第13話(6月)〜デートのお誘い?〜
「んーっと……はい正解。じゃあ次いってみよー」
「……今やってるよ」
遠くのスピーカーから窓越しに聞こえるチャイムのメロディ音が、現在時刻は二十一時である事を知らせてくれた。
宮下家の居間の卓袱台に、俺と夏乃は向かい合って座っている。
俺の前には、開いた状態で重ねられた数冊の数学参考書。
左手に中三からの付き合いであるシャープペンを握り、黙々と問題を解く。
夏乃は赤ペン片手に身を乗り出して俺の手元を覗き込み、一問解く毎に採点をする。
「…………」
「…………」
「……あ、そこ間違ってる」
「あ? どこだよ?」
「ほらここ」
「……? 合ってんじゃねぇのか?」
「ううん。公式は合ってるけど計算間違ってる」
「んなわけね…………あぁ」
赤ペンで指された箇所を消しゴムで消し、修正する。
「佳ちゃん計算間違いなくせば結構いいトコいけるとおもうんだけどなー……あ、ごめんごめん。続きやっちゃって下さい」
「あいよ」
「…………」
「…………」
「……佳ちゃん風邪ひいてるの?」
「何で」
「なんか耳が真っ赤だから」
「あぁ……いや、別に……」
「ホントに?」
「だ、大丈夫だよ。いいから集中させろっての」
「あ、ごめん」
「…………」
「…………」
「……なぁ夏乃?」
意を決して顔を上げた瞬間、頭をがしりと掴まれ、
「顔上げない。集中しなさいしゅーちゅー」
そのままぐいっと押し戻された。
「い、いや、その前にだな……普通こーゆーのって、ある程度問題解いてから採点すんじゃねぇか?」
頭を抑えつけられながら抗議する。
本当のところ、距離が近過ぎるせいで、髪の毛から時折香るシャンプーの匂いとか、時折シャツの隙間から覗く胸元にドキドキして集中出来ないから、なんて余計な事は言わないでおく。
計算ミスが多い理由もその辺りから来ているのだろう。
「それは駄目なのです」
「何でだよ?」
「そしたら私が暇になってしまうのです」
「あ、そすか……」
――もう何も言うまい。
抗議は諦め、夏乃のことを意識しないよう努めながら、俺は再び目の前の問題に取りかかり始めた。
まぁわざわざ説明するまでもないとは思うが、あの日以来、俺は毎晩夏乃に(半ば強制的に)勉強を教えてもらいに来ている。
別に俺の家でやってもいいのだが、俺の部屋は客を迎えられるような状態ではないし、それ以外の部屋でやるとお袋が差し入れと称して冷やかしに来る。
というわけで母親が夜遅くまで帰ってこない宮下家の居間が、勉強会場となったわけである。
ちなみに土日はほぼ丸一日、図書館の閲覧室で過ごす事になっている。
好きな女の子の家に来てるってのに、色っぽい事情なんてものは欠片もない。
……と言うか、よくよく考えてみれば、俺は夏乃に異性として見られてないんじゃなかろうか?
女性経験など皆無な俺だが、男女関係無く、普通なら異性と認識している人間を、いきなり親のいない自分の家に招待しないと思う。
「……はぁ」
そんなことを考えていたら、自然とため息が洩れた。
「ん? 佳ちゃんそろそろ疲れちった?」
夏乃が首を動かさずに、上目遣いで俺を見る。
「あ、いや……」
否定しようとして、ふと考える。
夕食を食べ、いつものようにお袋に冷やかされながらここに来たのが確か十八時頃だから……気がつけば三時間も俺はこうやって勉強していた事になる。ここいらでそろそろ休憩を入れてもいいだろう。
「ああ、流石に少し疲れた」
「ん。そいじゃ今やってる問題出来たらちょっと休憩しよ? 私もそろそろ一息つこっかなーって思ってとこだったし。さーがんばろー」
「あいよー」
◇…………◇…………◇
「ねーねー、そーいえば佳ちゃんとこって期末試験いつから?」
十五分間の休憩タイムに入った。
「何かお腹空いたかもー」と呟いて台所の方で何やらごそごそとやり始めた夏乃が、唐突にそう切り出した。
「あーっと……七月の十三だったか十七だったか……大体七月の真ん中辺りってのは確実だな」
「十三と十七って……佳ちゃんアバウト過ぎだよ……」
顔を見なくても声色で呆れているのが分かる。
「っせぇな……明日調べてくっからそれでいいだろ? で? テスト日程がどうかしたのかよ?」
「あぁ、うん、えとね、テスト終わったら一緒に映画見に行かないかなーと思って」
──そそそそれぁデートって奴じゃねぇのか!?
「……いきなりだなおい。何かあんのか?」
俺の理性を総動員して表面上は平静を保っているが、本当なら小躍りして喜びたいくらいだ。
「この前話した面白そうな映画って覚えてる?」
「あー……コンビニで調べてたやつか?」
「うんそれそれ。でね、その映画、七月の三日から公開なんだって。流石にテスト一ヶ月前切って映画なんて観に行けないじゃない? だからテスト明けに自分へのご褒美にって思ってさ」
「別に俺じゃなくてもいいわけだろ? 友達とでも行けばいい」
言うまでもないが、本当なら今すぐにでも飛びつきたいのだ。
だが俺は、それが出来るほど真っ直ぐな性格をしてはいない。
「それもアリなんだけどね。七恵は怖いの嫌いだから行きたくないんだって。あ、七恵ってのは私の友達ね」
「……お前ホラーもの好きだったっけ?」
「最近のマイブームなのです」
ちなみに俺は苦手だったりする。
しかし夏乃とのデート? は捨てがたい……。
「ほら行こーよー? こんな可愛いオンナノコとでーと出来るんだよー?」
「ばっ……何がデートだ何が!」
「えへへーおにーさん顔真っ赤ですぜー?」
「うっ、うるせぇ馬鹿っ!」
……とまぁそんなこんなで、俺は結局、夏乃の映画に(仕方なく)付き合う事となったのだった。
◇…………◇…………◇
「どうでもいいけどお前、夜にんなもん食ってっとニキビ出来っぞ?」
台所から戻ってきた夏乃の手にはチョコスナック菓子の箱が握られていた。封は既に切られ、既に口に一つ程放り込まれているらしい。
「う……し、仕方ないじゃないお腹空いたんだから! ほ、ほらきゅーけー終わりっ! 卓袱台戻って!」
「あぁ!? まだ十分も経ってね」
「いーから戻りなさい!」
「お、おう……」