第七話 ミリエール社交を満喫する
ミリエールはこの半年間みっちり王国風の礼儀作法や教養、ダンスなどの教育を受けているので、その所作は美しい。
それでいて顔立ちは帝国風(正確には帝国でも東部遊牧民風というべきだが)の異国を感じるものであり、十三歳の幼い容姿。そして独特な虹色の瞳を持つ美少女でもある。
この辺を王太后リュシアは非常に気に入ったらしい。帝国の皇女であった事はむしろ「帝国を追われたのだから私が保護してあげなければ!」という庇護欲の元となったようだ。
そんな訳でリュシアは初対面のこの時からミリエールを「私の娘!」と呼び大変に可愛がった。ミリエールの方も「お義母さま!」と懐いたので、二人の関係は実の親娘さながらとなったのである。
最大の懸念であった嫁姑の関係が一瞬で片付いてしまった事はアビシウスにとって嬉しい誤算であったが、同時にこれは婚約が王太后に承認されてしまったという事であるので、アビシウスはミリエールが成人すると同時に彼女と結婚する事が避けられなくなったのである。
反帝国派の旗頭であるリュシアがミリエールを認めたのでは、帝国を憎んでいる貴族たちも反感をあからさまにするわけにはいかなくなってしまった。
もっともこの時点ではリュシアもそうだが多くの貴族も、ミリエールの存在は認めても帝国への反感を薄れされた訳ではなかったのだが。
とりあえずひとしきりリュシアに可愛がられ、リュシアの部屋にも遊びに来るように約束させられたミリエールはご機嫌だった。婚約者の母親との関係が良好となったのは正式な結婚のためには何よりだ。
もっともリュシアはしきりと「アビシウスが手を出していないか」をしきりと気にしていて「決して成人前に契りを結ばぬように!」とミリエールにも言い聞かせていたが。
ミリエールとしては子供扱いは遺憾ではあったが、彼女も王国の教養を身に付ける過程で、未成年の男女の婚姻(それどころか恋愛も)がいかに破廉恥で許されないものであるかは理解している。なので彼女としては二年後、十五歳になって成人の儀を行うまでは愛しのアビシウスの子供を産むのは我慢するつもりだった。
ご機嫌なミリエールはホールの中央にアビシウスと共に進み出た。楽団がゆったりとした曲を奏で出すと、二人は滑らかに踊り出す。
王国の社交においてダンスは非常に重要視されていた。これは王国では貴族は戦う者たちであり、そのため運動神経が重視されていた事が関係している。
社交におけるダンスが下手だと、その貴族は戦えない、つまり戦で手柄が立てられない、出世出来ないと見做されてしまうのである。それだけで結婚出来ない可能性が出てきてしまうのだ。
これはご令嬢も同様で、ダンスの下手な女性はどんくさい子供を産むと見做されてしまう。このため、未婚の貴族の子女は死に物狂いでダンスの技術を磨くのであった。
踊り始めたアビシウスとミリエールを、貴族たちはやや意地の悪い視線で眺めていた。帝国出身のミリエールの踊りがどれほどのものか、品定めしてやろうと考えていたのである。
何しろ王妃であるからには、それなりの気品と風格のあるダンスを披露してもらわないとね、ということだ。王太后様も先王もダンスの名手だったし、アビシウスももちろん素晴らしい踊り手だ。
帝国出身のミリエールがそれに果たしてついていけるものなのか。まぁ、まだ幼いのだからその辺は割り引いてあげないとね。
そんな冷ややかな視線が集中する中、ミリエールがアビシウスの手を取って、シャンデリアの下、クルッと回った。
ミリエールの足がフワッと床を離れた。体重の無い者であるかのように軽やかな動き。青いドレスが円を描き、ダイヤモンドのティアラから光が舞い散った。
着地と同時にアビシウスと密着し、今度は二人でキレの良いスピンを見せる。二人には親子ほどの身長差があるが、それを感じさせないほどミリエールの動きは堂々と力強かった。見守っていた貴族たちは一転、息を呑んだ。
ミリエールは元々運動神経は抜群だし、リズム感もある。遊牧民にも帝国にも踊りはあって彼女はその名手だった。王国に来てから半年も練習すればそれは達人の域にもなろうというものだ。
そしてミリエールは踊るのが好きだったし、それが愛しのアビシウスと一緒であればそれは気合が入ろうというもの。ミリエールはアビシウスを振り回しかねない勢いで動いた。
もちろん、アビシウスもダンスの名手である。彼は対照的にどっしりと構え、ミリエールの動きを支え、調和し、それでいて素早い動きにも難なく対応した。
その二人が溶け合うような、緩急自在のダンスは目の肥えた王国貴族たちを唸らせるに十分だった。
曲が終わり、二人が手を広げて動きを止めた瞬間、貴族たちは一斉に万雷の拍手を国王夫妻に贈ったのだった。
◇◇◇
