捨てられた者同士、家族になりましょう。
「だから、ミアに家を継がせてゲイブ殿と結婚させるから、お前とパトリシオ殿は用済みだと言っているだろうっ!」
父はそう叫ぶが、何度聞かされても意味がわからなくて首を傾げすぎてもはや捥げそうであった。
……妹のミアがやらかしたことはまだわかるとして、両親もこれほどまでに愚かだったとは思いたくなかったと、こんな親でもまだ希望を抱いていた自分にガッカリしそうで。
そう思っている私の横で、先ほど名前が挙がったパトリシオ様も表情こそ変わらなかったが、困惑しているようだった。
今日は大事な話し合いがあると言って、我が家に私と両親と妹のミア、それから私の婚約者であるパトリシオ様とご両親と、なぜかパトリシオ様のお兄様のゲイブ様が集まっていて、はじめからおかしいなとは思っていた。
私は子爵家の跡取りで、パトリシオ様は婿入りの予定だった。
……のはずだったのだが、たった今、それはなくなったらしい。
「ミアを跡取りにして、その婿にゲイブ様を迎えるということですか?」
「だから、そうだと何度も言っているだろう!?」
「はあ……」
「それにミアとゲイブ殿は恋仲になったそうだ、実にめでたいじゃないか!」
「はあ……」
「ミアとゲイブ殿が結ばれるには、これが一番ではないか!」
「私たちだってブラウン子爵家へ婿を出すなら、四男のお前じゃなくて、三男のゲイブの方が望ましいんだ」
「ほら、よく考えろ。メイジー、お前がミアたちの邪魔をしているんだ」
なぜ、私たちはこんなにも怒られているのだろうか。
もう考えるのもやめたいと思った時、パチリとパトリシオ様と目が合った。
夜の星を閉じ込めたような銀色の瞳が、私と同じように諦めがついた色をしていた。
今なら、パトリシオ様の心が読めたかもしれないなんて、御伽話のようなこと思った。
もう逃げちゃいましょうか、私たち。
そう思った時、パトリシオ様の思いだけではなく、私の思いもこの部屋に漏れてしまったのか、父が似たようなことを言い出した。
「この家にはミアがいる。メイジー、お前にはもう用はないからさっさと出て行ってくれ」
「はい?」
「この家の跡取りミアになるのだ。お前がいたら、ミアが世間からよく思われないかもしれないだろ」
よく考えなくても元跡取りを追い出して、後継者教育の何も教えられていない妹が継いだら、色々言われるに決まっていると思うが……。
両親が妹を溺愛しているのはわかっていたことだけれど、こういう結果になるのかと呆れを通り越して感心してしまう。
「パトリシオ、あなたもよ。兄のために尽くすのが弟でしょう? どうせあなたは、スペアなのだから」
パトリシオ様のお母様も言い方に、私がムッとしてしまった。
私たちが何も反論をしないことに言いたい放題ではないだろうか。
だけれど、当のパトリシオ様はいつもと同じような無表情で頭を下げていた。
「かしこまりました。今までお世話になりました」
「本当だな。お前は今後、我が家の敷居も跨がないように」
「メイジー、お前もだ。この家に帰れると思うな、肝に銘じておけ」
両方の父親からそのように言われて、気がついたら私たちは子爵家の屋敷を追い出されていた。
いつの間にかトランク一つに収められていた私の荷物とともに、屋敷の前でぼーっと突っ立ってしまう。
「……なんか、色々起きすぎましたね」
「……本当ですね」
私とパトリシオ様はまた目を合わせて、今度こそ一緒にため息をついたのだった。
「ひとまず、整理しましょう」
パトリシオ様は屋敷のすぐ近くにあった公園のベンチに座ってそう言って、私の方を見た。
その銀色の瞳がもう揺らいでいないことが、私を安心させた。
「まず、メイジー殿の妹君が子爵家を継ぐことになった」
「はい」
「それで、なぜか兄と恋仲だったそうなので、その兄と結婚する」
