第10話 乙女は抗う、病にも慣例にも −1−
わたしたちが住むこの〈魔領〉は、極寒の気候に覆われた地であるとともに、地下浅くには豊富なマグマを有する、灼熱の地でもある。
そんな、どちらの要素も人が生きるには過酷な、まさに『極地』であるがゆえに――古より、我ら〈魔族〉が押し込められてきたわけだが……。
それが、生態系や文化、技術体系などにおいて、他には無い独自性を育んだことは間違いない。
で、そのうちの1つが――。
「ふぃ〜……」
……わたしのもらしたタメ息が、立ち上る湯気の中を反響し、岩壁に吸い込まれるように消えていく。
そう、これ……〈温泉〉ってやつだ。
〈魔領〉ではそこそこに各地で見かけるが、マグマなぞとは縁の薄い『外の世界』では、なかなかに珍しいものらしい。
まあ……〈魔領〉でも、こうして、手を加えずに人が入れる絶妙の温度のものはそうはなく――大半が、入ったが最後、煮えてしまうようなものだったりするわけだがね。
ともあれ、わたしは温泉が好きであり……。
そして、両親が健在だった幼少時に住んでいた自領の方には、それはそれは見事な、自然の洞窟温泉があったのだけど。
この王都外れの屋敷ではさすがに同じものは望むべくもないので、代わりにと、魔法で岩盤を吹っ飛ばしまくって均し、温泉水を引き込んで、屋敷の地下に作ったのが――。
わたしが今、まさに湯に浸かっている……この浴場というわけだった。
「やはり、広い湯はいいなあ……」
広いと言っても、自領の洞窟温泉に比べればちっぽけだが、それでも……部屋に設える浴槽に湯を張っただけのものとは、やはり雲泥の差だ。
しかも、ここのところ体調が優れず、ほぼほぼ寝たきりだったわたしは、そんな浴槽にすら満足に浸かれなかったのだから……。
こうして、少し調子が持ち直したのを機に、ゆったりと楽しむ温泉での湯浴みは、まさに格別と言えた。
「しかし……ふむ……」
わたしはふと、湯の中の自分の身体を、ぺたぺたと触って確かめる。
……改めて見るまでもなく……つくづく子供の身体付きだな、わたしは。
幼い頃はそこそこ成長が早い方だったのだが……気付けば、それが止まるのも早かった。
まあ、胸なんぞ大きかったりしたところで何かと邪魔になるだけだろうから、別に構わないんだがね。
そもそも、わたしが恋するハイリアという男は、体型の好みなぞをとやかく言うような器ではないのだし。
ただ……正直、背丈ぐらいはもう少し欲しかったところではあるなあ。
……ってわけで……そうだな。
いずれは、背がグングン伸びるような成長促進剤とか、研究してみるのも良いかも知れない。
「そのためにも……まずは戦と、この病を何とかしないと――な」
均した自然岩の湯船に背中を預け、立ち上る湯気を目で追う。
何とか少し持ち直したとはいえ、今もって体調は――良くない。
――わたしが罹っているこの病は……通称、〈天眼の代価〉と呼ばれるものだ。
それは、古来より天眼――未来を見通すほどの眼を持つような、そんな知恵者に発症者が多かったことに由来する。
主な症状としては、激しい咳と、それに伴う喀血、そして慢性的な波のある発熱。
まあ、ある意味、わたしに相応しい病なわけだが……。
問題なのは、少なくともこの〈魔領〉においては治療法が確立されていないってことだ。
要は、現在においても一種の不治の病であり……発症したが最後、概ね、長くても数年以内には命を落とすことになる。
当然わたしは、病を得たことを確信して以来、自分自身を、そして同じ病に苦しむ同胞を救うべく、治療法を研究してきたのだが……。
対症療法的に、症状を和らげる薬品の調合までは出来たものの……どうしても、完全な治療薬の完成には至らなかった。
しかし諦めずに研究を続けたことで、最近、ようやくたどり着いたのが――。
風土の問題で〈魔領〉の外にしか生えない、とある薬草……それを使えば、治療薬を調合出来るという結論だった。
だがそれは、一度使えばハイ終わり、という特効薬などではなく――計算によれば、継続的に、何ヶ月……あるいは何年も投与しつづけなければならないもので……。
つまりは、わたしが人族との和解を望む理由の1つはここにある。
我らが和解し、アルタメアが一つとなれば――この薬草のように、互いの領域でしか採れぬものや、互いにしか伝わっていない技術も交流出来ることになるだろう。
そしてそれは、わたしの病がそうであるように……逆に、人族の、こちらの技術によってしか救えぬ者たちを救う道にもなるはずなのだ。
さらに当然ながら、戦が終われば、それにより命を落とす者も無くなる。
要するに、互いに大きな利点があるのだ――手を結ぶことには。
互いの、長い年月で積み重なった敵対感情を、それでも払拭さえすれば。
しかし――多くの者たちが、その感情をこそ肝要と固執してくれる。
そしてそれが許さぬからこそ、決して有り得ぬ話だと切って捨ててくれる。
そのことを、わたしは……馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのだ。
わたしとて、そうした積もりに積もってしまった感情が、それに基づく親から子への教えが――そう簡単に捨て去れぬことぐらいは承知している。
だが、だからこそ――なのだ。
だからこそ――ここで踏み止まり、歯を食いしばって、それを飲み下し噛み殺して、手を結べば……そこから、新しい時代への一歩が始まるというのに――。
それが成されないことが、歯がゆくて仕方ないのだ。
「…………。
今、この時代こそが――これまでにない好機だというのに……」
「――お嬢様、よろしいですか?」
物思いに耽っていると……浴場の入り口の方から声が掛かった。
わたしの身の回りの世話をしてくれている、ギリオンの妻――同じ〈人獅子〉のキュレイヤだ。
ギリオンとたった2人、わたしのこの病のことを知る彼女は……症状が落ち着いているとは言え、入浴中に何かあってはならないからと、浴場のすぐ外でわたしの様子を窺ってくれていたわけなのだが……。
「……どうした、キュレイヤ? 何かあったのか?」
「ええ、それが……。
今しがた、ハイリア様がお運びになられたとのことで……」
「――ハイリアが?
ふむ、分かった。すぐに上がって支度をして――向かう、から――っ」
「……お嬢様?」
「そう――だね。うん――。
残念ながらわたしの入浴を覗くには少し遅かったな、とでも……伝えておいてくれ」
湯船から出ようとして――のぼせるほどは湯に浸かっていないし、貧血だろうか、立ちくらみのように一瞬意識が飛びそうになったのを必死に堪えつつ……。
それを悟られぬよう、軽口を叩いてやれば。
「ええ、分かりました。そのように」
わたしのそんなヤセ我慢に気付いたのかどうなのか……。
キュレイヤは、普段通りの明るい調子で、わたしの軽口をいなすのだった。




