第2話
夥しい数の血痕、飛び散る肉片、転がる人骨。
地獄を彷彿とさせる空間に、生ある者はレイス、ポルト、アイシャの三名のみとなっていた。凄惨な有様の部屋とは違い、三名には返り血の跡が見られなかった。
「呆気ねぇ!」
完全に興味を無くした様子で、アイシャが言う。
「盗賊なんてやってるんだ。もう少し歯ごたえがあってもいいだろ」
「まだ早い。殺害対象はこの中にいない」
「ほっほっほ、そうじゃのう」
アイシャの態度に素知らぬ顔でレイスが返し、ポルトも賛同を示す。
「チッ! どうせ雑魚だろ」
そこでアイシャは自分の体を抱きながら、クネクネと動かす。
「オレはもっと強ェ奴と戦いてェ。血沸き肉躍るような、そんな! 気を抜けばこっちだって喰われる。骨を砕かれ、臓物を裂かれ、脳髄を抉られるような。そんな殺し合いがよッ!」
「でましたな、病気が」
「そんなことより、標的を探そう。逃げられたら面倒だ」
「その必要はない」
「ッ!」
突如飛来した白銀の雷光。
光自体が質量を持ったかのように圧倒的物量で視界を埋め尽くす光弾。
それをボルトとアイシャは飛び退いて回避し、レイスは触手で迎撃した。
瞬時に奪われた視覚を、堕落者であるレイスが逸早く回復し、新たに現れた四人を見た。
一人は依頼対象である盗賊の頭領――マルシャだ。
しかし、それに付き従う三人組の情報はない。
三人とも黒いローブを身に纏い、手には黒塗りの杖を持つ、如何にも魔術師然とした男達だ。
「魔術師を雇ったのか」
「こういう時のために雇っておいたのさ。まさか本当に来るとは思わなかったがな」
レイスの言葉にマルシャは人を食ったような笑みを浮かべ、答えた。
「ハハッ! 盗賊が護衛を雇うなんて、なんの冗談だよ」
魔術師達の射線上から離れ、物陰に避難していたアイシャが悪態をつく。
「今まで出てこなかったのは手下がいたから、か」
「まぁ、そういうことだ」
マルシャはさも当然と答える。
「一応仲間だからな、魔術に巻き込むわけにもいくまい?」
「見捨てたことには変わりない」
事実確認でもするように、レイスが言葉を返した。
「ふふふ、あははははは! はははははははは!」
突然、マルシャの体が震えた。
最初は小刻みに、そしてそれは徐々に激しく、大きく。それでも耐えきれず、大声で彼は笑い出し、そして叫ぶ。
「クルエルともあろうお方が! まさか、そんな綺麗事を言うとはな! この世は実力社会! 力こそが全てなんだ! 裏社会の者が、殺し屋が、それこそ貴方自身が、そのことを知らない筈がない!」
顔には、レイスへの侮蔑を隠すことなく、マルシャは饒舌に語る。
自分の絶対的有利を確信している。
「ほっほっほ、あの者、アイシャに似てますなぁ」
物陰でポルトがアイシャに皮肉る。
「ふざけんな。誰があんなカスと」
「似てますとも。盲目的で、直情的なところなんて特に似てると思いますがのう。それとも、同族嫌悪ですかな?」
追いつめられている緊張感など感じさせずポルトにアイシャが返す。
「ならば尚更、似ていると認めているようなものですぞ」
「爺ィ、死にたいらしいな。アイツは何もわかってねェよ。この中で、誰が支配者か。誰か捕食者なのかをな」
「ですなぁ」
肯定の言葉と共に、ポルトは軽口を引っ込め、どこか憂うような表情で呟いた。まるで、出来の悪い息子を見るように、静かに、重く。
「全くもって、わかってない」
強烈な爆音が辺りの音を搔き消した。
レイスが機先を制し、触手を魔術師に放ったのだ。
