第一話 嫁取り
キュロッシア王国の国王、アビシウスは緊張していた。
彼は壮麗な王宮の前で到着する客人を待ち構えていたのだ。珍しいことである。国王が来客を出迎えるなど。普通、王は王宮の奥深くの謁見室でもったいぶって客人の前に現れるものだ。
しかしこの時ばかりはそうはいかなかったのだ。それもそのはず。彼が待っていたのは自分の花嫁だったのである。
髪の色は濃い金髪で目は青い。長身で筋肉質な国王に相応しい堂々とした体格と凛々しい相貌。国民の敬愛を一身に集める若き王。そんな彼が二十五歳の今まで未婚だったのには理由がある。
王国はつい数ヶ月前まで、隣の強国であるルベシア帝国と大きな戦争をしていたのだ。
国境の村同士の争いに端を発したこの戦争は非常に大規模なものになってしまい、その期間はなんと十年に及んだ。
戦争開始時には皇太子だったアビシウスは軍を率いて戦場を駆け回り、王都にほとんど帰れない有様だった。おまけに病弱だった父王は二年前に崩御。アビシウスは戦場で戴冠をする羽目になった。
厳しく苦しかった戦いも、数ヶ月前に行われたホイセー会戦にて王国が大勝した事で決着がついた。和平が行われ、王国は帝国から多額の賠償金を獲得したのである。
そしてその和平条件の一つに「帝国の皇女が王国の国王に嫁入りする」というものが含まれていたのだ。最初その条件を聞いた時、アビシウスは首を傾げた。
「なぜそのような条件が必要なのだ?」
和平案をまとめに行った大臣たちもやや困惑気味に言った。
「どうも帝国の風習のようです。和平の際は婚姻を執り行うというのが」
帝国としては負けて皇女を嫁に出すというのはかなり屈辱的な事であるらしく、前代未聞の事であると交渉の席で何度も強調したらしい。
アビシウスとしてはならばそんな嫁などいらぬと言いたい所であるが、断ればそれはそれで帝国のプライドを更に傷付ける結果となるだろう。
勝ったとはいえ王国の内情はかなりボロボロで、これ以上の戦争には耐えられない。
なのでアビシウスとしては嫁を突っぱねて戦争が再び起こるくらいなら、甘んじて見も知らぬ皇女を娶る事を甘受せざるを得なかったのである。
……しかし、そのミリエールという皇女も不憫な事だ。アビシウスは少し同情する。完全に帝国の都合で、帝都から馬車で一ヶ月も掛かるらしい王都に嫁いでくるのだから。
まだ若い姫らしいから泣いていなければいいが。そんな心配までしていた。
……しかし、遅い。
アビシウスは姫の乗った馬車列が王都の城門を通過したと連絡を受けてから王宮の前に出迎えに出たのである。
城門から王宮まで、いくら王都が広いといえど、馬車なら一時間とは掛からず着く筈ではないか。しかしアビシウスはもう二時間ほども待たされているのだ。
「一体どうした事なのだ。誤報という事はないのだろうな」
「そのような事はないと存じますが……。道に迷ったのかも知れぬと思い、道案内を向かわせております」
側近のレルベルも困惑したような口調で言った。
いくらなんでも城門で案内は付けた筈だが……。アビシウスは不安が拭えない。……もしかして王都の民衆に姫の車列が襲われてでもいたら一大事である。
何しろほんの数ヶ月前まで王国と帝国は戦争をしていたのだ。十年にも渡って。王国の住民にはまだまだ帝国に対する恨みと敵愾心が渦巻いているのである。
姫の車列が帝国からのものであると王都の市民が知ったら、戦時の恨みを晴らさんと姫を襲うかも知れない。
その可能性に気がついたアビシウスは焦り出した。
「おい! レルベル。私の馬を引け! 私が姫を助けに行く!」
「は? 何を言い出すのですか? 落ち着いて下さい、王よ」
「しかしだな……!」
レルベルと押し問答をするアビシウス。その時、静かな王宮に馬蹄の音が響き渡った。
一騎の騎馬が、よく手入れされた王宮の庭園を蹴散らかしながら、一直線にアビシウスの方に駆けて来たのだ。
一瞬硬直したアビシウスだが、彼とて戦場で何度も死線を潜り抜けて来た男である。すぐに我に返ると自分の長剣を抜き放つ。
レルベルも護衛の騎士も剣を抜き、王を守らんと騎馬の前に立ち塞がる。王宮の庭に緊張が満ちた。
しかし騎馬は王たちの目前で一瞬、後ろ脚だけで竿立ちになると、アビシウスの間合いの目前で停止した。
鹿毛の、小さな馬である。帝国の騎兵は小型の馬を駆る。するとこれは帝国の騎士だろうか。どうやって王宮の中まで……。
何奴か! とアビシウスは威嚇と誰何の叫びを上げようと一歩前に出た。剣は油断なく構えている。
しかし彼が叫ぶ寸前、彼に向けて騎馬の上から、場違いに華やかな声が掛かった。
「あなたが私の夫になる人ね!」
……は?
