11 激戦と死
例のごとく美弥妃に叩き起こされて学校へ連れてこられる。しかし、どうやら丹紫姫に勝ったことで父親から誉められたらしく、最近は異常なほど機嫌がいい。
もともとファザコンの気があった美弥妃だが、それは地登勢家と違って家督相続で揉めていないことが背景にあったのからであろう。
彼女には今年成人する兄がおり、彼が家督を継ぐことは早々と決まっていた。実力も現当主に続く二位であるため異論を唱える者もいなかった。
よって、争いは無く藤ヶ崎家の家族関係は非常に良好なのだ。
まあ、機嫌が良くとも彼女の一撃は重い。毎朝それを食らっている俺の身にもなって欲しいもの━━━━━
「なあ春之。パン買いに行かね?」
昼休みが始まったところでサブに肩を叩かれて起こされる。春之は毎日購買にてパンを買っているため、サブの誘いに応じることにした。
二人並んで廊下を歩き、購買へ向かう。
「なあ春之」
「ん?」
「模擬戦の時、視えてるとか言ってたけどあれもお前の魔術なのか?」
模擬戦の時‥‥‥と考えて、サブが知りたいことを理解する。どうやら俺が遠くにいた敵の情報を把握していたことを疑問に思っていたようだ。
「そうだな。俺の魔術と言えるな。詳細は企業秘密だが」
「おいおいケチくさいこと言うなよな。俺とお前の仲だろ?」
一体どういう仲なのか説明して欲しい。別に教えることができないわけではない。普通にめんどくさいだけだ。
「いい男には秘密の百や千は普通にあるもんだろ?」
「突っ込みたい点が二ヶ所ほどあるんだが‥‥‥‥」
◇◆◇◆◇◆
ワイワイと騒ぎながら(主にサブ)廊下を歩けばすぐに購買にたどり着いた。
特別マンモス校というわけではないがこの学校の敷地は異常なほど広い。
今のところ本校舎しか利用しないため特に苦労していないが、実際にチーム戦が始まればバイクで移動する者もいるくらいだ。
徒歩で外周を一周しようと思えば数日かかるだろう。おそらく一万ヘクタールくらいはある。
北海道ならまだしも、埼玉にこんな馬鹿でかい高校をよく作ったものである。
森に山に川に‥‥‥と自然も豊富だ。控えめに言って頭がおかしい。
チーム戦が始まれば敷地内のどこかに自分達の詰所を作らなければならない。中には自分の家を作ってそこに住む者もいるらしい。
正直下校するのも面倒なので住み込みもいいなと思い始めていた。
「春之は何買う?」
「バイク買おうかな」
「は? バイク食うのか?」
「んあ?」
何の話だ?、と聞き返そうと思ったが、周囲を確認してから状況を把握した。サブは何パンを買うかと聞いていたのだ。それに対して春之はバイクと答えた。
恥をかいてしまった。少し恥ずかしいくなり春之は内心赤面した。
サブにからかわれるのも癪なので顔には絶対に出さないが。
購買所は、弁当やパンを買う生徒達が押し寄せて騒然とした空間となっていた。
互いに押し合いながら自分の求める物を手に入れようと、乱戦に近い騒動が繰り広げられていた。
いつものようにコンビニでパンを買わなかった過去の自分を責めたがどうしようもない。腹を空かせたまま午後の授業に臨むなど考えられない。
「カイザー・ゼンメルをよこせ!! カイザー・ゼンメルを要求する! おとなしくカイザー・ゼンメルを出せ! さもなくば━━━━射殺する」
入り口で尻込みする春之の隣でサブが叫んだ。何のネタでボケたのかはわからなかったが、彼の叫びは喧騒の中に消えた。
そもそもカイザー・ゼンメルって‥‥‥‥。マニアックとまでは言わないが、さすがに購買に売ってるパンではないだろう。普通にロールパンを買えばいいのではなかろうか。
渾身のネタが滑ったからか、固まったまま動かなくなる。本当に射撃するわけにはいかないもんな、などと物騒な事を呟いているサブを置いて、春之は生徒の渦の中へと身を投じた。
「おいてめぇ俺のパンを取っただろ!?」
「ふざけんじゃねえ。ぼてくりこかすぞゴラァ」
「ちょっと暴れないでよ」
「よっしゃぁぁぁぁっ」
「くそっ。残り一つになっちまった」
「嗚呼、終わった‥‥‥」
「これは俺の唐揚げ弁当だ。てめえは南蛮でも食ってろ」
「んだとてめぇ南蛮馬鹿にしてんのかオイ!!」
