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11月

 駅前のかなり狭いスペース――ただの空き地ともいう――を借りて上演した、「お姫様と魔女」(監督脚本演出・和久井先生)は地元の幼稚園児および小学生の女の子たちの大絶賛で幕を下ろした。不本意ながら主役を請け負ってしまった私もこれでようやく肩の荷が下りたと思った瞬間だったが、世の中そううまくはできていないらしく、にっこにこの上機嫌この上ない和久井先生に引っ張って行かれた校長室にて私たちは地元新聞の取材を受ける羽目になった。私たち、というのは言うまでもなく主役の私と準主役の一之瀬裕樹である。

 新聞社の人というのが私たちと年の近そうな若い男の人と女の人だったからなのか、取材は終始和やかにかつ円滑に進んでいき、最後に「記念に一枚」と言われて軽い気持ちで写真に収まってみると、どうせ地元紙といっても小さな記事が載るだけなんだという気にさせられた。

 しかし何を思ったのか翌日の地元新聞には割と大きくあの写真が掲載され、私も一之瀬も和久井先生もそれが誰であるのか一目見れば分かるほどに鮮明に映っていた。

「いやあ、新聞の影響ってのはすごいね。本番でもよろしく頼むよ」

 その日登校してみれば、「お姫様と魔女」にかかわった生徒全員に向かって校長先生が呑気にそう言ったのだった。和久井先生と一部の生徒たちはきゃっきゃと喜びはしゃいでいたが、他の大部分はこの厄介事にいつまでも足を引っ張られることに大きく落胆した。

 そして文化祭本番当日。

「解せん」

 会場である体育館を埋め尽くす人、人、人、人。人山の黒だかりとはまさにこのことか、と舞台袖からちらりと覗いただけでも分かるほどの大盛況ぶりに軽くめまいを感じた。商店街の一角でこっそり上演したあちらの本番とはまるでわけが違う。失敗してしまったらどうしよう。思わなくもないが、もうここまで来たらやるしかない。

 物語は所謂王子様とお姫様のハッピーエンド。

 魔女に姿を変えられ、本心とは逆のことを言ってしまう魔法にもかけられてしまったお姫様を助け出す王子様の話。

 王子の台詞はもちろん、今では悪い魔女の台詞も良い魔女の台詞もそらんじられるほど何度も何度も練習を重ね、ある程度の自信を持って本番を迎えたはずなのにこの変な胸騒ぎは何だろう。

「明日香、緊張してる?」

「別に」

 素晴らしく完璧なフォルムのかぼちゃパンツを着こなす一之瀬。そうだ。どうせ客の大半はこの男目当ての他校の女子たちだ。私など居てもいなくても同じだろう。それなりに演じればいいのだ。

 小ぶりなかぼちゃとしか形容しがたい冠まで頭に載せ、「王子様」がいつものようににっこりと笑っている。


 一度幕が上がれば場面は淡々と進んでいく。

 本当は王子と一緒に帰りたいのに魔法のせいで帰りたくないと突っぱねる姫。腹を立てた王子はとっとと城へ引き返してしまう。王子にも見捨てられた姫はこの世の終わりだと王子のお付きの良い魔女に泣きつく。姫をかわいそうに思った良い魔女は悪い魔女の魔法を何とか解いてあげようと姫に約束するのだが、良い魔女が姫の元を離れた瞬間に運悪く悪い魔女が戻ってくる。鼻の利く悪い魔女はたちまちに王子の匂いを嗅ぎつけ、森をさまよっていた王子に追いつくと簡単に彼の魂を奪ってしまった。

 悪い魔女はわざわざ姫の前に戻ってきて王子の魂を食らおうとする。けれど姫自身が心から祈り願った本当の気持ちが魔女を溶かし、王子の魂は元通り体に収まるのだった。

 そして王子は姫の元に戻って跪いて囁く。

「ああ、僕の愛しいアスカ姫! 僕は何と愚かだったのでしょう。容姿ばかりを気を取られ、あなたのその清らかな本当の心を気遣う余裕すらなかった。それなのにあなたはこの愚かな僕を真実の愛で救ってくれた。慈悲深い僕の愛しい人。さぁ、僕の真実のキスであなたを元の姿に戻して差し上げましょう」

 会場のそこここからため息が漏れた。王子の歯の浮くような寝言とあまりのきらきらぶりに出たそれだとは確認せずとも分かった。だがしかし、その言葉と無駄に眩しい視線を投げかけられた当の姫が恐ろしさのあまり――ステージの上だということも忘れかけて――本気で後ずさりをしたとを誰が気付いただろうか。恥じらって身じろいだ、という表現では済まされない本気の後ずさりと、全身が泡立つ感覚。

