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2 HR①

 


 入学式が終わり、春之と美耶妃の二人は並んで教室へと向かった。


 しかし、二人の間に会話の類いはない。殺気を溢れさせる春之と、それを見てどうしようか悩む美耶妃が織り成す異質な空気は、すれ違う者全員を振り返らせるほどのものだった。


 教室が近づくにつれ、このまま春之が教室に入ってはまずいと考えた美耶妃が春之を諌めようと彼の右肩に手を置いた。



「ハル。いい加減に少し落ち着きなさい。殺気のせいで私の頬っぺたがピリピリしてるから」


「‥‥‥‥」


 しかし、美耶妃の言葉に無視を決め込む春之。


 彼の態度に美耶妃はため息をつき、おもむろに春之の顔に両手を伸ばすと、両頬を勢いよく引っ張った。


 突然の美耶妃の攻撃に面食らった春之だったが、美耶妃が頬を摘まむ手に力を込めていたこともあり、彼女の両手首を掴んで涙目で抵抗し始める。


「やえろうこん(や、やめろ右近)」


「右近?」


「‥‥‥やえろいやい(やめろ美耶妃)


「その鬱陶しい態度止める?」


「ああ」


 よく言ったと笑い、美耶妃が春之の頬を解放する。春之はズキズキと痛む両頬を押さえながら美耶妃を睨み付けた。


 真っ赤になった頬は美耶妃の力がかなりのものであったことを物語っている。


「今朝も言ったけどお前の馬鹿力は洒落にならないんだよ‥‥‥‥」


「あのね、教室に着いたのに殺気垂れ流すわけにもいかないでしょ」


「んあ? もう着いたのか。気づかなかった‥‥‥‥」


「もう着いたのかって‥‥‥‥」


 さすがの美耶妃も春之のその言葉に呆れ返る。


 彼女は眉間を押さえながらも、気を一新しようと前髪をかきあげ、教室の扉をくぐった。


 春之もそんな彼女に続き、教室へと入っていった。




 




 ◇◆◇◆◇◆




 高校生活初日の教室の中は雑然とした空間が広がっていたものの、既に話の合う者同士で雑談の小集団がそこかしこに形成されている。


 さしずめ、チームを組むにあたっての下準備といったところだろうか。まずは馬の合う者同士が集まって雑談し、順位や戦闘スタイルなどを聞き、いざチーム結成となる。


 いくら強くても、自分と反りの合わない者とチームを組んでも良いことは少ない。安心して背中を預けられる者こそ組むべき人物であるのだ。


 よって、多少能力に妥協したとしても性格の合う者と組むことが多いのである。



 そうは言ったが、強い者のチームに所属することの利点は大きい。チームを組むかはともかく、少なくともお知り合いには、と思う者は多い。


 であるからして、教室に入った瞬間、美耶妃に視線が一瞬で集まるのは必然であったと言えるだろう。特に男子の視線が熱い。

 そして、彼らの目に春之の姿は映っていない。



 数人が席を立ち、それにつられるように教室中の生徒が立ち上がったのを見た春之は、巻き込まれてはたまらないと消え入るように教室の中へと入り、指定された自分の席に座った。


