第6話
「――いいのですか?」
レイスたちが退席した室内で、アカシアが言った。
怜悧な表情で眼鏡をかけ直す姿は無感情なようで、その内実は不満を示していることがサムエルにはわかった。
「何か不満があるのか、アカシア」
内心で溜息を吐きながら、サムエルは言葉を返した。
「何がではありません! 貴方に言われてレイスに彼女を預けました。ですが、この依頼はイルザリア公が最重要と念を押されたほどなのですよ! それを彼のような新参者などに!」
「レイスは新参者ではない。仲間だ」
サムエルが堅い声音で言葉を発した。
それは先程までの軽い雰囲気を微塵も感じさせない真摯さで、アカシアは息をのむ。サムエルの怒気に反応し、発生した魔力の渦が髪を巻き上げる。
アカシアの頬に一筋の汗が伝う。
「それにな、レイスだってもう5年もここにいる。もう新参というには長い時間だ」
「ですが」
なおも言いつのろうとするアカシアを手で制し、
「俺はレイスが適任だと思うからこそ選んだつもりだ。まぁ、殆どの幹部が出払っている今、選択肢の狭小さは捨てきれんがな。少数精鋭ともなればレイスの隊に勝てる隊がいるか?」
「そのようなもの、戦闘能力だけの話でしょう。強さと護衛は違います。いくらレイス単体が強くとも、それは個の強さです。それに、彼女を守りながらその強さが発揮できるとも限りません。やはり、ここは私か貴方が精鋭を選抜して護衛に徹するほうがいいかと」
「それはお前も同じだろう? 所詮俺らは奪う専門だ。守るなんて高度で崇高な芸当ができる奴なんていなさ。その中で一番確立の高い隊を選び、それに任せるのが俺の仕事だ。どうしてもお前は曇った目で世界を見る癖はぬけないようだな……」
アカシアは孤児だった。
今でこそ一時の平和を得ているエルメール王国だが十年も遡れば戦乱の時代真っただ中にあった。
それというのもエルメールの初代国王は力で国を築いた英傑であり、その力で瞬く間にその領地を広げ、大陸にその名を知らしめた。他国では暴王と恐れられたその初代国王は多くの禍根を世に残すことになる。
それは国王亡き後にも続いた。
大陸の三割をその手中に収め、大陸最大の国と言われた最盛期に比べ、まだ大国と言われる程の国力は維持しているが、最盛期の三分の一にまでその規模を減らしていた。
そう、初代国王亡き後、周囲の国々が一斉に戦争を仕掛けて来たのである。
二百年という長きに渡る戦乱の時代が幕を挙げた。
エルメールの二百年を超える歴史の中で、初代のように突出した力を持つ王は過去、実は多く存在した。エルメール王国が少し特殊な世襲制を続けているのも、過去幾度も生まれているその突出した存在の力を頼ってのことである。
その存在が現れる度に王国は領土を広げ、いなくなる度にその領土は奪われた。
戦乱の時代が長引けば長引くほど、国は荒れた。
その被害者の一人がアカシアだ。
アカシアは国境付近の小さい村でサムエルとアカシアは出会った。
親を失い、生きる気力さえ失ったアカシアを当時軍人だったサムエルが拾い、育てた。
「お前を拾ったことに悔いはない。それどころか、俺はお前のことを家族も同然だと思ってる」
「そ、それは私も同じです。貴方に私は救われた。貴方がいなければ、私は! 私は!」
必至に言いつのるアカシアをサムエルは手で制し、言った。
「だが、お前はその生い立ち故か俺以外を極端に信用しなくなった」
子供を見守る父親のようにゆっくりと優しい声音で、サムエルは言った。
「なぁ、アカシア。そろそろ信じてもいいんじゃないか? お前は一人じゃない。俺だっているし、シンシアもいる。レイスだってそうだ。そろそろ俺以外も信じていい時期だと、俺はそう思ってる」
上部の丸天井から月明かりが入り込む。
それは至る所に反射し、やがては収束してある一点を指し示す。
高さは一メートル前後、幅は広く直径十メートルはあろうかという程、井戸のように真ん中に穴が開いている。だが、それは井戸と呼ぶには神聖すぎた。
