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1 邂逅



 魔術。


 それは神話や御伽噺に登場する産物ではなく、全人類が行使できるありふれた能力である。


 人類は神代の頃からその魔術という人智を超える異能を使いこなしてきた。故に、文明の発展は魔術と共にあったと言っても過言ではないだろう。




 無論、万民が使えるとはいえ個人差がある。


 魔術とは、人類の体内にある『魔核』という体内機関によって生成される『魔髄(まずい)』という物質を使用して発動する。


 それは血液中に溶け、全身を循環している。そこにこそ個人差が存在しているのだ。『魔髄』を血液中に蓄積するには当然限界容量があり、まずどれほど蓄えられるかによって他者と優劣がついてしまう。


 また、魔術には様々な種類があり、『魔髄』によってそれぞれ得意とする魔術が異なっている。どの魔術が優れているということを議論していてはきりがないのだが、この適正魔術という存在もまた人に優劣を付けてしまっているのが現状だ。




 そうした数多の魔術の中でもとりわけ異彩を放つものがある。


 それは俗に『氏個性(うじこせい)』と呼ばれる魔術であり、それは一般の魔術とは違い遺伝によってしか伝わらない魔術であった。そして、その『氏個性』は総じて一般のそれを遥かに凌駕する力を持っていた。


 限られた強大な力を持った者らは氏家を作り、様々な血をいれ、その能力を高めていった。


 世代を重ねるごとにその能力はさらに力を増し、ついには国家間での牽制に繋がるほどの氏家も現れている。



 それぞれの氏家はもはや大名と表現しても過言ではなく、直接的な支配権はなくとも、それぞれ縄張りとする土地に根を張り、官位を持ち、宗家を中心とした家臣団を形成し、他家と競いあっている。


 これこそが現代の大和国の根幹たる構造である。


 しかし、彼らは力こそあれ少数派であり、『氏個性』を持たぬ者達を(ないがし)ろにする理由にはならない。


 発明、生産、そして戦争。多彩を極める魔術師達の活躍する場を挙げてはきりがないのだ。




 二十一世紀半ば━━━西暦二〇五三年となった今日(こんにち)、世界各国は魔術師育成に国を挙げて取り組んでいる。




 大和国立朱雀院高等学校。


 そこは、国家の第一線で活躍する優秀な人材を毎年数多く排出する伝統ある名門中の名門の高等魔術教育機関である。


 この大和国には他にも国立高等が存在しているが、この朱雀院では特に戦闘系魔術に重きを置いた授業のカリキュラムが組まれている。


 そう、つまり朱雀院は戦闘系魔術師育成高校であった。



 そこにあるのは順位によって格付けされた世界。


 入学してすぐに魔術師の戦闘スタイルである五人一組(ファイブマンセル)のチームを組み、その順位によって生徒の存在価値そのものが決まる世界。


 無能者などいらないという徹底した残酷なまでの実力主義の世界。


 恐ろしいほどの倍率を潜り抜けた第一線級の強者達が、さらに優劣を競い合う過酷で無慈悲な世界。

 



 才能が必須のその世界では、人の社会的地位もまた、生まれながらにして決まっているのかもしれない。






 ◇◆◇◆◇◆



「ハル」


「ぐほっぇえっっ」


 突如鳩尾を襲った激痛によって少年は深い眠りから覚醒させられた。


 一瞬何が起きたか分からず慌てたものの、衝撃の寸前にかけられた声などを鑑み、自分が殴られたのだということを察する。


 ゴホゴホと咳き込みながら少年は自分を襲った悲劇の現況たる人物を恨めしげに睨み付けた。


「‥‥‥美耶妃(みやび)てめぇ」


「『美耶妃てめえ』じゃないわよ。そこは、『美耶妃様本日もお美しゅうございますね』か『美耶妃様、貴女様に殴られるのはご褒美です。できれば罵りながらもう一度殴ってはいただけないでしょうか』でしょ」


