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7月

「許さん」

 最高級牛肉を手土産に我が家に押し掛けてきた一之瀬裕樹。

 彼が居間に入るのを力づくでも阻止しようとしていた私の手に、よく知っている大きな手が添えられて、私とバカ男の間に大きな壁ができた。

 そしてもう一度大きな声で、はっきりと壁が喋った。

「明日香との交際は許さん。結婚を前提の真剣なお付き合い? 子供が何を寝言を言ってるんだ。大人をからかうんじゃない。聞けば、うちの明日香は君との交際を嫌がっているようじゃないか。ちょうどいい、今ここでうちの明日香に付きまとうのをやめてもらえないかい? 一之瀬君」

 私と一之瀬の間に立ちふさがった壁の名を、南城太郎という。日本の西の方に単身赴任中の、たまにまとまった休みが取れると新幹線でも飛行機でも、どんな手段を講じても家族に会いに来てくれる、子離れのできていない若干過保護気味な、四十八歳管理職男性、つまり私の父親である。

 あらまぁ、天帝のお出ましね。キッチンからのんきな母の鼻歌が聞こえるがいちいちそれにツッコミを入れている暇はない。

「はじめまして、お義父さん。一之瀬裕樹と申します」

 にっこり。

 揺り籠から墓場まで、0才児からよぼよぼのおばあちゃんにまで通用しそうな一之瀬裕樹魅惑の営業スマイルが炸裂した。

 もちろんうちの母はこれでやられたのだ。「爽やかな男の子じゃない」と、ほんのり頬を染めながら。

 まさか、あの営業スマイルは男女を問わずに有効なのだろうか?

 うかがうように覗き込むと、片眉をぴくりと持ち上げた父は黒ぶち眼鏡の下で辛うじて冷笑を維持していた。

 喜ばしいことに私の危惧は無駄に終わったようだ。さすが、父。普段は鬱陶しいことこの上ないが、奴と比べればまだマシ。比較級で申し訳ないが、好きだぞ、父よ。

「私は君のおとうさんではないのでね、その呼び方は相応しくないと思うが?」

「そうですか? でも、将来的にはそうなりますよ? おじさん」

「ほぉう? 本人が承諾もしていないのにそんな事態になるとは思えないがね、一之瀬君」

「恥ずかしがってるだけですよ。そのうち承諾させてみせますから。ねぇ? 明日香」

 面倒だから巻き込まないでほしい。

 いや、自分のことなんだけど、できることならお父さんに追い返して欲しいんだよ。大の大人、しかも父親という立ち位置だったらコイツを黙らせることができそうじゃないかと期待していたのに。

 それなのに。

「そうなのかッ? 明日香! お父さんは、お父さんは何も聞いてないぞッッ!?」

 やっぱりそう来たか。

 案の定、父は血走った眼で私を見据え、泣きださんばかりの勢いで肩を揺さぶってくる。

「違うよな? 明日香はお父さんのお嫁さんになるんだもんな? ちっちゃい頃からそう言ってたもんな? 今でもそう思ってるもんな? な? な? な?」

 うざ……。

 口に出してしまえば簡単だけど、こんなに大真面目に迫られると簡単に切って捨てることもできず、「はいはい、当分嫁にはいきませんよ、安心してくれ」と、いつもの言葉がするりと口から出て行った。

 そうか! と、嬉しそうな、でもぐちゃぐちゃな泣き顔を擦り寄せてくる父親にされるがままになっていると、居間のドアに寄りかかっている一之瀬と目があった。

 余計なこと言うな。

 帰れ。

 こっちは必死に声にならない声で伝えるのに、ヤツは口の端だけを持ち上げて意地悪そうに笑った。どうやらこのまま退散する気はないらしい。

 それどころか、い、や、だ、ね。と、口の動きで伝えてよこしやがった。

「ほらほら、みんなそんなところに突っ立ってないでお茶でもどうぞ? ほら、城太郎さんも明日香も座って。一之瀬君も、ね?」

 母に勧められるまま、父はダイニングテーブルの母の隣に座らされ、一之瀬は父の向かい側に。そして、私は空いている母の向かい側、つまり、一之瀬の隣に落ち着いてから、その席順に私と父は戦慄した。

 まるで、いや、そんなことは考えたくもないが、いや、どう考えてもこの並びはまずい。

 焦る私たちをよそに、母は相変わらずにこにこ笑いながらお茶をすすっている。

「由利子さんッ! 悠長に茶なんてすすってる場合じゃないよ!」

 父は湯呑をテーブルに叩きつけるように戻して、即座に目を剥いた。

「うぉいッッ! なんで貴様の隣にうちの明日香が座っているんだッッ! 明日香、こっちへ来なさい! これじゃあまるで……!」

「まるで? 何ですか?」

 意地悪く問う一之瀬に対し、父は続けようとしていた言葉を無理やりに喉の奥に戻した。

 それはそうだろう。自分で墓穴を掘る必要はない。

 父の心の叫びが聞こえた気がする。

 頼むからもう帰ってくれ、と。きっと心の中で大絶叫しているはずだ。じっとりと一之瀬を見つめる目がヤバい。

 それなのに、私なんかよりずっと父との付き合いが長い母にはそれが通じない。いや、あえてのスルーなのかもしれないが。とにかく、爆弾しか落とさない。

「あらー。なんかこれってあれみたいじゃない? ほら、よくドラマなんかである、結婚の承諾を……」

「うわああああああああああああああああああああ!!!」

 父が猛然と母の言葉を遮った。

 いや、分る。私には分かるよ、お父さん。お父さんがそうしてなければ、私がやった。

 すまないが、お茶をもう一杯もらえるかなッッ?

 八分目まで入っていたお茶を一気に飲み干して母に湯呑を押し付けた父。急場をしのいだようにほっと胸をなでおろしているのがあからさまだ。

 けれど、敵は一人じゃあない。

「娘さんを僕に下さい」

 唐突に、いきなり。しかし、それが本日の訪問の本題であるかのように、隣に座っている男がばかに丁寧に父に向かって頭を下げた。

 硬直する私と父など関係なく、母は嬉々として小躍りをする。

「い、いや、……いやいやいやいやいやいや。だからね、一之瀬君、うちの明日香はね、……ととととと、とにかく、頭をあげて、な?」

 ダメだ。あまりの衝撃に目が泳ぎまくっている父はもう使い物にならない。

 自分がうちの父に与えたダメージの深さをも分かっているのか、頭を少し上げ、ヤツはちらりと私の顔を見た。

 動揺しまくりの父をしり目に、その目は楽しそうな色をしている。

 こいつ、このままたたみかけるつもりだ。

 それなのに、肝心の天帝様をうかがうと、見るも無残な放心状態のまま固まっている。これじゃあ牛飼いを一喝するなんて無理に決まってる。どう見ても牛飼いの方が一枚も二枚も上手だし。母よ、あなたの思惑通りなのかもしれないが、ウチの天帝は打たれ弱すぎる。

「デート一回でこの場を丸く収めてもいいけど、どうする?」

 私の耳元でこっそりと囁く不埒もの。これが場を乱した張本人の吐くセリフだろうか? しかし、ここはコイツに下がってもらわないと収拾がつかないだろうというのは明白で。

「わかった」

 承諾する以外の手立てが他にあっただろうか。

 結局、ヤツは「というのは冗談で、清い交際をさせていただいてますのでどうぞよろしくお願いします」と、にっこりとほほ笑んだのだった。

 勝てる気がしないよ。まったく。

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