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登場人物の紹介は本人がいないところでやるに限るよな。

さて、妹ちゃん登場です。

そして、世界設定資料、柊君の話題も出ます。

放課後、生徒会室に立ち寄って、今日の仕事を割り振った後、俺は一人、図書室に向かう。なんというか、いずみとずっと一緒にいるのは少し辛いのもある。別にあいつが悪いわけでもなく、むしろカミングアウトしてくれてる誠実さには頭が下がるところもあるんだが。面白がってるのか? そうでないと思いたい。ああ、真実は闇の中へ消えてしまえ。

などと考えつつ、図書室の扉を開き、いつも座っている窓側のテーブルにつく。いつものことだけど、なんか今日は特別な気がするのだが、気のせいだろうな。変わったことと言えば、この小説を書き始めたことくらいだし。

こうやって一人になれば、地の文で登場人物の説明もできる。まあ、対面したときに補足説明してもいいんだが、ひとりだけ厄介な奴がいるのだ。と、ちょっとあり得ない思考をしていたが、

「あ、おつかれ、お兄ちゃん。」

ささやくような声がかかる。そう、お兄ちゃんと呼ぶからには、俺の妹だ。ののか、という。あらかじめ言っておくが、妹というのは兄が大好きだと思ったら大間違いだ。と焦って釘をさすほど、深刻な事情など何もない。ののかは至ってノーマルな一人の女子高生だ。…だと思う。

「お、図書委員か?」

「いや、今日は違うんだけどね。ま、お兄ちゃん来るかなと思ったし。」

いや、妹がお兄ちゃん大好きなんてことはないんだぞ。

「俺が来ると、お前も来るのか? 俺はお前が図書室に来るモチベーションになってるのか?」

「あはは、変な冗談やめてよ。私がお兄ちゃんに会うのが目的で来たみたいになってるよ?」

「違うならいい。」

「何、その自意識過剰。いまどきのラノベやマンガ読みすぎなんじゃないの?」

と、口に手を当ててくすくす笑う。意地悪な表情はそこにはない。変な虚勢を交えずに、フランクに語り合える関係の兄妹。実はこんな関係は貴重なんだろうと、その贅沢さに少し感謝するところはある。こいつに?

これ以上、妹について余計な説明は無意味だろう。いずみの時もしなかったが、妹の外見について詳細に述べて悦にひたる趣味は基本的にないし、それに誰に妹の良さをアピールしなくてはならないというのか。って、こうやって記述する内容を俺が選択することで、その設定がこの世界の事実となるかどうか、って構造は少し怖い。ついでに、俺、妹の良さ、って言っちゃってるんだよな、これも怖い。

俺が少し思案にふけっていると、少し心配した様子でののかが尋ねてくる。

「牧野先輩となんかあったの?」

「んー、いずみが原因というわけでもないんだが、まあ、生徒会メンバーがというか、そのな。」

「あー、個性的だもんね。特に柊先輩とか。」

ちょっと、俺の考えていることとはずれたが、生徒会メンバーについて触れるにはいい機会だ。ののかは生徒会の1年生メンバーとはいつも一緒にいるくらい仲がいいし、その流れでいずみのことも、今出てきた柊隆哉のこともよく知っている。ときどき、生徒会の仕事、手伝わせるし。

ののかはじっくり話をする気になったのか、俺の隣に腰掛ける。ん? 手に持ってる本は、バートランド・ラッセル『心の分析』。ほんとにお前、ノーマルな女子高生か!と突っ込みたくなるのだが、ののかの乱読は今に始まったことではない。俺の呆れた視線に気がついたのか、ののかが申告する。

「この本、柊先輩から借りたんだよ。」

「うん、想像はついた。おもしろいか?」

「一言で言うと、ふーん、って感じ。」

「全世界のクリエイターに謝れって言いたいセリフだ。」

でもまあ、自分の琴線に触れることのない作品に対する感想なんて、そんなもんなのかもしれない。柊がわざわざ貸したってことは、彼はきっと面白いと思って、ののかにもそれが伝わると思ったってことなんだろうけど。ふ、柊の熱い想いも、ののかには届かなかったのか。ふはは。

などと、友だち甲斐のないことを考えていると、

「柊先輩も、普通の女子高生にこんな難しい本薦めてくるって、ほんとに変な人だよね。私じゃなくて、お兄ちゃんに貸せばいいのにね。」

とにこにことささやいてくる。

「あいつはよくも悪くも、自分の行動がもたらす結果に対しては無頓着なところがある。意図はひしひしと感じるけどな。」

「それでいて、世界のすべてを知っているかのような博識はすごいよね。」

「あいつは知ってるんじゃなくて、わかってるんだと思う。」

そう、知っているんじゃなくて、わかってる。これが俺と柊が友達でいられる理由だと思う。俺はそれほどでもないが、柊のその手の嗅覚は強い。そして、

「お兄ちゃんも、そういうところあるよね。私も、お兄ちゃんの言う、わかってるってことのわかり方はたぶんわかるけど。きっと、知ってるとわかってるの違いがわかるのって、知ってるの先にあるものがあることをわかってる(知ってる)ってことだから、知ってるだけの人はわかろう(知ろう)としない限り、永遠に知らない(わからない)よね?」

