外資戦コンの俺が異世界に行ったらブラック企業文化最強だったから苦労した話
目をキラキラさせた入社希望者の女に最寄りのコンビニの1日の売上を推定させ、甘々なロジックをボコボコにしてから俺はひとりで飲みに出かけた。誘った同僚は細かくて有名な上司からたんまり宿題をもらっちまって無理だと言った。
で、それからのことは……ともかく目が覚めたら、横に小柄な女が座っていた。
「勇者様、お目覚めですか」
意味が分からず起き上がって周囲を見渡す。酔ってベッドインみたいなロマンチックな話ではないらしい。なにせここは森だ。しかも朽ち果て苔むした石造りの遺跡の如き建物まである。なんだこれは、ゲームと現実の区別がつかないヤバめのメンヘラ女に拉致監禁された……わけでもないらしい。
改めて、隣の女を見る。割りと賢そうな顔をしているが、胸は絶望的に小さい。いや、それは関係ない。耳が尖っている。……なんか色々と思い出してきた。これがエルフってやつか。ラノベには詳しくない俺だって知ってるぞ。
「おはようございます。私はハイロル王の娘、サロダ姫」
いきなり身分マウントかよ。でも、王国ってことは権威主義国家ってことだろうし、そういうものか。
「見慣れぬ服装、どちらからいらっしゃたのでしょうか」
まあそうだろうよ。少しシワがついているが、高級百貨店の伊丹勢でフルオーダーした数十万のダークスーツ。摩耗に弱い高級生地だから、森で着るようなものでは決して無い。対して、サロダ姫とやらは青いケープの下に、薄い鱗ような白い鎧(バッキバキに腹筋が割れていると空目してびびったのは内緒だ)を着ている。オゥ、イエス。ザ・中世ファンタジー。
さっきから何もしゃべってないので、俺は少し話すことにする。こんなわけわかんない状態でも、役員プレゼン中に上司からの無茶振りを捌いてきた俺だ。薄い余裕の笑みさえを浮かべて言う。
「ええと、これは失礼しました。私もどこだか分かっておらず。恐縮ですが、ここはどこなのでしょうか」
「ハイロル王国の東の果てです」
「そうですか、東ですか」
俺はすかさず、もっと細かい地理のことを聞いていたんだぞ、という風にも見せて起き上がる。ハイロル王国が何なのか、ここに送り込んだ巨乳タヌキ顔の女神から聞いてねえんだけどな。
ああ、そうだ、だいたい思い出した。だが、どうでもいい話だ。女神ってだけでだいたい想像付くだろう?
一応軽くサマリーしておくと、比恵寿っていう男女の薄暗い欲望をピカピカにラッピングしたような街の会員制ラウンジ――30分起きに接待する女性キャストが入れ替わるシステムで席を立たせたくないなら花を一輪花瓶に差し入れる(そして指名料を取られる)という気取った店――でしこたま酔っ払った帰り、俺は死んだ。繁華街なのに見すぼらしい猫がいて、車に引かれそうで危ないから追い払おうとしたら大型トラックに轢かれたのだ。
そして目が覚めた時、雲上に造られたパルテノン摩多みたいな歴史の威厳を感じさせぬ神殿のような建物の前に俺は立っていて、目の前に女がいた。あんまり頭が良くなさそうなタマヌ顔はいいとして、胸がデカいうえに際どいスリットが入ったドレスは太陽の下ではなかなかに微妙だった。こういうのは夜の店で見るに限る。
「おお、猫を助けようとして死んでしまうとは情けない」
聞き飽きた言い回しのあと、世界を司る女神だと名乗った露出過多の女から、炎上プロジェクトで心身と髪を擦り減らしてばかりのマネージャーからのブリーフィングよりも雑な世界の紹介があった。それからチートスキルをご頂戴いたしまして、ここに転送されたってわけだ。
そして、俺はこれまで変な女の膝の上で寝ていたようだ。さて、この女、なかなかに冷静だ。王族だしな。生まれ育ちの良いやつは頭がいいことも多い。ここは気を引き締めていこう。
「ハイロル王国をご存知ないのですね」
こいつッ! 曖昧にした部分を初手で突いてきた。でもまあ、正しい。自分が知らないことを指摘されるのはムカつくが、知ったかマンでは付加価値は出せない。ここは素直に聞いて好感度アップだ。
「はい。恥ずかしながら、記憶が混乱しているようでして……」
「もし違っていたら申し訳有りませんが、混乱というより、もともとお持ちではない。異世界から来られた方なのではないでしょうか」
「!?」
これは決定的。圧倒的な知識差があるのは確定的に明らか。ここは素直に従おう。
「え、ええ。そうかもしれません。今私が話している言葉も、その使っていながらおかしなことを言うようですが、知らない言語です」
「それはまさに女神様がお導かれになられた証拠。世界が違うのであれば仕方のないことです」
「本校にここは違う世界、なのですね……。ただ、あなたは私のような方をご存知なのですね」
そう。そういうことになる。女神は言ってなかったが、きっと何人もの異邦人が来ているのだ。あれ、ここはあの世なのかな?