 文句を喚く制服姿の少女。着崩した制服の裾からチラチラと臍が覗き、胸元は大きく開き、スカートも極限まで短く改造されているものの、その容姿は美麗と言わざるをえない。


 対して少年の容姿は平凡よりも少し美麗というレベルで、首から上であれば彼女には釣り合っていないとも言えた。



 そんな少年は彼女の姿を見て嘆息を漏らす。


「お前も首から上だけ見ればお嬢様なのになぁ‥‥‥勿体ねぇ」


「ぶっとばすわよ。首から上だけじゃなくて私は本当のお嬢様なんだけど」


「で、何のようなんだ。俺はもう一眠りしたいんだが」


「無視したうえに何のようって‥‥‥あんたねぇ、今日は入学式でしょう? 起こしに来てやったんだからありがたく思いなさいな」


「ああ‥‥‥だから制服‥‥‥‥」


 少年の今思い出したという様子に美耶妃と呼ばれた少女は深いため息をついた。


 そう、今日は朱雀院高等学校の入学式の日、それも開会一時間前。



 はっきり言おう。寝坊である。



「初日から休む気? 迎えに来た私まで遅刻扱いとか嫌なんだからさっさと着替えて行くわよ」


「めんどくせ」


 その少年のやる気のない態度にもともと苛ついていた美耶妃の怒りは頂点に達した。一度学校に行き、少年が来ていないからと起こしにわざわざ戻ってきたのにも関わらず、その当人からめんどくさいと言われれば彼女が怒るのは当然であると言える。



