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6月

 朝から降り続いている雨。

 雨は嫌いじゃないのだが、こうも毎日だと、ほんの少しだけ鬱陶しく思う。

 ホームルームが終わった時にはしとしと程度の降り方だったのに、図書室で調べ物をしているうちにどうやら本降りに変わってしまったようだ。

「仕方ないな」

 昇降口でしばらく雨を眺めながらぼーっとしていたことに気付いて、しかも、こんな目立ったところでぼーっとしていては面倒なことになるということを思い出して、待ち合わせの場所に向かうべくお気に入りの傘を広げた。

 手元に広がる星座たち。

 傘の裏地に描かれているそれらを見ていると、やはり雨も嫌いじゃないと思う。梅雨が明けるまで、それまではこの小さな宇宙を独り占めにできるのだから。

「明日香、なんか良いことでもあったの? 顔がにやけてるよ」

「うわあああああ!!」

 突然目の前を遮った人物に、驚きの余り不覚にも奇声をあげてしまった。

 ついでに、カバンを振りかぶって顔面にぶち当ててやったのだが、それでもめげずに奴は鼻をこすってにへらと笑っただけで一向に動じる様子がない。

「ひっどいなー、今日も一緒に帰ろうって約束してたじゃん」

「し、してない、そんなもの」

「嘘だね。今朝約束しただろー? っていうか、この一週間くらい明らかに帰りの時間俺とずらしてたでしょ? 今日は逃がさないよーん」

 その通り。

 コイツが母を味方につけ、私が家を出る時間の10分前には我が家の居間のソファに座って紅茶をすするようになってから二週間。最初の一週間こそ本気になって抵抗したものの、一週間毎日遅刻ギリギリで滑り込み、ついに担任に小言を言われた先々週の金曜日。それならばと、コイツを出し抜こうと三十分も早起きした先週の月曜日。勝ち誇ってダイニングキッチンに降りて行くと、それが当然のようにしゃあしゃあとトーストをかじっていたコイツを見たときには、とうとう諦めの境地に至った。

 どうやったって一緒に登校することを避けられなかった二週間。だからせめて、下校くらい自由にさせてもらいたいと思うのは決して我がままではないはずだ。むしろ、それは私の権利だ。

 いろいろ理由をつけて各教科の準備室で勉強を教わったり、そこで時々先生にお茶とか飲ませてもらったり、あとは今日みたいに図書室で勉強したり。どうにかこの男の目から逃れようとこそこそ動いた甲斐あって、この一週間はヤツに見つかることなく静かに結衣ちゃんと下校することに成功していたのに。

 それなのに、今日に限って失敗に終わった。こんなところでぼけっとしてないでさっさと移動すればよかった。結衣ちゃんの委員会が終わったら一緒に駅前にできたばかりの本屋に寄って行く約束はもう無理。

 一度見つかったら絶対にまくことができないのも学習済みなので、こうなったら仕方がない。無駄に逃げ回って他の生徒たちに冷やかされるのはご免だ。

「さて、まだ時間早いし、うちでコーヒーでも飲んでいってよ。帰りは送るし。ね?」

 最後は疑問形だけど、私に選択の余地などないから腹が立つ。

「高原んとこから新作のケーキが入ったんだけど、試食するでしょ?」

 ルバーブって野菜を使ってるんだってさ。食べたことある?

 行くとも行かないとも返事をする前に、奴はそれはもう楽しそうにルバーブとやらの説明を始める。やっぱり拒否権はないのかよ。それもなんだか悔しいな、くそぅ。

「誰が行くと言ったんだ、私は帰るぞ」

 無駄な抵抗とは知りつつも横から一撃くれてやると、ぴたりと、忙しく動いていた口が止まった。

 それから何かを考えるように私の手元に視線を落とし、己の顎に手をあてて唸ると、突如にっこりと微笑んで、

「よし、じゃあ帰ろうか」

 と、私の差しかけの傘をひったくって、するりと私の体の左脇に身を寄せたのだった。

 その行為があまりに滑らかすぎて、こちらが一瞬反応に困っていると、奴は性懲りもなくにこにこと笑うだけ。

「一之瀬、自分の傘があるだろうが。朝はちゃんと使ってたよな?」

「あー……えーと、実は不幸にも傘を忘れた少年がいて、そいつに貸しちゃったから、ないんだよねぇ」

「取り返してこい」

「えー、せっかくだしラブラブで帰ろうよ」

「お断りだ」

「でもさ、明日香も傘がないと帰れないわけだよね」

 言うと、ヤツはひょいっと傘を持ち上げ、意地悪く笑いやがった。

「いーちーのーせぇぇぇぇぇッッ!!」

「ほほほほほほほ、欲しかったら捕まえてごらんなさい?」

 こちらに背を向けてスキップで逃げて行く男。気色悪い声色まで使って、雨にぬれないところを選びながら徐々に遠ざかって行く。

「ほぅら、早く私を捕まえてごらんなさい。お帰りになれませんわよー?」

 確かに、この雨の中傘がなければ帰れないさ。だがな、そんな挑発に乗る私ではない。

 誰が好き好んであんなやつとあ……、いや、すまん、その名称を出すのも身の毛がよだつわ。

 猿のようにきゃっきゃと騒いでいるバカを視界から外し、カバンの中を探る。教科書やノートなんかをスルーしてその奥に進めば、つるりとした感触のそれに触れた。

「あ゛――――――――!!」

 バカ男の悲鳴のような絶叫が昇降口に響いたが、そんなものはどうでもいい。

「汚いよ! 明日香! そんなのズルだッッ!」

 誰が汚いだと?

 勝ち誇った気分でバカ男を一瞥してから、私は折りたたみ傘を広げて歩きだした。



 梅雨の時期に置き傘を用意してるのは女子の常識。

 昨日、結衣ちゃんと行った雑貨店で買ったばかりのピンクの豚の柄を握りしめて、さっそくこの傘に感謝した。

 置き傘をロッカーに置いてくるのを忘れただけなのだが、まぁ、こんな役立ち方もあるということだ。

 こみ上げてくる笑いをどうにか奥歯で噛み殺してようやく帰宅したのだが、家に帰って一時間もしたところでルバーブのケーキをぶらさげやってきたアイツのしつこさには正直呆れるのを通り越して脱帽だったが、な。

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