最低男は(グッと)くるものを拒まない。
いよいよ設定資料集くん登場。
俺は朝から柊の家に来ていた。柊は俺の渡したプリントを読みながら、コーヒーを飲んでいる。モニターの載った木目調の机の前に配置された椅子に腰かけて、こちらに身体を向けて足を組んでいる。様になっている、と言っていい。かなり広い一人部屋に本棚が3つあり、2つはぎっしりと埋まっている。高そうな本ばかりだ。タイトルを見れば、明らかに高校生の範囲など逸脱しているのがわかる。
「なるほどね。結構、変な状況になってるね。」
「だろ?」
そうなのだ。昨日の夜、いずみと別れてから、電車の中で彼女の驚いた顔が妙に気になり始めたのだ。そこで結局、俺は柊に相談することにした。ここまでの記述でも、柊隆哉という男については触れているが、変人だとしか言いようがない。あるいは天才なのかもしれないが、その理解を超える言動は狂人に匹敵する。すごいのは狂人であることを本人が自覚して、めったに馬脚を現さないというところだ。
「いろいろ気になるというか、僕の頭の中には表現するのに一生かかるかもしれないほど膨大な言いたいことが浮かんできているんだが、とりあえず、読者の僕はいずみさんの彼氏に立候補する資格はあるのかな?」
「そこ?」
狙いすぎだろ、柊。そのボケはかなり痛いぞ。というか、作者は俺ってことになってるんだから、センスを疑われるのはこっちなんだが? とジロリと目をやると柊はうぐっと声に出して、目を伏せて言う。
「だって、そうだろ? いずみさん、めっちゃくちゃかわいいじゃん。頭もいいし、あの子はちゃんと評価されることができる子だし。あの子の私服姿とか見たことあるか? 完全に清楚系だぞ? それでいてちゃんと憎まれたりしないよう配慮しつつ、言うべきことは言えるんだぞ? 普通にいないぞ、あんなすごい子。」
「本気か? そもそも清楚系とか、俺の認識とははなはだ異なるところもあるんだが、というかいずみの奴、これを言わせるためにお前に相談するように仕向けたんじゃないだろうな。あとお前が清楚系が好みとかも、初めて知った。」
なんだ、柊のこの反応は。全く予想外もいいところだ。本気なのか? いやいやいや、俺の見立てではこいつはののかに…。
「僕は、(グッと)くるものは拒まず、なんだよ。」
「軽蔑していいか?」
「それ以上出来るもんならしてみるがいい。」
「サイテーだ。」
柊もいずみ以上に厄介な相手なのだ。とにかく何考えているかわからないところがある。表情がないわけではない。これも嘘ではないのはわかる。だが、本気でもないのだ。かといって適当言ってるわけでもない。こんな相手となんでつるんでいるのかと言えば、信用できる、という点が他のすべてを凌駕する。
いずみについてもそうだ。あいつの言う異能を信じるのも、まさに彼女自身の人となりを信じているだけなのだ。ただ、少し反則的な記述になるが、いずみの異能はこの世界の真実だ。確固とした設定だ。これなくしてこの物語は成立しないし、これを揺るがすことで解決を得る問題もない。まさにここにそう記述することで宣言しておく。この宣言については科学性も公正性もないという読者さんからの批判は甘んじて受けよう。もっと素晴らしい説得力が見つかるまで。
「一番、綱紀も配慮しようとしているけど、いずみさんを狂気にしちゃ絶対だめだね。」
「うん。お前と意見が一致して嬉しい。でも、いずみは何で夢オチなんて言ったんだろうな?」
そう俺が尋ねると、柊は真剣な表情になって目を細める。言葉を選んでるんだな、とわかる。
「それが避けられない事実で綱紀がそれを知っていた方がいいと判断したからだろうな。」
夢オチの意味を思ってか、表情は少し暗いが言葉が続く。
「いずみさんは、いつ書き終わる、ということは言ってないから、綱紀が老人になるまで書き続けて筆を置くのを知ったのかもしれない。」