「はい。そして、我が家が欲しかったのはレイブンウッド伯爵家とのご縁なので、パトリシオ様でなくゲイブ様が婿になっても問題がなかった」
「我が家としても、四男の僕より三男の方が順番として都合がよかった。…あとは、兄は母のお気に入りだったので、僕が貴族の婿入りをして、兄が平民になりそうだったのも気に食わなかったのかと」
「それはご存知の通り私も同じです。妹のミアを家に置いておきたかったのでしょう」
「だからって、よくもまあ…」
パトリシオ様は、それだけしか言わなかった。
それ以上言葉を続けなかったが、今の言葉に全部が詰まっていて、私はパトリシオ様に頭を下げた。
「申し訳ありません、パトリシオ様。我が家の問題にあなたまで巻き込んでしまいました」
「いえ、メイジー殿のせいではありません。むしろ、兄と両親がご迷惑をおかけいたしました」
「それはこちらのセリフです。もう、家族ではないですけどね……」
「そうですね……」
私たちはベンチに腰をかけたまま、互いになんとなくまっすぐに座り直して公園に並んでいる木々を見つめた。
横並びのパトリシオ様の肩は、少し遠い。
私たちが黙っているあいだ、風が吹いているだけだった。
公園に、私たち以外誰もいない。
「これから、どうしましょうかね」
「そうですね」
惚けてしまうような時間が過ぎていく中で、昼を過ぎた公園の紅葉はあまりにも綺麗だった。
吹き抜ける秋の風が気持ちいい。
「パトリシオ様は、騎士寮にお戻りになられますよね?」
「メイジー殿もお越しになりますか? 寝る場所の確保くらいしかできませんが」
「いえ、騎士寮は女性禁制でしたよね…? パトリシオ様が怒られてしまいますよ。私はとりあえずどこか宿でも探しますわ」
「……あなたを一人にするのは危険ですし、賛成できかねます」
「そうは言っても、他に居場所もありませんし。それにパトリシオ様もご存知の通り、私下町には慣れていますよ?」
「それでも日中に外にいるのと一晩過ごすのでは違います、反対です」
ここまで反対意見を言われるのは珍しくて、隣に座るパトリシオ様をチラリと見てしまった。
長いまつ毛に隠されるように輝く銀の瞳が、世界をまっすぐに見ているようだった。
パトリシオ様はお優しい、けれど私、もっと重要なことを確認しないといけない。
「パトリシオ様、私たちの婚約はどういたしますか?」
私がそう訊くと、輪郭の綺麗な横顔がこちらを向いた。
そうなのだ、私たちは家のための政略結婚のために婚約していたに過ぎない。
今や家から追い出され、妹とパトリシオ様の兄が結婚するというのなら、私たちの関係はここまでと言える。
今日からはただの赤の他人に戻り、何も交わらない生活が始まっていくのだ。
「今日までご縁があったのは、家があったからです。ですが、私たちはつい先ほど家がなくなりました。もう、あなたとも……」
私はそこまで言って、言葉を詰まらせてしまった。
私とパトリシオ様は、特に恋仲というわけではない。
互いに尊重し合い、互いの立場を理解し、いずれ領地のために生きていくことを確認し合ってきた。
それがパトリシオ様でよかったとは思っているが、ここから先は一緒にいる理由がない。
パトリシオ様を引き止められる理由も何もないし、やることがなくなったのに一緒にいていいものかもわからない。
私との結婚がないのなら、パトリシオ様はこれまで通り騎士として生き、誰かと結ばれる未来だってあるはずなのだし。
何も考えずに質問してしまったことを頭の中で反省していると、パトリシオ様の平坦ないつもの声が耳に届いた。
「メイジー殿は、旅はお好きでしたか?」
「え?」
唐突に振られた話題の意図がわからなくて、私は顔を上げた。
「僕の祖父母が海を超えた2つ向こうの国に住んでいるのです」
