第22話(7月)〜忘れていること〜
驚きやら感動やら心配やら不安やら、とにかくそういった感情がごちゃごちゃと入り混じった複雑な心境の俺達を他所に、帰り支度をしている美月に近付いていく北澤。
「…………」
北澤が何やら声をかけて、座っていた美月が顔を上げる。
「…………」
北澤がどんな言葉で美月を誘っているのか知りたいところではあるのだが、二人の会話の内容は、机の足が教室の床を引っ掻く音、他の生徒達の話し声に邪魔されて、俺達の耳まで届いてこない。
「…………」
腕を組み、ほんの少しだけ眉根を寄せて考え込んでいる風の美月。
うん、まあ、当然のリアクションだ。いくらある程度気心が知れている相手だからと言って、あいつはいきなり男三人に週末何処かに遊びに行かないかと誘われて、はいそうですかと快諾するような性格
「――っ!?」
最早本能、と言ってもいいいかもしれない。
美月の顔、と言うか視線がこちらを向くような気がして、俺は咄嗟に、首を明後日の方向へ向けた。
「おおうっ!? ど、どうした佳祐!」
向いた先には上野の馬鹿面。
突然の事態にうろたえた風の上野が訊ねてくる。
「あ、いや……何でも無え」
理由なんて言えるはずも無い。特にこいつには。
「……? っと。勇者が帰ってきたぞ」
その言葉に視線を戻すと、会話を終えた北澤が戻ってくるところだった。
「そ、そいで? 成果の程はどうでしたよ兄さん?」
美月が来るということが自らにどんな災害をもたらすのかすっかり忘れているらしい上野の、恐る恐るの問いかけに、
「ん? あぁ、たまにはいいかもしれないわね、だとさ」
それが何でも無いことのように、俺達二人が予想だにしていなかった返答をさらりと言ってのける北澤。
「「…………何ぃぃぃぃぃぃっ!?」」
俺と上野の叫び声が再びハモる。
ちなみに、俺達の突然の叫びにもクラスの人間は反応しない。
何と言うかまあ……皆俺達(主に上野)の奇行に慣れてしまったということか。
現代人にありがちな、見て見ぬふりの信条、我関せずの精神というやつなのだろう。
「……いきなり大声を出すな。前々から言おう言おうと思っていたんだがお前ら二人は恥とか外聞ってのを身に付けるべきだぞ?」
心底呆れた、といった風に軽く眉をしかめる北澤の両肩を、がしりと掴む上野。
「き、北澤さん……今あんたが言ったことは、つまりあの委員長の野郎が今度の休みに俺達と一緒に遊ぶことになったってのぁ、ホントのコトなんですかい……?」
誰かに聞かれて困るような内容でもないのに何故か小声で、更に口調が変になっている辺りから、困惑もとい混乱具合が伺える。
と言うか美月は野郎じゃなくてれっきとしたオンナだぞ上野。
「? ここで俺が嘘ついて何の得があるんだよ? つーかそこまで珍しいことか? 単純に今まで誘わなかっただけなんだし」
心底質問の意味が分からない、といった風の北澤。
……駄目だ。こいつは事の重大さを全く分かっちゃいない。
普通、女の子が好きでもない男の子と一緒に遊ぶのは長くても中学生までと相場が決まっているのだ。
誰が何と言おうとそうなのだ……って俺の身近に例外が一人いたな。
「あわわわわわわわわわ…………」
あ、上野が壊れた。理解不能な事態の連続に、心がついていけなかったのだろう。
「……おーけいおーけいよく分かった。それで? いつ、どこに、何しに行くんだ?」
この世間知らずに一から説明してやろうかとも考えたが、その気力も失せた。
今はとにかく事実を見つめるべきだ。
北澤が美月を遊びに誘ったところ、そしてどんな気の迷いか知らないが、美月はそれを承諾した。
面倒なことを考えなければ、単純にそれだけの話なのだ。
「今週の土曜日、つまりは明日だな。いつもみたいに駅前で映画かカラオケかってとこだろ。んでその後どっかで昼飯食ってゲーセン行くなり駅ビルでぶらぶらするなり」
急と言えば急だが、その辺りが妥当だろう。夏乃との図書館勉強をサボる口実にもなるし一石二鳥……ってあれ? 俺何か大事なことを忘れてるような……。
「そんな感じでどうだ? 細かいことはケースバイケースで……おい佳祐? どうかしたか?」
「……ん? あぁ、いや、何でもねぇ。とりあえず了解した。そんじゃ俺先に帰っから、美月に伝えといてくれ」
「分かった。お疲れさん……おい上野、そろそろ正気に戻れ」
「あわわわわわわわわわ……」
「……駄目だこりゃ」
北澤が、壊れたままの上野を放置して美月の元へ向かうのを見届けてから、俺は教室を後にする。
「…………」
出て行く瞬間、視界の隅に映った美月は、俺の方に顔を向けていたような気がした。