「はい。直接は存じ上げないのですが」
「そうですか。まったく左右も分からない状態でして、宜しければ色々と教えていただけませんでしょうか」
俺はとりあえず、知識を深めることを目指す。まずはこれが最適解だろう。
「分かりました。出来る限りのことをさせていただきます。ただ……何と言いますか、その、大変、大変不躾けなのですが、とても大事な確認をさせてください」
「? はい、なんなりと」
「それでは腰にお召し物を取って、パイルバンカーをお持ちか見せていただけませんでしょうか」
なにをいっているんだこいつは。
「以前、男性とお見受けした方を勇者とさせていただいたのですが、実はパイルバンカーをお持ちでいらっしゃいませんで」
バンカーバンカー、うるせえぞ。
「それでパイルバンカーをお持ちでない、男ではない方は勇者に推挙できないと。女は聖女の私がいますので対になれず、世界は救えませんと。それが自然の摂理だとお伝えしたのですが……なかなか自分は男だと、ご納得いただけませんで」
「ええと、その彼女というか、彼は心と身体が不一致というか」
「はい、そういう方でした。別にご自分のことをどう思われようと自由なのですが、救世の魔法は仕組みからして難しいのだとお話したところ、烈火の如くお怒りになられまして。それで、お前は正しくない、意識を変えろとか」
「……それで、その人は」
「考え方の問題ではなく原理的に勇者が無理だと分かるとあっさり女性に戻ってしまいまして、とても美しい方ですので父の側室の1人におさまっています」
おうおう、全方位から正しくない。正しくない感じが特盛だ。ダメだ、この話題にこれ以上触れてよいことなんか何もない。
それから俺は素直に、俺の神槍をそっと見せた。白い雲が1つだけしかない、眩しいほど青い空の真下で。
「大変ありがとうございました」
「いえ、お見苦しいものを」
「では改まして、勇者様。私は聖女サロダ姫。勇者と対になるものです」
チッ、見苦しいってところはちょっとぐらい否定してくれよ。そんな俺の不満を余所に、聖女とやらが話していく。
この世界は、時折「魔皇帝」と呼ばれる存在が現れる。生まれるのか復活なのかは良く分からないが、毎回違う形や性質で現れる。ただ、共通している部分もあって魔皇帝の周囲を暗闇で埋め尽くし、そこから様々な世界に怪物や魔物を生み出していく。それは留まるところを知らず、歴史書を紐解くと何度か討伐に失敗して世界が滅びかけたことも1度や2度ではないという。
とはいえ、危ない時もあったが世界は魔皇帝の討伐に成功し続けている。何故か。それは世界を見守る女神が、魔皇帝の出現に併せて勇者と聖女を誕生させるから。魔皇帝による危機が迫ると世界中の女の中から1人が女神の啓示を受けて聖女として目覚める。そして、異世界より遣わされた勇者を探す過酷な旅に出るのだという。
「今回はとても幸運でした。お城から半日の距離の、しかも知っていた場所でしたから」
続けてサロダが言うには、過去には70歳を過ぎた老女が聖女に選ばれたうえで、勇者が現れるという場所が地の果てで大変に苦労したこともあったという。
「さ、勇者様。お話の続きは道すがら。供の者を待たせておりますから、まずは共に城へと戻りましょう。勇者様がいらしたとあれば、今日の夕食は豪華になるはずです」
