《2-38》
楽しんでもらえると嬉しいです。
いつもの練習の時は音楽ではなく教師の手拍子でステップの練習をしている。だが、さすがに王太子殿下に踊ってもらうのにそれはいただけないと思ったのか、教師自ら広間の端に寄せられていたピアノを出してきて曲を奏でた。
代表的な初心者用のダンス曲。
緩やかなピアノの旋律に合わせて踊る二人。
家でお兄様やお父様と踊ったことはあったが、身内以外の男性とは初めてのシルヴィアは最初のホールドを組んだときの顔の近さに驚いた。
美と秀麗の極みの王子様が、至近距離にいるのだから自然と顔に熱がこもるのは必至。不自然まで高鳴る胸。
なんなの、このドキドキは!?
緊張?
トキメキ?
顔も絶対に真っ赤になってる。
何故か今日は、最近にない接近で恥ずかしい。
赤くなった顔を見られまいと、少し目線を外して顔が俯き加減になってしまう。
教師からの叱責があるかと思ったが、何故だか温い目で見つめられただけで済み曲が続く。
俯くと言ってもそうはっきりと俯けば失礼に当たる。
だけど赤くなった顔は上げられない。結果、フェリクス殿下のウェストコートの襟もとの刺繍を眺めるようにしている。漸く、顔から熱が引くまで暫く我慢。
本当はもっと顔を隠したい。だけど真下を見ると、それはそれで視界に入るステップが気になって足がもつれる。
リズム感がないというのは、こういう時に悲しいものである。
「・・・シルヴィア。もう少し顔を上げられないか?」
ゆったりとした曲調というのにも関わらず、足元が覚束ないシルヴィアにフェリクス殿下の声がかかる。
がっ!確かにステップも不安要素だがはっきり言ってそれ以上に顔を上げてしまえば醜態をさらすことになる。
なぜなら!
フェリクス殿下の顔がイイ!!!
12歳同士の年齢では本来ならば変わらない身長。むしろ、女児の方が成長著しく背が高いはずだが、フェリクス殿下の身長はシルヴィアよりも少し上だ。
公式ファンブックの身長を表す幼少期の並び絵には、シルヴィアとフェリクスはまったく同じだったはずだけど、それよりもたくましく成長している気がする。
ほっそりとした美少女と見間違う程の幼少期の絵だったはずなのに、なんだか、少年の面影残しつつ逞しさが窺える、アンバランス的な妖しさが・・・
いや、美しいですよ。
美少女が美少年とはっきりしているだけの。
とはいえ、顔を上げれば、そこには美しいフェリクス殿下の顔があることは確か。
そして、それを至近距離で正面から見つめることなんて・・・、何のご褒美ですか?
絶対にだらしない顔になる!涎なんか出したりしたらどうしてくれるんですか!?
それがわかっているだけにこれ以上顔を上げることはできない。
涎をたらし鼻の下を伸ばした令嬢など、どんなギャグマンガかというような始末だ。
だけど、フェリクス殿下に言葉にされてしまった以上、従うしかない。
王族で、王太子で、婚約者で、ダンスペアで、攻略対象者で・・・
従わないといけないよね。
恐る恐る顔を上げると、其処には少し不安そうな顔の美少年がいた。
眉を寄せて困ったような弱り切ったような、そんな心もとない迷子のような顔の王子様。
うはっ!
