第五話 ミリエール本気を出す
アーファードに二人乗りしてアビシウスとミリエールは王宮に戻った。
「王妃様はこちらに」
とサリューシアが誘ったのだが、ミリエールが降りるのを拒否したのだ。幸い、アーファードの鞍はアビシウス用の大きなものであったので、ミリエールが前に収まっても大丈夫なくらいの余裕はあった。
サリューシアとしては婚約以来恨み言と悪口しか言っていなかった婚約者と、急に馬に同乗したいと言い出したミリエールに不審な思いは抱いたものの、ミリエールの気まぐれはいつもの事か、と気にするのを止めた。
実際にはアビシウスの逞しさにミリエールはやられてしまい、婚約者と離れたくないと考えていたわけだが。
惚れた瞬間、それまでなんだかヌボーっと大きな、肌の白い、仏頂面のでくの坊に見えていた婚約者が、急に風格ある渋い年上のイケメンに見えてしまうのだから、恋というのは恐ろしい物である。
しかも本人的には惚れる前まで彼を忌み嫌っていた事など記憶の彼方に放擲しているのだ。私は前から彼の事が好きだったのよ! くらいに思っている。彼と婚約者なれて良かったわー、くらいに思っているのだ。本当に恋というのは恐ろしい物である。
えへへ、デレデレとしているミリエールだが、残念ながらアビシウスにはその想いは全然伝わっていない。彼としては何でミリエールは降りないのか? と不思議に思っているだけだ。ミリエールとお腹から下半身が密着している状態なのだが、アビシウスは何とも思っていない。彼からすると十三歳も年下のミリエールは徹頭徹尾子供にしか見えないのである。
もう別に急いでも仕方が無いので三人二騎はゆっくりと進んで王都に戻った。王都は石造りの堅牢な城壁で囲まれている。人口三万を超える大都市なので城壁は間近に立つとどこまでも続くようにすら見える。城門は鉄で強靱に補強された木の扉で、一度に軍勢が三列で駆け抜ける事が出来る広さだ。ここは夕方になると閉められる。
城門の側には天幕が幾つも並び、疲れ切った人々がそこで休んでいるのが見えた。ミリエールは不思議がる。
「何? あの人たち?」
アビシウスは少し眉をしかめながら疑問に答えた。
「ああ。市民権を失った者達だな。彼らは王都の中には住めないから、ここに天幕で住んでいるのだ」
ミリエールにはよく分からない。
「なんで王都に住まないの?」
「元は彼らも王都の住人だったのだ。しかし税を払えなかったり罪を犯したりして市民権を失い、王都に住めなくなった。しかし仕事は王都の中にあるから、ここから通っている訳だな」
王都には城門が四つあり、その周囲に合計千人くらいの人々が天幕村があるとアビシウスは報告で聞いている。
ミリエールは首を傾げる。
「可哀想じゃない。王都に住ませてあげればいいのに」
「簡単に言うでない。王都を追い出されたのは彼らに原因があることだ」
とはいえ、こんなところで天幕暮らしをしていては住民が健康を害する可能性もあるし、伝染病が蔓延でもしたら問題だ。排泄物その他の処理も衛生上の問題になる。治安の悪化にも繋がるだろう。これもアビシウスが抱え込んでいる様々な問題の一つだった。
王都に入ると活気ある王都の様子が目に入る。行きはアーファードの背中に伏せていただけだったミリエールは表情を輝かせた。彼女は帝都でもよく脱走をしていて帝都の様子はよく知っているけど、王都の様子は来た時に馬で走り抜けた時くらいしか見ていない。
あの時にも思ったが、街路樹があったり軒先に花々が飾ってあったりする帝都に比べて王都は緑が足りない。これは気候がそもそも帝都に比べて寒冷であるのが理由だろう。
帝都では建物はほとんど木造だが、王都は石やレンガで作られているものが多い。これも周辺で豊富に大木が集められる帝都と、先ほども見たが大きな木が周囲に全然無い王都の違いだと思われる。
石造りだからか王都の建物は高く、三階建て四階建ても珍しくない。街路もしっかり石畳で舗装されていて、この辺は雨が降ると街路がぐちゃぐちゃになる帝都よりは優れていると思う。
