第九話 ミリエール、様々な問題を解決する
なんだかんだ言ってアビシウスはミリエールを「王妃」として信用し始めていた。
なにしろ何をやらせても軽々こなすのだ。戦争のおかげで問題を山ほど抱えているアビシウスとしては、有能な人物は喉から手が出るほど欲しい。
未成年の幼い女性だろうがなんだろうが構うものか、という気分だった。幸い、ミリエールは有事には王都を預かる事も想定されている「王妃」であり、既に政治的権限はあるのだ。
二人は何も予定が無い時は一緒に朝食を摂るのが決まりである。ちなみに昼食、晩餐はそれぞれで貴族と会食をする事が多くて同席の機会はそれほど多くない。
必然的に二人が話をする機会は朝食時が多くなる。
アビシウスは美味しそうに、しかし上品にカボチャのスープをスプーンで掬っているミリエールに言った。
「ミリエールは王都によく行くであろう?」
「ええ」
暇があればゼビリスに飛び乗って王宮を飛び出すミリエールはもう王都では有名だった。相変わらず王妃とは気付かれていないようであったが。
「王都の様子はどうだ?」
ミリエールはパンをスープに浸しながら少し考える。
「そうね、大分若者は戻ってきたけど、人手不足は変わらないみたいね」
「……やはり、そうか」
アビシウスはため息を吐きながら罪のないチーズをフォークでグリグリと抉った。
王都の状況は回復してきているが、同時に王都周辺の町や村の復興も進み、商人の往来も増加し、その結果さまざまな産業に従事する人間が不足し始めているのだ。
帝国との戦争で多くの若者を失い、その痛手が顕在化し始めているのだ。この状況は各地の貴族領でも同じであり、特に農村では深刻な問題となりつつあった。
人間の減少は生産力の縮小であり、生産力の縮小は国力の減少である。人口は一朝一夕で回復するものではないため、即効性のある対策がないのだ。
本来であれば戦争で獲得した捕虜を、奴隷にして労働力に変えるという手があるのだが、帝国との戦争では得た捕虜は賠償金と引き換えに全て帝国に帰してしまった。
ミリエールが盗賊を帰順させた時も、アビシウスの本音としては奴隷にして労働力にしたいところだったのだが、それはミリエールとの約束で出来なかったのだったのだ。
「何か良い方法はないか?」
側から見れば堂々とした体格の国王が、小さく幼い姫に知恵を求める図であんまりみっとも良いものではないが、アビシウスは既にミリエールを高く評価していたので気にしてはいない。
「人手不足を解消にはどうすればいいかってこと?」
「そうだ」
ミリエールは行儀悪くスプーンを咥えたまま考えこむ。そして意外とあっさりと言った。
「そんなの他から連れて来るしかないんじゃない?」
アビシウスは戸惑う。
「それは他の国から、ということか?」
「ええ。そうよ」
アビシウスには分からない。
「よその国から誘拐して来るのか?」
ミリエールは吹き出した。
「どうしてそういう発想になるのよ。雇えば良いでしょう?」
「雇うと言ってもな。どうやって雇う」
ミリエールは行儀悪くスプーンで空をかき回すようにしながら言った。
「難しく考えることはないんじゃない? 住居保証、高給優遇って御触れを出せば、勝手に集まってくると思うわ」
帝都でも王都でも市井の人々と親しく付き合っているミリエールには、民衆が求めているのは大体この二つなのだと分かっている。
王都もそうだが、都市に住むには市民権が必要である。市民権を得るには厳しい条件が必要だ。まず、都市で仕事を有し、ギルドに認められる事。身分保証人がいる事。税金を納めている事。そして都市内部に住居を持っている事だ。
これは結局、都市の出身者で親子代々の仕事か紹介を受けた仕事を持つ者でないと、市民権を得るのが難しいという事なのだ。外から都市に移住してきて市民権を得るのは狭き門なのである。
このため、都市には住めず流浪の生活を送る者も多いのだ。市民権を持っていても税が払えないと市民権を取り上げられてしまい、王都の門の周りに天幕生活を送るような者も出てしまう。市民権を失った者が再びそれを取り戻すのは簡単な事ではないのである。
しかしこれは、市民権の取得条件を緩和すれば働き手はいない訳ではない、という事を意味している。流浪生活の者たちが定住してくれるかもしれないし、噂を聞きつけて他の国から移住者が来るかもしれない。
この事情は村や町でも同じなのであって、そもそも都市も町も村も、非常に閉鎖的なのだ。村などは全員が親戚である事も珍しくはない。