「いずみが俺とずっと一緒にいるということはないだろうから、ちょっとそれは甘い見通しだと思うけどな。」
「ないの?」
「ないな。」
「じゃあ、サザエさん方式かな。」
「そういうのも考えられなくもないがな。」
正直、俺はあまり深く考えてなかったけど、この物語、俺が生徒会長という役職を離れてまで成立するとは思えない。だから、俺のこの世界での短命はある意味確実。とするとサザエさん方式はすごいアイデアだ。柊が言い添える。
「綱紀は、これまで今日が何月何日って記述してないし、季節イベントも書いてない。できないことはない。この発言してる僕の感情はなんか、黙秘権を行使しているときのような変な感じだけどね。」
それが可能だとしても、サザエさん方式は小説の寿命が延びるというだけだ。俺自身はいったいどういう体験になるのだ。それにしても告知ってすごくデリケートな話ではないか。あのいずみのテンションには釈然としないものを感じる。が、
「ただな、俺が夢オチと知らされても、あんまり不条理を感じない理由は、完全に満足して筆を置くって同時に言われたからなのかもしれない。ハッピーエンドという、まあ、縛りになるのか。」
「そうだね、そこにいずみさんの深淵な意図を僕は感じるんだよ。」
「意図? どんな?」
正直、全然思い当たるところがないのだ。明らかに俺にはない発想があるんだと思う。柊は言葉を選びつつ話す。
「ネタバレになるかもしれないんだけど、この物語がある理由ってきっと綱紀が救済されるためなんだと思う。そして、それをいずみさんは知った、知ってるんだ。」
「俺の救済? 救済ってなんだ?」
「この物語に限らず、人生というのは私が世界と接触して学んでいって、最後は世界を、そして自分を肯定できるようになって終わる物語なんじゃないかな?」
ああ、柊のとてつもない人生観が出てきてしまった。柊は人生について、本当にいろんな表現をする。人生経験が豊富なわけではないだろうから、要するに本棚に並んでいた高価な書物を読み漁った結果得たのだろう。納得できないようなつまらない価値観を語ることもあるけど、今回のはなかなかに興味深い。もちろん俺にとってはだが。
「詳しく頼む。正直意味が分からなすぎる。」
「綱紀はそれでいいんだ。悩めばいい。本気で悩まなければわかった上での肯定なんてありえない。この世界を真剣に生きろ。言われなくても綱紀はそうするだろうけど、その真摯さは絶対に無駄にならないって伝えておいた方が、限られた時間の物語を最も効率的に走れるって、いずみさんは思ったんだと思う。」
「ああ、それってさ。」
ふと、悟ってしまった。わかってしまった。加えて、
「お前やののか、いずみにとってはどうなんだよ?」
「綱紀にとってハッピーエンドなら、僕たちはそれでいいのだと思うべきなんだよ。」
「俺はそいつを納得しろって言うのか?」
「うん。それも含めていずみさんは伝えたんだ。彼女の不自然なテンションはそれが理由かもしれない。いずみさんは、当然この会話も知ってるんだよね?」
「そうなるな。」
「だったら綱紀がそれを乗り越えられる事になってるのをいずみさんは知ってる。そして、彼女はもう、それを祝福できたんだと思う。」
いやはや大した信頼だ。一抹の寂しさとともに、苦笑が漏れてしまう。
「俺の周りは理解が深くて優しい奴らばかりだな。」
「綱紀が世界をそういう風に見ようとしているんだよ。綱紀の物語はたくさんの行間がある。つまりそれは綱紀にとっては存在しない、でも本当は存在したかもしれない可能性も含まれている。」
「そりゃ、俺に見えたもの、考えたことしか書けないからな。それ以外を書くなんて、不可能だ。」
なんか、柊にうまくはぐらかされた気もするけど、これ以上、深刻な話をする気分でもない。