ちょっと待て。王族だというのに随分と質素みたいじゃないか。清貧なのか、失敗国家なのか。色々と疑問が湧いてくるが、とりあえず同行していくことにする。すると、森が開けたところで2人の鉄鎧を着た兵士が突っ立っていた。げ、馬が無いぞ。この革靴で半日歩くのかよ。リモートワークばっかりの俺にそんな体力はないぞ。まあ、馬があったって乗れないのだけど。リムジンタクシーを召喚する魔法が待たれる。
そんなことを考えていると、二人の兵士がこちらに気が付き手を振ってくる。
「みなさん、勇者しゃま、様を見つけましたよ!」
「せっ、聖女様! それどころではごぜません! あちらの空を!」
なにやら噛み噛みのやりとりが気になるが、兵士の顔は必死そのもので、何かが起きているらしい。姫と顔を見合わせて走り、森から出るとそこには異様な光景があった。
「そんなっ、ハイロル城がっ!」
広々とした草原。その中に続く、あまり整備されていない道。その先、地平線よりだいぶ手前に巨大な闇の柱が立っていた。美しい自然を写した写真の上に、パワーポイントで時折使う真っ黒のデータベースを表す円柱オブジェクトを縦長にしたものを無粋にどーんと置いたような感じだった。
「つい先程っ、突然現れて!」
「聖女様っ、街に……城はどうなってしまったんでしょう!?」
慌てふためく兵士を見た姫の顔も青ざめている。
『ミツケタ』
不意に脳内に暗く低い、おぞましいが感情の籠らない声が響く。驚いて周囲を見ると、誰もが聞こえて戸惑っているようだ。
「あっ、城の上に!」
1人の兵士が指差すほうを全員で見る。なんと、パワポ円柱の上に生々しい血走った眼球から現れたかと思うと回転してこちらを凝視したのだった。ファンタジー大作映画であったよな。
『――ミツケタ。ユウシャ、セイジョ。』
機械音声のような声と同時に、目の前の空間が歪んでいく。
「グギャ、グギャアァ!!」
突如として歪んだ空間の中から異様な怪物たちが現れた。
「あっあれは、ゴブリン! オーク! ガーゴイルじゃないのか?!」
「ほ、ほんとだ! 魔皇帝の尖兵と本にあったやつと同じだ!」
いよいよ慌てふためく二人の兵士。丁寧な説明ありがとう、などという余裕なく、俺も焦って横の姫を見る。姫も俺を見ていた。顔面は蒼白。だが、瞳は絶望に染まっていない。理性までは失っていないようだった。
「勇者様! 仕方がありません。ぶっつけ本番になってしまいますが、今こそ私の勇者様の力を合わせて対魔の魔法を使いましょう」
「で、でもどうやって?」
「やり方自体は簡単なのです。まず私と、その……手を繋いでください」
「こ、これでいいか?」
「きゃっ」
おずおずと差し出された手をしっかりと握ると、姫が耳まで顔を真っ赤にして俯く。
「そ、そんな。人前で、こんなに力強くされますと……その、もう少し手順を」
なーに、恥ずかしがってんだ。さっきは俺のパイルバンカーを冷静に見てたじゃねーか。くそ、恥ずかしいと感じるポイントが少し違うんだ。めんどくせえ。俺は全集中してイケメン顔を作る。
「大丈夫ですよ。こうすることが必要なのでしょう?」
「は、はい。誰にも見られていないなら、何しても大丈夫なのですけど……とっ、とにかく!」
