第1話 魔王候補の婚約者は、小さな天才令嬢 -1-
「どうだー! 婚約を破棄する気になったかー!?」
――とある昼下がり。
王子としての職務を終え、城の庭園に面したテラスで一服しようとしていたところへ、そんな得体の知れぬ文言とともに、けたたましくやって来たのは……。
そのやや舌っ足らずな声に相応しい、子供と見紛うような小柄な令嬢だった。
もっとも、『令嬢』らしいのは、身に纏う造りのしっかりとしたドレス程度のもので。
もともとクセのある長い琥珀色の髪は、ろくに手入れしていない様子で跳ねが目立ち……その上、化粧っ気もまるでなく、立ち居振る舞いもおよそ貴族のそれではない。
しかし、逆にだからこそか――この〈魔領〉における有力貴族たち、〈列柱家〉の一員として、こやつほど名の知れた存在も無い。
最も令嬢らしくなく、最も貴族らしくなく、最も魔族らしくなく――そして、最も変人。
それでいて、〈魔領〉始まって以来と言われる天才にして、最大の魔術研究者にして、最高の技術開発者にして、最強の魔法使い――。
〈王たる星〉という意味の名を持つ余、ハイリア=サインと対になる……。
〈世を照らす星〉なる名を持つ者、シュナーリア=カーミア。
いささか破天荒なこの娘こそが――。
次期〈魔王〉とされる余の、幼馴染みにして婚約者なのだった。
……さて、そんな有名人が、自らの婚約について怒鳴り込んできたとなれば、それなりに大きな騒ぎになりそうなものだが……。
シュナーリアの常識外れな言動はいつものことであるし、そもそもこの『婚約を破棄しろ』は、ここのところ連日であり、もはや日常の挨拶レベルだ。
ゆえに、最も近しい幼馴染みの余はもちろん、その場にいたメイドすら――そもそもが〈鬼人族〉の娘なので、たおやかな見た目に反して肝は据わっているが――何ら驚くことはなく、普段の調子で、余の茶の用意をする。
そうして、茶を待つ間に……余は、仁王立ちするシュナーリアに向かって、やはりいつものように首を横に振った。
「いや、まったくそんな気はないが」
「むう。まだそんなことを言うか、キミは……。
こんなのは勢いだぞ、勢い! ばばーんとやっちゃえば良かろう!」
余の向かいの席にどっかりと座り込み、その矮躯でふんぞり返るシュナーリア。
……ついでとばかりに、余の前に置かれたばかりのティーカップを素早く分捕って。
しかし、メイドのニニも慣れたもので……それを予期していたらしく、早くも次の茶を煎れて余の前に置いてくれる。
ちなみに、気の置けない余の前であればこそ、普段の『〈列柱家〉の令嬢らしくなさ』に輪を掛けて、傍若無人なシュナーリアではあるが……。
いわゆる礼儀作法は、その道の教師が、僅か一週間と経たずに次の勤め先を探す羽目になった――という逸話があるほどに、短期間で非の打ち所の無いほど完璧に身につけている。
つまり、こやつの場合は、『出来るがやらない』だけなのだ。
もっともこやつも、完全な無礼にあたるほどの真似は(毛嫌いする相手などでなければ)そうそうせぬし――。
何より、自身の圧倒的な『才』によって、そうした態度を認めさせている――という面もある。
そう……少々の奇行など、何らの瑕疵にもならぬほどの――その『才』で。
さて――それはともかく。
お互いに、物心つく前から親によって決められていた、余とこやつの婚約関係――。
それを破棄しろと、こうしてこやつが余に訴えに来るようになったのは、最近になってからのことだ。
もともとが『束縛』を嫌うこやつだ、己の意志に拠らない婚約を良くは思っていなかったのだろうが……。
なぜ今になって、と問えば、返ってきた答えは――。
『ハイリア、どうせならキミだって愛した女と添い遂げたいだろう?』と、いうものだった。
どうやら、余もシュナーリアも、ともに20歳を超えたことで、いつ実際に婚礼を迎えるのかとふと思い付き――くだらぬことと放置しているわけにもいかなくなったそうだ。
そうした唐突ぶりは、いかにもこやつらしいが……。
そもそも、余とこやつの婚約というのは、愛だの恋だのとは無縁の――結局は『そういうもの』ではないのか、と思いもする。
それに、まずもって余には、生まれてこの方『惚れた女』などいうものは存在しない。
ゆえに、むしろそういう意味で言えば、今さら為人を知らぬ女を娶るぐらいなら――。
恋愛感情は無くとも、幼い頃より双子のように親友のように共に育ち――誰よりも近しい味方であるとともに、誰よりも腹立たしい敵……。
そんな存在のこやつの方が、気心の知れている分、遙かにマシというものだ。
もっとも……。
余が、こやつとの婚約を、望み通りの白紙にしない理由は――。
実のところ、それが第一ではなかったりするのだが。