 春之の席は窓側の列の後ろから二列目。美耶妃は廊下側の列だった。


「なあ、ここはなかなかいい席だと思わないか? なんかラブコメっぽい」


 椅子に座り、一瞬で囲まれ身動きがとれなくなった美耶妃を見てニマニマしていた春之に、突如男の声がかけられた。


「んあ?」


 春之はまさか自分に声がかけられると思っておらず、反射的に間抜けな声をあげる。


「おお、すまんすまん。突然話しかけて失礼だったか。俺は丸ノ内(まるのうち)小三郎(こさぶろう)。順位は一二三位。親愛を込めてサブって呼んでくれや」



 声の主は春之の後ろの席の男だった。


 背の高い春之よりもさらに大きい、おそらく一九〇センチはあるのではないかという身長で、筋骨隆々な鍛え上げられた体からは、丸太のように太い腕が伸びている。


 そんな厳つい男が、人当たりの良そうな性格であることに内心苦笑する春之。


「そうか。俺は根原春之だ。順位は二百。よろしくな」


「おうおう、それなら春之って呼ばせてもらうぜ。これからよろしくな」


 サブが差し出してきた手を春之が握り返す。


「鍛え上げられた手だな。これは剣だこか?」


「お、よくわかったな。前衛で大剣を振るうのが俺のスタイルだからな。意外だろ?」


「いや、見た目通りだな」


「そうかそうか」


 ガハハハとサブが豪快に笑った。笑い声も見た目通りであった。


「んで、春之は何を使うんだ? 刀剣類? それとも完全魔術系?」


「俺はデバッファーだからな。攻撃魔術もある程度は使えるから獲物は使わない」


「デバッファーかー。前衛としてはなかなかやり辛い相手だな」


「そんなもんか?」


「そんなもんだ」



 そうだよな、と最後に声がそろう。


 そのことに二人同時に吹き出し、大声で笑った。


 実際に敵味方の力が拮抗し、本の少しの差が戦闘を左右するような場面ではデバッファーの存在はかなり大きい━━━━が、相手が圧倒的強者であった場合は大して役に立たないのがデバッファーだ。


 恐ろしいほど強力なデバフをかけられるならともかくだが、少なくとも春之には戦力差を覆せるほどの力はなかった。



 デバッファーが場面によっては役に立たないことを春之はわかっているし、逆にデバッファーの利点をサブも理解しているからこその二人の会話だったのだろう。



「んでだな、最初に戻るんだが、この席ってラブコメっぽくない?」


「いや、その話に戻る感じ!?」





 その後も春之とサブの話は弾む。


 サブの見た目は屈強な肉体を持った巌のような男だが、中身はユーモアに溢れた気さくな男だった。


 加えて、彼は少々‥‥‥‥いや、かなりオタク傾向にあった。春之は、話の内容こそよくわからなかったものの、その面白さは理解できた。サブが分かりやすく伝えていたこともある。



 故に、サブとの話に気をとられていた春之は、教室が美耶妃が入ってきた時と同じくらいのざわめきに包まれたことに気づいていなかった。






 ◇◆◇◆◇◆




「ほら、席に座ってね。HR(ホームルーム)始めるから」


 パンパンと手を鳴らしながら三十代と思われる男が教室に入ってきたことで、立って話していた者達が各々の席へと戻っていく。


 当然春之達も雑談を止め、教卓の方を向いた━━━春之は早速寝る準備に入っていたが‥‥‥‥。


「お、今年の生徒は物分かりがいい方々が多くて何よりですね。感心感心」


 黒髪黒目で眼鏡をかけた優男が、ウムウムと頷きながら教卓に立っているのだが、この時点で春之は夢の世界へ旅立っている。


 彼が目をつむってから今に至るまでの時間は一分未満。春之の睡眠技術は世界レベルであった。


「よし、まずは僕が自己紹介しますね。僕がこの一年A組の担任となりました、讃岐(さぬき)渡留(わたる)です。皆さんよろしく」


 優男━━━讃岐が一礼すると、拍手が起こる。主に女子の拍手が熱かった。


「では、朱雀院恒例の自己紹介タイムに入りましょう。出席番号一番からどうぞ」



 讃岐は出席番号一番と思われる少年を教壇へ迎え入れ、自分はサイドへとフェードアウトしていく。



「はじめまして。赤城━━━━━」


「菊地━━━━」



 自己紹介が始まり、出席番号順に生徒達が教壇に立って紹介を始める。


 名前、順位。自分の得意とする魔術などを伝え、優れた点も紹介していく。


 例えば、何キロ先のてきにも当てられるとか、魔随の体内蓄積量が多い、等々。


 自己紹介を聞いて気になった点があったり、自分のチームに欲しいと思った場合はこの次にある自由時間でコンタクトを図るのだ。


 クラスの中でチームを決めなければいけないわけではないが、大抵の者らはクラス内でチームを組む。日々のコミュニケーションを取り易いという利点は、チームの円滑な戦闘に直結する利点であるためだ。