「いや、俺はお前のその深淵な表現に畏怖を覚えるけどな。ほんとに女子高生か?」

「私、読書するから表現はある程度あるしね。それに女として生きるのは男の子には想像もつかないくらい大変なのよ。」

と悲観的とも言える発言をしつつ、ののかの表情には曇りがない。まあ、そうだろう。だって、

「そこは私にはわかってくれる人がたくさんいたからね。」

そう思ってくれてて安心した。

知ってる、わかってるという区別で世界を分断したいとは俺も思わないし、わかってるって言うならわかるように説明すべきなんだとも思う。でも、わかってるなら説明すればいいじゃないか?と言われるのは違う。つまり、そういうことだ。わかってることを説明できるなんて考えているところが、わかってないのだ。そして、説明できないなら、それはわかってるでも知ってるでもないよね、と結論するのだ。分断しようとしているのは、知ってる側の人間なんだ。それがわかっていてもわかっているからこそ黙るしかない。それは当たり前の世界の法則である。

「柊先輩は、わかってたから知りつくそうとしたんだろうね。それが不可能だとわかっていながら、たぶん、説明するために。」

「ああ、あいつのその意図はよくわかるんだよな。ただ、俺に言わせれば、そういう意図があるから説明できないともいえる。」

「お兄ちゃんも言うようになったねぇ。柊先輩の影響大きいねぇ。」

「そういうセリフを平然と使いこなす、お前が一番怖い。」

苦笑しつつ、ののかに目をやると、こういうこと言われたののかは当然、少し寂しそうな表情をする。

「お兄ちゃんがほんとに怖いと思ってないことはわかるんだけどね。」

とぼそりとつぶやいている。軽口とはいえ、悪かったなと思う。こいつもわかりすぎることで苦労してきたからな。こういう時は空気を変える。

「で、その本で得るものはあったのか?」

「それこそ、今言ってたわかってるって話だよね。そう、世界五分前仮説って知ってる?」

「ああ、それの原典か? 俺は今、小説を書きながら、まさにそれこそが世界の真実ではないかと思い始めていたところだ。」

「なるほど。小説の世界の神様は、作者だもんね。神様が書き始めた瞬間に、すべてが存在するようになったんだもんね。」

そうなんだ。ののかはこれで理解してしまう。それは生きづらかろう。でも、世界五分前創造説については、少し違うかな。

「どうだろうな。作者が書き始めたときなのか、構想したときなのか、あるいはそれを読んだ誰かが理解したときなのか、実はわからないんじゃないか?」

「それを含めると、反証できない仮説という以上に、もっと真剣に考えることで得られる知見は多いよね、きっと。」

柊がののかを特別に気に入る理由は本当によくわかる。俺が人生を真摯に考えるようになった理由は、ののかが妹だったからだと思うのだ。ののかや柊のは頭がいい、というのとは違う。言ってみれば優しいのだ。物事を分析して切り捨てて理解するのではなく、事象の全体を見て言葉にならないままトータルに受け入れる。ののかや柊は、たまたまそれに分析力も表現力も加わっているのと、それを表現する機会と勇気があるために”頭”がよく見えてしまうのだ。でも、こいつらの本当にすごいのは、”こころ”がいいのだと俺は感じている。その本質はつまり「捨てない」のだ。


生徒会室に戻ると、いずみが迎えてくれた。

「綱紀、頑張ったけど、それでも伝わらないと思うよ。その努力はこの小説のテーマとして流れちゃってるけど、実を結ぶかどうかは私の胸にしまっておくね?」

うん、俺がいずみの立場になったら、やっぱり発狂すると思う。いずみが誠実でないという仮説を受け入れれば、発狂しないことは不思議でもなくなるんだが、それを拒否してしまう俺がいるのだった。信じたいことが事実ではなくとも真実となる。

この仮説については、ののかが言っているようにもっともっと思考することでたくさんいろいろなことがわかってくると思います。全ての物語が何らかの仮説に基づいて展開される思考実験、というとらえ方もできるので、仮説というのは決して侮れない存在だと思うのです。


参考

世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。それゆえ、いま起こりつつあることや未来に起こるであろうことが、世界は五分前に始まったという仮説を反駁することはまったくできない。したがって、過去の知識と呼ばれている出来事は過去とは論理的に独立である。そうした知識は、たとえ過去が存在しなかったとしても、理論的にはいまこうであるのと同じであるような現在の内容へと完全に分析可能なのである —ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)


参考人物

#ラッセル

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