「あら、そうだったのですか? ご引退されてからは、領地にお住まいなのかと思っていました」
「ここまで来て、あなたに隠す話でもないのですが」
パトリシオ様はそこで区切ると、そうは言ったものの少し言いにくそうに話を続けた。
「僕の両親に比べて祖父母はまともな貴族だったので、その、自分の子どもの振る舞いに愛想を尽かして、何かあった時に縋られても助けてやらないという意思表示のために国を出て行きまして」
「それは……」
「僕は祖父母に可愛がってもらっていたので、僕には手紙が来て、『何かあったらいつでもおいで』と言われていたのです」
「今まさに、『何かあったら』ではありませんか」
「ええ、だからメイジー殿。僕と一緒に国を出ませんか?」
風が音を立てて吹き荒れたような気がした。
いつもしないような音がしたのは、心臓だったかもしれない。
「結婚してくれませんか、メイジー殿」
「私で、よろしいのですか?」
「僕たちは似たもの同士です。それは、これまでの交流でそれはお互いに知ってきたことだと思います」
「はい、そう思いますが」
「だったら、これから先も一緒にいませんか? あなたとなら、生き抜いていける気がするのです」
そう言われると、そんな気がしてくるし、これから一人よりはずっと心強い。
それがパトリシオ様なら、もっと心地がいいのだろう。
どこで暮らすことになっても、隣にいてくれれば安心できると思えた。
先程まで応接間で意味もわからず怒られている時も、パトリシオ様が隣にいてくれたからこそ、私は今こんなにも冷静で、こんなにも落ち込んでいないのだ。
だってそういうものだったと一緒に諦めてくれる彼がいたから、私はもう未来のことを考えられている。
パトリシオ様と一緒に生きていくのは、縛られた縁よりもずっと息がしやすそうに感じた。
「私も、パトリシオ様とならなんとかなる気がします」
私は、パトリシオ様の銀色の瞳を見ながら頷いた。
その銀色がゆっくり細められていく時間が、何よりの贅沢に見えた。
「僕もそう思います。このまま祖父母のいる場所まで行ってしまうのはどうでしょうか」
「騎士のお仕事はいいのですか? パトリシオ様は騎士であることがお好きだと思っていたのですが」
「構いません、向こうでもできるかもしれませんし。最初こそ祖父母に世話になるかもしれませんが、自分たちで家を借りて働いて暮らしていくのもいいかと思いますし」
パトリシオ様があっさり騎士職を手放したことに内心驚いたが、それよりも優先すべきことを優先しているとわかって少しだけ嬉しくなった。
今の誇りよりも、私と外国で生きていく方を選んだということだろうから。
「そうですね、私も働けますし」
「……『領民のことが知りたいから下町で働いてみる』と言われた時には、肝を冷やしましたが」
「そう言いながらも、一緒にバイトもしてくださいましたよね」
「メイジー殿に何かあったら困ります。それに、僕もあなたの元へ婿入りすることがなかったら、そういう未来だと思うところもあったので」
「実際、そうなってしまいましたが……」
「それはそれでいいかもしれません。あなたとなら、それも悪くないと思うのです」
今のはプロポーズよりも甘い言葉に聞こえて、自然と顔が火照っていくのがわかった。
手で頬に向かって扇ぎたいが、それをしたら不思議に思われそうでできなかった。
この方に甘さなど今までなかったのに、自分たちの意思で結婚すると思うと、突然今までに感じなかったことが違う色で顔を出してくる。
「あとの問題は、旅路にかかるお金くらいでしょうか」
「それは僕が出します。騎士としての賃金は貯まっていますので」
「えっ、そんな悪いです」
「何も悪くないです、これからは夫婦になるのですから」
そうはっきり言われてしまうと、何も言い返せない。
今日は今まで見たことのないパトリシオ様をいくつか見ている気がする。