 自己紹介が始まってしばらくしても春之に起きる気配はない。一人一人が己を全力でアピールするため、自己紹介の進行は遅い。


 しかし、既に順番の魔の手は春之の五番前に到達していた。




 春之が寝ていることに気づいたサブが、春之の適当さ加減に冷や汗を流しながら背中をつつく。


「おい春之。お前の番が近いぞ」


「‥‥‥‥」


「おい春之」


「‥‥‥うるせえよまだ日が上りきってねえ」


 衝撃の言葉と共に机にうつぶせになって本格的に眠り始めた春之。当初は姿勢よく寝ていたため目立たなかったが、その行為により、彼が寝ているという事実が周囲に晒される。


 サブは慌てて背中を揺するが、彼に覚醒の気配はない。



 一度でも寝たら真横でバンドやオーケストラが生演奏しようとも目を覚まさず、例え起きたとしても何かしらの活動を始めるのに時間をかなり必要とする春之。彼自身も気づいていないが、彼を短時間で覚醒させることができるのは未だ美耶妃のみであり、今日初めて会ったばかりのサブには不可能であった。


 春之が寝ているという情報の伝播の波は、彼の反対側に座っている美耶妃にも伝わるも、自己紹介中であるため席を立って起こすことはできない。


 教室に何とも言えない空気が漂い始め━━━━



「おい、貴様」


 教室に凛々しく力強い鈴の音のような声が響き渡る。ざわついていた空気を一声で切り捨てたその声音は、眠っていた春之を覚醒させるには十分だった。



 脳を完全に覚醒させ、声の主へと視線を動かす。


 後ろで、やっぱり俺とは格が違うのかな‥‥‥と、起こそうと努()力していた男()が消沈していたが、春之の耳にその呟きは入らない。

 



 その声を忘れることはない。


 まさか、同じクラスだったとは━━━━━




「皆が懸命に取り組む中で眠るなど愚の骨頂。恥を知れ」


 教壇で怒声を浴びせる少女のことを春之は知っていた。



「地登勢丹紫姫‥‥‥‥」



 両者の視線が重なると同時に、剣呑な空気が漂い始める。


「私が間違ったことを言っただろうか」


「俺は聞く必要がないと判断したから寝ていただけで、順番が回ってきたら起きるつもりだった。おそらく(いびき)をかいていたつもりもないし、迷惑はかけていないはずだ。さて、俺がただ机にうつぶせになっていただけでざわつくような者達が、果たして懸命だったと言えるのか? 俺は集中力や懸命さに欠けると捉えたんだがそこのところはどうなんでしょうかね」


 教室に更なる沈黙の帳が降りる。


 サブは気圧を体感しているのではと錯覚するほどの重たい空気に冷や汗を拭い、讃岐はニコニコと笑いながら傍観し、美耶妃はいざ止めようと立ち上がりかけるも、ここで自分が立つことにより春之が『結局は他者の影に隠れることしかできない』というレッテルを貼られる可能性を考えて対応に困っている。



「そうだな。お前の話だけを聞けば何ら問題ないようにも聞こえることは間違いない。だが、論点は懸命か否かではなく、自己紹介という一つの事柄をクラス単位で行っている場面において、眠ることが問題に値するか否かという点だ」


「そもそもこの朱雀院はクラス単位での行事など無く、クラス分けは座学のための便宜上の生徒の振り分けに過ぎない。よって基本単位はクラスではなくチーム。となれば、わざわざクラスという存在のために自分の行動を制限する必要性が俺には感じられないのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()