 突如風圧が発生し、それとほぼ同時に渇いた音が室内に木霊(こだま)した。


「受け止めるなんて生意気なんじゃないの?」


「黙って殴られてやる義理はない」



 風圧の正体は彼女が少年に対して放った右ストレート。


 少年は鬱屈そうに再び嘆息すると、掴んだ彼女の拳を解放した。


 肉眼では捉えられないほどの鋭い一撃。それを受け止めた手のひらを一瞥し、思わず舌打ちをする。


「お前の拳は凶器なんだから洒落になんねえからな」


「それを受け止めてんだから嫌みにしか聞こえないわね」


 美耶妃の悪態に少年は本日何度目になるかわからないため息をつき、手のひらの傷から滲んだ血をベッドシーツで拭き取った。


 その鱗のようにも見える傷を見た後、少年は再びため息をつきながら重い腰を上げるようにゆっくりと立ち上がった。


「出てけよ。着替える」


「あら、ストリップショーは見せてくれないの?」


 少年は美耶妃の軽口にため息をつき、服の裾に手をかけた。美耶妃は少年が相手してくれないとわかると、面白くなさそうに部屋から出ていった。



 美耶妃が出ていったことを確認しながら少年は服を脱いでいく。そして、クローゼットの中からこれから毎日着ることになる制服を取り出した。


「‥‥‥ったく、行きたくねえのになぁ」




 制服に着替え、ドアノブに手をかける━━━と同時に扉が開いた。ノックの類いは確認されていない。


「開けるなよ。まだ着替えてたらどうする」


「さあ?」


「‥‥‥‥」



 最低限の身だしなみを整え、食事を取る。早くと急かす美耶妃の頭を叩いて黙らせ、家のドアノブに手をかける。


 そこで少年は自分が忘れ物をしたことに気づいた。



「悪い、少し待っててくれ」


 少年は小走りで部屋の中を進み、自室へと戻ると、ある首飾りを大事そうに身につけ玄関へと走った。



 玄関で待たされた美耶妃は、また殴ってやろうという表情をしていたが、少年が付けてきた首飾りを見て顔を曇らせた。



「ハル‥‥‥」


「なに辛気臭い顔してんだ。俺としては(はなは)だ不本意だが学校に行くぞ。お前もそのために迎えに来たんだろ?」



 少年━━━根原(ねはら)春之(はるの)は美耶妃の後頭部を再び叩いてから家の扉を開け、これからの新天地になる場所へと駆け出した。



「あんた、私が何も言わないから調子に乗ったのかもしらないけど、何度も叩いてんじゃないわよ」


「へーいへーい」






 ◇◆◇◆◇◆



 結果として言えば入学式には間に合った。


 二人は開始十分前の講堂に駆け込み、空いていた後方の席に座った。


 毎年、この学校の入学人数は四百人。つまり、この講堂は千二百人を収容できる大きさである。さすが国立と言うべきか、どこかの劇場と言われても疑わないほどの荘厳さも持ち合わせていた。


 そんな講堂に、これから自分が争わなければならない生徒達がひしめき合っているという事実に、春之は鬱屈そうな表情を浮かべた。


「なにめんどくさそうな表情してんのよ。ま、同じクラスなんだし面倒見てやるから安心しなさいな」


「お前は俺の保護者か」


「言い得て妙な表現ね」


「ならすぐにその親権的な何かを放棄してくれるとありがたいんだけどな」


「あらそう? 私の名前はハルにとってそこそこ有益だと思うんだけど」



 ニヤニヤと笑みを浮かべながら美耶妃が春之の頬をつつく。そんな彼女の手を鬱陶しげに払いのけ、足を組み直す。


 実際に彼女の言葉に嘘偽りはない。それこそ言い得て妙だ。



 彼女の本名は藤ヶ崎(ふじがさき)美耶妃(みやび)


 彼女の生家である藤ヶ崎家とは、御三家と呼ばれるこの大和国で最も力を持つ家の一つであり、彼女はその藤ヶ崎家現当主の次女。今朝彼女が言ったとおり本当にお嬢様である。


 加えて、彼女は実力も本物であり、家督の相続権こそ無いが、現時点での家内順位は三位。この学校にも次席で入学している。故に、彼女の利用価値は非常に高いことは明白だった。




 おそらく、彼女のような者達が、この学校で生き残っていくのだろう、と春之は心の中ですっかり癖になったため息をついた。そう、ここはそういう世界なのだから。



「ま、ハルとチーム組むのは決定だからそこんとこよろしく」


「は? お前次席。俺、ジャスト二百位。それわかってる?」


「わかってるわよ。でも、ハルとはこんなに小さいころからの付き合いじゃない。チームなんて仲良い者同士が組むのが普通でしょ。下手に強い奴と組んでもプライドが邪魔で機能しなくなるわ」


 美耶妃が示した大きさが約五センチくらいだったことは無視して、春之は目を閉じて熟孝する。


 彼女と組めば確かに上位の順位を維持できるだろう。しかし、それはチームの順位であり、自分自身の順位は平凡そのもの。


 その事実は他者からのやっかみの原因となることが予想された。『寄生虫』『雑魚のくせに強いチームに潜り込んだ鼠野郎』など、自分が他者にとってどう写るかなど容易に想像できる。


 ここに入学を許された時点でここに集まるのは各地からの猛者達であり、プライドの高いエリート達だ。彼らは自分の力に誇りを持っており、そんな彼らに春之という寄生プレイをしている男がよく写るはずもないのだ。




 ただでさえ寄生プレイが嫌悪されるのにも関わらず、春之が寄生しようとしているのは、御三家で学年次席。しかもスタイルも抜群で美少女ときている。性格こそ雑だが、名家にある自分よりも弱い者を見下す傾向にも当てはまらない。