ダンスが終わると、アビシウスとミリエールは分かれてそれぞれ別の者たちとダンスを踊った。
この場合、二人は既婚者扱いになるため、相手も既婚者となる。
アビシウスは去年までは独身であったため、ダンスをする時は未婚のご令嬢が相手であった。これは社交でのダンスには婚活の側面が強くあるためである。
ダンスが上手いかどうか、息が合うかどうかでお互いの相性を計るのである。会話でどんなに気が合っても、ダンスをしたら全然ステップが合わないとか、相手の動きが強引で不満を覚えるなど、身体で分かってしまう事があるから、ダンスはお互いの相性を見る方法として侮れないのだ。
正直、アビシウスはミリエールとダンスをして、ミリエールのダンスの見事さに驚いたし、息が合い、心地良い同調感を覚えた事に驚いていた。これで歳の釣り合いが良ければアビシウスは即座にミリエールを妃候補と見做した事だろう。
アビシウスが既婚者扱いになって不満を溜め込んでいる者たちがいた。
それはアビシウスと踊れなくなってしまった貴族令嬢達。つまり元々アビシウスのお妃候補だった女性たちである。
王国の唯一の王子で、王太子であったアビシウスは将来的に国王になることは確実だった。彼一人では王統の継続が不安視された事もあり、早くからお妃選びは始まっていたのだ。
しかしアビシウス十五歳の時に帝国との戦争が勃発しアビシウスが出征するとお妃選びは棚上げになり、十年間も経ってしまった。
王国では女性は二十歳前に結婚するのが普通であるため、この時点で王妃選びは仕切り直されてもおかしくはなかった。
しかし当時は戦時であり、貴族当主や次期当主は総出で戦地に行ってしまった。つまりご令嬢たちは嫁入り先がなくなり二十歳を過ぎても独身のまま待たされる事になる。
ようやく戦争が終わり、戦地から帰ってきた貴族達にはにわかに結婚ブームが起きていた。当主や次期当主が亡くなり、傍系から養子をもらって早急に家を立て直さないといけなくなった貴族家も多かった。
そんな盛り上がる婚活市場で最大の目玉商品は、もちろんアビシウスだった。
戦争の英雄であり国王。長身で鋼のような体格。容姿は凛々しく風格も性格も申し分ない。国中の未婚女性が熱狂しアビシウスに恋したと言っても過言ではなかった。
特に年嵩の高位貴族令嬢としてみれば、十年も待たされたのであり、彼を逃すと戦争で数が減ってしまった高位の貴族家には嫁入りできない可能性もあったから必死である。
なんとしても自分が王妃になってみせる! そう息巻いていたところに……。
突然発表されたのが帝国の皇女ミリエールの輿入れだったのである。
高位貴族令嬢の怒らんことか嘆かんことか。
しかしながら帝国の皇女と王国の国王の結婚は国策であり、長きにわたる戦争を終わらせるにはどうしても必要な事だ。政治的意見を出す事などできない貴族令嬢が何を言ってもどうなるものでもない。
そんな訳でこの日まで、貴族令嬢の間には諦めと不満が黒々と渦巻いていたのであった。
そうとは知らないミリエールは何人かの貴族当主(当然彼女より最低でも十歳は歳上だ)とダンスをした後、居並ぶ貴族令嬢を見つけてノコノコと近寄って行ったのだった。
彼女としてみれば、やや歳の近い(それでも最低でも成人しているので二歳歳上だ)少女を見つけて、話をしたくて寄っていったのだが、ミリエールを敵視している貴族令嬢にしてみれば飛んで火に入る夏の虫である。
「ごきげんよう。皆様」
貴族婦人が会話を交わす場合、身分が高い方から話し掛けるのがマナーである。王妃であるミリエールの方が断然身分が高いのでミリエールの方から話し掛ける事になる。
しかし、ほとんどの者は慌てて頭を下げたもの、年嵩の三人は轟然と頭を上げたままミリエールを見下ろしていた。ミリエールは礼法との違いに戸惑う。
「貴女が王妃ですって?」
鼻息も凄まじく言い放ったのは豪奢な金髪を持つ女性。ミリエールはさっき挨拶を受けたので知っているがアーガイル侯爵家の長女ウィスリンである。
「誰がそんな事を認めるものですか! 貴女のような子供が! さっさと帝国に帰るといいわ
「そうですとも! アビシウス様の妻、王妃には私たちのような高貴な血筋の者こそ相応しいのですわ!」
「帝国の野蛮人が王妃だなどと! 認められるものではありません!」
ボクトール侯爵令嬢イーキリス。エバッテン伯爵令嬢フリーキアも口々に言う。ミリエールは思わず目を瞬いてしまう。これはまた、直球の無礼が来たわね。
王妃にこんな無礼を働けば、帝国なら問答無用で首を刎ねられるし、王国でも確か最低でも鞭打ちだった筈だ。ミリエールは子供に見えるけど、身分は既に王妃なのだ。
自分たちの家が王国の有力家だとはいえ、王妃に対する無礼が許される訳ではない。多分、甘やかされ過ぎて自分達の身分を過信しているのだろ。馬鹿じゃなかろうか。とミリエールは逆に心配になった。