さすがのアビシウスも唖然とする。
しかし、馬上の人物。赤地に金糸でびっしりと刺繍された外套をまとい、薄衣のヴェールを被ったその小さい人物は、赤い唇を大いに笑わせて再び叫ぶ。
「私があなたの妻になるミリエールよ! よろしくね! 旦那様!」
◇◇◇
アビシウスは玉座の上で頭を抱えていた。
「……それで、要するにどういうわけなのだ?」
王宮の謁見室。三段の階の上に玉座があり、その前には赤絨毯。そこには十五人の男女、帝国からの使者がいた。
その一人、初老の人物がオロオロしたように言う。
「で、ですから、王都に入ったところで姫が馬車から飛び出して、護衛の騎士の馬を奪って逃走してしまいまして……。とんだご迷惑を……」
アビシウスはズキズキ痛む頭をもう一度押さえた。
「それはもういい。それよりその娘は本当に皇女なのか? 皇女が馬車から脱走するというのがまずもって信じ難い。帝国は私を謀ろうとしているのではあるまいな?」
王国で貴族のご令嬢といえば、歩く時も俯いて静々歩くのが良しとされるようなお淑やかな女性であるのが当たり前である。
乗馬が趣味の令嬢もいるが、それは脚を揃えて横座りで乗り、従僕に牽かせて歩くだけだ。馬に跨って疾走させる令嬢など聞いた事がない。
まして王国以上の大国である帝国の姫君が、馬で脱走して王都の各所で騒ぎを起こした挙句、王宮の門の護りを飛び越えて乱入して、国王の前に騎馬で乗り付けるなど……。
「正直信じ難い」
というのがアビシウスの偽らざる感想である。
「何を無礼な!」
と涼やかな声を上げたのが問題の少女。皇女である筈のミリエールであった。
濃い青に金糸でびっしり刺繍された華麗な長衣を纏っており、先ほどの馬上姿と違うのは謁見に臨む前に着替えたのだろう。頭には花飾りの付いた薄桃色のヴェール。金に様々な色の宝玉を嵌め込んだアクセサリーで全身を飾っており、華やかな、女性的な、皇女に相応しい佇まいになっている。
……のは良いのだが、アビシウスには先ほどから気になって仕方がない事があった。彼は少女に尋ねた。
「……そなた、ずいぶん歳若いように見受けられるが、幾つなのだ?」
髪は艶々とした黒色。肌は少し焼けた色で、唇は紅を差してあるのか鮮やかに赤く、翠色の瞳は大きくぱっちりしている。鼻筋も美しく輪郭も滑らかで、類まれな美少女である、とは言えると思う。
が、背は低く細く、身体にはあまり凹凸がない。それは十代から戦場にかまけてきたアビシウスは女性経験が豊富とは言えず、姿形から女性の年齢がピタリと分かるとまでは言えないが、どう見てもミリエールは少女、子供、自分よりかなり歳下だと思えるのだった。
案の定、ミリエールは堂々とこう言い放った。
「十三歳よ!」
後で判明したがこれは数え年であって、王国風の満年齢でいうと十二歳になる。
……アビシウスはうぬぬぬっと溜めて思わず叫んだ。
「子供ではないか!」
王国では貴族令嬢は十五歳でデビュタント、社交デビューを行ない、その歳から結婚を許されるようになる。
つまりそれ以前の年齢の娘は子供と看做され、まだ結婚出来ないのである。
ミリエールは十三歳(実は十二歳だったわけだが)まだ二年も早い。
「どういう事なのだ! 帝国はどういうつもりでこのような子供を私に娶せようとするのだ!」
アビシウスは怒りに任せて戦場で鍛えた大音声で大喝したので、帝国の使節はほとんど全員が腰を抜かしてひっくり返った。
しかし当のミリエールだけは憤然と眉を怒らせ、怒鳴り返した。
「失礼ね! 私は子供じゃゃないわ! もう子供を産める身体になってるってお母さまも言ってたもの!」
つまり初潮はもう迎えているという事だろうしかしながら王国ではそれだけでは大人扱いされないし、結婚は出来ないのだ。
アビシウスは頬を引き攣らせた。
「未成年の娘など娶れぬ! 連れて……」
「お待ちあれ! 王よ!」
レルベルが階の上まで飛んで来て言った。
「どうか、国家の大事を私情で誤りなさいますな!」
これにはうぐっと、アビシウスも声を詰まらせざるを得ない。
この婚姻は和平の条件なのだ。しかも、相手の帝国にとっては屈辱的な婚姻だという。
それを事もあろうに「嫁が気に入らないから連れて帰れ!」などと王国の王が叫べば、帝国は名誉を傷付けられて激憤し、必ずや復讐戦を挑んで来る事だろう。
そうなれば王国はもう勝っても負けても破滅するしかない。王国にはもう戦争を戦う余力など残されてはいないのだ。
「王よ。どうかお気を鎮めたまえ!」
「し、しかしだな……」
アビシウスは戸惑う、これは王国の大事ではあろうが、アビシウスの名誉にも関わる問題だ。
