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19 生きるということ

 


 世界が爆ぜた。


 男を中心に発生した爆発は、高温の熱風と共にサブと彩月を襲った。


「サブ殿!!」


 彩月がその小さな体でサブの体に覆い被さる。しかし、サブの巨体を全て覆えるはずもなく、隠れたのは頭や内臓といった急所のみ。


 爆発はビルの床を破壊したらしく、二人の体が宙に浮く。二人はそのまま爆風と共に瓦礫の中へと消えた。




 ◇◆◇◆◇◆



 ━━━━突然の爆発音がして同時に爆風によってビルが倒壊を始めた。


 春之達がいた部屋も爆風に呑まれ、床や壁が崩れて浮遊感に襲われる。


「ハル」


 春之は、美弥妃が咄嗟に伸ばした手に掴まろうとしたが、爆風に呑まれたこともあって伸ばした手は空を切った。

 恐ろしいほどの熱風が春之の身体を焼いていく。


 突然の爆発は春之達がいる階層から下を全て破壊したらしく、落下する春之の下には瓦礫と炎の大口が開いている。そのまま落ちれば間違いなく即死だった。


 春のは身体を捻って手を壁に伸ばし、飛び出ていた鉄筋にしがみついた。しかし、しがみついた鉄筋は錆びついていたうえ、熱によって生じる手汗により、段々と握る位置が下がっていく。


 美弥妃はどうしたのだと上を見上げたが、彼女の存在は確認できない。春之がいた部屋には外に繋がる横穴が空き、ビルの外に投げ出された可能性も考えられた。


 鉄筋を握る左手に力をこめ、右手を上げて両手で鉄筋を握った。しかし、火傷した手の平が錆びた鉄の表面に擦られて激痛を訴え、力も思ったよりも入らない。もはやこれまでかと生を諦めそうになった。


 そんな時だっただろうか。


 上層で崩壊音が鳴り、瓦礫と共に人影が視界に写りこんだのは。


 春之は咄嗟に左手を伸ばしてその人影の手首を掴んだ。それとほぼ時を同じくして落下してきた鉄筋コンクリートの瓦礫の嵐に巻き込まれる。


 その激痛に絶叫しながら、春之は握力を込め直した。ほぼ倍になった体重によって鉄筋を握る右手の筋肉が悲鳴を上げる━━━が、左手を離すことはなかった。


「根原。貴様何のつもりだ」


 左手に掴んだもの━━━━手首を春之に掴まれた丹紫姫がかすれた声をあげた。丹紫姫は春之よりも一つ上の階層の床の一部にしがみついていたが、その床が崩れたことで宙に投げ出されたのだった。

 丹紫姫は炎で火傷することはない。だが、高所から瓦礫に叩きつけられれば生き残れる可能性は皆無だった。


 丹紫姫は生を諦めた。彼女は、もう独りであるため生きていても仕方がないと考えたのだ。目を閉じて死という衝撃に備えた。


 しかし、彼女を待っていた死は訪れなかった。それは春之が手首を握ったからに他ならない。


 丹紫姫には意味がわからなかった。直哉達に裏切られた時に助けられたのは人質を助けるついでのようなものであっただろうと思っていた丹紫姫は、自分が助かる可能性を減らしてまで丹紫姫を助けようとした春之の行動が理解できなかったのだ。


「どうして私の手首を握っているんだ。離せ。お前も落ちて死ぬかもしれないんだぞ」


 丹紫姫は手首を振りほどこうともがいた。しかし、春之は手首を離さない。瓦礫によってできた傷口から垂れてくる春之の血液が手首を濡らし、徐々に滑り落ちそうになってはくるものの、春之は断固として手首を握る力を緩めようとはしなかった。


「離せ。私を助ける意味などない。むしろ死んだ方がお前にとっては好都合のはず。私はお前に対してそんな態度を取ってきたはず━━━━」


「分かってるなら態度を改めろよくそったれが。まじで迷惑なんだよ」


 丹紫姫の言葉を春之が遮った。それは丹紫姫に対しての罵倒。しかし、やはり春之は力を緩めない。


「私はお前が嫌いだ。だからわざわざ絡んで━━━」


「知ってるよ。だって俺もお前が大嫌いだからな。何度ぶち殺してやろうと思ったかわかんねえくらいだ」


「それならどうして私を助けようとするんだ。この手を離せば自分は助かるかもしれな」


「そういうことじゃねえだろ。例えどんなにうざいやつでも、目の前で死にかけてたのを助けようとして何が悪い。黙って助けられてろ」


「なんだと!?」


「それに、ありきたりかもしれないけどよ。ここでお前を切り捨てて俺だけ助かったとして、明日食う飯が美味いのかってな」


 春之はそう言って声をあげて笑った。丹紫姫にはその顔がとても眩しく見えて━━━━いつの間にか自分も声をあげて笑っていた。


 いつからか笑わなくなっていた。最後に笑ったのはいつだっただろうか。

 思えば久しく笑っていなかった気がする。しかし、何故死にそうな今この瞬間に、自分は笑い声を抑えられないのだろうか。


「兵部大輔。お前は確かに弱い。それは間違いない。でもな、人には器ってもんがある。お前には人を統べる器はない。はっきり言って将としては下の下の下。これっぽっちも才能なんてもんがねえよ。だが代わりにお前には個としての才能はある。俺なんかよりもよっぽどな。それは誇るべきことだと俺は思うぞ」