 おそらくそんな優良物件中の優良物件である美耶妃とチームを組みたいと思う者は多いため、最大の反感を買うというものだろう。


 故に、春之は美耶妃の誘いには慎重になるしかない。彼女のチームに入ることで得られるメリットを取るか、やっかみを受けるデメリットを取るかなのだが━━━━


「何を考えてるかしらないけど、ハルが私のチームに入ることは決定だからそこんとこよろしく」


 美耶妃は春之の思考を読んだように笑いながら彼の背中を叩いた。どうやら、春之には選択権は無いらしかった。


「お前のチームに入って他から何と言われるか‥‥‥‥」


「ハルはそんなこと気にする性格じゃないし、陰口叩くやつは私が焼き殺してやるから安心しなさいな」


「なんかお前に寄生してるようでいい気がしないんだけど」


「ハルにはあの時の借りがあるわ」



 二人に沈黙の(とばり)が降りた。



「‥‥‥‥それを言うのはズルいんじゃないか?」


 春之は美耶妃の言葉でこれ以上の議論が意味のない物だと知る。彼女の言葉は、それほど彼にとって意味のある言葉だった。



 おそらく、それは一生変わらない。春之はあの時の事を忘れることができないのだから。




 彼にとって卑怯な手段を取った美耶妃に抗議しようとした春之だったが、それは入学式の開始という壁によって阻まれる。


 学校に通うことにあまりよい感情を抱いていない春之ではあるが、さすがに入学式が始まっても騒ぐ勇気はない。春之は再び目を閉じ、睡眠の姿勢に入った。




 ◇◆◇◆◇◆





 入学式が始まり、騒がしかった講堂が静まり返る。生徒会による進行で会は順調に進んでいった━━━━と思うが、春之はよく知らない。始まるとわかった瞬間に眠りに入ったからだ。今朝は睡眠を妨げられたがために、彼は眠りにつくのに長い時間を必要としなかった。




 そんなすぐに寝息を立て始めた隣人春之に美耶妃は半ば呆れながら壇上を眺めていた。彼女にとっても入学式は面倒な行事だ。次席の彼女は『答辞』という仕事もなく、ただ無意味に長い言葉を聞くだけの時間である。


 しかし、彼女は幸か不幸か名家の出身である。それも藤ヶ崎家という三本指に入るほどの家であり、いくら雑な性格の彼女とて、彼女の行動一つが家の評価に繋がることもあり、入学式で眠るという行動はできなかった。


 もしそれを春之に話せば、『その制服の時点で終わりだよ』と言われるのだろうが、彼は現在夢の世界だ。



 襲いくる睡魔。次の生徒代表首席による答辞さえ終われば入学式は終わりだ。



 その次は各教室に別れてのホームルームとなるのだが、このホームルームこそ、彼女にとって、いや、全生徒にとって今後の人生すらも左右する戦いになる。


 ホームルームでは、自己紹介の後、自由時間が設けられる。その時間にチームメンバーを決めるのが通例となっているのだ。


 正式に決まるのは今日から一週間後ではある。しかし、初日でだいたいのチームが決まってしまうのが毎年のことであり、初日こそ最も重要と言えるだろう。



 美耶妃は藤ヶ崎家の令嬢であるためメンバーは選び放題である━━━ということはない。


 確かに彼女から誘われて嫌と言う者はほとんどいないだろう。


 しかし、名家出身の者は家のことも考えてチームを組まなければならない。


 藤ヶ崎家は大和国で最も優れた氏家であるが、肩を並べる氏家が他に二つある。


 もし、他の二家の出身の者とチームを組んだ場合、美耶妃がリーダーになればもう片方の氏家の者が藤ヶ崎家に従う形になってしまい、それは氏家として禁忌にあたる。逆も然り。



 また、折り合いのよくない氏家もあり、その家の出身者と組むこともできない。名家は御三家だけではないため、他の家の者を集めながら、強く、そして家のことも考えたチームを組まなければならないのである。



 それだけでも大変なことであるのにも関わらず、彼女はさらに難易度の案件を抱えている。それは寝ている隣人をメンバーにいれても特に問題ないチーム作りをしなければならないということ。


 春之の名字は根原であり、名家のそれではない。入学時の成績も中位。容姿をとっても、整ってはいるが絶世の美少年とは言い難い。敢えて何か言うならば背が少し高いことくらいだろうか。


