第十一話 ミリエールの放牧計画
キュロッシア王国は大陸の中央に位置する内陸国だ。
王国の産業は平地を生かした農業が主である。それと東西、南北を通る街道が王都で交差するので、交易も重要な産業となっている。
東にルベシア帝国がある他、西にはアスコム王国、北にはサザラーム王国、南にはヤルク王国という国がある。この中で一番大きな国がルベシア帝国で、次がキュロッシア王国。キュロッシア王国はその他三つの国よりも大きく豊かである。
帝国以外の三王国は、かつては同じ王家から分かれた国であり、かつては強い同盟関係にあった。その同盟の仮想敵国は強大な帝国であった。
しかし、キュロッシア王国と帝国との十年にも及ぶ戦争の間、周辺諸国は基本的には沈黙を守っていた。
中立を守っていたと言えば聞こえは良いが、王国のために援軍を出す事も支援をする事もなかったのである。つまり傍観だ。
キュロッシア王国と帝国が共倒れ、もしくは死力を尽くして戦った両国が衰えたら介入して漁夫の利を得ようという考えだったのであろう。姑息だが悪い考えではない。
しかしキュロッシア王国は帝国に勝利。三王国の思惑は完全に外れてしまう事となった。
この事でキュロッシア王国は現在、他の三王国とはほとんど絶縁状態にあり、逆にかつての敵国と同盟を結ぶに至っていた。
帝国と王国の中では最大のキュロッシア王国の同盟は周辺諸国にとっては非常な脅威となってしまったのである。そのため、三王国は慌てて同盟を結んでキュロッシア王国と対峙するようになっていて、アビシウスにとって頭の痛い問題となっていたのである。
アビシウスとしては三王国と争うつもりはないのだが、キュロッシア王国が帝国を単独で撃ち破り国威を高め、多額の賠償金を獲得し、帝国の皇女を娶って帝国と同盟した王国が、他国からは脅威に映ることは理解していた。
アビシウスに言わせれば帝国と同盟したと言っても、いざという時に帝国に軍事援助を求められるかは微妙であるし、そもそもミリエールから聞いた帝国の内情からしてその余裕があるとも思えない。
逆に王国としても帝国から軍事援助を求められても現状では難しいと言うしかないのが実情だった。同盟の脅威など幻想に過ぎないと三王国に説明したいところだ。
ただ、アビシウスは気が付いていなかったのだが、この時期、王国は急速に国力を拡大していたのである。
まず、戦争が終わり、特に脅威だった東の帝国の事を心配する必要がなくなり、東部の領主たちはそれまで防衛や警戒のために費やしていた予算や人員を農業や産業に回すことが出来るようになった。
戦後二年もするとその効果は如実に表れ出しており、王国東部は非常に豊かになりつつあった。
同時に、戦争の終結は交易の再開であり、特に東の帝国との関係良化は東西交易の活発化をもたらした。
それに加えてミリエールが王国内部の盗賊を一掃してしまった。これを喜んだのが交易商人だった。商人たちは安全になったキュロッシア王国を通過するルートを多用するようになり、交易の十字路だった王都に中間交易拠点を持つようになった。
活発な商取引は産業の活性化を呼び込み、おかげで王都は人手不足で困る事になったのだが、ミリエールの発案をヒントにアビシウスは王都城壁の外側に新市街の建設をしていた。流民はとりあえずここに住まわせ、素行が良ければ王都の市民権を与える事にしたのだ。
それを聞きつけた周辺諸国の住処を持たない流民たちがこぞって王都に押し寄せたのだった。流民は好きで流民をやっているのではない。戦乱に巻き込まれたり圧政から逃れるためにやむを得ず家を失った者たちなのだ。
住処をもらえて仕事を得られて、真面目にやっていれば市民権を得られるとなればそれは集まってくるに決まっている。王都の人手不足は急速に解決しつつあった。