私の意見に反対するパトリシオ様、私の言葉が続く前提でパスをしてこないパトリシオ様、ご自身の気持ちをはっきり言うパトリシオ様。
下町でバイトすると言った時でさえ、反対はされなかったのだ。
これまでは婿入りするからと私を立ててくれていたんだろうと気づく。
だけれど、今日からはきっと対等なのだろう。
そちらの方が、ずっと嬉しい気がしてくる。
「国を出ていくのは、よろしいのですか?」
「そうですね。……僕も祖父母に倣って、助けてやらないという意思でも示しておこうかと」
珍しく冗談めかしてそう言うパトリシオ様が新鮮で、笑ってしまった。
「ええ、ええ、そうしましょう。そこまで遠くに行って、もう関係ないとこちらからも示すことにしましょうか」
「それがいいです」
「今はまだお昼過ぎですからね、船の便も残っているかもしれません。行きますか?」
「はい。ですが、その前に手続きをしに行きませんか」
「ああ、そうですね。それがいいと思います」
そう答えると、パトリシオ様が立ち上がったので、私も立ち上がった。
自分の荷物を持とうとしたら、先にパトリシオ様が持ってくれた。
そのまま公園を出ていく。
まずは、除籍の手続きをしよう。
この国の除籍は成人からできる。
妹のミアはまだ未成年だが、幸い私もパトリシオ様も成人済みだ。
難なく手続きができるだろう。
次に結婚だが、貴族同士の結婚の場合は家長の許しが必要だが、成人済みの平民なら本人の署名だけでできる。
これから平民になるのだから、それも問題ない。
私たちが結婚できない理由が何もないことに、拍子抜けした気分になる。
家と関係なくなったことでこんなにもすんなり行ってしまうことが、いっそ清々しい。
あまり実感のないままにここまできてしまったが、歩く先が自分の意思で婚姻届を出すことと、国を出ていくことに繋がっているのが、今更ながらに不思議に思えてくる。
「本当に結婚するんだ……」
ぼんやり考えていたら、うっかりそう独り言が出ていた。
隣の顔を見上げると、パトリシオ様は銀色の瞳を閉じ込めるように目を細めた。
星が見えなくなっても、不安になることもなかった。
むしろその表情は、やっぱり私を安心させた。
「これでメイジー殿との関係がなくならずに済みます」
やっぱりプロポーズより甘い気がして、顔が真っ赤になってしまい、今度こそ私は手で煽いだ。
顔が見れなくて目を逸らしたけれど、隣を歩くパトリシオ様の笑っている気配がした。
ああ、私たち、こうやって夫婦になっていくんだ。
そうして道の先にあった元実家の子爵家の前を通り過ぎようとした時、聞き覚えのある声がしたのだった。
「お嬢様〜〜〜、メイジーお嬢様〜〜〜〜っ!」
私たちに向かって大きく手を振る子爵家のメイド服を着た彼女は、唯一の私付きだった使用人だった。
「カトリン、どうしたの?」
「よかったぁ〜お嬢様、まだ近くにいらして!お嬢様の荷物をまとめるのを私にさせてもらえなかったから、これが入っていないと思って!」
そう言ってカトリンが差し出したのは、部屋に隠してあったバイト代だった。
下町でバイトしていたなどパトリシオ様とカトリンしか知らないし、お金の在り処も私とカトリンしか知らなかった。
ずっしり金貨の入った袋が、現実の重さを確認させてくれた。
これは過去の重みであり、未来の軽さでもある。
「あなたがもらってくれてもよかったのに。でも、ありがとうカトリン。私、国を出ることにしたの。だから、とても助かったわ」
「お嬢様、本当に出て行かれるのですか……?」
「カトリン、私ね、パトリシオ様と結婚することにしたの。だから大丈夫よ、心配しないで」
私がそう言うと、カトリンの目はそれ以上開かないだろうというくらい見開いて、それから太陽のように破顔した。