これはこれでとても貴重な表情です。母性愛をくすぐるというか、なんというか・・・私、まだ11歳だけどね。
「あぁ、やっと上げてくれた。そうして顔を上げておいてくれ。俯くと背筋が伸びないよ。
すこし胸を張って、うん、それでいい。踊りやすくなっただろ?」
フェリクス殿下の言葉には何かしら、誘導作用があるのか、強く言われたわけでないのに、顔を見た途端にその言葉に全てしたがってしまう。
不格好にもうつむき猫背になっていた姿勢は、スッと伸びて胸も張って意図せずとも顎が上がりフェリクス殿下の視線と合う。
「うっ!あ、っと、それでいい。俯かれては踊りにくい、から・・・」
「・・・はい」
やはり俯き加減であったことがよくなかったのだろう。
折角、上げた視線だが今度はフェリクス殿下の顔が横に背かれる。
う~ん、仲良くなるチャンスだったというのに私自身でそれを潰してしまったようだ。
背かれたままではあるが、流石生まれながらの王子様。
ダンスのステップはよどみなく、流れるかのようにスマートだ。
うわぁ~、踊りやすい。
気が付かなったが、顔を上げてから曲調が変わり少しアップテンポになっていた。
それでも足がもつれることない。
シルヴィアがうまくなった、ではない。
ハッキリとわかるくらい、フェリクス殿下のリードが上手いのだ。
触れる腕は、シャツ越しでも鍛えた筋肉がついて年齢のわりに肩幅も背もがっしりしている。それでいて、ムキムキしているわけでない。
絵物語のかわいい王子様でなく、なんとなく幼い騎士様のような体躯。
成長期真っ只中であろうに、すでに出来上がりつつあるそれは、果たしてゲーム開始時の麗しい王子様のスチルと当てはまるだろうか?
否
いいところで、細マッチョになること間違いない。
細マッチョ・・・
つまりは脱いだらすごいんです、っていうアレですよね。
麗しの王子様もいいけど、脱いだらイイ体のアレもイイネ!
なんだか成長が楽しみ・・・
って、違う違う!!!
なんてことを考えてるのか!淑女としてあるまじき思考。でも、瞳としてならアリですよね。
そんな邪なことを考えているとは露知らずであろう、フェリクス殿下のリードでダンスは続く。
踊りやすいだけじゃない、少しよろけても難なく支えてもらえることに不思議と安心感が湧いてきて時がたつのを忘れてしまうくらい楽しい。
そして支えてもらって密着したときにふわりとほのかに香ったのはあの日に渡したサシェからだろうか?
柑橘と緑の芳しさとほのかに穏やかに甘い、私が作ったイメージの香り。
爽やかな王子様。
優しい王子様。
穏やかな王子様。
甘い・・・
ゲームのヒロイン目線では、そんなイメージを持っていたが、実際には・・・
もっとぶっきらぼうで
もっと笑顔がかわいらしくって
理想の王子様っていうよりも、もっと人間味あるように感じる。
・・・それと、もっと男らしい?体格がね。
クスッ
そこまで考えていると思わず口から笑いが漏れた。
いつの間にか全身から緊張が抜けて、口角が上がっているのもわかる。
楽しいのだ。
以前、お兄様と踊った時でさえ覚束ない足取りのせいで余裕がなく、嬉しかったが楽しかったまではいかなかった。
推しのアレックスと手を取り合い至近距離に密着して踊っていたというのに、リズム感がないばかりによろけてばかりでお兄様の足を踏みまくる。お兄様は怒ることなく優しくリードしてくれていたというのに何度も・・・不甲斐ない。
それから、もっとうまくなってからと決めて一緒に踊っていない。
とにかく必死でステップを憶えて、覚えるのに一生懸命で踊っていて楽しいなんてなかったから、いくら先生に褒められても楽しいと思ってダンスの授業を受けていなかったなぁ。
踊れるようになるとこんなに楽しいんだ・・・
心が浮き立つようで楽しい。
添えられた掌から伝わる温度に言いようのない温かさと安心感、信頼感が広がる気がする。
ただ、踊っているだけなのに・・・
「・・・た、楽しいか?」
余計な力が抜けてリードしやすくなったと気が付いたのか、フェリクス殿下が話を振ってきた。
「はい!とても踊りやすくて、楽しいです。」
本当に楽しい。
