第2話 魔王候補の婚約者は、小さな天才令嬢 -2-
「――そもそも、だ……シュナーリア。
いかに我らが婚約の当事者とはいえ、破棄だの何だのということは、余よりも父上の方に直談判するべきではないのか?」
余が至極真っ当な意見を述べてやると、茶をすすっていたシュナーリアは、困惑するように眉根を寄せた。
常日頃から傲岸不遜なこやつには珍しい表情だ。
「まあ、そうなのだけどね……陛下は長患いで、ずっと寝込んでいらっしゃるだろう?
これが〈列柱家〉内のムカつくバカ当主とかなら、盛大に花束でも持ってムダに長話をしに行ってやるところだが……さすがに陛下には、小さい頃から受けてきた多くの恩があるからなあ。
陛下にとっては愉快でもない、こんな話をしに病床を訪ねるのは……さすがになあ」
「……そうか」
我が父たるこの〈魔領〉の王は、シュナーリアの才が幼少の頃より突出していたのを見出し、それゆえに、余の将来の伴侶に――と、選んだような人物だ。
優れた才を持ちつつも、それと反比例するように、決して社交的とは言えないシュナーリアは、他の多くの有力者からは煙たがられる存在だったが……。
それでも、こやつがそうした連中から明確に悪意を向けられることなく、研究者として一廉の地位を築き、〈魔領〉の発展に貢献出来ているのは……ひとえに、父の後ろ盾があったからだと言えるだろう。
もっとも、そうした事情がまた、こやつにとっての潜在的な敵を増やしている――とも言えるわけだが。
「だから、当事者でもある上に幼少の頃からの付き合いで気の置けないハイリア、キミに頼んでいるんじゃないか〜。
キミの方から陛下に、『あの女は陰で目下の者を虐げる、身体どころか心までひたすら小さい女だと判明した、余の伴侶にはまったくゼンゼン相応しくない――』とでも進言してくれればいーんだよ」
「ふむ……しかし、だ。
お前が見た目も心も小さいことなぞ、今さら父上に報告するまでもなく、余はとっくに承知しているしな……」
余が茶を楽しみながら、無感情にそう告げてやれば……。
シュナーリアは、打てば響く鐘のように、眉をピクリと跳ね上げる。
「……ほっほーう……?
ハイリアぁ、キミもなかなかに命知らずな発言をするようになったじゃないか〜?
ドがつくほどの命知らず――略して『どしらず』ってなところだな!
よ〜し……ならば、この〈魔領〉一の美丈夫と名高いキミの、幼き日の恥ずかし〜い失敗談なぞを方々に吹聴して回ってやろう!」
「だから、そういうところだ――と言うか、そもそもそう告げ口しろと進言してきたのはお前であろうが。
そして、何を今さら――だな。
お前に恥をかかされるのなぞ、もう慣れた。何年の付き合いだと思っている」
「うむ。キミが、タダのイノシシから泣きながら逃げ回っていた頃からだな」
「そうよな……。
お前の謎の薬品によって超強化されたアレを、『タダのイノシシ』と呼んでいいのならな」
「はっはっは、あんなの、ちょっとした興奮剤じゃないかー」
「……騒ぎを聞いて駆け付けた熟練の近衛兵が3人、派手に宙を舞っていたがな」
余が嘆息しながら事実を告げてやると……。
「なに、それは彼らよりも『タダのイノシシ』の方が強かった、というだけさ」
さらりとそう言い切ったシュナーリアは、しかし……。
やおら、その得意気な笑みを消し――静かに、ゆったりと味わうように茶を口にした。
「……お互い、8つかそこらだったっけ――もう15年近く前になるかー」
「そうだな。
婚約者としての初顔合わせで……まだ、お前の方が背が高かった」
「まったく、その後はキミばっかり大きくなるんだもんなー」
ワザとらしく口を尖らせて答えたシュナーリアは、庭園の方へ視線をやる。
……この〈魔領〉は、世界の辺境にして、極地だ。
穏やかな気候の季節なぞ、1年を通じてほとんど無く――常日頃から手入れされているはずの庭園の緑でも、しめやかに降り続く雪に、うっすらと覆われてしまっている。
ただ、これでも――昔に比べれば、随分と環境は改善されているのだ。
〈魔領〉は極寒の地であると同時に、ところによっては地下浅くにマグマがうねる灼熱の地をも内包しており、古来よりそれらの寒暖のバランスを取って生活に役立てようとしてきたわけだが……。
そうした永きに渡る試行錯誤を、卓越した魔法技術と発想力によって結実――。
マグマによる地熱を効果的かつ広範囲に供給し……結果として、植物の安定した育成や民の生活向上を成し遂げたのが、まさにここにいるシュナーリアだった。
ちなみにだが、そうした功績と、その貴族らしからぬ態度が相まってか……こやつは不思議と、民衆には人気が高かったりもする。
「あのとき……あの8歳のとき。
婚約者同士の初顔合わせのあのときな、ハイリア?」
「? ああ」
「わたしはなー……キミに、『こんな女はイヤだ!』って言わせるつもりだったんだよ」
「ほう……初耳だな」
「それはそうだ、初めて言ったからね。
なのに、あのときのキミときたら――」
後半は、まるで独り言のようにつぶやいて……軽く首を振ったシュナーリアは、カタリと小さく椅子を鳴らして立ち上がった。
「とりあえず、今日のところは帰るとしようか。
――あ、でも、婚約破棄については諦めたわけじゃないからな?
今度来るときはわたしに良い返事が出来るよう、前向きに検討しておきたまえ!」
矮躯ながら、のっしのっしという表現が似合う歩調で、出口へと向かうシュナーリア。
一方で余は、それをおもむろに呼び止めると――。
視線を、ティーカップに落としたままに……告げた。
「……最近、父上の体調が特にお悪くなってな……。
いきおい、〈魔胎珠〉降身の儀の準備も進められることになっている。
そう、余は――もうじき、魔王となるだろう。
この〈魔領〉に暮らしてきた者たちの……悲願のために」
「!……そう、か……ついに、か――」
そして、シュナーリアも――。
僅かに、その一言だけを置いて……足早に、立ち去っていった。