この笑顔がいつだって私の生活を整えてくれていた。
感謝してもしきれない。
「そうでしたか!そうでしたか!メイジーお嬢様、おめでとうございますっ!お二人はお似合いでしたし、これ以上嬉しいことはございません!」
「お似合い……」
「ええっ、お二人はよく似てらっしゃいますからっ!パトリシオ様、メイジーお嬢様をよろしくお願いいたします!」
カトリンが元気にそう言って頭を下げると、パトリシオ様はいつになく微笑んでしっかりと頷いた。
「任されました。これからはカトリン殿の分も含めて、僕がメイジー殿をお守りしますので」
「パトリシオ様でしたら、何も心配しておりませんよ!とっても嬉しいです、ありがとうございます!」
カトリンはそう言って、忘れ物だけ届けて屋敷へと戻っていった。
「お嬢様、お元気で〜〜〜〜〜!どうぞお幸せに〜〜〜〜っ!!!」
「ええ、ありがとうカトリン!あなたも元気でね!」
令嬢らしからぬ所作だったが、思い切ってカトリンに負けないくらい大きく手を振った。
そんなことをするのははじめてで、少しだけ緊張した。
それが、私はもう貴族令嬢ではなくなるんだと、自分で確かめられるようでもあった。
私がこんなに大きく手を振ったから、最後に私の大好きなカトリンの満面の笑みが見られたのかもしれない。
パトリシオ様から咎められることもなく、パトリシオ様も一緒に手を振ってくれた。
「カトリン殿以上に、あなたを幸せにできるように頑張ります」
そう言うパトリシオ様に目を丸くしたけれど、あとからじわじわきて笑ってしまった。
「パトリシオ様は知らないかもしれませんが、私あなたの隣が一番ホッとするんです」
そう返すと、婚約してからはじめて顔を赤くするパトリシオ様が見られたのだった。
「メイジー、祖父が庭で夏野菜が獲れたから、今夜夕飯を食べにおいでって」
「あら、嬉しい。じゃあ、お言葉に甘えましょうか」
パトリシオ様が朝の便でやってきた手紙を見てそう言ったので、私は口元を緩めた。
私たちは除籍と結婚の手続きを母国で済ませたあと、すぐにこの国にやってきた。
パトリシオ様の祖父母は私も一緒に歓迎してくださり、「大変だったのだから、うちでゆっくりしてらっしゃい」とお世話になることになった。
居候をさせてもらっている間は、何も考えることなく本当にゆっくりできたし、パトリシオ様とも何もしない時間を共有できた。
今までだったらバイトに行くか、領地のための勉強会をするか、社交の場に出ていくかだったが、どれもない状態でただ二人でいるのは新鮮で、思いの外楽しかった。
ただ街を散歩したり、ふらっとカフェに入ってきたり、あの時一緒に未来を決めた公園に似た場所を見つけたのでそこが二人のお気に入りになったり、何にも追われない時間の幸福を一緒に知った。
この春から、この国にもこの街にも慣れたので、パトリシオ様と二人暮らしを始めた。
意外にも料理をするのはパトリシオ様だし、それ以外の家事はなるべく私がするようになった。
これもこの状況になったから知れたことの一つだ。
こっちに来てから、こうやって心にとっておきたい出来事が多すぎるほどだ。
それが今一番嬉しいことだったりする。
パトリシオ様の祖父母の家にも歩いて行ける距離に住んでいるので、こうやって交流が続いていることも嬉しいことだ。
私はバイトをしていた時と同じく大衆食堂で働き、パトリシオ様は街の憲兵となった。
私たちは働くことに関しては抵抗もなかったので、二人暮らしは想像以上に順調だ。
「パトリシオ様、今日も朝ごはんが美味しいです。ありがとうございます」
「メイジー、僕はもう平民だから『様』はいらないよ」
「あっ。うーん、こればかりは慣れないものですね」
私が笑うと、パトリシオ様も笑った。
パトリシオ様が焼いてくれたトーストに、パトリシオ様の祖母が作ったジャムに、パトリシオ様が作ってくれたスクランブルエッグにベーコンに、スープ。