やむを得ない事情があるとはいえ自分より十二歳も下の(実は十三歳下だったのだが)娘を嫁になど貰ったら、彼にはたちまち「幼女趣味」のレッテルが貼り付けられる事になるだろう。
とんでもない話だ。そんな不名誉はさすがに甘受しかねる。なにしろ彼は強大な帝国を相手に一歩も引かず、ついに撃破った名将として称えられているのだ。
その栄誉が結婚の過ちで地に落ちるなど甚だ馬鹿馬鹿しい話ではないか。アビシウスには何の責もないのだから尚更だ。
しかしながら、確かにけんもほろろに追い返したりすれば、帝国との戦争が再開してしまうのは事実だった。問題は断り方だ。どうも帝国の者たちの様子からして、十三歳(実は十二歳)の娘を嫁がせるのは帝国的には問題のない行為であるらしい。
それでは年齢を理由にしては断ることができないという事になる。アビシウスは考える。それなら違う方向から攻めるしかなかろう。
「そもそも、ミリエール嬢が、本当に皇女であるという証拠があるのか? 皇女が馬に乗って駆け回るなどいささか信じ難い」
アビシウスが言うと、帝国の使節の者たちが何人か「もっともだ」と頷いた。どうやら帝国でもミリエールの振る舞いは常識的なものではないらしい。
しかし、使節の中で一番立場が高いらしい初老の男は、何という事もなく頷いて言った。
「それは間違いございません。ご覧あれ。王よ。ミリエール姫の瞳を」
ミリエールが誇らしげに顎を上げる。爛々と輝くのは彼女の独特な翠色の瞳だった。よく見ると、単純な色ではなく、複雑な輝きを放っているのが分かる。
「ミリエール様の瞳こそ『虹の瞳』と申す、帝国の皇族の特徴でございます。これぞ、なによりの証」
何でも、この瞳の色は皇族の、しかも帝室に近い家にしか発現せず、もしも帝室に生まれても、この瞳を持っていないと帝室の一員とは認められないというほど重要視されているのだとか。
「ミリエール様は間違いなく、第三王妃のフェルシャーレ様のご長女であり、偉大なる皇帝陛下ガフシェリア様の第三皇女でございます」
王国には重婚の風習はないが、帝国の王侯貴族は何人もの妻を持つのが普通らしい。王国人であるアビシウスには理解が難しいが、ミリエールの母は帝国ではきちんと王妃として尊重される立場であるようだ。
「なるほど、それは分かったが、それにしては、この娘の振る舞いはあまりにも皇女らしからぬのではないか?」
皇女だとしても重要視されず、ほっぽらかされて庶民同様に育ったのではないか? 王国に嫁がせるならそんなあまり物の皇女で十分だと考えたのではないか? と暗に匂わせる。
帝国の使節長は顔を汗だらけにしながら、しどろもどろに言う。
「い、いえ、そのような事は……」
するとその時、ミリエールが鈴の鳴るような声で言った。
「なんだ。旦那様は礼儀正しいお姫様が好きなの? 戦場で『王国の白い獅子』なんて呼ばれる英雄にしては普通の娘がお好みなのね」
どうやらアビシウスは帝国ではそんな二つ名で呼ばれているようだ。ちなみに王国では彼を「英雄王」とか「勝利王」なとど呼ぶ者もいる。
正直、武骨者のアビシウスには女性の礼儀作法の良し悪しなど分からないのだが、ここはミリエールを挑発する意味もあって言った。
「ああ、王妃ともなれば礼儀作法も知らぬような女では困るからな。そなたのような無作法者では……」
その時、ミリエールがスッとアビシウスの方に進み出た。一瞬、アビシウスが身構えかけたほどそれは威圧的な動きだった。
いや、違う。それは気品だった。それまで確かに子供の無邪気さを発していた筈のミリエールの気配が一変していたのである。
すらっとした美しい姿勢。威厳のある、それでいて慈愛に満ちた表情。そして彼女は長衣の裾を羽のように広げながらアビシウスを見つめた。
「ルベシア帝国の皇女ミリエールがキュロッシア王国の国王アビシウスにご挨拶を奉ります。ご機嫌よう。アビシウス様。以後、よしなに」
そしてニコッと、先ほどの明け透けな笑い方とは大違いな大人ぽい、妖艶な笑みをアビシウスに投げ掛けたのだった。
ミリエールあまりの変容ぶりにアビシウスは魔術にでも掛けられたのではないかと疑った。思わず剣に手が伸びそうになってしまう。
「そ、そなた……」
しかし次の瞬間、ミリエールの雰囲気が再び一変する。
彼女は腰に手を当て、薄い胸を反らしてフフンと大いに笑った。
「どう! 私だってお母様からちゃんとお作法は教えてもらったんだから、やろうと思えば出来るのよ!」
そう誇った彼女はすでに年相応の子供に戻っていた。色気も威厳も欠片もない。楽しげな翠色の瞳がアビシウスをまっすぐに見詰めている。
……一体どういう事なのだ……。アビシウスは天衣無縫な婚約者を見下ろしながら途方に暮れたのだった。