 将ではなく個。その言葉が丹紫姫の脳内を廻っていく。考えたこともなかった。自分は地登勢家の次期当主として、誰よりも先頭に立ち、皆を率いていかなければならないとそう思っていた。

 だが、春之の言葉は丹紫姫の常識を根底から崩し去るものであったのだ。


「俺は個としての強さに憧れた。ずっとその強さを追いかけてきて、いつの間にか全てを失っちまった。美弥妃がいて、彩月がいて、今ではサブもいるが、本当に独りなのは俺の方かもしれねえ」


 春之のそれは独白であった。誰に聞かせるわけでもなく、過去の自分を思いだし、そして後悔しているような声だった。

 その声は悲しそうで、苦しそうで、丹紫姫は春之の暗い過去の存在を察した。


 先ほどとはうってかわって静まり返った二人。遥か下で瓦礫が燃える音だけが無慈悲に響き渡っている。


 その静寂を、先に破ったのは春之だった。


「俺はお前よりも過ちを犯してきた。何度も辛いことがあった。でもな、一度も死のうと思ったことはない。死んだら全てが終わりだ。その過ちを正すことも、辛さを乗り越えて笑うこともできない。俺はそんなのは絶対に嫌だった」


 春之が丹紫姫の手首を握る手に力を込めて自分の方へ引き寄せていく。


「嗤われたなら見返してやればいい。屈辱を受けたなら倍にして返してやればいい。殴られたなら蹴ってやれ。そうやって辛いことを乗りこえて笑うんだよ。死ってのは突然だ。中には生きたいのに死ぬやつもいる。そんなやつらの分も毎日を笑って生きる。それが生きることを許された者の仕事だろ?」


 春之のは独白を続けた。丹紫姫はその独白に聞き入った。何故か春之という存在が輝いて見えた。


 丹紫姫は自分の弱さを自覚した。


 自分とは違ったのだ。


 自分は確かに弱かった。何か辛いことがあるたびに逃げて、何度も死のうとさえ思ってしまった。

 でも、それが弱さの証拠だったのだ。父が、弟が、直哉が、そして春之が言ったことは間違いではなかったのだ。


「死んだやつの分まで生きてれば、とうとう死ぬってなったときに次のやつが俺の分まで笑って生きてくれる。そうやって人は繋がってんだ。

 義務だなんだって固いことに縛られただけで、上部の部分を知ってわかった気になって、本当に大切なことどころか自分の器さえも理解できないやつに強さを語る資格は確かにない。でもな、そんな過ちも乗り越えてやれよ。自分の強さ弱さを知って、嗤ってくれた奴を嗤ってやれ。

 そうやって毎日生きてれば、自然と人は集まってくる。お前は独りぼっちなんかじゃない。独りぼっちの人間なんていない。みんなどっかで繋がっている。だから死ぬな━━━━生きろ」


 春之が右腕を振り上げ、丹紫姫の体が宙を舞った。

 一瞬自分がどうなったか分からずに戸惑うが、飛び出た床のような場所に着地した衝撃で自分が投げられたのだということを理解する。


 丹紫姫は春之のことを助けようと思い、先ほどまでぶら下がっていた手を伸ばした。


「‥‥‥え?」


 そこには確かに鉄筋が飛び出ていた。それは確かに春之が右手で掴まっていた鉄筋だった。その証拠に、鉄筋にはベットリと血が付着している。


 慌ててその周辺を確認した。だが、どこにも春之の姿は無かった。


 丹紫姫は理解した。


 春之が自分を助けて落下したのだということを。右手の限界を悟り、丹紫姫だけでも助けると宙へ投げたのだということを。


 丹紫姫は助けられた。春之の命と引き換えに。


「根原。これが繋がるってことなのか? お前が言ってた次に繋げるってことなのか?」


 丹紫姫は身をのり出して瓦礫の海を見下ろしながら呟いた。それに返答はない。先ほどの春之のように独りで言葉を紡いだ。


「本当に何故私を助けたんだ。何故自分は死んだんだ‥‥‥‥自分は死んで私には生きろだなんて‥‥‥酷いじゃないか‥‥‥」


 丹紫姫の絞り出すような声は露となって瓦礫の中に消えた。










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