 そんな彼であるが、美耶妃はなんとしても春之をメンバーに加えたい。




 エリートの集まるこの学校で、彼をメンバーに加えても軋轢を生まないチーム作り。


 時に家や名誉のために死すら選ぶ魔術師の卵達が集まるこの学校で彼女の理想のチームを組むのは高難度の案件だ。



 先が思いやられると内心辟易しながら、美耶妃は幼い頃から共に過ごした男の寝顔を見詰めていた。






 ◇◆◇◆◇◆




 入学式は進み、最後のプログラムとなった。寝ていた者達も既に起きて、次のプログラムを待っている。


 次は新入生答辞。自分達の世代の主席を見ようと考えである。これから壇上に上がる生徒が、ここにいる新入生全員にとって目指すべき目標であり、超えるべき壁であるのだ。




「━━━新入生答辞。新入生代表、主席、地登勢(ちとせ)丹紫姫(にしき)


 全員が起きても我を貫いて寝ていた春之がピクンと跳ねた。


「‥‥‥‥ハル」


「黙れ()()()()()


「‥‥‥‥」


 今までの間延びした口調とは打って変わり、冷ややかで鋭利な口調に、美耶妃は黙って口を閉じる。



 春之はそんな美耶妃を瞥見(べっけん)もせず、ただ静かに壇上に向かう一人の生徒を射るように目で追った。そこに、先ほどまでの気だるさを隠さない男の姿は無かった。



 その視線の先には一人の少女。


 鋭い瞳には彼女の強さが浮かんでいた。傾国級の美貌と人形のように美しい肢体。そして、男に媚びることのない凜とした印象を受けるその気迫は、静まり返っていた講堂をさらに静寂へと包み込んだ。


 物音一つ立たない講堂の壇上に少女が立った。この場にいる全ての者が、彼女の行動に注目していた。



「暖かな日差しと共に吹く風が心地よく感じられるようになった今日━━━などと意味のない言葉を続ける気は一切ありません」



 それは、美しく、心に直接流れ込んでくるような声であった。



「突然ですが私はこの場を借りて、同世代の者らに一つ言いたいことがあります」



 彼女が言葉を切った━━━直後、気を抜けば意識をもがれるのではというほどの威圧が前進を駆け抜けた。それは殺意ではない。ただ、純粋なる重圧。


 目に見えぬ何かに心臓を握られたかのような、もしくは何か自分が預かり知らぬ件で詰問されているのではないかと錯覚させるほどの威圧に、春之は体が(ふる)えるのを感じた。


「傲るな腑抜けども。この栄えある朱雀院高校に入学できたことは確かに誇るべきことだが、それはゴールではなく出発点に過ぎないのだ━━━━この大和の国は強大な魔術大国であり、常に華国やロスマン帝国、メリカ合衆国、ルーシアヌ連邦らと鎬を削ってきた。しかしそれは残念なことに、大和が優位な立場にあるとは言えないものでもあった。だが、私にはそれよりも残念なことがある。それは自らの力に傲り高ぶり、己が大海を知らぬ蛙であることを忘れ、牙を研くことを止める愚か者が未だにこの大和に跋扈していることだ。当然この学校にも。断言しよう。貴様らに、この学校はおろか、この大和の国にいる価値はない」


 彼女は声を荒げ、演説台を強く殴り付けた。彼女の言葉に憤りを感じる者は多かった。『何様のつもりだ』『貴様に何がわかる』と。だが、それを口に出すものはいなかった。出せるものがいなかった。


 それは彼女の発する威圧に押し負けたからか。もしくは己の心の中に、慢心があることを認めてしまったからか。


 講堂には変わらず静寂の帳が降りている。多くの者がうつむき、反論したいと欲するも、己がそれをできない立場にいることを自覚し、羞恥するとどうじに自責した。握りこぶしを屈辱に震わせ、奥歯を砕けるほど噛み締めた。


