瓢箪の巫女
その巫女は、名もなき兵士の慰霊のために、美酒が入った瓢箪を持って現れると言われていた。
差し出された瓢箪に口をつけ、コクリ、と飲み込んだ。
「うまいであろう?」
俺はうなずいた。
飲み込んだ酒が、するりと喉を通り胃に落ちる。間違いなく高い酒だ。俺が必死に働いたところで、生涯に何度飲めるかわからないだろう。
「さて、何か言い残すことはあるか?」
酒をくれた巫女姿の若い女が、上目遣いに俺を見た。
この女、近くの神社に住む巫女だという。
十日前からこの一帯は戦場となり、数万の兵が死んだ。ざっくりと裂けた腹を見れば、俺もその仲間になるのは明らかだ。この女は、そんな兵士たちの慰霊に来たのだろう。
「ある」
「ほう? 誰ぞ思い女でもおるか」
巫女が、クククッ、と喉の奥で笑い、「では言うてみよ」と懐から筆と木簡を取り出した。
「その前に……お前、名前は?」
「妾か? 玲だ」
「そうか。では言うぞ。玲、俺と夫婦になってくれ」
は? と巫女の──玲の手が止まる。
「……お主、あほうか?」
「だからこんなところで死にかけている」
「なるほど。納得じゃ」
玲は筆の尻をあごに当て、うーん、と考えた。
「了と答えたら、妾はすぐに未亡人となるな」
「貴重な体験だろう?」
「確かに」
玲はまた喉の奥で笑うと、先ほどの瓢箪を手に取り、口に酒を含んだ。
その口を俺の口に重ね、酒を流し込んでくる。
うまい。
やはりこの酒は、いい酒だ。
「……これが誓いの盃でよいか?」
「ああ。これで夫婦だな」
「餞別じゃ。お主の妻の体、しっかり触っておけ」
玲は襟を開き、俺の手を乳房に押し付けた。玲の肌が血で汚れたが、せっかくの餞別だ、言われた通りしっかり感触を味わった。
「最高だ」
「で、あろう?」
クククッ、と玲が笑う。その笑い方が、とても可愛く思えた。
「玲、俺の分まで、生きろよ」
「承知した。わが夫の望み、精一杯かなえるとしよう」
玲が俺の手を抱き締め、儚げに笑った。
いい笑顔だ。
ろくでもない人生だったが、最後にうまい酒といい女に出会えた。最高じゃないか。
「ありがとうよ……神様」
◇ ◇ ◇
こと切れた男が崩れ落ちると、私は手を合わせ祈りをささげた。
「満足そうな顔をしおって」
私は瓢箪の口を開け、残っていた酒をすべて男にかけた。
死者のための、清めの酒。
仮初とはいえ夫となった人だ、特別にこの瓢箪はすべてこの男に捧げよう。
「ではな、夫どの。来世では、仲睦まじく天寿を全うしようぞ」
私の頬を一筋の涙が落ちる。
それをぬぐうと、私は新たな瓢箪を手に、死者で満ちる戦場を歩き出した。