この閉鎖性を改善すれば、働き手を増やせるのではないか、というのがミリエールの提案なのである。アビシウスは唸った。
「なるほど。確かにそれはそうかもしれぬ。だが、そんな事をすれば素性の良くない者たちが王都に紛れ込む事にならぬか?」
そもそも都市の市民権を得るのに厳重な条件があるのは、怪しげな者が都市に棲みつかないようにするためでもあるのだ。
流れ者、外国人などが王都に住み着いても大丈夫だろうか? と考えるのは当たり前の事だった。
しかし、ミリエールは言った。
「王都の住人だって、最初はどこかからやってきて住み着いた筈でしょう?」
遊牧民族出身のミリエールにしてみれば、人は移動、流浪するものであって、定住しているのはたまたまだ、という事になる。
遊牧民族の場合、気象や草の育成具合によってはいくつかの氏族が合流して大きなグループになり、何年も一緒に移動生活をする場合もあれば、条件が変わればバラバラになって違う方向へと旅立つ場合もあるのだ。
あんまり閉鎖的な事を言って孤立していると、厳しい草原での生活ではあっという間に立ち行かなくなって滅んでしまう。助け合い、協力、寛容の精神がないと草原では生きていけないのである。
そういう観点から言えば、閉鎖環境のおかげで人手不足に困っているなら外から人を受け入れるしかなく、受け入れたからにはリスクを抱えるのは当たり前だろう、という事になる。
もちろん無制限に、誰でもという訳には行かないだろうが。
「なるほどな。考えてみるか……」
「王都に入れたくないなら植民都市を築くという方法もあるんじゃない? 根本的な解決にはならないけどさ」
ミリエールはこれは何気なく言ったのだが、アビシウスはこれをヒントに、王都の城壁の外側に継ぎ足すように張り出した城壁を築かせ、そこに新市街を築いて市民権の無い者を住まわせるという処置を行った。
外部からの移住者や市民権を失った者は新市街にとりあえず入られれ、そこで何年か働かせて審査をした後に、旧市街の市民権を与えるという事にしたのである。
この方策は上手くいったが、王都への移住者が増えると新市街はどんどん手狭になり、新市街は何度も拡張を余儀なくされ、いつの間にか新旧市街の規模は逆転。王都はなし崩しに自由に移住を許される都市へと変わっていってしまう事になる。
ただ、これは何十年も後の話である。
◇◇◇
ミリエールのお仕事は基本的には女性の社交である。
貴族は社交シーズン以外は基本的に、領地にいて王都にはいない。が、貴族夫人は王都に残る家が増えている。女性社交のためである。
女性社交は貴族夫人同士が交流するのが目的だが、その際に、夫人伝いで貴族同士の政治的意見が交換される事があり、侮れない政治的影響力を持っているのだ。
しかも戦争中、王太后が王都で政治の実権を握っていた時期が長くあり、その時には女性社交での方が王太后に直接意見を具申するのが容易だった事もあった。
その名残で今でも女性社交は立派な政治の場であり、領主貴族の代理人として貴族夫人が政治的案件で火花を散らす舞台でもあるのだ。
王妃であるミリエールは貴族女性の頂点である。そのためこの女性社交を統括する立場にあると言える。王妃がしっかりと女性社交を管理していないと、貴族達が勝手に連合、同盟を結んで王家に刃向かう事態が起こらないとも限らない。そのため、ミリエールは有力貴族夫人の社交を定期的に巡回して、貴族夫人達の意向を把握しておかなければならないのだ。
そういうわけでミリエールは今日はアーガイル侯爵家で開催されたお茶会に出席していた。アーガイル侯爵家は王国の有力貴族で、当主はアビシウスに従って戦争で大功を立てた忠臣である。王妃としては疎かには扱えない家だ。
しかしながらこの日、ミリエールは困ってしまった。このお茶会の出席者は四名。アーガイル侯爵夫人と他貴族婦人一人。もちろんミリエール。そしてもう一人は若い女性。貴族婦人ではない女性だった。
「私は結婚したいのです! どうしたら良いのですか!」
そう言ってわーんと泣き出したの豪奢な金髪の美人であった。ミリエールは困り果てる。
「そんな事を私に言われても……」
「私はもう二十四歳なんですよ! それなのにまだ婚約もしていないのです! お相手もいないのです! なんとかして下さいませ!」
と涙目で迫ってくるのはアーガイル侯爵家令嬢、ウィンスリンである。そう。ミリエールの社交デビュー時に因縁を付けてきてミリエールに凹まされた令嬢だ。