意を決したように聖女が表情を真面目に戻す。見られてないなら何しても、ってちょっと引っかかるが、それは置いて置こう。
「魔法とは意思の力そのもの。繋いだ手を前に掲げて、願えば良いのです。その時、声を一緒に出すと気持ちが強まります。どうぞ、滅びよ、とお願いします」
「わ、分かった」
俺は聖女に並んで、繋いだ手を前に掲げる。
「そんなっ、こんな人前で、まだ明るいのに……」
ええい、うるさい。で、なんだっけ。バルス! じゃない。願うんだっけ。よし。うーん、死ね死ね死ね。いくぞ。
「滅びよ!」
いやー、こっちのほうが恥ずかしいわ。俺だって良い大人だぞ。中学生じゃないって。
「グギャ、グギャギャ♪」
あれ? 怪物どもは元気なままだぞ。全然効いてねえ。
「も、もう一度試して見ましょう。せーのっ」
聖女が掛け声に合わせて俺も言葉を合わせる。
「「滅びよ!」」
「グギャ、グギャギャー」
ううむ、怪物たちに何のリアクションもない。しかも、なんかこっちに向かって走り出したぞ。なんかヤバくねえか。
「ど、どうして! これが古の秘術だって」
「ちょ、ちょっとシンプルすぎるような。何かもっとちゃんとした方法が――」
流石に俺も焦る。奴ら、なんか剣とか槍とか持ってるぞ。あんなんで殺されたくねえ。
その時、声が響いてきた。
――我が声を聞くのです。選ばれし勇者、聖女よ。
「め、女神様っ!? ほ、本当にいらっしゃったのですか?」
信じて無かったんかい。
――そうです。私が女神です。
「おっ、お願いします! 古の秘術が――」
――分かっています。聞くのです。冷静に聞くのです。
「はっ、はい!」
――秘術は確かに発動しています。効いていない理由はただ1つ。弱すぎるのです。
「えっ」
――貴方たち2人、ちょっと理屈っぽいでしょう? いつも冷静ですし。とはいえ、あんまり人の気持ちを考えてなさそうですし。いいですか、必要なのは一心不乱の爆発的な願いです。もっと馬鹿になってください。
「は、はいっ。……ってそう仰られましても」
そうだ。そんなことを言われても困る。どうすりゃいいんだ、フルボトルのワインを2本開けるぐらいしか思いつかないぞ。
――酒はダメです。私が嫌いなので。
「……ど、どうすれば」
――そもそも、貴方たちは適正が低いのです。歴代最高をSランクとするとEランクぐらい。でも仕方が無かったんです。突然、魔皇帝が現れることになって。
なんだこの話、聞く意味あるのか?
――それで、とりあえず異世界で私の近くにいた男を1人、あとこちらで近くにいる適正のある女を1人。でも、大幅に選ぶ基準を下げざるを得なくて。まあ、そういうわけで仕方なく選んだのが貴方たちなのです。
あ、あのな……。そんな理由をいま長々と話して何の意味があるっていうんだ。やっぱりこの女神、あんまり頭が良くないな。
――そういう頭の良し悪しですぐ相手を評価するところ。そういうところが駄目なんです。もっと人を見ませんと。あなた、部下からの評価、低いんじゃない?
「わ、分かった。分かりました。すみませんでした。それで、どうすればいいんですか?」
俺は素早く白旗を上げる。この手の思考の癖を持った奴に理屈を――いやいや、それはもういい。くそっ、思考を読まれるのは面倒だ。お願いします、美しい女神様。どうぞ! お知恵をお授けくださいませ!
