第1話
郊外に佇む、広く壮麗な屋敷。
元は貴族の避暑地として利用されていた建物であるだけに、その造りは庶民の家とは一線を画す。それは扉一つ、壁一つとっても明らかだ。白い外壁、廊下の天井や屋敷を支える柱には、見事な浮き彫り細工が贅沢にあしらわれ、屋敷と言うよりもどこか城を思わせる。朗々と月明かりが照らす様は、どこか幻想的な印象を見る者に与えていた。
だが、その屋敷も今は荒くれ者達に支配されていた。
肉を食らい麦酒を啜る男、下卑た笑いを響かせる男、だらしなく床に寝る男、殆どの男達が腰に剣を下げ、おおよそこの屋敷には似合わない風体の者達である。
彼らは盗賊だった。
けれど、それも三人の訪問者により終わりを告げた。
バン! と音を立てて両開きの扉が開かれる。
その音に反応を示したのは、一番近くにいた盗賊達だ。玄関ホールの二階へと通じる螺旋階段前で麦酒を飲んでいた彼らは訝しげに扉の方を向いた。
扉には奇妙な三人組みが立っていた。
屈強で知られる盗賊達に比べ、皆一様に背が低い。そして、年齢層もバラバラ。少女と少年、そして老人。
一番に目に入るのは、扉を開けたと見られる少女だ。威風堂々とした立ち居振る舞いで此方を睥睨する。
赤み掛った茶髪に整った風貌、前髪から覗く深緑の瞳はヒスイを思わせ、強い光を放ちながら、それでいて美しい。それを見た盗賊達が一時少女に見惚れた程だ。
しかし、撫で回すように少女を見ていた盗賊達は気付いた。少女がその華奢な背に担いでいるのは、自身の身長をも超える大剣だということに。
剣とは鉄などに炭素が混ざった鋼から出来ている。
それはこの少女が持つ剣も変わらない。ならば、この少女のように自身をも超える剣など、振り回す以前に持ち歩く事すら困難。それを眼前の少女は大した苦も無い様子で平然と担いでいる。
「ほっほっほっほ、皆さん方、気分の良いところ申し訳ないのですがな」
驚愕したのも束の間、盗賊たちの意識を戻したのは、しわがれた老人の声だった。
少女の後方から一人の老紳士が進み出る。
白髪と年齢を感じさせる皺だらけの風貌、貴族然とした身なりに何故か拳にはナックルダスターを着けている。ちぐはぐな印象を盗賊に与えた。
その老紳士は落ち着きはらった声で言った。
「死んでいただきたい」
「あ? 誰だよ、お前らここがどこだかわかっていってんのか」
盗賊の一人、この中では一番体格が良い男が三人に声を掛けた。
それに、黒髪の少年が答える。
「クルエル、と言えば満足か?」
横の少女や老人に比べ、特徴に乏しい少年だが、その身に纏う空気は妖しくも恐ろしい。
袖口が大きく開いた黒衣を身にまとい、瑠璃色の瞳によく見れば白磁のような肌に整った顔立ち。
その少年の言葉に、盗賊たちは一瞬言葉を詰まらせた。
『クルエル』――それは、王国の裏社会で知らぬ者はいない殺し屋集団。
奴らに関わってはならない。
奴らを敵に回してはいけない。
至る所で囁かれる噂話の数知れず、それでいて裏の人間はそれが本当であると知っているのだ。クルエルは――最強、最悪だと。
「あはははははははは」
茫然とする他の盗賊たちを尻目に、三人に話しかけた男が耐えきれず笑い出す。
男は目の前にいる三人がクルエルだとは信じられなかった。
当たり前だ。伝説になるような殺し屋が、まだ20にも届かないような子供が二人と老人だなんて誰が信じられただろうか。
しかし、それが彼の今生での最後になってしまった。
「ッ!」
時間が止まったかのように男の笑い声が止まった。
「おい、一体――ッ!」
異変に気付いた盗賊の一人が男に声をかけたその時、コマ送りのようにゆっくりと盗賊の首が横にずれ、床に落ちた。
鈍い音をたて、床に落ちたそれは、止まった時を動かす合図のように時間が再生される。まるで血自体が意思を持つように傷口から血が噴き出し、辺りにその存在感を示し始めた。
「ハハハハハ」
静寂に包まれた辺りを甲高い笑い声が満たす。
少女が大剣によって斬り落としたのだと盗賊たちが気付く頃には、少女は次の獲物に向かい、走る。
「ガタガタうるせぇ! とっとと死ねえ!」