何故だろう・・・
踊りやすいだけでは言いあらわせない楽しいひと時。
あぁ、そういえばこんなシチュエーションがゲームでもあったよね。
貴族社会に不慣れなヒロインが、ダンスの授業についていけなくって一人放課後裏庭で練習していた。そこに図書館の窓からそれを見ていたフェリクスが教えてあげようと言って手を取り踊りだす。
憧れの王子様に優しくリードされて、ヒロインはまさしくこの時に王子様に恋を自覚する。
・・・勿論、その後フェリクス殿下を探して追いかけてきたシルヴィアに邪魔されるんだけどね。
この時にフェリクスもこの時のことでヒロインを強く意識しだす─────一人の女性として。
その気持ちわかる。
時間と共に、まるであつらえたかのようにぴったりなタイミングでステップを踏んで、対の人形のように居心地がいい。
このままずっと手を取って踊っていたくなる。
楽しいと笑みを向けると、一瞬目を見開きふわりと柔らかく微笑みが返ってくる。
その些細なことなのに、まるで恋人同士のよう。
そう
まるで、
まるで・・・
ヒロイン・・・・・・
「「ぁっ・・・」」
ラストが近付くと曲調が変わるこの曲。
変調した一小節に気が付き、思わず漏れた声はシルヴィアだけではなかった。
思わず顔を合わせると、ふっと眉を寄せ笑いを浮かべるフェリクス殿下がいる。
「残念だ。」
「はい・・・」
本当にもっとこうしていたい。そう思える時間だった。
だから素直に残念だと声に出せた。
ちょっと前の私ではそんなこと言えそうになかったのに。この時間はまるで魔法にでもかかったかのように、素直な言葉が口から洩れた。
「もっと、こうしていたいです・・・」
もっとこうしていたい。
それは踊っていたいのか、傍にいたいのか、寄り添っていたいのか、それとも、思い合う恋人同士のような気持ちをもっと感じていたいのか・・・
どれとは言えない全てごちゃ混ぜにした複雑な感情。
最後に流れた音でお互いの手を離して向かい合ってお辞儀をする。
さっきまで触れていた手が名残惜しい。
そう思えるようなひと時だった。
手のひらを離すとき指先を少し引かれた気がするのは、そう思いたい私の気持ちなのか・・・
顔を上げたときに見つめ合ったのはどうしてだったのか・・・
ピアノの椅子に座ったまま何も言わずに微笑む教師も、端に控えているオスカー様も、侍女やメイド、騎士たちもあたたかく微笑んでいるのが目の端に移るが、見つめ合うフェリクス殿下の顔が・・・
「楽しかった、また。」
言葉少なくかけられた声。
するりと取られた指先。
チュッとリップ音と共に手に触れたぬくもり。
上げたフェリクス殿下の、いままで見た中で一番穏やかで優しい微笑。
心が静かに、強く大きく波打つ。
この時、この瞬間、何かが私の中で変わった気がする。
「わたくしも、あの・・・とても、とても楽しかったです!」
カツッと靴音を響かせて広間の入口へと背を向けたその背中に、恥ずかしくも大きく声を掛けた。
言わないといけない気がした。
だって、声に出さないと・・・
陽菜と約束した。瞳には無理なこともそれは前世、今は今。
だから、折角だから憧れの王子様に近づいてもいいよね?
悪役令嬢シルヴィアだけど、ならない方法はわからなけど、仲良くしてもいいよね?
将来、嫌われることになったとしても、今のうちならいいよね?
また、二人で踊った至福の時間を過ごしたいと思っても、いいよね?
そんな思いを込めて、フェリクス殿下の背に声を掛けた。
「・・・それは良かった。また一緒に踊る時間を作ろう。」
思いが通じたのか、その足を止めて振り返り私が望んだとおりの返事が返ってきた。
それは、晴れた青空のように輝く澄み渡る水色の瞳をキラキラとさせた笑顔。
ゲームで見たどのスチルよりも数倍、いや何十倍何百倍も素敵な笑顔だった。
そう言うと今度こそフェリクス殿下は、広間から出て行った。
私の心に、何かわからない温かい、いや、熱くて、とても温かく熱い何かを残して。
リンゴよりも赤く色づいた頬に気がつかないくらい、暫くポ~っと佇んでいた。
読んでくださりありがとうございます。
☆評価たくさんもらえるとうれしいです。