第5話
「ふひひッ……待ってろよ、レイス。ふひひっ……」
不気味な笑い声と共に、深夜の廊下を歩くミシミシと木が歪む音が流れる。
のそり、のそり、と慎重に、且つそのペースを変えずに、
「ふひ、ふひひひ」
額に流れる汗を拭くように、赤髪が一房額に垂れる。しかし、アイシャにそれを気にする様子はない。ライオンはウサギを狩るときにも全力を出すと言うが、アイシャの場合さらに白熱しすぎて、周りを一切意識していない。
ドサリ! と一際大きな音を床板が奏で、アイシャはある扉の前でその動きを止めた。その音は彼女のローブが床に落ちた音だった。
そして、白く、少女らしい柔肌がそこにはあった。
ダイヤモンドのように威風堂々としたその美は、一切の曇りがない。
そう、一切の曇りがないのだ。
アイシャはその綺麗な肢体を惜しげも無くさらけ出していた。上着も、下着さえも取り払った、生まれたままの姿だ。
傷一つないその体は、決して殺し屋には見えないだろう。遊女のように妖艶で、それでいて少女のように瑞々しい。
ゆっくりと、アイシャはその扉に手をかけた。
二、三度感触を確かめるように指を這わせ、緊張を絶ち切るように息を吸う。
最初は浅く速かった呼吸を徐々に深く長いものへと変え、呼吸を整える。
同時に覆うものない胸が上下にまるで波のように揺れた。小振りだが、たしかな女性らしさを備えたそれは男性の情欲をそそるには十分なものだろう。
アイシャの顔にそれまでの怪しい表情から一変、女の顔に変わった。
銀のブレスレットが淡い光に包まれ、鍵が開く。
クルエルのアジトに備え付けられた簡易魔術式だ。ブレスレット内部の魔力と鍵に仕込まれた魔術が反応することで鍵を開閉できるのだ。魔力は人それぞれに個性があり、魔力の質を変えることは出来ない。つまり、ブレスレット内の魔力を真似ることは難しく、防犯性が極めて高い。
「レイス! 開けるぞッ!」
元気よくいつも通りを装いながら、アイシャはその扉を開けた。
まず、アイシャの目に映ったのは、白く大きな果実だった。
金髪碧眼の少女は、その身をワンピースタイプのランジェリーに包まれていた。
まるで人々が望む少女という完成像を体現したかのような美しさにアイシャの動きが止まる。そして、その上半身にそなえる双丘は、透けるワンピースの下でその存在を大きく主張している。
男であれば誰であれ踏破したくなる双丘は現在、その谷間に一人の男の手を挟みこんでいる。柔らかい双丘はそれにより形を変形させ、まるで取りこむように男の手を内部に埋もれさせている。
その男女はベッドの端に座り込み、まるでこれから情事に励もうとしているようだった。
予想外の光景に固まるアイシャ。
「ッ! ア、アイシャ! ど、どうしたんだ」
座る二人組の男の方――レイスが慌てながら叫ぶ。
ファルシールの胸に埋まった腕を素早く引き抜く。
「レイス。あ、あれが、痴女というものなのですね……!」
ファルシールは頬を赤く染め上げながら、レイスの背後に隠れた。
それは人見知り以前に、アイシャの格好を見たためだったが、それによりレイスもその格好に気付き、唖然とした。
一糸纏わぬその姿に。
「ち、痴女だとコノヤロウ! てめェこそ一体誰なんだよ、このクソ売女ッ! 生まれてきたことを後悔させてやるッ」
「アイシャ待て! これには理由が」
二人の間にレイスが立ちふさがる。
護衛対象のファルシールを護らなければならないし、なによりこのようなことでアイシャに殺人を犯させるわけにもいかない。
そもそも、なぜ、レイスとファルシールの二人が同じ部屋でベッドに腰掛けていたのかというと――時間は少し遡る。
会議室から退席したレイスとファルシールはまず、彼女を客室に案内することから始まった。
その客室はキングサイズの天蓋付きベッドに最高級のオーダーメイドソファ。ファルシールの自室にも勝るとも劣らないその部屋は問題がない筈だった。
部屋から出るレイスに『私もレイスが護りやすいよう、同じ部屋で寝るようにいたしますわね』とファルシールが言い、一緒に部屋を出るまでは。
そこから自室までついてくるファルシールに説得を試みるレイスだったが、その悉くが却下されてしまった。
それにいくら安全なアジト内とはいえ、一緒にいる有意性はたしかにあるため、レイスは強く否定を口にすることは出来なかった。
部屋に入ったファルシールは先程の客室より一回りは小さいレイスの部屋を物珍しそうに見渡した後『すいませんが、私今日は些か疲れましたのでお先に湯船に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?』と控えめに言い、
レイスには首をゆっくりと縦に動かすことしかできなかった。
風呂から上がったファルシールは体が透けて見えるワンピースタイプのランジェリー姿で現れ『シンシア様からこれを着ればレイスが喜ぶと……』と言い、透かさずレイスの手を取り『寝るまでよければ横にいてください』と手を引いた。
これまでの経緯を説明したレイスにローブを羽織り直したアイシャが叫ぶ。
「おかしいだろッ! 夜だけでもシンシアが護衛を代わるとかあるじゃねェか」
「貴女様が一体どなたなのか存じませんが、自分の騎士と一緒に寝食を共にすることの一体何がいけないと言うのですか?」
胸を張り、ファルシールが言う。
それと同時に、身長に対しあまりに巨大な二つの果実が上下に揺れる。
母性の象徴を揺らすファルシールを見、そして自分の胸元を見たアイシャは『うっ……』と苦しげに呟いた後、
「オレはアイシャ。『クルエル』の一員で、レイスの部下だ」
「私はファルシール・イルザリアと申します。イルザリア家の一員になります。お父様が私の護衛を『クルエル』様に依頼しました」
「それでレイスが担当になったってことかよ! チィッ!」
大体の成り行きを理解したアイシャだが、それと心は別物だった。
アイシャとて『クルエル』の一員だ。公私の区別はあるし、そして何よりどうして自分がここまで怒るのかも十分理解していた。
自分の想いの身勝手さ、だが、抑えることは出来ない。
アイシャの怒りは次に、レイスへと向けられる。
「レイスもレイスだッ! 自分の部屋に連れて来る必要はないよな?」
「すまん……」
素直に謝るレイスに、アイシャは怒りを抑えることが出来ない。
勢いよく握った拳から微かに血が滲む。
振り返りながら『チッ』と舌打ちをし、扉を勢いよく開けた。
「とにかく! 夜の護衛くらいはシンシアに頼めるか聞いてくる。別部隊でもシンシアならやってくれんだろ。いいか、大人しく待ってろよッ!」
足早に歩を進め、扉を抜けるその時、
「レイスのバカヤロウが……」
アイシャのその言葉は、誰にも聞こえない程小さいものだった。