贅沢だなぁと思える毎日が、あの家にいた頃にはなかったにまにました気持ちにしてくれるし、晴れやかだ。
「それから、あまりよくないお知らせなんだが。祖父母のところに両親から連絡があったそうだよ」
パトリシオ様は手紙をひらひらと振りながら、肩を竦めた。
表情がたくさん増えたわけではないが、こういう気安い仕草は増えたなと思うと、彼も私がいると安心するのかなと思えたり。
全く深刻そうに言わないあたり、特に何も問題はなさそうだった。
「あら、そうなのですか」
「ああ、なんでも援助が欲しいというのと、僕とメイジーの居場所を知らないかと言うことらしい」
「私たち、ですか?」
「詳しくは書かれていないけれど、何かが立ち行かなくなったりしたんじゃないかな」
「それはまあそうでしょう」
私が素直にコクリと頷くと、パトリシオ様も満足そうにフッと笑った。
「僕らには関係のない話だね」
「後継者の勉強の引き継ぎできなかったことしか、後悔もないですし」
「それもメイジーのせいではないよ。追い出されたのはこちらなのだし、家のことは当主の責任さ」
パトリシオ様はこちらに来ると、座って朝ごはんに向かっていた私に、立ったまま私の頭を脇腹あたりで抱えて、サラリと髪を撫でた。
……こういうことも、あの頃には、あの秋まではなかったことだ。
耳まで掠めるように触られるので、肩がピクリと跳ねる。
今顔を見上げれば、わかりにくい無表情のまま楽しそうにしているパトリシオ様が見られるのだろう。
見ないけど。
これ以上照れたくはないし。
しばらく私の頭を撫でていたパトリシオ様の、はあ…と息を吐く音と体の動きが伝わってきた。
「何か怒ってますか?」
「僕のことはともかく、メイジーのことまで訊いてくるなんて腹が立つなと思ってね」
「きっと、生家も含めて揉め事でも起きているのでは?」
「そうは言ったって、僕の生家には何も関係ないことじゃないか。不躾にもほどがある」
「私の生家が訊いてみてくれと頼んだのかもしれないですし」
「そうだが……」
これもこっちに来てから知ったことだが、パトリシオ様は表情はあまり変わらないが、感情も無表情というわけではなかったみたいだ。
冷静沈着、余計なことは言わず、ただ自分のあるべき姿でいて、欲知らずで従順。
私の知っていたパトリシオ様はこのような人だったけれど、そうではなかった。
祖父母に見せる柔らかい表情も、ズッキーニが嫌いなことも、親しい間柄には意外と距離が近いことも、ずっと知らなかった。
政略結婚のままだったら、きっと知ることはできなかったのだろう。
私は、自然と頭を撫でていたパトリシオ様の手を取っていた。
夜空の星のような、太陽の光芒のような、眩い銀色の瞳が私を向いてくれるのを知りながら彼を見上げた。
「私の家族は、パトリシオだけです。だから、私たちには関係ないことです」
目が合った銀色は、私の好きな瞳は、今日もゆっくり細められていく。
「そうだね。僕の祖父母も家族に入れてくれると嬉しいな」
「あら、私も入ってもいいんですか? 嬉しいです」
「でないと祖父母たちがいじけてしまうよ。あの人たちは、メイジーのことも孫だと思っているんだから」
「ふふふ、たくさん可愛がってもらってますよ。年長から甘やかされるとはこういうことだったんだなぁと感慨深いです」
私がそう答えると、パトリシオは私の掴んでいた手をぎゅっと握り返した。
「メイジーとこの街に来られてよかった」
「私もです。パトリシオと来られてよかった」
パトリシオが優しく頷いたのを見てから、私はまたスクランブルエッグを食べ始めたのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!!
284日目。




