10月
ハロウィンをご存じだろうか?
魔女やお化けに扮装した子供たちの「お菓子くれなきゃ悪戯するぞ!」という軽い恐喝まがいがまかり通る日のことらしい。(まぁ、多少の誤訳があったとしても気にはしていない)
文化祭の宣伝も兼ね、近くの保育園になぜかお菓子を配るこちら側が紛争して出向くことに決まったまでは他人ごとだったが、それがまさか自らに白羽の矢が立つとは思ってもみなかったわけで。
「面倒だな」
歩いた道を清掃するためのものなのか? と思うほど無駄に長く暑苦しいマントを引きずりながら、演劇部衣裳係に押し着せられた魔女セットにうんざりした。
穏やかな昼下がりの商店街。往来を闊歩する異質な「お化け」の集団には容赦なく世間の冷たい目が突き刺さる。ハロウィンを知っている子供たちやその親たちなどは自然好意的に「トリックオアトリート!」と近寄ってきてくれるが、ほんの少しご年輩の方になると「真昼間に酔狂なことをしている輩もいるもんだ」というこの視線。恥ずかしくって顔も上げたくもないのに、
「ミイラ男、だっせぇー」
「狼男ファスナー付いてる」
ハロウィンを知っていても小学生くらいになるとまるで容赦がない。集団で襲撃され、ミイラ男は包帯を引っ張られ、狼男は周りを囲まれて男の子たちににじり寄られている始末。私のところにも小生意気な中学年くらいの男の子たちがやってきたので、演技指導された通り静かにニタァと笑ってやった。
結局、文化祭のチラシとともに飴玉をひとつずつで勘弁してもらい、最近の小学生はと、最近の高校生が呟くのもいかがなものだろうか。
こんなことになったのも、もちろん体育祭の競技でビリを獲得し「文化祭宣伝委員会」なるものに強制参加させられたからに決まっている。宣伝劇を上演することがその主な目的なのだが、他にも駅前でのチラシ配りやプラカードなどを携えて商店街を行進する業務も含まれているらしく、さらに各クラスごとの出し物にも頼まれれば助っ人として参加しなければならないというのだから文化祭が無事に終了するまでは決して気が抜けない。気を抜いてはいけない。
「やっと着いたわね」
山田保育園。
可愛らしいコンパクトなお城を模した、お世辞にも趣味のいいとはいえないパステルカラーの建物を前にしてお化けの一行の行進が止まった。
「ちゃっちゃとお菓子配って帰ろうぜ。俺、もう心が折れそう」
嘆くのは、先ほど散々小学生たちにいたぶられたミイラ男。その脇では所々禿げた狼男のきぐるみが佇んでいる。揉みくちゃにされた包帯はミイラ男をよりリアルに見せていたが、円形脱毛症の狼男は見ているこちらにも涙を誘う。というか、笑える。
「とりあえず、現代社会にストレスを感じまくってる狼男ってことで誤魔化そう」
一行の指揮を任されている吸血鬼に扮した男子が真っ青に疲れきった顔で笑った。
恐るべし、小学生。
こんなことでは園児たちにも手を焼きそうだ、という雰囲気が門をくぐる一同の足取りを重くした。
けれど。
体育館のように屋根のある板張りの広い空間に集められていた園児たちは私たちの予想に反してそれはそれは天使のようにかわいかった。
「おかしくれなきゃいたずらしちゃうぞ」
「トリックお……なんだっけ?」
「いぬさんだー」
「おねえちゃんのふくかわいい」
「ほーたいして、どこかいたいの?」
世間の冷たい荒波をくぐりぬけて、私たちはついに桃源郷を発見した! 口にこそ出さないものの、皆それぞれにきゃっきゃきゃっきゃと足元に集まってくる園児たちに感動と言うよりも心から感謝した。なんてできたコたちなんだろう! と。
「わるいごはいねぇがあー?」
ついさっきまで嘆いていたミイラ男は自分のキャラを忘れて園児たちを楽しそうに追いかけまわしていたし、狼男は禿げたところを何人かの女の子たちに撫でてもらっていた。
「クソガキの巣窟だと思ってたのに、まさかこんなにいい子たちだったとは……」
「趣味の悪い保育園だからってその中身まで趣味が悪いわけじゃなかったんだね」
「そうらしいな」
聞き様によっては悪口とも取られかねない言葉で褒めあいながら、私たちはこどもたちのちいさな手にお菓子を握らせる。悪いが、パラダイスで文化祭の宣伝などと言う薄汚れたこちら側の都合を遂行することはできなかった。
「ほほほ。今日は御苦労さまですねぇ。みなさんもお忙しいでしょうにありがとうございます」
「いえ、こちらこそ無理を言ってすみませんでした」
後光が差しているかのように穏やかな表情の年輩の女性が吸血鬼に話しかけているのが見えた。
「でも、衣装の準備も大変だったでしょう?」
「いえ、全然です。とんでもないです。好きでやってることですから気になさらないでください」
「あらまぁ、よくできた伯爵さまですことね。そういえば、うちの裕樹も一緒だと聞いていたんだけれど、いったい何に化けているのかしらね? あの子はいつもいつも人を驚かせることが大好きだったから」
何?