触手は魔術師の魔術障壁をいとも容易く貫いた。真ん中でマルシャを守るように立っていた魔術師の腹を貫く。後ろで油断していたマルシャの頬を軽く切り裂き、それでも留まらない触手は、屋敷の壁数枚貫き、外壁から外に出てやっと止まる。
マルシャの額に冷や汗が流れた。
その汗は額を流れ、血を流す頬に届く。痛みなど気にしている暇は、マルシャにはない。彼は今起きた非常識に頭が付いていかず、放心しているのだから。しかし、彼を責めることが、一体誰に出来ただろうか。
魔術師の魔術障壁、それはこの世で有数の守り手の一つである。
特に物理攻撃には強い耐性を持ち、そこらの攻撃などでは切り裂けるどころか、傷一つ付けることすら難しい。魔術障壁を破るためには魔術を使う。戦闘を生業とする者にとって、常識とされていることだ。
その思いが、常識が、今目の前で破られた。
ことここに至って、ようやくマルシャは理解した。
目の前にいるレイスと言う男の脅威を、異常性を、戦闘能力を、やっと理解した。いや、たったの一撃で理解させられた。
「マリー! マリィイイイイイ!」
左右の魔術師の一人が腹を貫かれた魔術師――マリーに向かい絶叫する。
横たわるマリーはローブの頭部分が取れ、素顔を晒していた。絹のように滑らかな銀髪に透き通る肌、生前の面影がまだ色濃く残るその顔は、見惚れ
る程に美しい。
「お、お前ら、速く魔術を!」
警戒心を露わにマルシャが残る魔術に指示を出し、悲嘆に暮れる男とは別の魔術師が魔術を展開する。
途端、濃霧が周りを包む。
魔力漏れだ。
魔力が術式を介して世界に魔法として変換されるその瞬間、どうしても変換しきれずに漏れ出してしまう魔力のことである。
だが、これは別に魔術が下手な訳ではない。
人という本来魔との結びつきが弱く、魔力適正が低い種族が無理矢理に魔術を使うことに対しての不具合がこういう形で出てしまうのだ。
それに、この魔力漏れは使用する魔法が強大であればある程、濃く、そして量も多くなる。一種の強さを示すパラメーターとして見られることもあるのだ。
魔力漏れが視界を遮りつつある中で、レイスは思考する。
魔力漏れの量からして、魔法はレイスにとってそれほど恐れるものではない。もしかしたら一流と呼ばれる存在に届くかもしれないが、彼からしたら届いていたとしても左程問題ではない。
「破ッ!」
気合の声と共に魔術師から魔術が放たれる。
詠唱などはない。魔術とは魔力を変換させ、放出した瞬間にはもう完成なのだ。
迫る魔術は五つの炎弾。
螺旋を描きながら、標的のレイスを目指す。
対するレイスは先程までと同じように魔術に袖口を向ける。
袖口から日の光を浴びているとは思えない程に白く、美しい手が覗く。その手をまるで炎弾を掴むように、握る。
パン、パン、パン、小さく乾いた破裂音と共に炎弾が消失する。
「なッ! ありえ」
最後の言葉を口にすることなく、魔術師の頭がレイスの触手で弾け飛ぶ。
「ヒィッ」
横で最後の希望が容易く屠られるのをマルシャは見た。恐怖で逃げようとする感情とは別に、制御を失った体は床に座り込んだ。股間が濡れ、部屋に強烈なアンモニア臭が充満する。
「オイオイ、臭ぇな」
いつの間にかレイスの背後にやって来たアイシャが鼻を押さえ、顔を顰めながら嘲る。
「堕落者であるレイスに魔術が効く筈がねェだろ。悪魔の力は魔術より上位、そんなことも知らねェのかよ」
その発言を気にせず、レイスはマルシャに近づく。
「ま、待て! 待ってくれ! お願いだ!」
喚くマルシャの眼前で止まったレイスは、ゆっくりと袖口を向ける。
絶望に歪むその表情を彼は無感情に眺めながら、袖口から大量の触手がマルシャと背後にある扉を押しつぶした。