「我々大和人は、神代の時代より魔術の、技を、力を、常に磨き、昇華させてきた。かつて、大和に比肩する国があっただろうか。我々の祖先は間違いなく世界の頂点にいたのだ。しかし今はどうだ。牙を研ぐことを忘れ、他国に並ばれるどころか遅れをとっているのが現状ではないのか。それでもいいのか大和人よ。誇り高き大和の民達よ」


 問うまでもないと間に挟み、彼女は咆哮した。


「否だ。断じて否だ。我々は誇り高き大和の民ぞ。(いにしえ)の時代より世界の頂点を見た大和の民であるならば、再び世界の(いただき)に至ることは難しいことではないはずだ。故に、牙を研ぐのだ。己の魔術に酔いしれるのではなく、精錬し、昇華させるのだ。次の時代を創りあげるのは我々だということを努々(ゆめゆめ)忘れるな。貪欲に力を求め、競い合い、更なる力を求め続ける。たったそれだけで必ず我々はそこに至れる。強き我々ならばできる。誇り高き大和の民ならばそれは間違いなく可能だ」


 彼女が拳を天高く上げ、大声で吠えた。


「朱雀院の生徒達よ。誇り高き豪胆無比な大和の民よ。怠慢も傲りも振り払い、この世界の頂点を見ようとするならば。切磋琢磨し、己の力を昇華させんと欲するならば━━━━今、咆哮を以ってその答えとせよ」



 直後、耳をつんざくほどの咆哮が講堂を包んだ。その咆哮の饗宴は、地を揺らし、窓を割る。見れば誰しもが、沸々と込み上げる闘志を乗せ、力の限り咆哮していた。彼女は、一瞬にしてこの講堂全てを飲み込んでしまったのだ。




 その咆哮は彼女が拳を下ろした瞬間に止み、再び耳鳴りがするほどの静寂へと戻る。


 講堂が彼女の世界と化している証拠であり、彼女が短い時間でこの講堂の全員の心を掌握した証拠でもあった。


 すごい、と美耶妃は驚愕すると同時に恐怖する。彼女もまた、声こそ上げなかったものの、闘争心を掻き立てられていたのだ。




 「違う。違う違う違う違う。この大和で最も許されざるべきは怠慢でも傲りでもない。それは貴様らが一番理解しなければならないことの筈だ。それなのに━━━━」


 春之の奥歯ギリギリと音をならす音が美耶妃の鼓膜を揺らした。そして、春之の己の内から憤怒を絞り出すような声も。



「以上をもって、新入生答辞とさせていただく。新入生代表━━━地登勢兵部大輔正五位下平朝臣丹紫姫」



 春之が怒りに身を焦がしていることを知らない丹紫姫が一礼して降壇する。その挙動を春之は後方の席から射殺すように睨みつけていた。


 その相貌には憎悪と怨嗟が複雑に混ざり合い、沸々と殺気が滲み出ている。


「ハル‥‥‥‥」



 美耶妃がそんな春之の様子を見て、彼の手に彼女自身の手のひらを重ねた。春之は美耶妃の手を振り払い、彼にとって最も大事な首飾りを力の限り握りしめた。



 それは、その存在を確かめるかのようで。


 同時に何かを思い出し、誓っているかのようで━━━━




 彼女の答辞が終わったことで入学式も終了となる。そして始まるのは三年間の高校生活。



 そのことを想像した春之の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。






 ◇◆◇◆◇◆




 根原春之と地登勢丹紫姫。


 この二人の邂逅よりこの物語は始まる。


 その日より絡み合い回り始めた歯車が、


 喜劇を生むか、はたまた悲劇を生むかは誰にもわからない。



 しかし、ただ一つ言えることがあるとするならば━━━━それは間違いなく運命であったことであろう。











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