――良いでしょう。まあ、さっき言った通り感情より理性が勝ってしまう貴方がたには無理です。なので、別の方法を使います。
「べ、別の秘術があるのですかっ!? これが唯一ではないのですか!?」
驚いて聖女が叫ぶ。
――はい、それをこれから伝授します。
「は、はいっ! 手は繋がなくても大丈夫ですか!?」
――ダメです、そのまま。で、その方法とは異世界の他の人々の感情の力を借りることです。それも、昏く熱い感情を。それが一番効きます。正義感とか、清い心とかは別にどうでもいいです。
「わ、分かった。けど、どうやって?」
――それはですね。聞いた者の昏く熱い感情を掻き立てる言葉を発するのです。あなたが発した声を、私が異世界の人々の無意識に囁き掛けます。そして生まれた感情を対魔のエネルギーに変えるのです。
「異世界の……そんなの私……」
――そう、これは勇者だけが出来る最後の手段。さあ、考えるのです。昏く熱い感情を引き出す言葉を! 私は猫として暮らしていましたので良く分りませんから。
意味が分からん。いや、仕組みは分からんけど、要求そのものは分かるか。とにかくやるんだ。昏く熱い感情……。思い出せ、何かを思い出せ。……そうだっ!
「数字は人格!」
すると、握って掲げた手から白いレーザー光線が数本、飛び出て数体のゴブリンを貫いた。
「や、やったか!」
「凄い! 効きました!」
俺たちが喜んでいると、再び女神が囁いてくる。
――その調子です。ですが、それでは全然威力が足りません。
「そ、そんな! 売上を持ってくる営業はどんなに性格が歪んでいても人格者! 売れない営業は人でなし。そういう言葉だぞ! 昏くて熱いじゃないか!」
――そうみたいですけど、最近はコンプライアンスが厳しくて使われなくなっているので若い人は知りません。あと、同じ名前のビジネス書が出ているせいで読んだ人のキラキラした感情が入ってきて随分と減衰されちゃいました。
ほんとか? ほんとに猫として暮らしていたのか? 詳しすぎるだろう。
『ミツケタ……ミツケタ……』
再び脳内におぞましい声が響くと、前方にさらなる怪物が追加される。
「そ、そんな。ドラゴンゾンビ、炎の巨人……こんなの神話でしか……」
恐怖のあまり二人の兵士がへたりこむ。
――適性の低いあなたと違って今回の魔皇帝は歴代最強クラスなのです。S級です。さあ、考えなさい。
く、くそっ。俺は繋いでいない左手であたまを搔きむしる。さっきのは弱かった。だが、考えている方向性は悪くなかったんだ。考えろ……考えろ……最近見た昏く熱いヤツ……。そ、そうだっ! 値上がりが続く不動産業界で伝わるあの言葉だ!
「こっからっす!」
すると、これまでに無いほど強い光が手のひらから発せられて、ドラゴンゾンビの全身を焼いた。
「グッ、グオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
この距離でも耳を塞ぎたくなるほどの叫びが響いてくる。
「ゆ、勇者様! 効いています! さらなる力強いお言葉を!」
「どんだけ、こっからっす、って思えるかどうかだと思いますんで!」
「ギャッ、ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
「こっからっす、を体現していきたいんで! オッス!」
「グバッ、グオオオオオオオオオオオオアギャギャギャギャアアア」」
「す、すごい……! これなら魔皇帝も……」
自分の手が眩しすぎて閉じていた眼を薄っすらと開けると、目の前に大量に存在していた怪物の群れは消えてなくなっていた。都心にある巨大なオフィスビルほどもあった巨人も今は倒れ、地面の染みと化している。
「よしっ、この調子で」
俺は意気込む。だが、女神が割って入ってきた。
――あ、ちょっと待ってください。
「な、なんだ」
――あんまり同じ言葉を囁き続けると慣れちゃうから、もうこのネタはしばらく駄目です。他ので。
そ、そうか。そうだった。俺はいま、元の世界のみんなの耳元で「こっからっす」って言っているようなもんだった。嫌すぎる。
――あ、早めにお願いします。眷属をやられて魔皇帝が弱っている、今がチャンスなんで!
「勇者様!」
ちくしょう。聖女、お前は勇者様勇者様って言っているだけやんけ。だけど、異世界のことを知っているのは俺だけなんだ。何か無いのか、なんかテレビとかで見なかったか……。くそっ、毎日深夜まで働いているからそんな暇は……。そうだ、あれだ。SNSで見たぞ!