その縁を飾る彫刻の一つ一つに意味があり、そして歴史がある。
この場所は大陸で最大の規模を誇る宗教シスンマ、それを信じ奉る教会堂である。エルメール王国で最大にして、最古の歴史を持つ教会堂。
その最奥に位置する此処は『神の座す場所』である。
シスンマは偶像崇拝を禁止している。
故に信徒達が崇拝を捧げるのはこの場所であり、この穴は大陸にも稀な神の通り道。各地にあるこの穴を神は通り、下界を見渡すと言われている。
だからこその『神の座す場所』ということである。
だが、そこには平時ではありえない光景が広がっていた。
『神の座す場所』である筈のそこに座り込む一人の青年。
神聖な場所を汚す『神の座す場所』に座り込むなど、冒涜もいいところだ。しかし、青年にそれを気にする様子はなく、太太しく穴の中心を見つめていた。
「せめて私の前だけでは止めてくださらないかな?」
影から法衣を身に纏った男が青年に話しかけた。
華美な法衣は、その男がこの教会でも上位であることを表していた。胸に輝く装飾品の数がその順位を示す。
「何を言う。貴様以外の――特に信徒の前でこの姿を見せたら、それこそキャンキャン喚いて煩いだろう。まぁ、そんな下等な奴らが此処に入れるとも思えんがな」
天井からの光を受けて輝く豊かな金髪を鬱陶しそうに指で後ろに流し、蒼い瞳を男に向ける。
「信徒……ですか。王子……私こそがこの国一番の信徒、なのですがね」
「面白いことを言うな。貴様は唯この教会で一番偉いだけだろう? 貴様は敬虔なる信徒になど成れるわけがない。その壁を見ろ」
王子が指差した壁は金色の装飾に包まれる、一際華美な壁だった。
「あれがいい証だろう。信徒どもから搾取した金から成り立つ勝者の証だ。信徒が一生かかっても稼げない額の物がほとんど。本当に神の信徒を名乗るなら、孤児院にでも寄付してやったらどうだ?」
「これは手厳しいですな」
大してうろたえる様子もなく、法衣の男は返す。
「フン! 何を今さら。所詮世界が平等になどならないのだ。人の価値が同じにはなりえない。貴様が飯を食えば、誰かが食えなくなる。その繰り返しに過ぎん、世界など」
「この国に王子が居なくてはならない存在のように、ですかな?」
「当り前だろう? 俺様なくしてこの国に未来などありえない。初代の力は俺様と共にあってこそその力が活かせるのだ。あんなガキでも、ましてや小娘でもない。この俺様だよ」
「私も王子のより一層の活躍をお祈りしていますぞ。協力者として、王子の忠実な僕の一人として」
見上げる法衣の男まるで忠義を尽くす部下のように片膝をついた。
その姿に王子は肩を震わせる。
「忠実? 笑わせてくれるな、貴様は。貴様ほど扱いにくいやつもそうそういないだろう。これで無能ならば殺していたところだ」
突如、その場から音が消えた。
王子の周囲に光が満ちる。
その光はまるで壁のような圧迫感を法衣の男に与えた。暴風の中にその身を晒すような圧倒的危機感に法衣の男が懐に手をいれようとした時、その圧迫感はまるで今までが全て嘘だったかのように消えうせた。
茫然とする法衣の男に王子は、
「無能にはなるなよ。有能であれば殺しはしない」
「ぜ、善処いたしましょう」
なんとかそれだけを口にした法衣の男を一瞥し、話は終えたとばかりに『神の座す場所』から飛び降りた。
もうそれで興味を失ったかのように表情を変え、歩きだす。
しかし、その王子を一度、法衣の男は呼びとめた。そして、今までずっと法衣の男が疑問に思っていたことを口にする。
「王子、いや、シーリス・テル・エルメール様。貴方は神を信じますか?」
それに王子は一度小さく当り前だろうと呟く。
意外に思い、王子を見上げる男に王子は言う。
「堕落者が証明している。八柱の魔神とそれに仕える十六の魔王、さらにその下にいる有象無象。全てではないが、いくつかは既に確認さている。悪魔がいるのだ。なら、神がいない道理はあるまい?」