夏の職員室での後悔
夢野咲良はみんなと同じ人間だ。
人間、一つや二つの後悔をしたことがあるだろう。あの時こうしていれば良かった、あの時あんなことしなければよかった、好きな女の子にブスなんて言わなければよかったと思う。だけどその後悔もいつかは乗り越えないといけない。
「さて、君はこれで何回目の遅刻か覚えているのか? 遅刻で世界を目指すつもり?」
学校の応接室で、俺は担任の鹿目先生と相対していた。俺のすぐ隣には透明なショーケースに数多くのトロフィーが敷き詰められている。今流行りのキャリアウーマンのような先生は、緊張している俺をジョークで和ませてくれているのだろう。
「やっぱり、男として目指したいじゃないですか。それに今日遅れたのは僕じゃなくてアラームがきちんと仕事をしてくれなかったからですよ」
「言い訳は良い。次遅刻したら親に言うぞ。これ、今日の課題な」
おかしい。せっかくジョークにジョークで返したはずなのに無視された。先生は黒縁眼鏡を指で正し、俺に数十枚のプリントを差し出す。差し出すときに先生の鎖骨を一つの汗が流れた。
高校生には刺激が強すぎる。
俺がプリントを受け取ると、鹿目先生は思い出したように口を開いた。
「で、最近どうだ? お母さんは元気にしてるか?」
「ええ、まぁ。ぼちぼち」
「ぼちぼちか」
俺の家には父親がいない。そういうことからなぜか先生には気を使ってもらっている。だから毎回のように先生は、
「君は将来進学する気? 就職?」
と聞いてくる。俺の答えはもちろん、
「分かりません」
その返答にも先生は俺に答えを出させようとはしない。俺はどうするべきなのか、分からない。窓から外の景色を見ると、幾重にも雲が折り重なっていた。
「あんまりお母さんに無理させるなよ」
返答できない。
その後、先生は一つため息をついてから俺に言った。
「もういいよ、早く戻れ。授業始まる」
時計を見ると、あと数分で授業が始まるところだった。
「やっべぇ! また遅刻する」
「あ、そうそう。言い忘れてた」
扉を開ける俺を先生が呼び止める。なんだろうと振り向くと、唇を斜めに釣り上げ、不気味な笑顔を向けていた。
「私の鎖骨を見て興奮するな。このクソガキ」
鎖骨なんて見なければよかったと、後悔した。