ちなみにこの政策の予算には帝国からの賠償金が充てられていて、王都に人が集められたのは戦争の勝利のおかげだという側面がある。
つまり周辺諸国から見れば、キュロッシア王国は戦争の勝利のおかげで国力を急拡大していると見られるわけである。
戦争で利益を得たのだから、更なる利益を得ようと、勢いに乗って次なる戦争を企むのではないか? と疑われても仕方がない。
周辺諸国にはキュロッシア王国が苦闘している間、救援や支援の要請を黙殺したという弱味もある。アビシウスがそれを理由に戦争を仕掛けてきてもおかしくないと考えたのだ。
周辺諸国のそのような疑心暗鬼をアビシウスはまだ察し切っていない。ましてミリエールにとっては全く想像の外の事であった。
◇◇◇
ミリエールの興味は王国の辺境に移っていた。
ミリエールは王都周辺だけでは飽き足らず、王国の色んな地方を見て歩くようになっていたのだ。
そもそもが好奇心旺盛であるし、腰も軽く、遊牧民出身なので天幕での生活も苦にしない。サリューシアと少数の護衛を付けてミリエールは何日も泊まりで王国中を旅して回った。
王妃が王都を離れて遊び歩くのはいかがなものか、という意見もあったものの、アビシウスはミリエールのやることは無条件で支持したので、大きな問題にはならなかった。
ミリエールは領主の現地屋敷を訪れて、そこで領地の問題を聞き取りしたり、現地で調べたりして、王都に戻った時にアビシウスにフィードバックしたりもしたので、まるっきり遊び歩いている訳でもなかった。
そのため、地方の領主からは「わざわざ王妃が視察に来てくれた」と感謝されたくらいである。
ただ、サリューシアにはミリエールが王都での生活に飽き始めた事が分かっていた。彼女は基本的に飽きっぽくて移り気だ。夢中になると凄まじい集中力を発揮してなんでもこなす一方、簡単に飽きて放り出してしまう。
王妃の仕事はミリエールの一生の仕事なのだから、飽きてもらっても困るのだ。なのでサリューシアはアビシウスと相談して、ミリエールに地方の問題解決という新たな興味を与える事にしたのである。
そうしないとミリエールが何に夢中になってしまうか分からないからだ。その辺の操縦方法は長く姉代わりをやっているサリューシアはよく弁えている。
実際、ミリエールは地方視察を満喫していた。
結局、自分は根っからの遊牧民気質で、同じ所にいるのが嫌いなんだろうな、とミリエールは思う。
これが「絶対王宮から出るな!」と厳命するような相手が夫だったら、ミリエールは反発して飛び出したか病気にでもなってしまっただろうと思う。アビシウスは彼女にとって理想的な夫だったのである。
そういう夫のためなら王妃を頑張るわ! と張り切るミリエールなのだった。
王国の西部はアスコム王国と接している。アスコム王国とは長く同盟関係を結んでいた事もあり、この二百年、国境は平穏である。
ただ、この国境一帯は大きな河が流れておらず、台地にもなっていて水気が少なかった。
そのため、大きな木が生えない草ぼうぼうの荒地のままで人も住んでいなかった。そんな土地だから領有している貴族もおらず、王家の所有地扱いで放置されていたのである。
王国が領有しているのは王国創設時に領地分割された時に含まれているから仕方なくである。アスコム王国も欲しがらぬ土地だから平穏であるのかもしれない。
ところが、この荒地を見たミリエールはキョトンとした顔で言った。
「なんでここ、放置されてるの?」
案内人である近隣に領地を持つ貴族は少し呆れたような表情をした。
「ご説明申し上げました通り、水が確保出来ず、耕地に向かないからです」
「それは分かるんだけど……」
ミリエールは首を傾げながらグルーっと野原を見回した。見渡す限り草と低木しかない荒地だ。
彼女にとって馴染み深い風景に似ていた。
「放牧できないの?」
「放牧?」