「そうやって人によって違う見えるもの、考えたことを持ち寄って、これは確かに存在するって合意したり、そういう存在についてはこう考えたらどうだろう、って議論したりするのが、学問だと思うよ。」
「そうか、お前はそういう学問の中から多くの人生を読み取ってるってわけか。」
人生をたくさん知っていれば、自分の人生に見えたもの、考えたこととして書き写すことができる。柊はそこに自分なりの吟味を加えているだろう。いや、柊の本質は「捨てない」ことにあるから在るは在るとして、吟味や解釈をより広く深いものにしている可能性もある。
「ついでにいえば、見えなかったものが見えるようになったり、考えなかったことが考えられるようになったりするね。特に考えることは見えることを補う上に、原理上見えないものまで見る力だから、正直バカにできない威力だね。」
「その分、客観性には乏しい、と。」
「百聞は一見に如かず、なんて言われるくらいだからね。見えることの説得力はすごいよ。逆に言えば、説得できないことの中の方が、大切なことはたくさん眠ってるってことだと、この格言を僕は捉えているけどね。」
「という説得を、お前はしたいんだよな?」
「ご明察。」
柊が妙に頑張る理由はそれだ。確かに柊みたいに考えることを大切にする人間にはこういう動機を持つ人は多い。だが、俺は思うのだ。考えることは見えないのだ。見えない事を認めない人間に、見えないものである考えを説得することなんてできるはずがない。
「無理だろ。できても考えることに心を開いている人間だけだ。」
「僕はその仕事を綱紀に委ねたいと思ってると言ったらどうする?」
「お前に出来ないことをどうやって?」
「きっと綱紀には、概念を可視化させる力があると思うのだ。」
「また、一方的な期待に恐れ入る。それ、どんな特殊能力だよ?」
恐れ入るというか、実際にこういう時の柊は怖い。この妙な動機がなければ、本当にいいやつだと思うのに。その他の長所を台無しにして余りある欠点だとすら思う。
「そこには柊隆哉の世界への深く清らかな愛が隠れていたことを やがて長瀬綱紀は深く思い知ることになるのでした。」
「そこ、いずみの謎能力めいたナレーションやめろ。」
ずっと話し込んでしまっていたが、お昼になるとおばさんが部屋をノックして、ご飯に招いてくれた。ここでどんな料理が出たか、というのを具体的に書くのもいいのだろうと思う。料理の種類、色合い、出来、味などなど。俺がそれを書かないと、それは行間、存在しなかったものとして扱われていく。俺の物語からだけではなくて、人類全員の物語に記述されなかったとしたら、確かに存在したそれはいったいどんな扱いになるのだ? その疑問に対して、柊は答えた。
「その存在をとらえるために、僕はいるのさ。」
「概念世界のダークマターでも見つける気か?」
「ダークマターどころか、物はすべて概念だよ。」
柊ってなんで生徒会の会計なんかやってるんだろう、と改めて真剣に悩んでしまった。いいところ人間カミオカンデ。あ、ビーフストロガノフ、おいしかったです。ダイニングも素敵です。すみません、物理世界の描写苦手なんですよ。
「綱紀はほんとに見てないよな。」
小説を書くなんて野望を持つ身にとって、痛恨の一撃だった。
隆哉くんがきっと涙をこらえていたであろうことを、読み取られた人はその気配の見えない記述にご不満だったかもしれませんね。まあ、あとはよくもまあ、そんな設定をホイホイ信じるものだよな、とか。隆哉くんは天才なのです。ということで逃げます。
今回は人生観みたいなのになってしまいました。
「世界はたった一人の人生のための道具である」
という感じです。
One for all, All for one.
最後のoneを人と読むか、目的と読むかというのはあるようですが、発想は近いと思います。
参考人物
#ハイデガー #カント #フッサール