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第1話「祈りの声」

朝霧が、山の稜線をなぞるように流れていた。  谷あいに沈むノエル村は、世界から切り離されたような静けさに包まれている。陽が差し込む気配すらない朝は、まるで村全体が深い夢を見ているようだった。


 焚き火の細い煙が、小屋の隙間から立ちのぼる。鶏が一声鳴き、それに応じてどこかの犬が吠えた。霧の中に、かすかな生活の音が散っていく。


 シュウは、村の外れにある小さな畑に一人で座っていた。


  そのとき、ポケットの奥に触れた硬い感触に気づいた。  古びた金属片──今でも手放せない、かつての持ち物。


 小さな基板のような形をしていて、何の機能があるのかはわからない。  目覚めたとき、唯一ポケットに入っていたもの。  レイジがそれを拾ってくれたと聞いた気がする。


 その表面には、手書きでアルファベットのような文字が掠れて残っている。  『N』──いや、もしかしたら『M』かもしれない。


 指先でなぞるたびに、遠い記憶の霧が揺れる。だが、それはすぐに溶けてしまう。  冷えた土に指を入れ、細く伸びた草の根を引き抜いていく。作業に集中しているわけではない。ただ、手を動かしているだけ。それでも、動いていないと落ち着かなかった。


 ここに来て、もう2年になる。


 あの日、山の向こうから彷徨うようにしてこの村にたどり着いた。全身傷だらけで、名前すら満足に思い出せなかった。  それでも村人は、自分を見捨てなかった。寝床を与え、畑仕事と狩りを教えてくれた。恩がある。感謝もしている。


 それでも、どこかで感じる。  自分は、この村の「内側」にはいない。  声をかけられることは少ない。名前を呼ばれることも、滅多にない。


 誰かと話すよりも、静かな土の匂いに包まれていたほうが、ずっと気が楽だった。


 草を抜きながら、ふと空を見上げた。  雲は薄く、淡く、まるで溶けかけた記憶のように流れていた。


 そのとき、背後から声が飛んできた。  「おーい、シュウ!」


 振り返ると、レイジがいた。  狩りも畑もこなす、同年代の若者。村の男たちの中では珍しく、気さくに話しかけてくれる数少ない存在だ。  彼とは何度か狩りに出たこともあるが、親友というほどの距離ではない。


 「今日、北の林に罠を仕掛けに行く。手、貸してくれ」


 シュウは無言でうなずく。  言葉がなくても、それで十分だった。


 レイジと並んで歩きながら、朝の山道を進む。霧は次第に晴れ始め、村の輪郭がゆっくりと浮かび上がってくる。


 ふと、村の北側、森の先に見える灰色の影に目が留まった。  ──遺跡。


 ノエル村の誰もが「近づくな」と言う場所。石と鉄がむき出しになった巨大な瓦礫の山。その中心に、崩れかけた塔のような構造物がひっそりと立っている。


 誰も、あそこに何があるのか知らない。  知っていた者たちは、皆……もう、いない。


 レイジがふと立ち止まり、ちらりと空を仰いだ。 「そういえば、今日だったな。2年前──お前が村の外れで倒れてた日」


 シュウは、そうだったか……と曖昧に返しながら、ポケットの中の金属片をそっと握りしめた。  何かを思い出せそうで、思い出せない。  「気になるか?」


 シュウは首を振った。  レイジはそれ以上は何も言わなかった。


 それが、今日という日を静かに切り裂いた。


 突如、空を裂くような音が響いた。


 雷でも風でも、獣の声でもない。耳に残るような、鉄がねじれる音。


 ──何かが、落ちてくる。


 ふたりは顔を見合わせ、そして走り出した。


 ノエル村に、火の手が上がっていた。


 燃える屋根、悲鳴、走る影。  何が起きているのかもわからないまま、シュウは本能で走った。


 レイジとは途中ではぐれた。目の前に迫る黒衣の襲撃者、振り上げられた刃。  森へ、森へ。ひたすら逃げた。


 足元をすくわれ、転がり落ちた先にあったのは──あの、遺跡だった。


 崩れた石壁の裂け目に、身体を滑り込ませる。  暗い。湿っている。何も見えない。


 シュウは息を殺し、手探りで壁を背に身を縮めた。  鼓動がうるさい。足が震える。どこか遠くで、村が壊れていく音がする。


 ──そのときだった。


 指先に、冷たい金属の感触。  何かが落ちている。細長い、平たい……


 手のひらに乗せると、それは冷たく、つるりとした金属の板だった。 角ばった長方形で、片面にはひび割れた透明な何かが覆っている。 ただの金属片ではないと、直感でわかった。


 その奇妙な板は、まるでかつて何かを映し出していたかのようだった。  今は沈黙しており、どこにも光はなかった。


 そのとき、ポケットの奥に触れたバッテリーの感触。  ──いつも、持っていたもの。  理由もなく、ずっと捨てられなかった。


 迷わず、それを金属の板の背に滑り込ませる。


 ……カチリ。


 小さな音がして、画面が光った。  画面の中に、ひとつの“瞳”が浮かび上がる。  淡い、青の光。


 静かな、けれど確かな声が、闇の中に響いた。


 「……起動条件、確認。  端末接続完了。形式:スマートフォン、旧世代通信型デバイス。  あなたを生かすために、私は起動しました」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


村の静けさの中に差し込まれる“異物”──それが、物語の始まりです。


金属片、眠る声、そして「あなたを生かすために、私は起動しました」。


次回、シュウはこの“声”と出会い、世界の表層を越えて歩き始めます。


ここから、彼の記憶と運命が、静かに、しかし確かに動き出します。

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