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12月

 推薦で大学に合格した。

 結果が届けばこれまでの道のりは呆気ないもののように思えた。

 母親はもともと受験そのものに興味がないような節があっただけににこにこと「おめでとう」の一言だけで済ませ、反面合格発表当日はつかまらなかった単身赴任中の父親はリアルタイムで喜びを分かち合えなかったことをずいぶんと嘆き悔やんで、夜中だというのに電話口でねちっこく被害者ぶって母と私を困らせた。「年末年始の休暇には絶対にお祝いするからな!」と力強く宣言してあちらは気分良く電話を切ったようだったが、こちら側は母娘ふたりでぐったりと力なく笑って来るべきお祭り騒ぎを予測しながらベッドにもぐりこんだのだった。

 そしてその週末。

 今、私は決定的な母親の裏切り行為を確認した。

「ごめんね明日香、お母さんちょっと用事があって先に出るけど××駅前の公園で二時に待ち合わせしましょ」

 父から私宛の臨時送金と母のへそくりとを元手に、買い物をして美味しいものをたっぷり食べる約束だった土曜日。母との約束では「午後から出かける」ものであり、久しぶりの朝寝坊と二度寝、三度寝を堪能していた私はダイニングテーブルの上に置いてあった書き置きをトースト片手に読み流したのだった。母は母なりに用事くらいあるのだろう、くらいに鷹揚と構えて愛犬を撫でて残り僅かな午前中をつぶし、午後一時半を過ぎたころのろのろと支度をはじめて母との待ち合わせ場所目指して家を出たわけだったのだが。

 母の指定した駅の公園の入り口付近にて、私はその人物を認めてしまった。

「こんにちは、明日香」

 十二月とはいえ暖かな日差しの下、黒のジャケットにシャツ、デニム地のパンツをさらりと着こなしたその物体はにっこりと魅惑スマイルでひらひらと手を振っている。

 謀られた。

「百貨店に買い物に行くんだから普段着は却下。ちゃんとおしゃれして来なさい」

 付け加えるように素っ気なく書かれた母の文字が頭に浮かびあがると同時に、軽くイラつく。なるほどそういうもんかと納得した私の馬鹿。ほいほいとワンピースにコートをひっかけてきたわけだが、考えてみなくともちょっとお出かけ用のかっこうは、ちょっとデート用のかっこうでもあり得たのだ。いつもいつもにこにこと呑気に笑いながらのこの策士ぶり。そういえば、いろいろと母親には騙されていることが多かったっけ、とここへきて心当たりを思い返してみてもどうにもなるものではなく、当然のようにこちらの手を取って歩きだす一之瀬を含めた敵側に勝負が始まる前から軍配は上がっていたに違いない。

「明日香のお母さんはすごいね。俺がどんな手を使っても駄目なことを易々と可能にしちゃうんだから」

「そうだ、な……」

 寄ってたかって騙されたことは遥かかなた。指一本一本を絡める恋人つなぎをした手が気になって、あえなく戦意喪失。加えてにっこりと笑って振り返る一之瀬の顔をまともに見られない自分が悔しくて仕方がないのに、つないだ手ごと引き寄せられ知らず頬が熱くなった。

「今日の明日香は可愛いね。ついでにこっち向いて笑ってくれたら言うことなしなんだけどな」

 こんな軽口を聴くのはどれくらいぶりだろうか。

 あの文化祭以降、一之瀬がちょっかいを出してくることが目に見えて減っていた。

 代りに穏やかに笑う顔か時々困ったような顔をしているのをよく見るようになった気がしていた。頬杖をついてぼんやりとしていたり、その綺麗な濃褐色の目でどこか遠くを見ていたり。一体どのような心境の変化なのか理解したくもなく、こちらはこちらの事情で手がいっぱいであったために助かったと言えば助かったのだが、なんとなく、認めたくはないが、ふと寂しいと思う気持ちがないわけではなかった。

 今日もつないだ手は温かいのに、その背中が冷たく思えるのは気のせいだろうか。

 はい、これね。と私がついさっき降りてきた駅の改札口で手渡されたのは切符。

 目的地までの分を先に買っていたらしく、私たちはその駅から三度乗り換えをし、一時間弱ほど電車に揺られて着いた先は百貨店などどこにも見当たらないのどかな風景だった。駅前の通りには商店街のアーケードが続き、人の流れはさほどでもなかったがそれなりに華やかな雰囲気の感じの良い街並みが広がっている。そして私たちは西に傾いた太陽を背中にして商店街を進んでいく。

「ケーキを予約してあるんだ。それを受け取ったらタクシー使うから」

 言った通り、クリスマスケーキの見本がずらりとならぶ小さな洋菓子店で代金と引き換えに商品を受け取った後、一之瀬はもう一度駅前に引き返してあくびをかみ殺していたおじさんのタクシーに乗った。一之瀬から行き先を告げられたおじさんは「ああ、あそこか」とルームミラー越しに私たちを見てそれから車を発車させたのだった。

