第十四話 戦いの始まり
キュロッシア王国の北にあるサザラーム王国との関係は、帝国との戦争が終わってから悪化していた。
理由は、サザラーム王国がかつて帝国に奪われていた旧領の返還を、なぜかキュロッシア王国に要求したからである。
つまり、キュロッシア王国と帝国との和平交渉で、キュロッシア王国がサザラーム王国の旧領を要求し、獲得した後それをサザラーム王国に引き渡せ、という話なのだった。
図々しいにも程がある要求だが、キュロッシア王国とサザラーム王国は兄弟国であり、かつて同盟を結んで帝国と対峙していたという歴史がある。だからサザラーム王国の要求は当然だ、という言い分なのだった。
もちろんアビシウスはこの要求を跳ねつけた。サザラーム王国はアビシウスの父王の再三の要求にも関わらず、援軍も支援も出さなかったのだ。それを今更同盟国面とは片腹痛いというもの。
アビシウスはそれどころか、サザラーム王国が帝国に対して侵攻でもすれば、キュロッシア王国は帝国の同盟国として対応するとまで使者に言い放った。
激怒したサザラーム王国は態度を硬化。国境に軍を集める事態となり、その対応のためにキュロッシア王国も軍を解散出来ず、王国は若者の不足に悩まされたのである。
しかし、帝国との戦いからわずか三年で状況は大きく変わった。
一言で言うとキュロッシア王国は躍進し、サザラーム王国は衰退したのである。
キュロッシア王国は国内の整備を進め、交易路の安全を確保して王都を拡張して人を呼び込み、そして不毛の地を放牧地に変えて大量の馬を養った。
このためキュロッシア王国の国力は飛躍的に伸びた。同時に王国では王と貴族の間に強い主従関係が結ばれ、国家としての結束力が高まっていった。
高い国力と国内の団結、そして強大な帝国の後ろ盾。キュロッシア王国の勢威は元々兄弟国であった四王国の中でも抜きん出たものとなり、サザラーム王国単独では対抗することが難しくなったのである。
国が栄えると、富の集中が始まる。特にキュロッシア王国の王都は東西、南北の街道が交差する位置にあった。
交通の要衝であり、国内が栄え安定しているキュロッシア王国の王都は商売をするにはうってつけである。商人達は次々と拠点を構えるようになった。
それまでは国内の安定の観点から、サザラーム王国の王都が商人達の拠点だったのだ。しかしながら帝国との同盟を結び、東西交易が活発化した現状では、南北交易のみにしか関われないサザラーム王国の王都は商人達にとって魅力が薄いものとなったのである。
同時に、サザラーム王国の貧しい農民が次々と南のキュロッシア王国へ流れ込む事態が起こった。キュロッシア王国の王都が新市街を築いて住民を無差別に受け入れ始めたからである(実際には住めるだけで市民になれるわけでは無かったのだが、外国にはそういう噂として出回った)。
労働人口の減少は国力の減少である。サザラーム王国の国力は傷口からの出血のように減り始めた。
危機感を強めたサザラーム王国は国境を固め、住人の移動や交易を妨害し始めた。キュロッシア王国はこれに抗議する。王家だけでなく国境周辺の領主(これは両国共に)もこれに同調した。国力に勝るキュロッシア王国の圧力にサザラーム王国は要求に応じるしかなかったのである。
サザラーム王国はもはやキュロッシア王国に単独で対抗することは出来ないと悟る。そこで元兄弟国であるアスコム王国とヤルク王国を誘って「キュロッシア王国包囲網」を結成したのであった。
キュロッシア王国の西にあるアスコム王国も南にあるヤルク王国も、キュロッシア王国の国力の急進を脅威に感じていたし、キュロッシア王国と帝国の戦役時に支援要請を黙殺してアビシウスの怒りを買っているのも同様だった。
こうして、キュロッシア王国と三王国連合の対立は次第に深まっていったのだが、これが致命的な破局に至ったのは、王国ではなく帝国に原因があった。
帝国はキュロッシア王国との戦争前から。帝国の南方にあるイルバーヤ王国と戦っており、その期間はなんと十五年にも及んでいた。この戦いに注力するために帝国がキュロッシア王国との和平を急いだという事情があるのは知っての通りだ。
そのイルバーヤ王国との戦役がついに終息したのである。勝敗はつかず、引き分けといった結果だが、兎に角帝国はイルバーヤ王国の侵攻を食い止めて領土を防衛したのだった。
キュロッシア王国は同盟国として帝国を支援しており、自国内が立ち直ってからは糧食などの援助の他、強力な西の山岳地帯の傭兵集団を雇って送り込んだりもしていた。この辺りの支援は帝国からの要請でアビシウスが行っており、ミリエールは知らない事である。
帝国は誠実に同盟国の役目を果たしたキュロッシア王国とアビシウスを高く評価し、感謝の使者を送って来た。使者はミリエールが王国で大事にされ王妃として尊重されている事も確認したので、帝国はより一層キュロッシア王国とアビシウスを信用するようになった。