ウィスリンたちとしては沸々と溜め込んだ鬱憤がヒステリックに爆発してしまったので、後先考えての事ではなかったのである。冷静になったらさすがに青くなる事になるだろう。
ミリエールとしては、衛兵を呼んで「王妃に対する不敬である!」と言って捕えさせても良かったのだが、ちょっと考える。
声に出したのはこの三人だけだとしても、もしかしたら固唾を飲んで状況を見守っている他の婦人たちも同じような思いを抱いているのかもしれない。
そうであれば、内心ではミリエールの事を侮っているという事になるわけで、それはそれで後々問題となるだろう。何しろ王妃は貴族の夫人や令嬢を率いていかなければならないのだから。
ならばここでこのプライド高いこの娘達の鼻っ柱を叩き折っておいた方がいいかもね。ミリエールは心の中で頷いた。
「ウィスリンとやら」
ミリエールの呼びかけにウィスリンは目を丸くする。なぜ自分の名前を覚えているのかと思ったのだろう。理由は簡単である。ミリエールが挨拶された時に全貴族の名前と顔を覚えてしまったからだ。
「それほど言うなら貴女が私よりも優れているところが一つでもあるのでしょうね? 背の高さ以外で」
ウィスリンは思わず鼻白む。反射的に言い返す。
「な、なにを! 私は侯爵令嬢として様々な教育を受けてきましたのよ!」
しかしミリエールは顔の前で扇を広げると鼻で笑い飛ばした。
「その教育とやらは私も受けましたよ。半年ほど。どの教師からも『もう教えることは何もない』と仰って頂けましたよ」
ウィスリンは仰け反る。ウィスリンが長年受けた教育を半年で修了したというのだ。それは驚いただろう。ミリエールに言わせれば、愛する人のために努力すればこの程度は当然だ、という事になる。
「その証拠は先ほど見ましたでしょう? 私とアビシウス様のダンスを。貴女のダンスも見ましたけど、あれで私よりも踊れるとはまさか申しますまいね?」
ウィスリンの頬が引き攣る。ダンスの腕前は教養を計る指標になり得る。全貴族が思わず拍手を送るほどミリエールのダンスは素晴らしかったのだ。
「そして私は帝国の皇女としての教養も身に付けております。その点でも貴女よりも知識も教養もあるとは言えませんか?」
当然だがウィスリンは帝国の事などよく知らない。王国よりも大きな恐ろしい敵だ、と子供の頃から言い聞かされて育っただけだ。
そこの皇女殿下というだけで、ミリエールはウィスリンの理解の外にいる存在なのだと、彼女は思い知る。
「私は帝国の皇女として、帝国と王国の融和のためにアビシウス様に嫁ぎました。私の存在が帝国と王国に平和をもたらすのです。さて、では貴女は王国に何をもたらす事が出来るのですか」
ミリエールは自らの存在の重要性を強調してみせた。もちろん、ただの貴族令嬢ではその政治的価値が敵うわけがない。
幼い容姿なのに自らの政治的価値について客観的に冷静に語るミリエールが、ウィスリンには何か得体の知れない存在に思えてきた。
「そして私は馬に乗れます。アビシウス様に頼まれて暴れ馬を馴致して褒められましたわ。貴女にそんな事が出来て?」
そんな事が貴族令嬢に出来るわけがない。そのような事でアビシウスに認められるなどウィスリンには考えた事もない事だった。
もはやウィスリンは考えることさえ出来ずにガタガタと震え始めてしまっている。それに気付かぬミリエールはダメ押しに掛かる。
「そして……」
不意にミリエールは足を滑らし、呆然としているウィスリンの懐に滑り込み、手刀をその首に突き付けた。
「ひっ!」
「このように、私には武術の心得もあります。貴女なら素手で殺してみせますよ。試してみましょうか?」
ミリエールが習ったのは簡単な護身術だから大袈裟ではある。しかし自ら戦う事など考えた事もない貴族令嬢には分かるまい。
ミリエールはすぐに身体を離すとクルッと回って優雅にスカートを広げた。
「どうですか? 一つでも私に勝てる部分がございましたか? どなたでも結構ですわよ? さぁどうぞ、仰って下さいな」
そう言ってミリエールは優雅にニーっと微笑んだ。
……すると、まずウィスリンが泡を吹いてバターンとぶっ倒れた。さすがに驚くミリエールの前でイーキリスとフリーキアも崩れ落ちて気絶してしまった。
他のご令嬢も泣き出す者。「お許し下さいませ!」と謝り続ける者。震えて声も出せない者など阿鼻叫喚と言って良い有様になってしまった。
……なぜ? ミリエールは首を傾げるばかりだ。多少脅したのは事実だが、いくらなんでも効き過ぎではなかろうか。
おかげでミリエールはアビシウスに叱られてしまう事になり、大いにむくれたのであった。
ただ、これ以降、王国の貴族令嬢はミリエールに絶対服従状態になったのである。





