『もっとも忌まわしい妖術師アーダムと蛇のジンニーヤの契りの物語』
「アラビアの夜の種族」の中の一つ目の挿話
第一の物語
『世にも醜い妖術師アーダムと蛇のジンニーヤの契りの物語』
主人公アーダムは王子にしてスパイにして、そして妖術師。
これだけの情報を見れば、なんとなくミステリアスな美男子を想像する人も多いだろう。
しかし実物は絶世の醜男なのだ。美男子ではなく。
彼は自分の国で地位を得るため、自分の国<帝国>がかねてより狙っていた交易都市・ゾハルの攻略を目論む。それも、帝国が千騎を以てしても落とせなかったゾハルをたった百騎で崩壊させるのだという。
アーダムが百騎の兵を連れて国を出て、暫く経ったころ。
ゾハルの護衛部隊たちは、隊商が賊に襲われた凄惨な殺戮現場に遭遇する。
生き残りは世にも醜い少年ただ一人。
「家族が皆殺しにされた。故郷に戻っても居場所がない。どうかゾハルに住まわせてくれ。あなたたち信徒の仲間に加えてくれ。」
そう言って嘆く少年に同情した護衛部隊の人たちは、彼を快く仲間に加える。
アーダムはこうして、まんまとゾハルに潜入したのだった。
アーダムがゾハルをどうやって落とすつもりなのかというと。
ゾハルはとある密教の信徒たちから成り立っている。
その密教に入り、その中で妖術を駆使して成り上がり、地位を獲得し、ゾハルを思い通りに操るというのが彼の計画だった。
そう。アーダムは顔が気持ち悪いだけでなく、めちゃめちゃ性格が悪い。
さらに質が悪いことに、この性格の悪い計画を遂行する意志の力と奸智を兼ね備えている。
例えば。彼が賊に襲われて傷だらけになったのも、護衛部隊の同情を買うための偽装工作だ。
アーダムの入り込んだ隊商を襲った賊は、アーダムの指揮のもと動く百人の兵士だ。
要するに彼らが隊商を襲ったのは、アーダムその人の指示だ。
同じ隊商のメンバーが皆殺しにされても、アーダムは意にも介さない。
また、助けてくれた護衛部隊の人たちが自分に向ける親愛や憐憫といった情も、アーダムはゾハルの中枢に入り込むための道具として利用する。
彼は護衛部隊の面倒見のいい分隊長に、ゾハルの教団に入るために口を聞いてもらったあと、熱心にゾハルの教義について学び周囲の歓心を買った。
そして入信の許可は下りる。―優しい分隊長は用済みだ。
アーダムは自分を弟のようにかわいがってくれていた分隊長を、その手で斬り殺す。
分隊長たちを殺したのも計画のため。
アーダムは自分が連れてきた百人の兵士たちが逃げられないよう、彼らに「これはゾハルの偶像崇拝をぶち壊すための聖戦だ」と焚きつけていた。彼らは厳格なムスリムで、聖戦を言い訳にされたら敵前逃亡できない。
けれどアーダムはあろうことかゾハルの密教集団に入り地位を築こうとしているのだから、兵士たちの存在は邪魔になる。
だからアーダムは妖術を使って兵士たちを殺し、殺人現場に護衛部隊の分隊長たちの死体を並べることで、護衛部隊が賊とぶつかり相打ちになったように見せかけた。
そして、戦闘の騒ぎを聞いて救援に駆け付けたゾハルの兵の前で分隊長の死を嘆く演技に勤しむ。
彼は息をするように罪を重ねる。人を人とも思わないのだ。その容貌のせいで人間扱いされてこなかったから。
だからこそ嘆きの演技は完璧で、見る者の心を打つ。
皆の更なる同情を買ったアーダムはゾハルの入信の儀に飛び入りで入れて貰うことになる。そして彼は昏い地下神殿の最奥でついに、ゾハルの主神である蛇のジンニーヤ(本作のヒロイン?)のご本尊と対面する。
彼女のご本尊は顔こそ人間だが、蛇の胴体とアルテミスのような大量の乳房をもつ…。
とってもブギーでほんのりキュートな女の子だ。