そうなるとどうなるかというと、帝国はキュロッシア王国を警戒するために貼り付けていた兵力を他に回せるようになった訳である。その兵力はまだまだ油断できない南の国境と、キュロッシア王国の北にあるサザラーム王国に向かったのだ。
もっとも、帝国は長きに渡る戦争の傷が癒えておらず、サザラーム王国と事を構える気などない。むしろ現状でサザラーム王国と戦わぬ為の威嚇であったのだが、サザラーム王国にはそこまでは分からない。
強大な東の帝国と、強力な南のキュロッシア王国とに挟み撃ちにされる! サザラーム王国国王ドウストは恐慌状態に陥った。
焦りに焦った結果、彼は結論する。やられる前にやるしかないと。ドウストはアスコム、ヤルク両王国を焚き付けて、ついにキュロッシア王国に宣戦したのである。
◇◇◇
アビシウスにとっては寝耳に水の話である。
それは彼だってサザラーム王国とキュロッシア王国の関係が緊張している事には気が付いていた。しかし、そもそも両国には利害の対立があるわけでもなく、戦争が起こる動機はない筈であった。
大体においてキュロッシア、サザラーム、アスコム、ヤルクの四王国は元は一つの王国だった事もあり、経済的な結び付きは強く、互いに依存してもいる。戦争などしたら共倒れになりかねないではないか。
アビシウスはそう考えたのだが、サザラーム王国としては追い込まれて一か八かの思いでの侵攻だったわけである。この辺りがアビシウスには分かっていなかったのだ。
宣戦の布告が行われて、いきなり軍事衝突が起こるわけではない。まず両国の戦力が国境付近に集まる。どちらかの国が一方的に国境を越え、攻め寄せてくるという事はほとんどない。
理由は簡単で一方的に侵攻すると領主貴族を完全に敵に回してしまうからだ。そのため、宣戦し軍事圧力を掛けた上で書状なり贈り物などを贈って領主貴族に寝返り、もしくは中立を促すのだ。
しかし今回の場合、サザラーム王国の調略は無駄に終わった。キュロッシア王国の領主貴族たちは誰一人としてサザラーム王国の使者に会おうともしなかったからである。貴族たちはキュロッシア王家に忠誠を誓っていたし、多額の支援も受けていたからである。
アビシウスは国境の警備部隊を後退させる一方、領主たちに命じて街道の国境寄りにあるロルデンの街に軍勢を集めさせた。もしもサザラーム王国の軍勢が街道を南下してきた場合、ここで迎え撃つためである。
ただ、アビシウスはサザラーム王国が本気で侵攻してくることに対して、やや懐疑的な思いを抱いていた。
サザラーム王国の戦力ではキュロッシア王国の王都に侵攻するには足りないと思うからである。
軍事力というのは国力の差である。
軍事力の内、まず騎兵というのは貴族とその郎党を意味する。馬に乗るのは特殊技術であり、幼少の頃よりの訓練を必要とする。その訓練を積めるのは貴族だけだからである。
つまり、貴族が多くいればいるほど、その国は騎兵を多く揃えられるという事になる。この点でキュロッシア王国はサザラーム王国を大きく上回っていた。
それ以外の兵士は領民から徴募するか傭兵を雇う事になるわけだが、これもどれだけ多くの領民を抱えているか、どれだけの経済力があるかによって動員出来る員数が変わってくる。この点でもキュロッシア王国はサザラーム王国を圧倒していると言ってよかった。
後はそうやって集めた軍の強さという事になるのだが、ほんの三年前まで帝国との戦争をして鍛えられたキュロッシア王国軍と、小競り合いこそあれ大きな戦争を近年は経験していないサザラーム王国軍とでは、これもキュロッシア王国が勝る筈だ。
つまり、サザラーム王国には勝てる要素がない。これで一体どうしてキュロッシア王国に一方的に戦争を仕掛けられたものか。馬鹿ではないのか? というのがアビシウスの感想だった。
その結果、アビシウスは半信半疑のまま戦争準備をすることになった。しかし、彼らしくもないこの鈍重な行動が、結果的にサザラーム王国の裏をかく事になる。
サザラーム王国の行動も鈍かった。準備万端で戦争を仕掛けてきたにしては、ノロノロと街道を進んでロルデンの街を囲んだ時には戦争開始から二十日も経っていた。周辺の農村を襲うような事もなく、実にやる気がないように見える。
外交関係を優位に進めるために、勇ましく宣戦布告をして進軍だけはして、戦いは行わずにすぐ撤退するというのはよくある話である。アビシウスはその類なのではないかと考えた。なのでロルデンへの支援は確実に行わせる一方、迎撃軍の編成はゆっくりと進めさせた。軍の編成には様々な費用が発生する。編成してから敵に撤退されてしまうと損になる。
そんなケチくさいことを考えてしたアビシウスだが、次なる凶報に耳を疑う事になった。
「アスコム、ヤルク王国からも宣戦の使者が参りました!」
