”永遠の相の下に”がわかるなら神が理解できるぜ!
いずみちゃんが読者さんにアピールしたがっています。
外見以外で、うまく表現することができるのでしょうか?
「綱紀ったら、私のことちゃんと書いてくれないの? あ、書いてくれてるね。うん、うん、えらい」
今、生徒会室には、俺といずみしかいない。なんだ、そのあり得ないセリフは、と思って回答するのをためらってしまう。いずみは嘘をつかないとか言うけど、そういう誘導めいたことは反則なんじゃないか? 言わなくてもいずみに通じるのはわかっているけど、ちゃんと口に出して言っておこう。
「いずみ、嘘をつかないって言うけど、そうやって意図的に世界を誘導するみたいなセリフはどうなん? そのセリフ受けて、俺がお前のこと書かなかったら、お前は嘘つきになるんだぞ。そうするとこの物語の核心である、お前の能力設定自体が完全に死んでしまうんだ。それを回避しようと思ったら、俺は自分の意志と関わりなくお前のことを書かなきゃいけなくなる。これは強迫だぞ?」
「いや、綱紀もそうとう変なこと言ってるよね。」
「当然の抗議だろ?」
「私の能力についての設定、活かしたいわけ?」
ちょっと日常でする会話ではないのは気がついているんだけど、ここは詰めておかないといけないと思って、ペットボトルのお茶を一口飲んでから、会話を続ける。
「いちおう後からでも文章の修正くらいはできるけど、シナリオレベルの修正はできないんだよ。で、言った通り、お前の能力はこの物語の核心だ。どれくらい価値があるのか、正直計り知れないけど、しかし物語世界のシステムに矛盾を突き付けたらだめだ。」
「システムに矛盾? わかんないよ。」
「そうか、お前、知識はあるけど知恵はないんだな。」
システムというのは法則集、秩序みたいなものだ。秩序というのはどこかに綻びがあったらそれは秩序ではない。2と3が違う量を表す時に、1+1=2であり、かつ1+1=3であるようなのは秩序と言えないのだ。その破綻した秩序の中では計算という行為全部が保証されない。柊あたりだと公理とか不完全性とか、もっと難しいこと言ってくると思うけど、矛盾が物語を壊すのはミステリーファンでなくてもわかるだろ?
「ひどーい。まあ、綱紀がそう言うのは知ってたけど、やっぱりひどい。」
「だから、未来について知ってたとか、そういう発言はな。一切するなとは言わないけど、肝心なところだけにしてくれ。って、ここであり得ない発言の危険性について、説明書いたのにお前、わかんないんだな。」
なるほど、いずみが発狂しない理由が少しわかった気がする。
「あー、もう綱紀、ほんとにひどい。知ってたけど、何度もひどい。」
「だから、知ってたって言い方はな。」
あー、いずみとはわかりあえん。矛盾になりそうだったら、こっちで処理するしかない。いずみを嘘つきにしてしまうのは簡単だが、それではこの小説の存在理由が危うい。なんて、頭を抱えていると、
「ふふ、なんてね。私だってわかってるわよ。最初のうちにそういうことは説明しておかないと、卑怯な伏線になりかねないからね。」
「お前の知識ってのは、いったいいつの時点の知識なんだ?」
「現在だよ。でも、これが書かれた現在じゃなくて、この小説の任意の現在ね。」
いやはや、今度はわからんのはこっちだ。変化の可能性のあるすべての一瞬を、全体として理解しているってことなのか? これが柊が言ってたスピノザの”永遠の相の下に”ってやつか。俺の意志でいくらでも変化するシナリオで、小説全体という永遠の中からこの瞬間の現在を把握する。おお、何言ってるのか自分でもわからん。柊ならうまく説明するのだろうか。
「うんうん。そういう知識があるんだよ。この物語でなくても、読者さんたちの世界に神がいるとしたら、そういう能力を持ってると思うよ。」
まあ、確かにいずみが持ってる力は全知という神の能力に近いのだろう。とすると、全知は全能になるのだろうか? その疑問を声にしてみる。
「おまえ、この小説を夢オチだって言ったけど、それお前が決めたのか?」
「ある意味ではそうなるのかもね。でも、私は実際に知ってることを言った。そういう風に知ろうとか意図はしてなかったはず。だから、私の発言を書きとったあなたが決めたともいえるかもしれない。どこで確定したのかをぼかしておけば、矛盾にはならないのよ。書かれている言葉とそれが確認される時間、同時には決まらないんだと思うよ。わかんない、っていいことなのよ?」
俺の少ない教養が告げる。不確定性原理という概念を。いや、そんな安易な道で納得してはいけない。そう、俺はこの小説世界の全責任を負ってるんだ。だから、とことん細部までこだわらなければならないんだ。
そもそもの世界設定が非現実的でおかしい? 異能なんてあり得ない? 読者さんたちは俺の苦悩に無理につきあうこともないと思う。でも俺は疑いようもなく、この世界の住人なのだ。これが俺の物語なんだ。
おそらくいずみは全知なんかじゃない。それを知った現在に確定する永遠に属する関心を向けた部分の知識がわかるだけなんだ。それなら概念として納得できるかもしれない。ちゃんと真実味のある設定だと言えた方が現実が面白くなるじゃないか。
そんな俺の様子を見ながら、いずみが申し訳なさそうに言う。
「でも、知ることのできないことを知ってるって言って、その正しさが何度か確認もされているという状態で、綱紀の意志で変更できることについて言うのは、確かに綱紀からすれば強迫だね。だから、その時点で私が本当に知ってたかどうかは、綱紀は知らない方がいいよ。私が嘘をついたのかつかなかったのか、嘘だったとしたら方便だったのか強迫だったのか、わかんない方がいいよ。」
「俺はますますこの世界のことがわからなくなって混乱してるけど、そのなんだ。この会話でお前のこと、だいぶ伝わるんじゃないか?」
「うん、そうだよ。だから知ってたって。」
「お前なぁ。」
いずみのことを俺が嘘つきだと思わなくてもすむようにはなった。しかし、俺に生じかねないその秩序の危うさについて、いずみはわかってるのかわかってないのか。ああ、これ以上考えたくない。ペットボトルのお茶はいつの間にか空になっていた。
結局のところ、信じたいように信じるしかないってことなんだろう。そして、この世界では信じたことが事実はともあれ、俺にとっての真実になるんだ。そういう思考実験だったんだとこの際思い込むことにした。
すみません。表現しきれませんでした。
いや、難しい内容を書いているのは知ってるんです。
読み飛ばしても大丈夫なように話は進めます。
同じことをいろんな角度から表現するのが執筆理由だったりしますし。
真実の表現方法は一つにとどまらない、というのも、
いずれは小説中で表現されますね。
しかし、この世界の設定で明確に常識外れているのは、いずみの異能だけなんですよね。
世界の舞台には一切変更を加えてないんです。
世界で通用することは、私たちの現実にどこまで射程を持つのでしょう。
いずみの異能が可能性としてもあり得ない、というシステムを現実は持つかもしれません。
それは例えば、未来は完全に不確定な場合かも知れません。
どういうシステムならば不可能になるのか、その思考実験も面白そうです。
参考人物
#スピノザ #ヒルベルト #ゲーデル #ラプラス #ハイゼンベルグ