喜びや悲しみの声、そして罵倒が飛び交う購買所。春之は人の波に揉まれながらパンの売り場を目指す。
そこは本物の戦場だった。
多くの若者達が、栄光を求めて戦い、死んでいった。一度転ければ命はない。踏まれ、蹴られ、ぼろ雑巾のようになって入り口に押し戻されるだろう。
狭い室内に密集しているせいか空気も薄い。目を血走らせ、叫び声を上げる狂戦士達の猛攻をくぐり抜け━━━ついに光が見えた。人間の壁の間にできたわずかな隙間。目を凝らせば、そこにはパンの売り場が広がっていた。
春之はその小さな隙間に腕のみを無理矢理ねじ込み、パンの袋を掴んだ。もう食えれば何でもいい。そう思って掴んだパンだった。
腕を引っ込めて回収を図る。これを手に取り、レジまで死守することができれば春之の勝ちだ。そしてそれは、この激戦地から退却することができることを意味している━━━━のだが様子がおかしい。
パンが動かない。具体的に言えば反対側からも引っ張られているような。
こいつを奪おうという者がいる。それは間違いないだろう。現に、今も一定の方向に向かって袋の片隅が引っ張られていた。
ここまで来てパンを奪われるなど言語道断だ。既に春之の体力は限界だった。おそらく午後の授業は泥のように眠ることだろう。
「ぬうっっ」
うめき声をあげながら春之は力の限りパンの袋を引っ張った。しかし、いくら引けどもパンが動く気配はない。見事に力が拮抗しているようだ。
相手が見えないため断言はできないが、このまま引き続ければ自分が負けるという確証が春之にはあった。
自分の体力の無さは自分がよく知っている。授業中に教師に当てられたこともあり、寝ていなかったことも災いした。
もう片方の腕をねじ込んで両手でパンを握り、力を更に込める。足腰を踏ん張り、内臓が破裂しそうなほど腹筋に力を込め━━━女子の悲鳴に近い声が聞こえたと思った瞬間、視界が天井に移り変わった。
敵が手を離したのだ。両方から引っ張っていて、片方が急に手を離せばもう片方が転倒するのは自明の理。
転倒した春之は後頭部を床で強打し悶絶する。複数の足による追撃を食らいながら死に物狂いで起き上がったところで目の前にいた少女と目があった。
パンコーナーを挟んで春之と戦っていた敵。それは、
「根原‥‥‥」
「まじかよ」
模擬戦で春之に敗れて以来、一度も会いたくなかった相手。教室でも春之を親の敵でも見るような視線で射殺してきていたその女は、
「兵部大輔、悪いがこのパンは俺のだ。他を当たってくれ。それじゃっ」
「待て根原。貴様には屈辱を味あわされたのだ‥‥‥‥パンくらい譲れ」
「は? ふざけんなよ俺に負けたんだろ? 今日を含めて二回もな。敗者が勝者に口を出すなんておこがましいとは思わないのか? え? 無様に雑魚のはずの俺に負けた兵部さーん。あれ? 家督の相続権はまだあるんでちゅか? ぷーくすくすくす」
「き、貴様‥‥‥」
丹紫姫が憤怒のオーラを放ち始めた。濃密な殺気が放たれ、春之の頬をビリビリと電流を流したように痺れさせる。
心なしか頭髪が上気して揺れている気がするんだが、これはどういう原理なのだろうか。
どうやら家督相続の話はかなりまずいボタンだったようだ。
「ま、まあ、そういうことだ。じゃあ、ばいばいっ」
「おい待て。逃がさん」
直後、丹紫姫が地を蹴り接近してきた。春之は咄嗟に避けようとして体をのけ反る。
ここは未だに乱戦が続く購買所。そんな中で暴れようものなら━━━
「おまっ‥‥ちょっ‥‥待っ━━━」
「おい、うわっ━━━━」
胸元目掛けて飛び込んできた丹紫姫を避けようにも、後ろには人の壁。避けきれずにそれを受け止めた春之が咳き込みながら後方へ倒れこむ。
そして、その勢いのまま、丹紫姫もまた春之に覆い被さるように転がって━━━━未だ喧騒の止まぬ購買所に二つの叫び声が響き渡った。
◇◆◇◆◇◆
「春之ー。どこだー?」
春之と丹紫姫が人間の波に埋もれ、揉まれ、踏まれ、絶叫を上げたその頃、サブは入り口に立って春之のことを待っていた。
「カイザー・ゼンメル美味いな」
一人、サブのみが幸せそうな顔で望みのパンを頬張っていた。