 おじさんは一之瀬が抱えたケーキから何か祝い事があることを察し、それについて二言三言触れてきた。私たちを面白がっている風の問いに、一之瀬は「おばあさん」という単語を使ってのらりくらりと交わし、そのうち運転手のおじさんは私たちの関係を親戚の従兄妹と結論付けて落ち着いたらしくそれ以上は詮索を止めた。道路を走っているというよりは滑っているような感覚にまどろみ掛けた時、私たちは一軒の家の前に降ろされた。

「本日の会場に到着。お疲れ様」

 ロッジ風のおしゃれな建物とウッドデッキが備えられている広い庭。一目で別荘と分かるその建物に迷うことなく一之瀬は足を踏み出す。煉瓦の敷かれたアプローチを進み、玄関を手慣れた様子で開け、一之瀬は私を中に招いてぺこりと頭を下げる。

「いらっしゃいませ」

「お、お邪魔します?」

 反射的に返事をし、私は促されるまま中へと進んだ。

 広く取られた玄関は二階までの吹き抜け。見上げた天井からは独立したいくつものペンダントライトがぶら下がっていた。ちょっと不躾だったかな、と落とした視線の先にはwelcomeと書かれたプレートを加える犬の置物が飾られていたり、いろいろな鉢植えの花が置かれている。その他にも家の持ち主のこだわりが感じられる品の良い調度品(美しいフォルムの花瓶やら、複雑な模様をしたステンドグラスのパネルやら)がところどころにさりげなく置かれているところをみると、ここは我が家よりずっと裕福な家族の持ちものであろうことは容易に想像がつき、

「ばーちゃんの別荘なんだ」

 と奥へ進んでいく一之瀬の言葉に、ハロウィンの時お世話になった園長先生の顔が浮かんだのだった。

「へぇ。ずいぶん趣味の良い別荘なんだな」

「いや、うちの親父の話だと最初はヨーロッパ調の城を建てたがったらしいんだよね。周りとの兼ね合いを考えてくれって家族で散々説得した結果、ようやくコレで落ち着いたらしいよ」

 こっち、とさらに通されたのは広いリビングダイニングで、そこには目を引く蘭の鉢が据えられていた。私の記憶が正しければ、それは胡蝶蘭というものではなかっただろうか。それも一鉢に十本弱ともなればそれなりの値が張るようなものに違いなく、もしもそれが造花でないとすれば、やはりこの家の持ち主は優雅な暮らしぶりをしているものと私にも察しがついた。

「それ、明日香にプレゼントだって。ばーちゃんから」

 あまりに事も無げに言うものだから、最初はなんのことかわからなかった。

 重厚なダイニングテーブルに鎮座している蘭を一之瀬が指さして、「でもさ、持って帰れないよね」と笑ったところで、ようやく、

「はああああああああっ!?」

 奇声だけを発するに至る自分が情けなかった。

 どこからツッコミをいれるべきか思案しつつ、それでもうちのリビングにはこの立派な蘭を飾れるだけの余裕がないよなぁ、と心の片隅で算段してしまったあとでたっぷりと自分を呪った。

「持って帰らないし、貰ういわれもない」

「まぁそう言わずにさ。ばーちゃんが明日香のために選んだものなんだからそこだけは汲んで上げてよ。持って帰れとは言わないから、時々ここに見に来てくれたらいいからさ」

「でも」

 言いかけたところで、合格おめでとう、と書かれたメッセージカードに気付きそれから先は飲み込んだ。最近、顔を合わせる人が必ず言う「合格おめでとう」がここにもあったのだ。

「……とりあえず、お礼を言っておいてもらえるか? そのうち訪ねてみるけど」

「うんうん。今日はね明日香のお祝いなんだからでももだってもないんだよー。で、それはそれで置いておいて、本日の主賓は主賓らしく大人しく適当にその辺に座っててよ」

 あはは、と上機嫌で笑う一之瀬はいつのまにかカウンターキッチンの中に入り、いそいそとやかんを火にかけ、棚から取り出した四角の感から茶菓子を取り出していた。

 しかし適当に座ってて、とは言われたものの、あまりにも普段の生活からかけ離れている広々とした美しい空間に身の置き場に困った。座るがいい、ともの申していそうなどっしりとしたアンティークのような可愛らしい花柄のソファに腰掛けるのも勇気が必要で、座ってみても居心地がすこぶる悪い。いたたまれない。どちらかというとくつろげない。

