建物の断面図と配置図になります」
受け取りよく見てみる。五嶌銀行は全部で四階、地下は二階まであるようだ。見た目より意外と階が少ないことに驚いた。配地図は空調の導線や配管の位置、窓、扉の場所などが細かに記載されていた。それぞれ階段や配管は各階とリンクするようになっていた。
「道後君にはまずこの配置図をすべて暗記してもらいます」
耳を疑う。覚えるって細かいのも全部という事か?
「はい。さらにアウトプットもできるようにしてもらいます。特に監視カメラの位置。必ず覚えてください。これは最低条件です」
もう一度図面の全体を見渡す。日曜の朝の住宅広告でついてくるような図面と違い非常に微細なところまで書いてある。カメラの位置は黒く塗られていて注釈が書かれてあった。所どころには寸法まで記入されてあり流石に覚えるとなると少々厳しい。
「これ夕浜は憶えたのか?」
「私は完全に憶えました」
オレは夕浜から見えないようなところに図面を隠した。
「三階の女子トイレは階段から見てどこにある?」
「東南方面に約三十m行き応接室を角に左へ曲がった突き当りにあります」
「一階受付カウンターの数は?」
「八つです」
「玄関ホールから見てエレベーターの場所は? それと数は」
「正面へ突っ切ってまっすぐ行ったところ。数は四つです。もう少し難しい問題をだしてください」
首をかしげてニコリと笑う。オレは唇をかんで考える。
「じゃあその受付カウンターに設置されている窓。ガラスの厚さは?」
「八mmです」
舌を巻いた。記憶力の高さが尋常ではない、学力一位はだてではないという事か。夕浜は弁当を片づけながらしゃべる。
「ガラスの厚さとかカウンターの数などは最悪覚えなくてもよいですが、金庫室や換気扇口、配管、カメラの場所は押さえておいてください」
「覚えられそうにないんだが」
「普通の方はおそらく無理でしょう。一週間のうちに覚えるられるのはせいぜい部屋の名称、場所くらいです。ですが道後君なら可能なはずです」
「お、オレはどちらかというと暗記は苦手で――」
「ふっふふ……覚えてくださいね?」
先ほどまで温かみを感じさせていた笑顔に影の線が入る。その笑みを見せられては有無を言わずに頷くほかなかった。夕浜はオレが頷くのを見ると満足そうに眼を閉じた。そして立ち上がる。
「それでは私はもう教室に戻ります。もうすぐ授業が始まるので」
腕時計を見た。あと五分。弁当を見るとまだまだおかずが残っていた。
「そのシートは後で私に帰してください、では」
夕浜は靴を履くとすたすたと扉の方へ歩いていった。