もっとも、それからウィンスリンとアーガイル侯爵家はミリエールに謝罪もして、現在では蟠りは無い。ウィンスリンなどはむしろミリエールの友人となっていた。
ウィンスリンには同情の余地がある。彼女は王太子時代のアビシウスのお妃候補として、ほとんど決定寸前のところであったらしい。
ところが帝国との戦争が起こってアビシウスは出征。王太子のお妃の話は棚上げになってしまう。ウィンスリンは戦争開始時は十三歳。アーガイル侯爵家としては戦争が終わったらアビシウスとの縁談を改めて進める気だった。
しかし戦争は長引き十年に及んだ。ウィンスリンは戦争が終わった時には二十三歳。しかもアビシウスは帝国の皇女ミリエールを王妃に迎えてしまった。はしごを外されたウィンスリンは、二十歳前には大体結婚しているものである王国の貴族女性としては、かなり嫁ぎ遅れた状態になってしまったのである。
高位貴族は婚約が早いことも多く、つまりウィンスリンの身分に相応しい貴族の貴公子はみんな結婚してしまっていた。戦争で亡くなった貴公子も多くてそもそもが若い貴族男性が減ってしまっていたという事情もある。そして貴公子は若いご令嬢を選びがちでもある。
そういうわけでウィンスリンは完全に婚活市場で売れ残って泣いている、という事なのだった。
ミリエールだってそんな事を言われても困るわけだが、名門アーガイル侯爵家からの要望は無碍にも扱えない。彼女としてもアビシウスを奪ってしまったという後ろめたさも多少はある。
ミリエールはむーんと考え込み、さして深い考えもなく言った。
「帝国から婿をもらう、というのはどうですか?」
ウィンスリンは目が点になってしまう。
「帝国から?」
「ええ。帝国貴族から婿を招くのです。帝国の貴族は複数の妻を迎えることが出来るので、貴族の子供の数も多いですから」
帝国では貴族男性は望めば何人でも妻を迎えることが出来る。そのため、貴族の家には十数人もの子女がいることが珍しくない。
ただ、帝国貴族は基本的には家を継がないと結婚が出来ない。相続争いに負けた息子達は一生独身で家の当主に仕え続けなければならないのだ(もちろん私的に妻を迎えている者は多い)。そのため、あぶれている貴族令息がかなりの数いる。
そういう独身の貴族の息子を王国に招いて、ウィンスリンのように戦争のせいで独身を余儀なくされている貴族令嬢や夫を失った寡婦と結婚させてはどうか? というのがミリエールの考えなのだった。
ミリエールとしては初対面時に帝国人を蔑むような発言をしていたウィンスリンが帝国人と結婚するような提案を受け入れる筈はないと思ったのだが……。
「そ、それは良い考えではありませんか! 是非、是非ご紹介下さいませ! ミリエール様!」
とウィンスリンは全力で食い付いてきた。えー? っとミリエールは目を丸くする。
ただ、アーガイル侯爵夫人からもお願い出来ないかと頼まれた事もあり、ミリエールはその提案を渋々受けざるを得なくなってしまった。
王宮でアビシウスに事の次第を相談すると、アビシウスの所にもやはり結婚出来ない貴族令嬢や寡婦から相談が舞い込んでいた事もあり、結局二人は話し合って一応は帝国の皇帝に相談してみることに決め、使者を送った。
その結果、帝国の家を継げなかった貴公子の何人かが王国行きを希望したとの事で、国をまたいだ縁談が実現したのであった。
勿論だが帝国の貴族が王国の貴族界に流入することの警戒感や抵抗感は少なくなかったので、アビシウスは帝国から婿に来る者達がいきなり貴族家の当主になることは禁止した。ウィンスリンの場合、婿を迎えて分家を興して独立するわけだが、その新しい家の当主はウィンスリンであるという事になったのだ。王国では事情があれば女性が家の当主になることは元々認められていたのである。
すると逆に希望者が増えた。余所の家に嫁に行くよりも自分が当主になりたいと思う貴族令嬢が多かったのである。それはそれで問題であるため、アビシウスは年齢制限を設け、二十歳以下の令嬢の帝国からの婿取りを禁止した。
こうして様々なやり取りを行った後、十数人の帝国からの婿が王国にやってきて、王国の令嬢達と結婚して新たな家を興した。ウィンスリンには特に帝国の公爵家の五男が婿入りした。ミリエールの従兄弟にあたるので、ウィンスリンとミリエールは親戚になった事になる。
この帝国からの婿入りは王国でも帝国でも好評だったので、その後も要望に応じて何度か行われ、王国と帝国の同盟を強化するのに一役買ったのである。