第4話
「ッ――!」
まるで絵画から飛び出たかのように完璧な美しさを持つ少女だった。
羽毛のように軽やかで、それでいてまるで恒星のように輝く金髪、ガラス細工のような碧い瞳。青いドレスに身を包む彼女は、さながら深窓の姫君のようだ。
しかし、その綺麗さにこそ此処にいることの違和感を際立たせていた。
さらに、この国では金髪碧眼とは色だけではない特別な意味がある。
片方ではその意味を持たず、だが、その両方が揃うことで、それは高貴なる血筋――貴族の証明になりえる。
ましてやここまで混じりけの少ない鮮色となるとよほど良い血筋ということになる。間違ってもこんな所にいてはいけない筈のお嬢様だ。
だが、その容姿も、金髪碧眼という事実でさえも、彼女から発せられた言葉の威力に比べたら、それは些細なものに過ぎなかった。
「ブファ! アハハハハハ! 騎士様! 騎士様だってよッ! レイスがか? レイスが騎士様なのか? アハハハハハ!」
まず、静寂を打ち破ったのは、耐えきれずに吹き出したサムエルの笑い声だった。
横に控えるアカシアでさえ無表情を装いながらも、笑いを堪えるように頬の筋肉を痙攣させている。
「あらあら……フフフ…………」
シンシアだけは微笑ましげにファシールを見る。
「私の名前はファルシール・イルザリアと申します。どうかファルシールとお呼びください、騎士様!」
周りの反応を意に返さず、ファルシールはレイスだけを見つめ、言う。
そして、ファルシールは一歩踏み出し、レイスの返事も待たず、続けざまに言った。
「私を、私をどうか守ってください! この広い世界のありとあらゆるものから、私を守り抜いてください。私の悲願が叶う、その時まで」
その言葉は、先程までのファルシールとは違う、堂々とした声音で発せられた。まるで何にも練習した舞台公演のように慣れた動作で彼女は騎士の誓いを行ったのだ。
一生をかけ、汝を守ると告げる騎士に対する主人の誓いを。
さらに、彼女は自分のことをイルザリアと名乗った。イルザリア――それはこの国を支配する貴族を束ねし者。王族に最も近き血筋を持つ四大貴族――イルザリア、サイウス、ローレンツェ、サルトーリア――その一つだった。
「いい加減、説明を聞きたいのですが……」
このドタバタ劇の主要人物の筈でありながらも言葉を発せずにいたレイスが助けを求めるようにサムエルに訊ねた。
「ハハ……。あ? ああ、そうだったな。イルザリア公爵は知っているだろう? 我がクルエルの筆頭取引相手だからな。あの爺さんの秘蔵っ子らしいんだが」
そこでサムエルは一区切り入れ、真剣な声音で、
「ちょっと問題が起きた。今王都を騒がしている問題を知ってるか?」
「はい、たしかエレファンス王が病に倒れられたと」
「そうだ。今王都では王不在の危機をどう乗りきるか、でてんやわんやだ。それに、王の具合というのが実際問題、かなり悪いらしくてな。別の問題が浮上してきた」
そこでサムエルは目線をアカシアに向けた。
ここから先はクルエルの頭脳――アカシアの出番ということだろう。
「現在、王都では王位継承権を巡って各派閥で争いが起こっています。一つは第一王子であり、すでに成人の儀を済ませているシーリス王子と彼を擁立するサイウス家とサルトーリア家の派閥。まだ幼いコールス王子を擁立するローレンツェ家。他にも小さい派閥群はありますが、この二つが主流といっていいでしょう。そして、はっきり言いますと、シーリス王子が有力でしょう。四大貴族の内、二つが彼についているのですから」
質問はと目で問うアカシアにレイスは首を傾げた。
レイスにとっても今までの話はたしかにわかりやすかった。王都での問題、そしてそれによって起こった争い。簡潔に説明されていたように思う。だが、その内容とファルシールがどう関係するのかが彼にはわからなかった。いくら彼女が公爵家の息女であるとしても王子たちの争いに加わるとも思えない。そうレイスが口にすると、
「たしかに、問題はありませんでした。彼女の父親であるイリザリア公爵が王弟でなければ、ですが」
この国、エルメール王国の王位継承権は他の国とは違う、独自のものを採用している。王位継承権は血筋の濃さで決まる、というものである。それは直系筋であろうと、分家筋であろうと変らないのだ。
つまり、王子であるシーリス、コールスの二人と公爵家の息女でしかないファルシールが王位継承権だけを見れば同列なのである。
加えて彼女は四大貴族イルザリアの息女。つまりはイルザリアの後ろ盾があるのと同じ。
「だが、なぜ今になって護衛を? 激化するのはわかりますが、王族ではないのにそこまで高い王位継承権があるのならこれまでも命を狙われていたのでは?」
「それについては簡単です。さきほどサムエル様が申したでしょう? イルザリアの秘蔵っ子と。つまり、秘匿していたのですよ。イルザリア公爵にとって目に入れてもいたくない娘、命を狙われないようにと。しかし、イルザリア公爵は動きました」
「イルザリア公爵は王位を狙うと?」
「わかりません。義理人情に厚く、王国を第一に考える人ですから。とはいえ、今になってその存在を公表したのも事実です。そして、その護衛を我々に頼んだのも」
説明は終えたとばかりにアカシアは一息をついた。あとは各自の想像にまかせるつもりなのであろう。
「ファルシール様は何か聞いておられますか?」
アカシアからの情報提供は諦め、レイスはこれまでの話をじっと聞いていたファルシールの方を向き、言った。
「どうかファルシール、とお呼びください。敬語も結構ですので」
「い、いや、しかし……」
思わぬ点を指摘されたレイスはたじたじになった。ファルシールは護衛対象の、ましては公爵家のお嬢様だ。姓すらない自分が敬語もなく、ましては呼び捨てなど不遜も甚だしい。
「いいのです。護ってくださるのですから」
そう言いファルシールは頬を赤く染めた。レイスの後ではまたサムエルが笑いを堪えているらしい、机を軽く叩く音が聞こえる。そうしなければ耐えてられないのか、そうすることで耐えていることをアピールしているのか。レイスにはどちらかと言えば後者に思えた。
「それに、私にもわからないのです。お父様が何を考え、何をしようとしていらっしゃるのか。わからないのです……」
涙を堪えるように、ファルシールは目を伏せた。
彼女が一番不安なのだろう。今まで安全で何不自由のない暮らしをしていた少女が、明日には殺されるかもしれない立場になってしまったのだ。
「それでも、私にはしなくてはならないことがありますから」
次に目線を上げたとき、彼女の瞳には紅蓮の炎が宿っていた。
自分の意思を貫くと決めた者が秘める――それは決意の炎だ。
「わかった。俺がファルシール――君を護ろう」
その言葉を、レイスは気付けば口にしていた。
普段なら絶対に言わないくさく、キザな台詞だ。しかし、その言葉以外、今のレイスには思いつかなかったのだろう