第3話
「ほっほ、毎度のことじゃが、良いんじゃな?」
「何がだ」
仕事からの帰り道、三人は薄暗い舗道を進んでいた。
煉瓦造りの家々が建ち並ぶ街並みは、ある一定の規則をもって統一されている。赤い統一された街並みと所々に映える花々や木々、そして街を分断するようにながれる大河――ヴォルス川がさらなる色彩を加える。
この洗練された街並みを羨み、わざわざ遠く離れた街から移住する人も珍しくない程だ。その美しさを称えるように、隣の王都エルメールを最先端の都と呼び、この街――サイウスは最美の都と呼ばれる。
「分かっておるのじゃろう? あの魔術師を生かしておいたところで、禍根を残すだけじゃ」
ポルトは幼子を諭すように優しく語りかける。
「今はいいかもしれん。だが、復讐の刃とは根深く、強い。いつかその刃がお主の首に届かんとも限らんのじゃないか。よく死ぬことを全ての終わりじゃと、絶対の終焉だと言うものがおる。それを忌避する気持ちはわからんでもないことじゃ。だがのぅ、逆に言えば殺せば絶ち切れると言うことでもある。」
「別に、アイツは標的でも何でもない」
歯切れ悪く、レイスは言った。
ポルトの言うことはレイスとて理解していた。
先程の屋敷、その中にいた三人の魔術師の一人をレイスは殺さなかった。殺し屋を自負するクルエルならすべきことは目撃者の始末、そして禍根を断つこと、そうポルトは言いたいのだ。
「もう何堅いことをギャアギャア言ってやがんだ、爺ッ! 来たら今度こそ殺せば良い、それだけだろうがッ。それになァ、いくら凡人が頑張ったところで、レイスに届くわけがねェ。それで届く程度なら最強なんて看板張れねェよ」
アイシャは瞳に絶対の自信を張り付け、言う。
まるで自分のことのように語るその瞳からは、レイスへの信頼がありありと見てとれる。そして、その言葉と同時にレイスにしな垂れかかる。
「ほっほっほ、だと良いですがな」
見透かすようにポルトは目を細める。
「心配しすぎだっつーの。なぁ、レイス」
アイシャは両手でレイスの肩に掴まり、片方の足を両足で挟む。
凹凸に乏しく、未だ少女という枠を脱せない彼女だが、その歳に似合わぬ妖艶さがある。先程の戦闘による名残か、少しの汗がたらりと胸元に落ちた。
甘い香りがレイスの鼻腔をくすぐる。
二人の距離は次第に縮まり、両方の吐息が重なり合う。
まるで、キスをせがむようにアイシャはレイスの目前に顔を近づける。レイスの瞳にはアイシャが映り、アイシャの瞳にはレイスが映る。まるで映画のワンシーンのような二人だけの空間が生じる。
レイスは動じず、アイシャは甘えるように。
そして、その隙間が零になりつつあった。その時、
ドスン! と音を立てて彼女の背中から大剣が地に落ちる。
大剣のあまりの重量に、背中の留め具に使用していた革製の紐が切れたのだ。
「んぁ! オイオイ、これ特注して買ったばっかのヤツじゃねェか! 爺ッ! テメェがグダグダ言ってからだぞ」
「これは酷い言い掛かりじゃな……」
「くそッ! どうしてくれんだよ」
「そもそも、お主の剣が大き過ぎるのじゃよ」
大剣を地面から抜き、愚痴るアイシャにポルトが諭す。
「もう布でぐるぐる巻きにでもして手で持ち歩いたらどうじゃ?」
「うるせぇな。背負うから良いんじゃねェか。そうだろ、レイス」
「……ああ、分かった」
レイスのその言葉は誰に向けられたものなのか。
虚空を見つめるその瞳に先程までの表情は無い。
無表情とはまた違う、それは本当の無だ。体と心を無理矢理切り離したような違和感。焦点の合わない瞳は、まるで密を探し飛び回る蝶のように忙しなく揺れ動く。両腕はまるで痙攣するように震えながら、それでも何かを操るように規則性をもって空を描く。
「オイオイ、マジかよ。チッ! レイスの反応がないと思ったら……こういうことかよッ!」
だが、そのレイスに二人は慌てることはない。
高等魔術が一つ、遠隔伝達術式。魔力を介し、情報を伝達する魔術なのだが、それをレイスは堕落者の力を使い、再現することができた。
「遠隔伝達術式……ってことはシンシアからか? また仕事かよ。終わったばっかりだぞ!」
「ほっほ、嘘が下手じゃな。本当は嬉しいのじゃろう?」
「ケッ!」
口では否定しながらも、戦いの予感にアイシャの口元が震え、笑顔に歪む。
「招集だ」
術式を終え、レイスの顔に生気が、そして瞳に意思の光が戻った。
「アジトに戻るぞ」
純白の大理石でしつらえた床にテーブルに華麗な装飾を施された家具が強烈な存在感を醸し出す。山奥とは思えないほどにその部屋は荘厳さを感じさせる。
クルエルの財を凝らして造られた此処は、よもや殺し屋たちが会議をするためにあるとは思えない程だ。
そのテーブルに有るのは九つの席。
空席が目立つそこに座るのは三人の男。
一番の上座には浅黒い肌と同じ色の髪を短く刈り上げ、口元には不敵な笑みと同時にどこか子供らしさを醸し出す男。クルエル全ての支配者にして指導者である団長――サムエルがいた。
「ははは。よく来たな、レイス」
「お久しぶりです。また、依頼ですか?」
サムエルの丁度対面に位置する席に座るレイスが言葉少なくサムエルに返す。
その様子にサムエルは気分を害した様子はない。それどころか、どこか嬉しそうに目を細める。
「またとは酷いな。俺はレイス、お前には気を使ってると思うぜ?」
「――それに、今度は違います。嫌、正確には違わないのですが……」
レイスの問いにサムエルの横に立つ、如何にも生真面目然とした男が答えた。クルエルの副団長を務めるアカシアである。
アカシアは浅黒い肌に対し、映える銀髪を指で弄りながら歯切れ悪く、
「今回はいつも通りの任務ともう一つあります」
「もう一つ?」
アカシアのいつもとは違う態度に疑問を覚えつつ、レイスは続きを促す。
「ええ――入ってください」
ギギギと部屋を仕切る豪奢な扉が開く。
「久しぶりね、レイス」
扉から現れたのは妙齢な女性、それと女性の背後に縋るように隠れている少女だ。
「任務ごくろうさま、って言いたいところなのだけれど、追加任務よ」
「シンシア?」
親しげに手を振る妙齢な女性――シンシア・クロロメルがレイスに話しかける。
赤毛に翡翠の瞳、美しい顔以外は黒いローブで全身を覆い隠している。典型的な魔女を彷彿とさせるこの女性は、姿通りにクルエルが有する魔術師の一人だ。
手の振りと同時に胸部にある膨らみがローブ越しで尚、左右に揺れるのが知覚できる。
「仕事終わりで辛いでしょうけれど、ごめんね。ここにいる私達以外、幹部は出払ってしまっているし、何よりレイスが一番安心だしね。頼りにしてるわよ」
「安心?」
「そ、って……隠れてないで出てきて、ね?」
苦笑しながらシンシアは後ろの少女を前に立たせる。
俯く少女は何度か視線を彷徨わせて、何度か顔を振る。そして、決心したのか一気に顔を上げる。
「あ、あの! このお方が私の騎士様なのですか?」