6 術式
朱雀院の実技は過激を極めるものである。
戦闘訓練は、特別な魔術が織り成す空間にて行われるのだが、その時に実際に生徒間で殺し合うのだ。
その空間内で死亡した場合、即座に空間から追い出されると同時に空間に入る前の姿に戻るという仕組みだが、まだ成人もしていない生徒を実際に殺し合わせるという教育方法は、過激と言わざるをえないだろう。
朱雀院はこの理由を、訓練と実際の戦闘は違うため、日頃から殺すことに馴れておかなければ、いざ実戦となったときに人を殺すことを躊躇し、逆に殺されてしまうからである、としている。
朱雀院の言い分は分からないでもない。当然、訓練では死なないためやはりどうしても本当の戦いとは違いが出てしまうのだろうが、それは仕方がないことでどうしようもない。
仮想空間での戦闘が、人間にできる最高の戦闘訓練なのだ。
ちなみに、生き返るとはいえ、仮想空間内での痛覚は現実世界と全く変わらない。
げに恐ろしき魔術である。
「よし、それじゃあ職業ごとに分かれて戦闘訓練だ。それぞれ担当の教師の元へ向かえ」
春之は現在、その世にも恐ろしき仮想空間内にいた。当然戦闘訓練のためである。
この訓練は二クラス合同で行われるのだが、偶然にも彩月のクラスと合同である。
さて、一、二年の間体を動かしていないのだから、明日か明後日は筋肉痛だろう━━━━いや、仮想空間内で傷ついた筋繊維は元に戻るのか? もしそうだとしたら非常にありがたい。
そんなことを考えながら術師の指定された位置へと向かう。そこには四十半ばくらいの男教師が立っていた。おそらく彼が術師担当の教師なのだろう。
術師の場所に集まったのは春之を含めても一〇人のみ。母数が八〇であることを考えたら、例年より術師が少ないというのは事実なのだろう。
各クラスの術師の比率が同じであると仮定するなら、学年単位で計算すれば、母数四〇〇人に対してたったの五〇人ということになる。
術師が少ないのであれば取り合いになることは目に見えている。やはり五人目は銃撃手を狙うべきだろうか‥‥‥‥。
「そういえば貴様も術師だったか。となれば実質九人というわけか」
ふいに嘲笑う声が聞こえてくる。
顔を見なくてもわかった。全身を束子で擦られるように感じる、春之が最も嫌う女の声だ。
「それはこっちの台詞だ兵部大輔。血統だけの雑魚のくせに」
「兵部大輔正五位下たる私は貴族だ。貴様のような平民が本来話しかけられるような存在ではないのだぞ?」
「てめえが貴族ならさしずめ俺は春之大臣正一位上だな」
「ほざけ。春之大臣などという官職があるわけないだろう」
「お前が無知なだけじゃないのか? え?」
「フッ、そもそも一連の会話が私の高貴な血統に対する負け惜しみのようにしか聞こえんな」
「「‥‥‥‥‥」」
「んだと貴様ァぶっ殺してやろうか、あぁ?」
「上等だ。その首へし折っ━━━━」
「おら、そこまでにしとけ」
今回もまたまさに飛びかかろうとしたところで教師の制止が入る。さすが朱雀院の教師と言ったところか。妙に手慣れているのが腹立たしい。
二人が睨み付け合いながらも引き下がったのを確認した教師が場の空気を変えるかのように手を叩いた。
「よし、早速術師の訓練をやっていくぞ。俺は術師担当教官の井津國だ。よろしく頼む」
井津國家は南新潟を治める藤ヶ崎派の氏家で、藤原北家の血脈を引く名家である。
現在は、正式に新潟守を拝命するため、北新潟の毛利家、東富山を治める中隣家や、群馬から長野にかけての北部を治める高茶谷家、福島西部の松野家と長年抗争を繰り広げていると記憶している。
「まあ、単に術師って言っても人によって属性も何もかも違うから銃撃手ほど楽じゃないんだがな」
そんなことはどうでもいいか、と豪快に笑う井津國。
「よし、とりあえず何かしらの魔術を使ってみるか。出席番号順に俺に飛びっきりのやつを見せてくれ」
朱雀院では基本技能はあって当たり前。むしろ、無くては入学できない。この学校で習うのは魔術戦闘であって、魔術ではないのだ。
十人は番号順に自らの魔術を披露していく。ここにいる春之以外の全員が攻撃系術師であるようで、的代わりの人形に魔術を当てて破壊する様子を披露している。
「次、地登勢」
「はい」
そうこうしているうちに丹紫姫の番となった。春之はどれほどの腕前かと腕を組ながら様子をうかがう。
とは言え、何か粗相をやらかすとも思えないのが腹立たしい点だ。いけ好かない女とはいえ、丹紫姫は地登勢の次期当主だ。
それなり以上の力を持っていることが━━━━━
━━━━空気が変わった。
冷え冷えとした地獄の冷気に似た重圧が全身を舐め回すような感覚に襲われる。
丹紫姫は用意された的に右手をかざした。
「【鬼焔】」
たった一言の詠唱━━━━━轟音。
