第1節 死亡推定 終わりの始まり
――胸にきらめくは、弁護士記章。
そう。黄金色に輝くこのバッチは、いわゆる「弁護士バッチ」だ。
つまるところ、俺は弁護士ということなのだが、世間で言われるほどいいもんじゃない。
女性からの受けがいいかと言われたら、公務員の方がよっぽど人気だし、給料だって安定してない。
自営業。所詮は、自営業なのだ。
明日食っていくために、嫌な依頼でも受けて積極的に仕事を取ってこなくてはならない。
はぁ……憧れてた正義の味方とは程遠いんだよなぁ……
ため息と同時に、ポケットの携帯が鳴る。
プルルルル――
「はい、長門です」
「あ、長門先生!本日、午後2時からのクライアントの方がもうお待ちになられてますよ」
受話器越しに、先月入ったばかりの女性秘書の甲高い声が飛び込んできた。
「わかりました。すぐ向かいます」
腕時計をみると、時刻は午後1時ちょうどを指している。
やれやれ……早すぎるだろうに。俺には飯食う時間もないってことか。
再びため息をつき、事務所に戻るとクライアントの資料を素早く手に取る。
闇金業者からの借金による破産申し立て……これだな。
先日、法律相談に来た際のメモには、依頼者の悲痛な叫びが書かれている。
『――パチンコで負けた金を取り戻すためほんの10万借りたら、翌月には100万返せと言ってきた。家にも職場にも毎日取り立ての電話が来て、妻は出て行こうとしている。』
うん。まぁ、よくある話だが、10万が100万になるとは闇金業者も大きく出たもんだ。
とにかく話を聞こう――。
「大変お待たせいたしました」
満身の営業スマイルで応接室の扉を開けると、男が落ち着かない様子で座っていた。
中年の普通の男性。どこからみても平凡で、とても闇金に手を出したようには見えない。
「先生……私はもう……私は……」
作業着を着た男は、しきりに貧乏ゆすりをしている。
「まぁまぁ、一旦落ち着きましょう。どうですか、闇金業者からの電話は止みましたか?」
「やむも何も、あいつら、弁護士を立てたからってうちにまで来て……子供がどうなっても知らないぞってーーあぁ……もうダメだ」
急に声を荒げたと思うと、髪をぐしゃぐしゃと掻きながら虚な目で男が答える。
「そうだ……弁護士雇ったせいで、こうなったんだ……。」
――ん?このおっちゃんは何を言い出すんだ。
「あぁ。気づいたぞ。お前のせいだ。お前のせいで全部失ったんだ!」
叫ぶ男の目にイヤな光が灯った。
男は、カバンからギラリと鈍く光る何かを取り出すと、こちらに向かって走り寄ってきた。
「――罰を受けろ!!!!」
あっ、と思った瞬間には遅かった。
腹のあたりが妙に暖かい。
見れば、自分の腹に刺身包丁が突き刺さっていた。
「ど、どいつもこいつも、お、俺をバカにしたがって」
男はガタガタと震えながら一歩後ずさる。
なにが起きたんだ。
頭で理解するより早く、驚くほどの血がぼたぼたと流れてくる。
「お……お前が悪いんだ。お前が悪いんだからな」
痛みは感じない。けど、これじゃあまるで漏らしたみたいだな。
そんなくだらないことを考えていると、急に体の力が抜けて天地がひっくり返った。
――ばたんっ!!
あれ……おかしいな……力が……
「きゃあああ!!先生!先生、大丈夫ですか!しっかりしてください」
先月入ったばかりの女性秘書がなにか言ってくる。
あれ、ちょっと待てよ。今起き上がるから。すぐ起きるからな。
「違う!俺がやったんじゃない。お前のせいだぁあ!」
ん。変だな。起き上がれないぞ。おまけに寒い。すごく寒い。
まさか俺このまま死ぬんじゃないだろうな。
「先生、先生!誰か救急車、救急車呼んで!」
徐々に視界がぼやけてきて、あたりが暗くなってきた。
目の前には血溜まり。その先には倒れた衝撃で外れたのだろう。弁護士バッチが転がっていた。
嘘だろ、死ぬのか?お、俺はこれのせいで死ぬのか?これのせいで……。
血に染まった手を必死に伸ばし、バッチを掴む。
冗談じゃない。まだ何にもせずに死ぬなんて。
勉強ばかりで、女も抱いてないんだぞ。奨学金だってまだ残ってる。嘘だろ。旨いもんだって腹一杯食いたいし。旅行だってしたい。それなのに、それなのに!
くそ!正義なんてクソだ。なにが正義だ。そんなもの存在しない。
事実みてみろ。ほら、正義を振りかざしたって弱ければ死ぬんだ。ざまぁねぇや。
――力が、力が欲しい。弱者を救うには力が必要だったんだ……あぁバカだな俺。
バッチを握った拳に力が入る。
『了解した。力と正義を与えよう』
耳もとで誰かの声が聞こえた。
あぁ、幻聴まで聞こえる。こりゃ助からないな。
『剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力なり。これを心に刻み、称えよ。そして今一度己を試すがいい。』
なにをゴチャゴチャさっきから訳のわからんことを……。
目の前は完全に闇につつまれ
こうして俺は、あっけなく死んだ。
――そう。死んだ……はずだった。
異世界転生なんてするまでは。