 気分を落ち着かせようと、マガジンラックにインテリアの一部として収納されていた雑誌を取ってみるのだが、中をぱらりと捲れば、華やかなパリのアレンジメントがカラーで紹介されたそれはまさに異国であり、洪水のような色とりどりの花々に逆に圧倒されてしまった。ハイセンスな雑誌一つになじめない庶民っぷりが正しいのか間違っているのか、揺らぎ始めた自我を立て直すため私はのろのろと分厚い雑誌を元に戻した。

「ついていけない……」

 ついていけなくて当然だろうとささやかに自分を励まし、どうしようもないため息を漏らしたところで、すっと目の前に可愛らしい小さな薔薇の絵のティーカップが差し出された。

「はい、おまたせ」

 綺麗な紅い色のお茶が入ったそれを持っているのはもちろん一之瀬で、すっきりとした香りのそれを受け取ると、彼は自分の分を持って私のすぐ隣に密着して座った。

「ちょっと……」

 これだけ広いソファなのにどうしてくっつく必要があるんだ、と抗議のために開いた唇にクッキーが一枚差しこまれ、

「今日はでももだってもちょっともなし。で、先に業務連絡ね。さっきの駅から九時の電車で帰るよ。ここから駅まで自転車で二十分はかかるからせめて八時三十五分にはここを出ないといけない。今四時半だからそんなに時間ないかもしれないけど、めいっぱい全力でお祝いするからね、明日香」

 と、クッキーが喉を通って行く前に、何かの呪文か暗号のようなわけのわからない言葉を一之瀬がにっこりとまくし立てるのだった。

「は?」

「もー、何を今更しらばっくれちゃってるのかな、明日香は。のこのことこんなところまで付いてきたくせに今更お茶して帰れるとは思ってないでしょ?」

 にや、と目の前の人間が見慣れた顔で笑う。

「いや、だって……」

 お祝いといえばケーキで、ケーキといえばお茶で、つまりお茶飲んでケーキ食べれば帰れると思っていたのは健全な思考ではないのだろうか? それに、いくら実の母親が陰謀に加担していたとはいえ、娘を危険な目に合わせること母親などこの世にいるはずがないだろう? だからこそ何の疑いもなくここまで付いてきてしまったわけだが。それは間違いだったんだろうかと今ここで、ソファの上で後悔してみても遅いのだろう。

 嬉々として喋り倒す一之瀬を制する自信も気合もありはしない。

「明日香のお母さんには責任のとれないことは絶対にしません、って約束してあるんだよね。俺のこと信用してくれてるお母さんとの約束を破るつもりはないからそこんところは安心してくれていいんだけどね。でもね、逆にその約束は裏を返せば責任のとれることは何をしてもいいってことになるわけだ。結婚を前提にしているとはいえ、お互いまだ未成年だしね。うん、俺もその辺の分別はちゃんとあるから大丈夫」

「なんだ、それはっ……!」

 ついさっき潤したはずの喉がカラカラに乾く。

「外堀は完璧に埋まってるんだよね。生憎と。気が付かなかった?」

「気が付くわけないだろうがっ」

「へぇ? じゃあどうして何も疑わずに俺に着いてきたんだろうね、明日香。それって最近俺のこと目で追ってくれてるのと関係があるのかな? 文化祭以降目が合うことが多くなったって俺は気付いてたよ」

 掴んでいたティーカップを取り上げられた後は一瞬で元からあるようでなかった一之瀬との距離がゼロになった。鼻先に他人の顔。文化祭での出来事が自然と頭をよぎる。

 それは相手も同じだったようで、あの時、と呟かれただけで心臓が跳ねて潰れた。

「あの時は人前だから嫌がったんだよね? 明日香」

「ちが……」

 押し返そうとする手を阻まれ、軽く頬に柔らかいものが触れた。

 頬や頭に感じる内側からの熱と、与えられる外側からの熱とで今まで感じたこともない感情が壊れる寸前の心臓から全身に送られる。

「明日香、もう観念しちゃいなよ」

 一度顔を覗き込むように離れた一之瀬の顔が笑っている。

「押してダメなら引いてみて、それで効果てき面だったんだから、素直に認めちゃえ」

 ああ、やっぱりそういう策だったのか、と頭の隅で妙に納得してしまう冷静な自分がまだ存在していることに驚いていると、すぐ目の前の一之瀬の笑みに悪戯っぽい表情が混じる。

「明日香は俺のこと好きなんだからさ」

 本当に、もう認めてしまうしかないんだろうか。

 それもいいかもな。

 まともでない頭で思った拍子に、満ち足りた表情の一之瀬の顔が今度はゆっくりと近づいてくる。

「明日香、おめでとう。これからもずっと一緒に祝っていこうね」

 合格おめでとうじゃなくて?

 再び私の耳元近くに下りてきたその唇が囁いたのは、再三聞きあきた「大学合格おめでとう」のそれではなく、密かに待ちわびていた「ハッピーバースデー」の意味だなんて、――まさか、ね。

クリスマスイベントじゃなかったという。笑

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