的である人形を中心に巻き起こった巨大な火災旋風は、人形だけでなく周囲一帯を焼き払う。
慈悲無き炎の竜巻は、数秒で人形があった周辺を焦土に変貌させたのだ。
その文句無き芸当に、春之は舌打ちを漏らした。この魔術にけちを付けるには、それ以上の魔術を以てしなければならず、春之にその力はない。
完敗だった。
「くくく、どうだ根原。貴様にこれほどの威力は出せるか?」
「勝ち誇るなクソアマが」
春之の後方にある、魔術の披露が終わった者の列に並ぶために隣を通りすぎた丹紫姫が挑発してくる。だが、どう考えてもこれほどの破壊を見せることができない春之の返答にはいつものキレがない。
「よし、次は根原だな」
春之の番が来た。
「どうする? 取り敢えず俺にかけてみるか?」
自分は丹紫姫とは違い攻撃系ではないため、的を破壊することなど到底できない。
だが、このまま何も目立ったことができず、井津國にデバフをかけて終わるというのは、丹紫姫に惨敗したようで癪に障る。
少なくとも自分のプライドがそれだけは許さない。
━━━━春之は静かに目を閉じた。
自分には丹紫姫のような才はない。何度も恨んだ自分の体質のせいで、ろくに魔髄を蓄積することもできない。
だが、春之には一つだけ誰よりも優れた点があった。
それは卑屈なまでに少ない魔髄を効率よく使うため、血反吐を吐きながら習得した執念の賜物であり、春之が魔術師として戦っていくために絶対に必要であったもの。
それは術式改編の才だった。
数多くある一般魔術は全て、発動するための術式が決まっており、人々はその術式を使って魔術を行使する。
だが、春之にはそれすらも困難であった。人よりも少ない魔髄の蓄積量は一般的な魔術すら連発できなかった。
故に春之はそれを始めたのだ。術式を書き換えるということを。
一般的な術式を自ら書き換え、より魔髄の燃費を良く、且つ高威力になるように長い時をかけた。しかし、それでも攻撃魔術は連発できずに、付与魔術の分野に進んだ。
既存の術式を改編し続けた。書き換え、行使し、更に書き換え、行使し━━━━。
いつの日か、それは既に別の魔術になっていた。そう、それは春之の人生の結晶であり、努力が昇華した証であった。
目を閉じながら右手をかざし術式を構築していく。
小さな焔の軌跡は一つの芸術をなぞる。それこそ術式である。
複雑な術式の構築が終了し、宙に浮かんだそれに魔髄を注ぐと同時に、それは発動した。
カッと目を見開いた丹紫姫が直後、盛大に胃の内容物を地面に撒き散らした。苦しそうに胸をかきむしるように押さえ、呻きながらうずくまる。
全身に冷や汗をかきながら、全身を恐怖に震えさせる。
「おい根原やりすぎだ。魔術を止めろ」
嘔吐物にまみれながら過呼吸に陥る丹紫姫。そこ異様な光景に井津國が声を荒げた。
拳で握り潰すように術式を破壊する。
春之が行使したのはデバフだった魔術だ。名を【死気】。射程が短いうえに、術式を構築するのに費やした時間と威力が比例するため、実際の戦闘で使うにはこれほどの威力はでず、せいぜい体に倦怠感を与える程度だ。
だが、これは訓練であり、構築に時間をかけようと敵に殺されることはないし、的は射程圏内で動かずにジッとしていた。
当然の結果だろう。
「ゲロにまみれてやっと良い面になったじゃねえか。見下していた男の魔術で苦しむ気分はどうだ?」
「ぐ‥‥‥あ‥‥‥」
「おい根原いい加減にしろ」
未だに苦しむ丹紫姫をしゃがみこんで挑発していると、井津國が怒声をあげた。
そこまですれば周囲にいた別の職業の集団も何か事件があったということに気がつき始める。
彼らが目にするのは、学年首席が吐瀉物にまみれながら蹲っている姿と、それに駆け寄った教官。そして、それを嘲笑う一人の男子生徒。
視線が集まり始めても春之は止まらない。下卑た笑みを浮かべながら丹紫姫を煽る。
術式を破壊したため、少しずつ丹紫姫の体力が戻っていく。過呼吸が収まり、荒い息づかいではあるものの、十分な酸素を取り込める呼吸をしているように聞こえた。
いくら煽っても反応が無いことで面白味を失った春之が挑発をやめた。
そして、しゃがみこんだ状態から立ち上がろうとして━━━━
ごぴゅっっ、という音が口から漏れた。
体を襲った衝撃により直立姿勢が保たれず、地面を転がる。春之は、とっさに起き上がろうとした瞬間、事態に気付いた。
左肩の先が無かった。
桃色の断面にポツポツと赤い斑点が浮かび始め、ポタポタと地面に赤い華を咲かせる。
左肩を襲う灼熱に喘ぎながら、春之は状況を確認するために先程まで立っていた場所へ視線を向け━━━━━そこにそれはいた。
ゆらゆらと立ち上がったソレを見て、事態の深刻さを知った瞬間、眼前に彼女の顔があった。
不気味に光る黄金の瞳と自分の瞳が合い、
━━━━━━━死。