8月
受験勉強真っ盛りなこの時期に、浮かれ気分でまつりに来る受験生ってのもどうなんだろうな。
というのはあくまでも建て前。
やはりまつりはいい。
このわくわく感。何かが起こりそうな予感。一歩小路に足を踏み入れればいままでに見たことも聞いたこともない非日常が待っているような、そんな期待に胸がふくらむ。子供っぽいと言われればそれまでだが、言われたってどうってことはない。楽しいものは楽しいのだ。他者の意見など却下だ。却下。
祭囃子が遠くから聞こえる。この三日間町内を引きまわした山車が一か所に集められ、それぞれに狐やらひょっとこの面を付けた踊り手たちが今頃は熱く競っていることだろう。まぁ、小さい頃はあちらに興味を引かれたものだが、ここ最近は人で揉みくちゃにされて山車を眺めるより湖畔で打ち上げられる花火の方が風情があって良い。
が、その前に腹ごしらえだ。
神社の境内に立ち並ぶ屋台の群れ。ここで食わずしてなにがまつりか!
大きくて真っ赤な宝石を発見して思わず足を止める。
「おい、一之瀬、りんご飴もいいな」
少し前を行く本日の財布の袖を引いて引きとめると、奴は少し呆れたように振り返った。
「明日香、買い過ぎだよ。食べ切れるの?」
手に持っているかき氷、ぶら下げているわたあめの袋、それに自分が欲しくて買ったものの持ち切れずに預けっぱなしにしているたこ焼きとお好み焼きといか焼きとフランクフルトの入った袋を目の高さにまで持ち上げられると、返答に困る。
欲しいものは欲しい。けれど、それを食べ切れるかどうかは、少し不安になってきた。食べ物は決して粗末にしてはいけない。
でも……。
明りに照らされてきらきらとつややかに輝くりんご飴は諦めきれない。いや、絶対に諦めてはいけない気がする。
「どうしても欲しい? コレ買ったら最後だよ? あとは飲み物だけ買って花火を見るんだからね?」
こくこくと頷くと、奴はポケットから財布を取り出しておばちゃんに千円札を渡してくれた。
「どれでもどうぞ?」
店番のおばちゃんに促されて、中玉のものを手に取ろうとすると、横からもう一本手が伸びてそっと小玉の可愛らしいりんごの群れの方に誘導された。
「うん?」
「そんな大きいの食べ切れないんだから、ちっちゃいのにしておきなさい。その分しか払いません」
「ちっ」
仕方なく一番小さなサイズのそれを手に取ると、おばちゃんはにやにやと嬉しそうに私たちの顔を見比べ、さらに一際目じりを下げて、「お似合いだねぇ、若いっていいねぇ」なんて感想をお釣りとともにくれた。
「ありがとうございます。よく言われます」
「おいッ!」
しゃあしゃあと受け答えする男の顔に羞恥心の色はなく、「あらまぁ言うねぇ。当てられちゃうわ」と豪快に笑うおばちゃんと一緒になって笑っている。
コイツってどんな神経してるんだ!?
おばちゃんの顔を見ることもできず、まともに礼も言わずに飴を引っこ抜くと人の流れに紛れるために踵を返した。
今更ながら私は思い知る。
異性とこんな風に出かけたら、それはデートで、デートしてるってことはつまり、私と奴の関係はこ……で、つまり彼……ぐっはあああ! 考えたくない! 考えたらおしまいだ!