少女の一撃を皮切りに屋敷を戦闘の波が支配した。
屋敷は阿鼻叫喚と化していた。
台風と言うべき状態の中心に立つのは黒衣の少年だ。
少年の名前はレイス、クルエルと言う裏社会で伝説的殺し屋集団の若き幹部である。
レイスが袖口を盗賊に向けた。
たったそれだけの行動で、レイスは辺りに死をまき散らす。
開いた袖口からはち切れんばかりに大量の黒い触手が鞭のように盗賊を襲う。爬虫類にあるような触手は艶やかで黒光りし、そして先端には尖った牙が小さい円に沿って付いている。体部分に対して小さ過ぎる口だ。
その触手は盗賊達を突き刺し、切り裂き、絞め殺す。
盗賊に抵抗する術は無かった。
明らかにレイスの体積を上回る量と長さを持つ触手は、その細い体の何処に隠していたのか。だが、その大量の触手も、レイスの動きを阻害する事はない。まるで、一つ一つが意識あるように別の動きをする。
「この化け物め! 堕落者風情がッ!」
大声で自分を鼓舞し、剣でレイスを強襲した男は触手によって首を跳ね飛ばされ、さらにもう一つの触手に胸を突かれた。
胸を突いた触手が舐めるようにゆっくりと胸から袖に帰還する。
堕落者――それは忌み名だ。
悪魔と契約し、人類を遥かに超越した力を持つといわれる彼らは、その名が決して表舞台に現れることはない。
大陸最大宗教シスンマ、その神を崇める国が、世界が、彼らの存在を認めはしない。しかし、彼らは少数だが、確実に存在する。歴史的な指導者たち、戦争の英雄たち、彼らはその名を隠し、力で世界に認められた。表では決して知られず、裏の世界では公然の秘密となっていた。
神の敵、その力を行使する者として。
「ほっほっほ、相変わらず凄いのう」
レイスから一定の距離を置きながら、老紳士――ポルト・ローランドは言う。
縁側で茶を飲むようにのん気に、それでいて容易く迫り来る盗賊たちを変形させていた。
盗賊達の剣、その腹を叩き、ずらす。そして隙が出来たところをナックルダスターが襲った。腕は弾け飛び、首は折れ、腹から腸を垂れ流す。
一番与し易しと踏んで狙ってきた盗賊はそれを後悔するはめになった。
「甘いのう。武とは全身運動。いかにして全ての筋肉、力を連動させるか、なのじゃよ。それは剣の道とて変わらん。お主らの剣術は腕力のみ、奇抜さはあるが、力は分散する」
ポルトは振りかぶる盗賊の肘に掌底を入れ、バランスを崩す。
体勢が崩れ、それでも無理やりポルトに向かい剣を振るった盗賊は、その柄を指一本の力で止められた。
盗賊の顔に、驚愕が浮かぶ。
「このようにな、む?」
言い終わるとポルトは全力でしゃがみ込んだ。
その顔に先程までの余裕はない。
ポルトの顔が先程まで存在していた位置を大剣が通過し、刃はそのまま剣を止められていた盗賊の胸を横一文字に切り裂いた。
「講釈垂れてんじゃねェッ!」
大剣の主、アイシャが言う。
盗賊達より汚い言葉遣いは見た目可憐な少女から発せられた。
彼女の名前はアイシャ・マカロメル。年の頃はレイスと同じくらい。けれど、軽々とその身を超える大剣を扱うさまはどこか不自然に感じられる。一体その細身の何処にそれだけの力が有るのか。だが、少なからずその剣で命を刈り取りながら、アイシャの美しい顔に疲労の色はない。
「アイシャよ、危ないじゃろうが」
「もたもたするテメェが悪ぃ。即殺、それがクルエルだろッ!」
ポルトの文句を歯牙にも掛けず、アイシャは盗賊殺しを続行。
その血のように赤い瞳を爛々と輝かせる。
盗賊の一際多い場所に向け、アイシャは跳ぶ。
大剣を振り上げ、振り下ろす。剣先は盗賊の頭から胸までを一刀両断、鮮血をまき散らす。だが、アイシャの剣はそこで止まらない。
残る遠心力を縦から横に変え、自分を中心に一回転、今度は跳びながら斜めに一回転、二回転、アイシャの大剣は片時も止まることなく、動き続ける。
それはそこに小さな竜巻が吹き荒れたかの如く、辺りを蹂躙する。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇ!」
赤い旋風がまき散らした死は辺りを埋め尽くした。