 なんの嫌がらせか、その男が綺麗な顔で吐いた台詞は台本とは大幅に違っていた。

 だいたいが姫は姫であって、アスカ姫なんて固有名詞ではないのだ。王子が王子であるように。

『さぁ姫、共に城へ帰りましょう』と手を取って甲にキスをするのが正解であり、キスと同時に私が目を隠しているお面をはぎ取って元に戻るという演出でハッピーエンド、めでたしめでたし、なのだ。

 あああああ、なぜ目だけを隠す仮面だったんだろう。縁日で売ってるキャラクターのお面、もしくはフルフェイスで頭部すべてを隠してしまうかぶりものだったらよかったのに。鼻と頬と口がむき出しの仮面でさえなければいくらでもこちらも応戦できたものを。

 舞台袖でおろおろしている生徒たちもいれば凍りついている生徒もいた。右往左往する生徒たちの中、がんばれと口をぱくぱくさせた和久井先生の姿もある。

 会場はといえば、痛いほどの静寂。

『どういうことだ、この野郎』

『どういうことって、ここで本当にキスしたら盛り上がると思わない?』

『あり得ない』

『あり得なくないよ? ここまで期待されちゃ引っ込みつかないでしょ』

『この状況に追いやったのは誰だ』

『細かいことは気にしない気にしない』

『少しは気にしろ。というか、絶対に嫌だからな』

『まさかぁ。今更止められないってば』

 腹話術の要領でお互いの意思の疎通を図り、決定的な温度差を確認しながらどうにかこの悪ふざけをおさめようと、おさめて欲しいという私の願いも空しく、目の前の王子はにこりと笑って硬直する私の両手を取る。

 見ている人がどう解釈するかは自由だが、もし仮に情感豊かに瞳に思いを乗せて見つめ合っていた、と解釈する馬鹿がいたとしたらその目は腐っていると思う。

「アスカ姫」

 やわらかく笑う王子。

 王子の手が私の腕と腰に回されると、会場からはささやかな悲鳴が上がった。

 泣きたいのはこっちだよ、と叫びたい。叫んで殴って張り倒してやりたい。回し蹴りでふっ飛ばしたい。

『観念しなよ』

 これってれっきとした既成事実だよね。

 耳の奥で王子の顔をした、一之瀬本人の心の声が響いた気がした。

 お互いの息がかかる距離に王子の顔がある。

 ああ、もう。心の中でため息をひとつ吐き、私は顔を上げる。そして、

「しあわせにします」

 一際華やかな雰囲気を醸し出し始めた王子の顔面、主に唇に狙いを定め、私はせーのとばかりに目を閉じて、私なりの覚悟を決めた。

 会場から湧きあがった溢れんばかりの拍手と共に静かに幕が下りた。

 察するに、物語りは無事に終わったのだろう。

 恐る恐る目を開けた先、不穏な瞳でこちらを見下ろす腹グロ王子を除いて。

「一時はどうなるかと思いましたよー。でも、そうですよね、本当にキスするなんて思ってませんでしたしねぇ」と舞台袖から飛び出してきた悪い魔女を先頭に他の出演者たちがけらけら笑う。

 舞台の上が一瞬で和やかな空気に包まれた瞬間だった。

 わいわいと舞台の背景を撤収する生徒たちに紛れ、

「でこちゅー、ねぇ」

 ひとりしたり顔で笑うのは和久井先生。

「一之瀬君も相手が悪かったってところかね」

「明日香は照れ屋だからね」

 くくく、と喉で笑う先生に甥っ子は意外にもにっこりと満面の笑みを作った。

「明日香うまく切り抜けたね」

 目が笑っていない様に見える一之瀬に、あははと乾いた笑いだけを返して私は急いで舞台袖に引っ込んだ。これ以上あの男の手の届くところに居たらうっかり何をされるか分からない。

 膝が笑っているのは緊張が続いているせいだろうか。

 心臓がばくばくと大騒ぎしているのも耳鳴りがしているのも、きっとそのせい。

 決して一之瀬なんかのせいじゃない。絶対に。

「お疲れさまでした」

 手渡されたタオルで汗をぬぐい顔を隠してみると少しだけ体から余分な力が抜けた気がした。

 まったく、油断も隙もあったもんじゃない。自分の身は自分で守らないと。

 改めて自分を戒めるとやっと心臓の音が徐々に落ち着いてくる。

 最後の締めがおでこにキス、どころか頭突きだったことを知っているのはこの会場中に何人いるのだろうか。

 おでこにキスと頭突き。公式的には前者で押し通されることだろう。それはそれで恥ずかしいが、口にされるよりはずっとずっとずっとマシだ。

 まったく、本当に油断も隙もあったもんじゃない。

今何月だと思ってんだよ? 申し訳ない。

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