 返答の尻に丹紫姫の言葉を真似して添え、彼女を挑発する春之。



「確かにクラスとは便宜上に過ぎないな。だが、クラスという振り分けがあるのもまた事実だ。意味がないからと言って他と違う行動を本能のままに行うことは果たして人間として正しいと言えるのか? 私は強調性や社会性に欠けると捉えたんだがそこのところはどうなんでしょうかね」


 春之の挑発を受け、丹紫姫もまた彼の言葉を真似することで挑発し返す。


 丹紫姫の返答の直後、両者のこめかみに青筋が浮かぶと同時にプチリとキレた。それは、実際に音が聞こえた気もするほどであり━━━━


「人間として正しいってそもそもなんなんでしょうね。急に表現が抽象的になりましたけど、あれぇ? おっかしいなぁ。もしかして語彙不足ですかぁ? それは残念。勿論二重の意味で」


「何が行動の制限だ。寝ることを我慢することが行動を制限することに該当する筈が━━━━あぁ、寝たいから寝るなんて思考回路の持ち主に我慢は行動制限に該当しないと説いても理解できるはずがなかったか。残念だ。勿論二重の意味で」


「「ああ?」」


 机を蹴り倒すように春之が立ち上がり、メンチを切りながら教壇へと向かう。丹紫姫もまた、教壇を降りて春之の方へと向かい━━━━



「はい、そこまで」


 いざ掴み合いが始まるというところで讃岐が仲裁に割り込む。二人はそれでもお互いに殴りかかろうとしたが、間に割って入ってきた讃岐を殴るわけにはいかず、しぶしぶ静止した。


「初日から喧嘩するってのはよくあることだから止めなかったけど、実際に殴り合うのは良くないかな。もしかしたら魔術の行使にまで発展してしまうかもしれないし、ここで終わりにしましょう」


 讃岐の言葉で春之は怒りの矛先を向ける場所を失った。物に当たるのは格好が悪い。


 舌打ちをつくと、大人しく自分の席へと戻っていった。



「はい、じゃあ、地登勢さん。自己紹介をどうぞ」


 春之とのハプニングがあったが、彼女が壇に上がっていたのは元々自己紹介のためであった。丹紫姫もやはり苛立ちを隠せずに再び教壇に登る。


「地登勢兵部大輔正五位下平朝臣丹紫姫。御三家、地登勢家の次期当主で順位は一位。中距離の魔術戦闘を得意としている。以上だ」


 丹紫姫が端的に自己紹介を済ませ、自分の席に戻っていった。


 彼女の自己紹介が終わっても、教室の微妙な空気は払拭されない。居心地の悪い空間が残ったまま、春之に順番が回ってくる。



「根原春之。順位は二百。デバフかけます。好きなことは寝ること。嫌いなことは起きていること。以後よろしく」


 再び丹紫姫のこめかみに青筋が浮かんだが、さすがに春之が気づくことはなかった。




 まだまだ自己紹介は続き、美耶妃の番が回ってくる。



「はじめまして。藤ヶ崎右近将監正六位上藤原朝臣美耶妃です。チームメンバーはもう決まってるのでよろしくでーす」


 いつの間に、という春之の呟きは、教室の喧騒の中に消えた。美耶妃と組もうと考えていた者達の、メンバーがもう決まっているという事実が発覚したことに対する驚きのざわめきである。



「藤ヶ崎右近殿には是非とも私のチームに入ってほしかったんだがな」


「それは残念です地登勢兵部大輔殿。私のチームのリーダーは既に決まっておりますので」


「それは貴女ではないのか?」


「ええ、先ほどまで貴女が口論されていた殿方です。春之共々、以後よろしくお願いしますね」


 教室の視線が春之に集まる。


「ほう、アレと組むのか」


「ええ、彼は優秀な指揮官(コマンダー)ですので」


 そう言って美耶妃が一礼し、次席へと帰っていく。



 その後はこれ以上の問題はなく、自己紹介が終わった。


 やっと冷静になり、自分が教室で浮いた可能性に頭を抱える春之。


 そして、場面は運命の自由時間へと移り変わっていく。










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