無意識にお菓子を配る手を止めて振り返ってみれば、老婦人は園児たちの頭の上にきょろきょろと視線を走らせている。
ひろき、と聞こえたような気もするが、気のせいだろうか? いや、ひろきという名前ならどこにでもありそうだし、いちいちそんなことに反応するなんて自意識過剰というか、とにかく今日この場所にヤツが居るわけがないと自分に言い聞かせた直後、
「ああ、一之瀬君なら、あそこですよ」
吸血鬼が白の手袋で一点を指した。
そんな馬鹿な。あいつは今日は留守番のはず。それがどうしてこんなところにいるというのか?
そう、「お菓子くれてもいたずらしちゃうぞ」と飛びついてきたのでグーで張り倒して校庭に埋めてきたのだ。そんなヤツがここに居る筈がない。
ある種の期待と確信を持って彼の人差し指の後を追って視線を前方に戻してみる。けれど、残念ながらそこには光沢のあるグレーのタキシードを着た男がひとり突っ立っていた。
園児たちの声に混じり、お化けたちの感嘆の声が上がる。
「……それは何の扮装だって?」と問えば、
「花婿ってところかな?」と、しゃあしゃあと返答がきた。
「ハロウィンにはなんの関係もないよな?」
「日本人なら細かいことは気にしちゃダメだよ? 明日香」
にっこりと完璧に笑ったヤツに園児たちは、「おうじさまだー!」とはしゃいでいる。
お譲ちゃん達、こんな腹黒い変態野郎をそんなヒーローと重ねちゃダメ! と、ひとりずつ説得して回りたいってのに、ヤツはただただ可笑しそうに笑って一歩前へ出た。
そして、
「ばーちゃん、どうかな?」
「あら、裕樹! まぁ、見違えるわねぇ。でも、電話で話してた花嫁さんはどこかしら?」
孫の突拍子もない行動には慣れっこなのか老婦人は穏やかに笑ったまま視線を彷徨わせる。
嫌な感じがした。
すぐそこに突っ立っている吸血鬼も憐れみの目で私を見ている。
こんなことがあっていいんだろうか?
「ちょっと、お手洗いに……」
巻き込まれたくない一心でくるりと踵を返したはずの私の体は、しかし前につんのめるばかりで一歩たりとも前に進まない。それでも諦めずに何度か前進を試みるうち、不意に首が後ろに持っていかれる感覚でやっとマントを掴まれていることに気づいた。が、それはもう後の祭り。
「この子が花嫁だよ」
「まぁ」と、品のよさそうなおばあさんの目と、目が合ってしまった。
「明日香、こちら僕の父方の祖母なんだ」
「な……ッ」
冗談じゃない。
マントを鷲掴みにしていた手を払いのけその手で胸倉を捕まえるべく、おめでたいかっこうのおめでたいにやけ顔を睨む。
「あほか?」
「明日香、暴力はダメだよ。こどもたちに悪い影響だからね」
「じゃあ前言撤回しろ」
「無理」
「……帰る」
「帰れるならね?」
と、悠然とヤツが笑う。
それが何を意味するところなのかはすぐに分かった。
「ええー!! おーじさまのおよめさんは、おひめさまだよー! まじょじゃないもん」
「ちがうよ! きっとおひめさまはわるいまじょにかえられちゃってるんだよ!」
「そっか! じゃあ、おーじさまのきすでわるいまじょはおひめさまにもどれるんだー」
ちょっと待てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
その都合のいいおとぎ話はなんだあああああ!?
