第3話(5月)〜数年ぶりの再開〜
「あ、佳ちゃんこっちこっちーっ!」
……校門では夏乃が何食わぬ顔で俺に手を振っていた。
夏乃の近くまで駆け寄り、勢いのまま前のめりに倒れ込みそうになるのを、どうにか堪えて立ち止まる。
「はいお疲れさまー。えっと、私がメールしてからぁ……一分ちょいか。さっすが中学時代は運動部だっただけのことはあるね、早い早い」
こいつの頭の中では『運動部の人間は全員足が速い』らしいが、今はそんなことどうでもいい。
両膝に手をつき、肩で息をしながら顔を上げ、腕時計に目をやりながら感心した、という風に小さく頷く夏乃を見上げる。
俺の通っている高校のものとは違う制服。
白のYシャツに紺色のブレザー。
今時の女子高生といった感じの、丈の短いプリーツスカート。
黒のハイソックスと、恐らく学校指定のものであろう革靴。
髪の毛は黒のショートカット。
いつだったか、俺が見かけた時には腰の辺りまで伸ばしてた気がするが、どうやらばっさり切ってしまったらしい。
思い切った感じだがこれはこれでありかもなあ、などと心の隅で考えてる場合では決してない。
「……ちょ、ちょっ……待っ……おまっ……さ、さっきのメール……」
肺はとにかく酸素を欲しがっていて、心臓はいつ破裂してもおかしくないほどに脈打っているが、それでもどうにか呼び出した理由を切れ切れに尋ねる。
そう言えばこうして向かい合って話すのは中学卒業以来になるから……大体三年ぶりってところか。
教室からここまで全力疾走で来たせいでうまく喋る事が出来ず、恥ずかしがる余裕すら全く無いってのは、考えようによってはある意味救いかもしれない。
何やらふむふむと感心していた夏乃は、俺の言葉で腕時計から顔を上げると、
「え? ああ、そうそう、そのことなんだけどね。何でか知らないんだけど、今日学校から帰ろうとしてたら私の自転車壊れちゃっててさ、でも自転車屋に修理してもらいに行くにしてもウチ帰るにしても、歩きだと結構時間かかるじゃない? だから今日は仕方無いから家が近所の佳ちゃんに送ってってもらおっかなーなんて思ったの。いやー佳ちゃんがアドレス変更してなくてホント良かったです」
にへーっとした笑顔を浮かべながらしれっと言ってのけやがった。
「……はあ」
自分の心配が徒労に終ったと分かった途端、体から力が抜けて、たまらずその場に座り込む。
「あ、え? ど、どしたの佳ちゃん?」
──もうあったまきた。
安堵感が去っていけば次に湧き上がるのは怒りだ。
それが罪悪感の欠片も無い夏乃の態度によって増幅され、更に六時限目の説教で貯まったまま発散されていなかったストレスと頭の中で混ざり合い、相乗効果を生み出す。
俺はゆっくりと立ち上がると、
「……怒ってんだよっ! 何年もメール寄越してこない人間からあんなん届いたら誰だって心配すんだろうが! どんだけ驚いたと思ってんだ!?」
何事かと驚く周囲の視線など気にも留めず、今にも掴みかかりそうな勢いで怒鳴り散らす。
送ってきた相手が相手で、しかもあんな夢を見た後という事もあって、こみあげてくる怒りを自分で制御出来ない。
そもそも何年もメールを送ってこないような状況をつくったのは誰だったのか、という事まで、この時ばかりはすっかり忘れてしまっていた。
「え……えと、その……ご、ごめんなさい」
本人としては、軽いジョーク程度にしか考えてなかったのだろう。
俺の突然の叱咤に、本当にすまなそうにうつむき、スカートの裾を両手でぎゅっと握る夏乃。
その姿を見た瞬間、頭に上った血が、すっと下りていった。
冷静になって湧き上がってくるのは胸をちくりと突き刺すような罪悪感。
――……泣き虫なとこは昔からちっとも変わってねぇな。
舌打ちとと共に小さくため息をつく。
「ったく……自転車取って来るからここでちょい待ってろ」
「……いいの?」
顔を上げて恐る恐る、といった感じで問いかける夏乃。
俺は照れ隠しに、さも面倒臭そうに頭を乱暴に掻きながら、
「自転車無いってんなら仕方ねえだろ。どうせお前ん家通り道だし……ついでだよ、ついで」
意味も無く明後日の方向を見ながら、ぶっきらぼうに言ってのける。
「うん……ありがと。やっぱり佳ちゃん優しいね」
「……だ、だからついでだっつってんだろ、ってかいい年して佳ちゃんは恥ずかしいからやめろっ!」
面と向かって優しいなんて言われたのが照れ臭くて、座り込んだ拍子にズボンの尻についた砂を払い落としながら俺は駐輪場目指して歩き出
「……あっ! 佳ちゃん待って!」
そうとして立ち止まった。
身体をぐるりと反転させ、再び夏乃に向き直る。
「ああ?」
「え、えと、……その……」
ちょいちょい、と俺の足元を指差す夏乃。
「?」
つられて俺も下を向くと、
「……あ」
成程。どうやら俺は余程慌てていたようだ。
上履きのまま校門前まで走ってきて、しかも今夏乃に指摘されるまでその事実に気付いていなかったのだから。
「っ……さっさと言え馬鹿っ!」
「ご、ごめんなさいっ……」
俺の八つ当たりにびくりと身を縮める夏乃。
「ったく……」
目標変更。ひとまず昇降口へ向けて、俺は再び走り出した。
いくら自転車が壊れたからといって、いくら家が近所だからといって、他に友人なんていくらでもいるはずなのに、何故わざわざ、中学を卒業してからは会話らしい会話もしていなかった俺に突然メールを寄越してきたのか。
心の隅に芽生えていたその疑問の答えを得ないまま。