王都の城門から続く通りは真っ直ぐに王宮前の大広場に続いている。大通りからは蜘蛛の巣の様に小さい街路が張り巡らされていた。帝都は正確に直角に街路が区切られているのでそこも新鮮でだった。聞けば都市自体の形状も王都は丸く帝都は四角いという違いがあるようだ。
ふむふむと王都の様子を見ていたミリエールだが、ふと、愛しの婚約者様が厳しい表情をしているのに気が付いた。
「どうしたの?」
ミリエールに声を掛けられて、アビシウスは表情を隠すように顔を撫でた。
「いや、なんでもない」
「なんでもないって顔じゃないわよね? どうしたの? 街の様子に気になる事でもあるの?」
ミリエールに追求されて、アビシウスはポツリと言った。
「……寂しくなったな、と思っただけだ」
? ミリエールは王都の街を見回すが、市場も立っているし職人と思しき人々は走り回っている。そんなに活気がないようにも思えないのだが……。
「戦争で若者をかなり動員したからな。どうしても若者が少ない」
言われて改めて見てみれば、確かにその傾向はあるようだ。市場に座っているのは老人か女性が多く、職人も年嵩の者が多い印象だ。なるほど。戦争で兵士に取られた若者が多く戦死して年齢に偏りが出ているのだろう。
「帝国との戦争の隙に乗じて我が国を狙っている潜在的な敵国もあるから、戦争が終わったら軍を解体するわけにも行かなくてな。難しい問題なのだ」
戦死していなくても、若者が軍隊に入っていれば、それは労働人口としては死んだも同然である。その状態が長く続けば王都の衰退に繋がるだろう。同じ問題は王都だけではなく他の町や村、貴族達の所領でも起きており、アビシウスとしては頭の痛い問題なのであった。
「じゃぁ早く平和な世の中になって、兵士達を王都に戻さなければいけないという事ね」
「そういう事になるな」
「じゃあ、帝国との同盟は大事よね!」
「ま、まぁそういう事だな」
やっぱり私はアビシウスに嫁いできて良かったのだ! とミリエールは誇らしく思った。帝国の為だけではなく、嫁ぎ先の王国にとっても役に立てる結婚なのだ。しかも旦那はこんな格好良くて頼りになる男なのである。ミリエールは断然やる気が出て来たのであった。
◇◇◇
結局、ミリエールは休み時間を手に入れた。
あんなに派手に脱走騒ぎをされてしまっては、隠しておく理由もなくなったからだ。何しろ王宮中、王都中でミリエールの脱走が噂になってしまっていたのだ。こうなってしまってはむしろ人目に触れさせて、ミリエールを当たり前にそこにいる存在にしてしまった方が良かろうとアビシウスは考えたのだ。匙を投げたともいう。
なので護衛付き、サリューシアと一緒という条件なら王宮の外に出ることもアビシウスは許可を出した。あまりの思い切りの良さにレルベルは驚いた。
「よろしいのですか?」
「いいのではないか? あのお転婆ぶりでは閉じ込めておいても無駄だ」
あの後、ミリエールはアビシウスに「またアーファードに乗りたい! 乗りこなせるまで練習したい!」と散々にごねたのだ。
どうやら、馬にいいように弄ばれた事が遊牧民族のプライドを傷付けたらしい。
しかしながらアビシウスとしてもそれは許可出来なかった。アーファードはアビシウスの愛馬だし、何しろ気性の難しい馬である。戦場では人間を蹴り殺した事さえある馬だ。何かの拍子に暴れてミリエールに怪我でもさせたら大変な事になる。
しかしながらあまりにもギャァギャァとミリエールが騒ぐので、アビシウスは一頭の若馬をミリエールの前に引き出した。
「この馬をそなたに預けよう。乗って見せるがよい」
ミリエールは訝しんだ。
「なに? この馬?」
濃い灰色の、多分数え二歳くらいの若馬だった。大きくて均整の取れた体格で、かなり鋭い目をしていた。良い馬だとは思うけど。
「アーファードの仔馬だ」
「へー? アーファードの種って事?」
ミリエールの質問にアビシウスは首を横に振った。
「いや、アーファードの産んだ仔馬だ」
ミリエールは驚愕して近くにいたアーファードに向けて叫んでしまった。
「あんた牝だったの!」
アーファードは涼しい顔をしていたが、間違い無くアーファードは牝馬である。