「そういうことなんだ。だからね、僕は君に目覚めのキスをしなければならないんだ。うん、義務だから。やだなぁ、文化祭の宣伝劇のシナリオを童話として読み聞かせてもらってなんかないよ?」
園児たちの純粋な眼差しの中、一対の邪な瞳。
そして園長先生をはじめ、保母さんたちも固唾をのんでこちらを見ている。助けを請うために視線を走らせたお化けたちも困惑して事の成り行きをただ静かに見守っている。
誰も助けにはならない。
静まり返ったホールで、私は腹を決めた。
「ほーっほっほっほっほっほ!! 王子よ、姫はお前などの口付けなどでは決して目覚めぬわ! 姫を返してほしくば私を倒すことじゃの!!」
そして、面喰ったヤツの腕をとって誰もいない方向にその体を投げた。
どん、と派手な音はしたもののヤツも受け身をとる。
一瞬の沈黙の後、笑いを噛み殺したような顔でヤツは高らかに言った。
「魔女よ、俺は必ず姫を取り戻す!!」
「やれるものならやってごらん! 返り討ちにしてくれるわッ!!」
ここのところ練習に励んでいる台詞をこんなにも早く披露することになるとは思わなかったが、それでもこっちのほうがまだマシに決まっていると言い聞かせ、園児たちにぶつからないよう注意して私はホールを駆け抜けた。
「待てー!」
背後からはヤツの慟哭と園児たちのどよめきが迫り、誰もいない渡り廊下を走って可愛らしい紙でできた花や蝶の飾られた小さな教室の前で私はようやく立ち止まった。
「は、はずかしぃぃぃぃぃ……」
抱えた膝に頬の熱が染みる。
いくらなんだってこんなことはあり得ない。お芝居という舞台の上で台詞を吐くならまだしも、こんなところで、「劇」であるという前提もなく咄嗟に振る舞った自分の行動に恥ずかしさを通り越して腹が立った。
元凶がノってくれたおかげでどうにかかっこうがついたけれど、普通に「え?」なんて言われていたら、もしかするとあの場で泣いていたかもしれない。
「あああ、もぅぅぅぅ……」
いっそ殺せ!
誰もいないことをいいことに、喉に突っかかった言葉を吐き出すべく熱い顔を上げると、ふわり、突然ピンクの大きな花が舞った。
その奥には息を切らせながら、もじもじと恥ずかしそうにはにかむ赤いほっぺの女の子。よく見れば、手に薄い紙を重ねて作った花がのっている。
「あのね、はやくおひめさまにもどれるといいね」
花がふわりふわりと小さな手を離れて黒いスカートの上に舞い降りた。
ああ、心配してきてくれたんだ。
「あーちゃん!」
渡り廊下の入口に保母さんが現れると、彼女はばいばいと手を振って駆け出す。
「……ありがと、ね」
「うん」
ぱたぱたと走り去っていくスカートを見送って、私はもう一度、さっきとは違う感情と共に膝に顔をうずめた。
あのバカのことも、まぁいいかと、思えた。
「怒ってる?」
「当然」
「嫌いになった?」
「言っておくが、もとから嫌いだ」
「……ごめん」
「謝るくらいなら最初からやるな、バカ」
「ごめん」
「…………まぁ、なんだ。今回はあーちゃんに免じて許してやる」
すっかり制服に着替えた放課後。
しつこくしつこく平謝りされるのにも嫌気がさしてそう言うと、ヤツは傾いた日差しの中にっこりと笑って、
「お菓子もあげるし、明日香になら悪戯されてもいい!!」
と割と本気でのたまった。
コイツには反省という機能がちゃんとついているんだろうか? 疑問に思うが面倒なので聞いたりはしない。