なんと、キュロッシア王国包囲網を敷いた三王国の、残り二国も宣戦布告の使者を送って来たのである。
アビシウスはサザラーム王国軍の鈍さの理由を悟った。
アビシウスが迅速に軍の編成を終えて急ぎ北の国境に向かっていたなら、このタイミングで二王国が宣戦して来たなら対応に窮したであろう。
サザラーム王国を前にして反転して王都に戻ったら後方から追撃を受ける。さりとて無視は出来ない。下手をすると二王国に王都を陥されてしまうかもしれないからだ。
非常に難しい対応を強いられただろうが、幸いアビシウスはまだ王都だった。軍もようやく編成が完了したところである。対応の自由度は北へ出撃した後よりは大きいと言える。
しかし、三方からの侵攻を迎撃しなければいけない困難さは変わらなかった。アビシウスは考える。
三王国の内、最大の戦力を持っているのはサザラーム王国であるのは間違いない。現在確認出来ているその戦力は騎兵三百に歩兵二千といったところだ。おそらく他の二国はそれよりは少ないだろう。
これに対してアビシウスの手元にある戦力は騎兵五百に歩兵が三千だった。サザラーム王国に対しては優位な戦力だが他の二王国まで合わせると逆転してしまう。
かつて帝国と戦った時は万の軍を集めたキュロッシア王国である。兵を更に集めるのは可能ではあったが、それには時間が掛かる。騎兵を集めるには貴族との調整が必要だし、傭兵を集めるのだって簡単ではないのだ。
アビシウスは思い悩んだ。
◇◇◇
怒ったのはミリエールである。
「どうしてくれるのよ!」
サザラーム王国の宣戦の使者が王都にやって来たのは、ミリエール念願の成人の儀と正式な結婚式の僅か半月前であった。
もちろん中止である。延期である。戦争には王国の存亡が賭かるのだから、それどころではない。それはミリエールにも分かっている。分かっているが、分かっているだけに、怒りを禁じ得ない。
「おのれサザラーム王国め! 許せない!」
ミリエールは怒り狂ったが、偉大な王であるアビシウスが私情を戦争に優先するなど認める事などないことも分かっていた。
それにミリエールは王妃だ。王妃は出征する王の代わりに王都を守り、後方支援をするのが仕事である。
こうなれば王妃の仕事を完璧にこなして、アビシウスの役に立って、それから堂々成人式やってアビシウスの子供を産んでみせるわ!
ミリエールは気を取り直して女性社交に励んだ。貴族夫人達との交流を密にして、王家と貴族の結束を強め裏切りを防ぐのは王妃の重要なお仕事だ。
幸い、どの貴族夫人も王家への忠誠を誓い貴族当主と郎党の出征、兵士の動員を約束してくれた。
ただ、肝心のアビシウスの様子がどうもはっきりしなかった。彼らしくもなく迷いがあるように見えたのだ。
ミリエールにしてみれば、彼が本気を出せばサザラーム王国など
鎧袖一触なのだから、とっとと片付けて終わらせて、凱旋式と一緒に結婚式をしましょうよ、というところだったのだが。
ところが、しばらくしてアスコム、ヤルク両王国も宣戦してきたと聞いて、ミリエールはアビシウスの深謀遠慮を知った。これを予測して迅速な対応をしなかったのだなと。さすがは自慢の夫である。
ただ、これで状況が一気に緊迫したことはミリエールも理解した。一方に拘わっている間に他の二方から攻められたら確かに対応が難しいだろう。
朝食の席でアビシウスは難しい顔をしていた。健啖家の彼が珍しく食が進まないようだ。事態を憂慮しているのであろう。
それを見てミリエールは悟った。
今こそ私の出番であると。ミリエールは立ち上がって言った。
「アビシウス! 北へ向かいなさい! 他は何とかするから!」
アビシウスは目を丸くする。
「どういうことなのだ?」
「三方の敵のどれに対応したらいいか、迷っているのでしょう? そんなの、一番面倒な相手をやっつければいいのよ。簡単じゃない!」
アビシウスは呆気に取られ、次に思わず笑う。
「なるほどそれはそうかも知れぬ。私とした事が難しく考え過ぎていたな」
確かに連合軍の主力にして根っこはサザラーム王国軍である。あれを切り取れば他の二王国軍は継戦能力を失うだろう。
「しかし、私がサザラーム王国軍に集中した後に、二王国軍が王都に殺到するかも知れぬぞ? どうする?」
どうする? とは言ったが、アビシウスはその答えを予測していた。ミリエールなら……。
「そんなの私に任せておきなさい! そんな連中、王都に近付けもしないわよ!」
アビシウスは大きく頷く。その表情からは憂いが晴れ、彼本来の覇気のある目付きが戻ってきていた。アビシウスは立ち上がった。
「よろしい。王都は君に任せよう。私は北へ向かう。よいな」
ミリエールは夫の覇気を心地よく感じながら、スカートを大きく広げて頭を下げた。
「お任せください。存分に戦って、そしてお勝ちあれ。王よ」
二人は見つめ合い、ニヤッと笑って、そしてテーブルを挟んで両手を伸ばすと、拳を軽く打ち合わせたのだった。