きっと顔からは火が出ているに違いない。
「今日はなんでもおごっちゃうよーん」なんて、奴の軽い言葉に流されていた自分が一番恥ずかしすぎるわ。でも、約束は約束だし、勝手に帰れないし。ああ、もう。
「何? もしかして恥ずかしがってるわけ? そーんな可愛らしいかっこうしておいて、今更だよ?」
うまく人の流れに乗れずにもたもたしていると、すぐに奴が追い付いてきてにへらと笑った。
「は?」
思わず足を止めると背に遠慮がちな誰かの手を感じた。道行く人たちの邪魔にならないようちょっとした脇道に導かれ、奴はにやにやとさっきのおばちゃんと同じように笑っている。
「それ、その浴衣、俺のために着てくれたんでしょ?」
「は?」
黒地に薄い紫のような桃色のような大輪の牡丹が描かれた浴衣は母のもの。
明日香もこういうのを着る年になったのねぇ。と、ノリノリで着付けてくれた母の嬉しそうな顔にほだされて、言われるまま髪を結い、薄く口紅まで引いてしまったのだが。
コイツのために浴衣を着るなんて発想は全くなかったぞ? むしろ、母のためだと声を大にして言いたい。
「なに」
を、勘違いしてるんだ、このバカ! と、続くはずだった言葉はキャラクターのお面を欲しがるこどもの鳴き声で遮られてしまい、
「明日香にそういう気がなかったとしても、男はそんなふうに期待するんだよねぇ。ってわけだから、今日はこのまましあわせな勘違いさせておいてよ」
久々の悪意のこもっていない笑顔にどきんと胸が大きく波打つ。
その効果すら計算のうちなのか、奴はこちらの動揺など気にすることなく私の腕を取ってまた人の流れに紛れこんだ。
「明日香が食い意地はってるから、時間になっちゃうよー」
「うる……、くッ、悪かったな」
その横顔すら直視することもできず、顔をそむけると同時に空に大きな花が咲いた。
どぉーん、ぱちぱちぱちぱち……。
おおー。周りからあがる歓声のような溜息の声。
「やばいな。もう花火始まっちゃったよ。明日香、ちょっと急ごう!」
ああそうだ。花火のよく見えるとっておきの場所があるとか言ってたんだっけ。
手に持っていたりんご飴もかき氷も、すべてを引っ手繰られて、空っぽになった右手を掴まれると、それからはあっという間だった。空を見上げて立ち止まっている見物人たちの合間をすいすいと抜け、いつもだったら嫌気がさすほど人でごった返していたにも関わらず、私は誰ともぶつかることなく、また立ち往生することもなくいつの間にか神社の裏手を抜けて、花火を打ち上げている湖を一望できる場所に立っていた。
しかも、私たちの他には誰もいない。
ひゅるるるるるるる……、どどーん。ばらばらばらばらばら……。
「うおおおおお、すごいな、一之瀬!」
すぐ目の前で花開く華麗な花火の大迫力。
それをほぼ独り占めにできるってのは、すごい!
夜空に白銀の大輪が咲き誇り、一瞬の後に儚く散って行く。それは夢のように艶やかな世界。
刹那の美しさ。
「綺麗だな」
「ほら打ち上がって光が流れてくでしょ? それは菊なんだって」
「ほぅほぅ」
数え切れない金色の光がふわりと流れて消えて行く。
「でね、流れないのが牡丹なんだって」
「ほほー」
中心に赤い芯、その周りに青白い光たちが咲いて消えた。
「よく知ってるな」
「んー、ちょっと調べただけなんだけで細かいところは分かんないよ。ごめんね?」
「いや。だって今のは菊だろう? 区別がつくだけでも……って、あの笑った顔のは?」
「スマイル?」
「ほほーぅ。愛嬌のある花火もあるもんだなぁ」
「喜んでもらえた?」
「まぁな」
「あー……、じゃあ、さ」
次々に打ちあがる夜空の花に見惚れていると、不意に肩に熱を感じた。
「こんな特等席用意したんだもん、ちょっとくらい許されますよね?」
「……!」
夜風で冷えていた左肩に心地のよい暖かさ。
でも、それは嫌な感じはしない。
「うん、遠慮なく寄りかかってくれていいからね」
「うるさい。その汚い手を振り払われたくなかったら黙ってろ」
「はいはい」
くすくすと笑う奴の手からりんご飴を取り返し、ぺろりと舐める。
物で釣られたわけじゃないが、今日はこのくらい勘弁してやろうと思う。
「最後に仕掛け花火とかあるらしいよね」
「ほほー!」
なんたって今日はまつりで、いつもとはちがう、何が起こっても不思議じゃない特別な日なのだから。
それに、いつでも肘で腹をえぐってやる準備はできているし、な?
お付き合いありがとうございます。これでしばらく更新はありません。次は9月の予定です。