案内人の貴族は戸惑う。何を言われたのか分かっていないのだろう。ミリエールは続ける。
「馬でも羊でも山羊でも放せばいいのに。これだけ広いんだからねぇ?」
ミリエールがサリューシアに同意を求めると、元々が遊牧民のサリューシアも頷く。
「そうですね。馬五百頭くらいなら普通に養えそうな草原ですけども、どうして放置されているのでしょうね?」
遊牧民族二人は首を傾げたのだが、これは王国人には理解できない話なのである。
王国人も牧畜はするが、それはあくまで農耕の片手間だ。休ませている土地に牛や山羊を放して育てるのくらいのことなのである。
なので農耕に適さないこの地には人が住まず、従って牧畜も行われない。牧畜を専業にしているところなど、王国では軍馬飼育を行なっている王家の牧場くらいのものだ。
そもそも王国人には草原での放牧のノウハウがない。ここで放牧をしろと言われてもやり方が分からないだろう。
その辺のことを案内人の貴族や護衛の騎士が説明すると、しばらく考えたミリエールはポンと手を打った。
「なんだ。それならおあつらえ向きの人員がいるじゃない」
盗賊に堕ちていた帝国の遊牧民を懐柔した時に、帰国を希望しない遊牧民は王家の牧場で牧童として雇ったのだ。
その彼らをここに連れて来て放牧させればいいのだ。彼らも放牧生活が出来れば喜ぶだろう。
とミリエールはあっという間に決定して、急いで王都に戻るとアビシウスに相談した。アビシウスもかなり驚いた。
「あの土地にそんな使用方法があるとはな。分かった君に全て任せよう」
任されたミリエールは王家の牧場に雇われた遊牧民の希望者(牧童のままの方が良いという者もいたので)を連れて荒地へと向かった。
荒地はミリエールの故郷の草原と違うところも多々あった。放牧と言っても水場は必要だし暑さや寒さを凌ぐキャンプ地も必要だという事でミリエールと遊牧民達は一ヶ月掛かりで現地調査を行った。
そしてどうやら行けそうだということになり、まずは王家の牧場から馬を数十頭連れていき、放牧を試してみることになったのである。
元々遊牧民だった者達が喜んだのは言うまでもない。荒地は王家の所有地という事になっていたので、彼らの扱いは王家の軍馬飼育員という事になった。
ミリエールが嫁入り時に連れて来た馬達もここで繁殖させ、ゆくゆくは戦争の時にその神出鬼没の機動性に散々悩まされた、帝国の軽騎兵のような兵科を育成しようとアビシウスは考えていた。
馬以外の家畜も放牧したので、王国のこの西部国境の一帯は、数年で一大家畜放牧地域となり、馬や乳製品、羊毛や肉などを産出して王家に大きな富をもたらす事になったのである。
ただ、王国がここを放牧地にした事はアスコム王国を刺激した。
何しろ国境付近を帝国の遊牧民が馬を追って走り回っているのである。帝国の遊牧民の軽騎兵といえば有名だ。アスコム王国としては落ち着かぬ思いだったのだろう。
馬の育成は軍事増強と同意だ。帝国と結んだキュロッシア王国が帝国のやり方を取り入れて軍備増強を始めた、と考えられてもおかしくはない。ミリエールにそこまでの思惑はなかったとしても、元々キュロッシア王国を脅威に感じているアスコム王国は強く刺激されてしまったのである。
その結果、アスコム王国はわざわざ使者を送って抗議の意を示してきた。国境を騒がす行為は止めるようにと。
ただ、アビシウスにしてみれば、自国内をどう利用しようと勝手であるし、ミリエールに任せたからにはその行動を自分が保護するのは当然だとも思っている。
戦争の時に再三の要請にも関わらず援軍を送って来なかったアスコム王国を快く思っていないという事もあって、アビシウスはけんもほろろにこの要請を跳ねつけた。
しかしこの事で、アスコム王国との関係が悪化。その他の王国もアビシウスに警戒心を高める結果になってしまった。そのことが後の重大な事態の遠因となるのである。