「人間は食べ物がなくても感動を食べるだけで生きていける。ウチで働くあなたの夢を叶えることだ。カンボジアの慈善事業の感想文を書きなさい」
「凄いっ! も、もっとです。勇者様!」
「部下の生殺与奪権を与える! 幸せだなあ、俺はツイてると毎日口に出して言おう!」
「こ、これは!!」
――良いわよ! 時事ネタは強いわ!
女神も大いに興奮している。
――今ぐらいのを! もう1つあれば!
なっ何い。ホットな時事ネタを使ったんだぞ。これ以上なんてあるものか! いや、諦めるな俺! どんな無茶なプロジェクトでも生き残ってきたじゃないか! なにかあるはずだ。Don't worry, I am wearing. パーンツ! 違う。コンサル栄えて国滅ぶ♪ あれあれ探検たーい♪ ええい、そっちじゃない。そ、そうだ!
「このハゲーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
その時、すべての音が消えた。目をつぶっているのに薄い瞼を貫通して激しい光の奔流が流れてくる。必死で左手で目を隠すが、あまりの光量の強さに俺は意識を失っていった。
そして再び目を覚ました時、すべての闇は消え去っていた。パワポの延長オブジェクトがあったところには、立派な城が見えていた。
*
あれから数年が経過した。今や俺は救世主として、そしてハイロル国の大臣の1人として働いている。もともと働くのは好きだし、食うに困らず、大きな権限を持てるとなればなおさらだ。
元の世界に戻る理由はあまりない。親兄弟もいない、恋人も今はいないしな。消えても問題ない人間なのだ。担当していたプロジェクトは少しばかり炎上しただろうが、それとて1カ月ぐらいで治まるだろう。
そもそも、びっしりと会議でスキなく予定が埋まった中で1分の休憩もなくタイムアタックを続けるような日々に少し疲れたのだ。1日1%成長すれば1年で37倍になる、なんていう成長パラノイアみたいな話はもういいのだ。
というわけで、いま俺はゆるゆるとした生活を楽しんでいる。暇は良くない、多忙も良くない。自分で見出したその中間であれば、自分が生きているという実感を持てることが分かったことは大きい。
ただ、気になることが1つある。俺が来てしまったことで、厄介な病をこの世界に持ち込んでしまったことだ。
「今日はね! 朝からね! 飛ばしていきますよ! いいっすか!」
「「はい!」」
「それには今日! 課税対象を見つけたら! 一本目から粘って! とにかく勝負して! 今日一日ね! 目一杯やってください!」
「「はい!」」
「じゃ、体操いきますよ!」
「オイショ! オイショ! オイショ! オイショ! オイショ! ……」
目の前にある建物では、男女そろっての天突き体操が始まっていた。税務署なのにだ。頭がおかしいとしか思えない。どうやら救世の話が伝わっていくうちに、どうやら理屈より根性、根性こそが魔皇帝を倒したのだ、という話になってしまったらしい。そこらかしこに根性主義が蔓延している。理屈が好きな俺には実に生きにくい世の中になってしまった。
「あなた」
後ろから声がかかる。元聖女で、俺の妻だ。結局、一緒になってしまった。こいつのいいところは理屈で話が通ることに加えて、一緒に戦ったことでの信頼関係があることだ。やはり信頼、それが安心になっていく。そんなことから比べたら、頭がいいかなんてどうでもいいことだ。
仕事ができることの価値に上限値はあるが、人が良いに上限値はない。最近特にそう思う。元の世界では間違いなくトップクラスに仕事が出来た俺だが、世界にとって必須の人間だったかと問われたら、首を横に振らざるを得ない。だが、ゆるゆるとやっている今は、色々な官僚たちと仲良くやらせてもらっている。それに、この聖女、そして腕に抱かれた子にとって俺は唯一無二の存在だ。
いま、俺は世界に必要とされる人間となったのだ。
バカな小説だなと思ったら星1でも入れてください。
普段は真面目な長編ファンタジーSF書いています。
葦原星系から空を越えて ―星間航行士ルイの文明再生記―
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