そして心は、闇深くから顔を出す
帰りの車の中はやはりジャズが流れていた。
「アウトオブディスワールド」。
真千さんは歌に合わせて軽妙な鼻歌を紡いでいた。不思議な匂いのする煙草をくわえている。ビル群の景色は音もなく後方へと流されていく。オレは考えていた。
銀行強盗、その響きは現実感を伴わないでオレのなかで浮遊していた。
つい一週間前までどこにでもいた地味高校生のオレが銀行強盗。洒落にもならない。落ち着いて考えればおかしすぎる。そこらで宗教勧誘している怪しげな団体のほうがまだ現実感を帯びている。断るべきだった。しかしオレは承諾した。
何故だ? 原因はオレの中にある、高揚感。この高揚感が頭を縦に頷けてしまった。この高揚感はなんだ。今までの人生で味わったことのないくすぶり。
危険な高鳴り。
そんなことを考えながら窓縁にひじを掛けて外を覗いていた。すると隣に座る夕浜が呟くように話しかけてきた。
「実は私、道後君のことは中学生のころから知っていました」
不意の告白。振り返りそうになったが我慢して外の景色に興味があるふりをした。
「そ、そうなんだ。会ったことないと思うけど」
「……」
「ん?」
「……いえ、そうですね、面識はないです。ただ名前は知っていました」
「どこで?」
「全国模試テストです。成績優秀者の一覧にいつも道後君の名前が書いてありました」
なるほど。たしかにそれなら見たことあるかもしれない。オレは全国模試の成績一覧は見ていなかった。
「けどそれなら一覧者全員の名前を憶えていたのか。オレは学校のテストでは一位を取っていたが全国区では一位は取っていなかったぞ」
「いえ、他の方の名前は憶えていません。それに私が総合一位を取っていましたから」
中学生のころから夕浜滴という少女は優秀だったのか。
「じゃあなんでオレを知ってたんだ?」
「総合一位でも私は毎回ある方に勝てない科目のテストがあったのです。その方はいつもその科目で百点を取り私の一つ上にいました」
「……数学か」
「はい。私は数学が苦手でどうしても満点をとることができなかったのです。けど道後君は何人かいる数学が優秀な方の中でもいつも百点を取っていました」
オレ個人としては数学が得意という意識はない。だが計算がテストの時間制限より半分以上早く終ることがしばしばあった。
「それで印象に残っていたのです」
「そ、そっか」
「道後君は数学が得意ですよね? いつも早く計算が終わっていますし。正直うらやましいです」
振り向くと夕浜は唇を結んでオレの顔を見ていた。瞳がかすかに揺れているような気がした。
「あ、ありがとう……」
オレのセリフは車内で不恰好に浮遊した。
しばらくの沈黙の後、彼女は再び声を発する。
「今の五嶌銀行の頭取は江田宗二という男です」
今度は夕浜が車窓から町の景色を見ていた。
「頭取って社長という事だよな」
「はい。江田宗二は理系出身者です。理数系においては優秀な成績だったそうです。彼は実利主義者で彼の代になってから五嶌の経営方針は大きく変わりました」
オレは黙り夕浜は淡々と続ける。
「江田宗二は一時金庫室のセキュリティ解除をパスワード式ともう一つ、自分が楽しむためととある機能を付けたそうです。それは秘密裏にされているのですが、真千さんが情報を手に入れてくれました。今回道後君に協力してもらうのはその解除を道後君にしてもらうためです」
「その江田宗二さんが、自分が楽しむための解除方法とやらをオレにやらせるというわけか?」
「はい」
ふと真千さんがこちらへ振り返った。
「もう着くよ」
外を見るとビル街は抜けてオレの住むあたりの景色へと移っていっていた。
「ありがとうございます。では道後君、明日から早速準備に取り掛かります。よろしいですか?」
準備、そう、請け負ってしまった以上引き下がることはできない。
「わかった」
〇 〇
その日はなかなか寝付けなかった。左に右に寝返るがうまい具合に位置が決まらないのだ。もぞもぞしているうちに奇妙な不安が押し寄せてきた。布団を引っぺがしきょろきょろと無駄に周りを警戒する。もちろん誰もいない。広がるのは何の異変もない六畳間。好きでもないアイドルのポスターが闇にまぎれて笑っているだけ。
秒針が鳴る。
静寂。
安心した気持ちになり再び横になる。寝返る。位置が決まらない。布団をはがす。この繰り返しをしていた。強迫行動の一種だ。一度深呼吸をしよう。深く深く息を吸い、そろそろと吐く。
少し落ち着いた。
今度は布団の中にくるまり体を縮みこませた。
自分の中でくすぶる感情。
まず事を整理してみよう。
コンビニで夕浜に写真を撮られた時。その時からオレをこの銀行強盗するプランに入れるつもりだったのだ。いや、半年前からと言っていたからもっと前か。恐らく例の写真のような脅す材料はなくともなんらかのアクションは起こしていたのだろう。夕浜は冗談でオレを尾けていたといっていたが、あながち嘘ではないかもしれない。彼女が写真をネタに脅しテストと称してやらせたあれは仲間に入れるか入れないかの適性を判断していたのだ。そしてオレに銀行強盗の計画を話した。用意周到に外堀から埋められている気がした。しかしそうは言っても計画に参加しないで断る手もあった。その場合いろいろと問題は起きる。だが、夕浜の言っていた通り身の潔白を証明することは可能なのだ。むしろリスクは向こうにある。それをわかっていながらオレは承諾したのだ。それは揺るぎのない真実。
もしかしたらオレは喜んでいるのかもしれない。
夕浜に脅されて違う色を見せ始めた日常に。
そんなはずはない。オレは今までの生活環境に大満足はないものの不満はなかったはずだ。平々凡々に生きていてアウトローなんて言葉には露程も浸かっていなかったはずだ。そんなオレが盗み。衣川は自分を変えるためには環境を変えねばならないと言っていた。期待しているのだろうか。大きな変化があるかもしれないと。
――……いや……違うな。
いい訳だ、それは。
己をごまかすためのいい訳、詭弁。
夕浜は言っていた。「道後君はわたしに似ています」。夕浜とオレが似ている部分。己の深層意識。
これはこの感情は別に正義云々偽善云々の話ではない。たぶんもっと簡単で簡素でシンプルな話だ。もしかしたら無自覚だったのかもしれない。それなら気づかず流れるままに身を任せて責任転嫁をしていればよかった。オレは夕浜に脅されて「仕方なく」銀行強盗の手伝いをすると。その結果どうなろうとすべては運命、周りが決定づけたものだと。
だがオレは自らの意志で手伝うと肯定した。
なぜか。
夕浜は最初から気づいていたのかもしれない。オレの心深くにある欲求に。だからこそ誘ってきたのかもしれない。単純な欲求。ごちゃごちゃ考えずそのままの気持ち。
――そう、オレは、盗みをしたいと思っていたのだ。