そして入信の儀に及んで初めて、アーダムはピンチに陥る。
神官の妖術師が、分隊長を殺したのはアーダムだと見抜いたのだ。
アーダムの反応は素早かった。彼は地下神殿に煙幕を張り、煙に隠れてその場にいた信徒たちを口封じに次々と殺して回る。
その時。
「おやおや、何ですかね。この有様は。」
信徒の体を依り代として乗っ取った、蛇のジンニーヤその人がアーダムの前に現れた。
よくも私の信徒を殺したな、そう言って襲いかかってくるかと思いきや。彼女はアーダムの邪悪さが気に入ったらしい。
「あなたは私の神官になるのよ。ありとあらゆる秘術も授けてあげる。」
ジンニーヤの申し出を、アーダムは一も二もなく受け入れた。
そうして彼と彼女の邪悪なる蜜月は始まった。
アーダムは地下神殿―大地の子宮の中でジンニーヤの手ほどきのもと魔術の鍛錬に励み、空前絶後の魔力を手にする。
―もう怖いものなど何もない。
彼は母国の王宮を破壊し、彼を無視し続けてきた王宮の人々を殺戮し、王者の地位に上り詰めた。
邪悪の権化は大王になってしまったのだ。
大王・アーダムは王都をゾハルに移し、各地から優秀な建築家を招聘したり攫ったりして、ジンニーヤの地下神殿を増改築した。
地下神殿には、ジンニーヤへの生贄をより効率的に狩るための趣向を凝らした罠が作られた。神殿の曲がりくねった、拡大し続ける地下の迷路は悪夢を模していて、進路を外れた巡礼者たちが遭難したり拷問器具に捕まって死に、ジンニーヤの供物になる仕掛けだ。
アーダムはこうした仕掛けを考えるのが大好きだった。ジンニーヤも地下神殿を大いに気に入った。
アーダムによるこうした悪行の結果、ゾハルの工事は雇用を生み出し、国を富ませ、人々は飢えとは無縁になった。皮肉なことに。
アーダムは邪悪の権化だが同時に統治の天才でもあり、その才は人々を幸福にしたのだった。
さて、ジンニーヤはアーダムにさらなる魔術の奥義を教え込んだ。―それは彼女の望みでもあった。ジンニーヤは子供を欲していた。
そんな訳で彼女がアーダムに新しく教え込んだのは性魔術だった。ここは地下神殿、大地の子宮。如何わしい儀式にはもってこいの場所だ。
その容貌のせいで女を知らなかったアーダムはたちまち女体の虜になる…彼は母のように慕うジンニーヤと、夜な夜な淫蕩な宴を繰り広げる。
けれどジンニーヤが依り代の乙女の体を何度乗り換えても、彼女が身ごもることはなかった。ジンニーヤはアーダムに子種がないことを悟り、デキないのにヤったってしょうがないと、彼との交わりを絶ってしまう。
ジンニーヤは子作りを諦め、アーダムに別の頼み事をする。ジンニーヤの地下神殿の4隅にある部屋にいる魔人、ジンニーヤの眷属たちを斃してくれというのだ。
アーダムの魔術の成果を見たいがためだとジンニーヤは言うが、アーダムはそれに微かな疑問を抱く。
ジンニーヤの4つの部屋は、訪れた者に奇蹟を見せる。一つの部屋は未来の夢を見せ、もう一つは過去の夢を。残りの部屋はそれぞれ海底の大蛇と森の巨竜の夢を見せる。
即ちジンニーヤの奇蹟を体現した部屋だ。
アーダムはこの部屋を恐れていた…彼の過去と未来の夢は彼自身にとってさえ、あまりにも邪悪過ぎたのだ。彼はジンニーヤの力を心底から恐怖し、同時に憧れた。だからこそジンニーヤに忠誠を誓ったのだった。
夢の部屋は、当人が夢で見たことを、当人が覚えていないことまでありありと思い出させる。「未来の夢の部屋」は、自分が次に見る夢を見せてくれる予知夢の部屋だ。
―ではもしも未来永劫夢を見なかったとしたら、この部屋は夢ではなく、現実の未来をありありと、事細かに予言してくれるのではないか?