牝馬で軍馬がいないとは言えないが、珍しいとは思われる。ただ、男馬よりも大柄で気性が荒く、賢いアーファードをアビシウスが気に入り、乗馬にするだけで無く戦場にも伴ったのだ。
アーファードはアビシウスを乗せて戦場を縦横無尽に駆け巡り、期待以上の大活躍を見せたのだが、一年前、戦地でいきなり仔馬を産み落としたのだ。
どこの誰も、ずっと乗っていたアビシウスさえも妊娠していた事に気付かなかったのだから呆れるしかない。出産の前日にも戦場で戦っていたのだから。
出産翌日にはもう普通の顔をしてアビシウスを乗せて全力疾走していたのだから異常な体力である。その後も終戦までアーファードは一度も怪我もせず休養も取ることはなかった。ちなみにアーファードは七歳である。
父馬は結局分からなかったが、アーファードはあまり仔馬に興味を示さなかったので、アビシウスによってセビリスと名付けられた牡の仔馬はすぐに王宮に連れて来られた。何しろ名馬アーファードの仔馬であるので、周囲は非常に期待した。
のだが、セビリスはアーファードの子だけに気性が無茶苦茶に荒く、王宮の牧童の手には負えなかった。馴致も上手く行かず、普通であれば去勢が検討されただろう。だが、国王の愛馬アーファードの仔馬であるので、腫れ物に触るような扱いを受けて、我が儘放題に育ち、現在に至る。
アビシウスもやや扱いに困っていた馬だった。それをミリエールに与えたわけだが、これは厄介払いをした訳でなく、曲がりなりにもアーファードに落とされなかったミリエールの荒馬乗り技術を評価しての事だ。彼女ならこの馬を乗りこなせるのではないかと期待したのである。
ミリエールとしてはなんだか上手く誤魔化されたような気がしたが、愛しの婚約者に任されたのが嬉しくもあったし、ちょっと生意気そうなセビリスに興味が湧いた事もあってセビリスの面倒を見る事に同意した。
そういうわけで休み時間の度にミリエールは馬場にやってきてはセビリスの馴致を行った。最初はセビリスは小さなミリエールを端から馬鹿にしており、まったく言う事を聞かなかった。
しかしながらミリエールは暴れ馬の面倒を見るのに慣れていた。ミリエールもだがサリューシアも草原で何百という馬と付き合って来たのだ。経験値の蓄積が違う。サリューシアが馬の鼻を簡単に押さえ込むと、ミリエールは裸馬のままのセビリスに簡単に跨がってしまった。
もちろんセビリスは無茶苦茶に暴れ回ったが、ミリエールは何という事もなくその動きをいなして落ちることはなかった。周りで見守っている牧童や従僕は唖然とする。しかし遊牧民族のミリエール達にとってはなんという事もないことだ。
まだ身体も大きくなりきっていない数え二歳の馬である。体力もそんなに続かない。暴れすぎて疲れて動けなくなった所に馬装を付け、ミリエールは鼻歌交じりで馴致を続けた。
こうして暴れ馬で手に負えなかった筈のセビリスはミリエールによってものの半月で従順な乗馬に生まれ変わったのである。その様子を見てさすがにアビシウスは驚きを隠せなかった。多少は期待はしていたが想像以上だったのだ。
「すごいな。さすがだ」
アビシウスに褒められてミリエールは得意満面だった。
ただし、セビリスの気性の荒さは無くなった訳ではなく、単純にミリエールとサリューシアに服従したに過ぎないので、結局セビリスはミリエールの専用の乗馬になった。現在は黒に近い灰色だが、育つに従って白が目立つ葦毛となる事だろう。アーファードに乗ったアビシウスとお揃いだ。王妃に相応しい、とミリエールはご機嫌になったのだった。
休み時間をもらったミリエールだが、王国の礼儀作法や教養の教育にも本腰を入れて取り組んだ。愛しのアビシウスと結婚するにはこの国の社交界に出て、貴族女性を指導監督していく必要があるのだとミリエールは理解していたからだ。
その辺を理解すればやる気も出すしすぐに覚えてしまうのがミリエールの凄さでもある。教師達も驚く速度でミリエールは作法も教養も身に着けてしまった。
教師達や侍従や侍女の報告、サリューシアにも確認を取った上で、最終的にアビシウスはミリエールをお披露目の社交に出すことにした。
ミリエールが王国に到着してから半年後の事である。