アーダムは芽生えたとある疑問を解消するために、未来の部屋を使うことを、予言の力を借りることを決断する。
その対価は、一生夢を見ないこと。
即ち、今後の生涯で一睡もしないこと。
アーダムは耐えた。一睡もせず、しかもジンニーヤにもそれを悟らせない。超人的な胆力で、彼は一瞬一瞬を耐え抜いた。
やがてアーダムは「未来の夢の部屋」に足を踏み入れる。
そこで見たのは未来の現実―アーダムは不眠の誓いを守り抜いたのだ。
部屋に現れたのはまず憤怒の感情。それから眠りへの渇望と、スライマーンの六芒星。
そして彼は疑問の答えを知る。絶望の呻き声が地下神殿に木霊する。
それ以降もアーダムは眠らない。内側で燃え盛る瞋恚の炎が彼に力を与えていた。
やがて彼の意識は邪悪な夢に浸食されていく。…アーダムは国中の乙女を召し出しては犯し、地下迷宮で迷い人を喰らう魔人たちと戯れ、大臣たちを血祭りに上げるようになる。
つまりは常軌を逸してしまった。
邪悪なる王はそれでも眠らない。その日が訪れるまでは。
そのうち破壊と凌辱にも飽きた彼は、魔導書を執筆し始めた。ジンニーヤから学んだ秘術を一冊の本にまとめ上げるのだ。
その作業は困難を極め、極限の頭脳労働はアーダムを眠りから遠ざけてくれた。
丹精込めて内容を練り上げ、人血のインクで手ずから人皮に書き記した魔道書を、アーダムは深く愛した。
やがて、ジンニーヤがアーダムの魔力を確かめる日がやってきた。ジンニーヤの石室に攻め入る日、アーダムはジンニーヤを問い詰める。
「4つの石室は本当にお前のものなのか」と。
4つの石室はジンニーヤの神としての力を証明する部屋。そのはずだった。アーダムはそう信じていた。
けれど、ジンニーヤの本尊を破壊した中から現れたのはスライマーンの刻印だった。
ジンニーヤは神などとは程遠い、スライマーンに調伏された木っ端妖霊に過ぎなかったのだ。彼女の体の本体はこの刻印の下に封印されているのだ。
4つの石室の精霊もジンニーヤの眷属ではなく、ジンニーヤを鎮めておくためにスライマーンが配置した精霊だった。ジンニーヤはスライマーンの精霊を自分のものと偽ることで信仰を集めていたのだった。
アーダムが恐れ、魅せられ、所有したいと焦がれた力はジンニーヤのものではなかった。
ジンニーヤの方も、アーダムのことを石室を破壊させるための捨て駒としてしか認識していなかった。かつて彼との子供を欲したのも、自分の血が流れる子供に自分の魂を移し受肉することで、地上に出られるようにするためだった。
アーダムはジンニーヤを愛していた。その愛は消え失せた。
失意の中アーダムは地下神殿を破壊し、将来ジンニーヤが決して解放されることのないように、自分もろともジンニーヤを地中深くに埋める。
かくして彼は、ようやく眠りに就くことができましたとさ…。
感想。
この物語にヒーローは登場しない。いるのは殺戮者と犠牲者のみ…
そんな邪悪な冒険譚、醜怪なボーイミーツガール、けれど最高の物語だった。
最初はアーダムの邪悪さに衝撃を受けていたけど、ズームルッドさんによる心情描写の細かさ・巧みさに引き込まれ、非常に楽しめた。あと兵士の展開の仕方、隠密行動、隊商などについても少し勉強ができました。
アーダムがゾハルに侵入して信頼を得ていく過程では色んな人の好意を最悪の形で裏切るシーンの数々があって、読んでいるこちらの心が痛くなる。痛々しいほど苛烈に、真っすぐに、彼は邪悪を貫きとおす。
スパイ小説の「ジョーカー・ゲーム」では、スパイは愛情や憎しみといった<取るに足らないもの>に囚われないことが必要だとある。だとすればアーダムは稀代の大物スパイだ。結城中佐のお眼鏡にも叶うかも知れない(あ、顔面が汚すぎるからいろいろダメかな…)
けれど、彼は世紀の悪党というだけでは終わらない所がいい。それにアーダムの目的意識と意思の強さを見ていると不思議にも段々かっこよく見えてくる。
アーダムは顔面で損して性格をこじらせて最悪の暴君になったけど、もしも彼が性格崩壊する前に青目の分隊長に出会っていたら、顔のせいで無視されることもなく全く違う人生を送れていたんじゃないかな…それこそ名君として称えられる王になれてたかも知れない。
せっかくアーダムを(自分も容姿にコンプレックスがあるからとは言え)容姿で差別せずに愛情を注いでくれる分隊長という人に巡り合えたのに、その時にはもうアーダムは罪を重ね過ぎて、人間として戻れないところまで来ていたんだろうな。分隊長とアーダムと、あとアーダムの毒牙に掛かった色んな人に合掌。
多分だけどアーダムの邪悪さは先天的なものではなく、幼少期から容姿のせいで虐め尽くされた結果なんだろう。だとすると、アーダムは周囲の人間の醜さを映す鏡のようなもので、悪の帝王たる彼が周囲に向ける悪意は、彼の周りにいた一般の、善良とは言えないまでも普通の人々由来のもの。
とにかく、アーダムは邪悪さの中に悲しみを秘めた最高のアンチヒーローだと思う!唯一の愛が潰えて失意の中死ぬところも、悪党の最期らしくて素敵だ。主人公は顔じゃねえ!倫理観でもねえ!生き様だ!
ただ、奴は不世出の大魔術師なのにコンプレックスだった自分の顔面は直せなかったのだろうか。そこだけが突っ込みどころ笑
アルテミス系不気味ヒロイン・ジンニーヤちゃんも小悪党ぶりが良かった。結構彼女のおかげで邪悪な物語に明るさがプラスされていたと思う。アーダムがジンニーヤの前ではちょっと間の抜けた表情もするのがおもしろかった。この二人から邪悪さと不気味な見た目を取り去れば、普通に魔法使い見習いの少年と精霊のボーイミーツガール小説になるんだろう。そう思わせるアダ×ジンもなかなか良カプでした。エロ要素もあるし。