第二部 現在の私(Ⅰ) 第一章 想起 第一節 役者・舞台
何故この世界を設定しなければならなかったのだろう。何故この登場人物を設定しなければならなかったのだろう。それについて少し考えてみる。
そもそもこの話の筋からして、登場人物は書いている私に似た主人公と、その意識体である業の総体としての私は、必然的な設定であると思う。
そして、仏法を理解するのに、最も重要であるのは慧(識)であり、定(心)であるだろう。それなので、自分の設定としては、第一部は、無色界の識無辺処・空無辺処、色界の第四禅から第一禅までの四つの段階を想定して書いた。
次に初めに登場する三位一体の生き物であるが、これは実際に私が白昼夢として見たものを登場させた。この心像と出会ったのは、二〇〇八年頃であっただろうか。それは電車の中でだった。
その時の私は勤めていた会社を辞め、その貯金をおろし、旅という名の家出をしていたのであった。
人間のような豚と巨大な蠅の像は、私がシナリオの勉強をしている時に見たものだ。そして、その教室から帰る電車の中で、第一部の主人公である意識体の像も見たのであった。
巨大な頭部は、私が以前書いた『人間という夢』に出てきた頭部と同じつもりで書いた。『人間という夢』の中でのこの頭部の夢は、私が二十代前半の時に見たものだ。この時は、よく風俗に通っていた。
先の作品とは違い、この作品でのこの頭部は、おそらく高校の時に見た部活動の心象風景と関係があるのであろうと思う。或いは、就職活動をしていた時のものか。自分の心の中では、そこには誰も居ないのだ。
双子の少女は、ここ数年アニメを見ていた中での、夢として登場して来たものだ。その夢の中で、この双子は、駅前のベンチに座っている女性キャラクターの前で、ダンスを披露していた。その後、そのキャラクターを食べ(消滅させ)、互いに笑い合っていた。
黄金の神殿と太った女とマスクを被った男は、それぞればらばらの心象を繋ぎ合わせたものだ。
まずこの黄金の神殿は、夢の中で見た建物である。その夢は、何処かの家庭のリビングで、テレビの前で踊っている子供がいる。そのテレビ画面に観光地が映り、そして黄金の神殿が映る。その子供はそのテレビの向こう側の世界に憧れ抱くというものだ。
太った女は、私が中学生の時、病院で入院していた頃の心象にあったものだ。
マスクを被った男は、三十代前半の時に見た夢の中に出て来た人物にマスクを被せたものだ。夢の中で、この人物はトイレの中に敷かれた布団の中で横になっていた。そして、この人物は何らかの怪物と戦った後のようだった。頭に大怪我をして、包帯を巻いていた。しかし、その怪物は存在しないのだった。
何故これらの像を一つの世界としたのかというと、彼らは皆、根拠のない希望と成功を待ち望んでいるからだ(病の治癒も同様)。
最後に、牢獄に入っていた登場人物達であるが、これは哲学者の心像である。もちろん私を除いてだが。
私にとって、哲学者とは、自己に関する問いに永遠に解が出せない人達といった印象があるため、この様な描写になった。
しかし、答えを出すのが仕事であるはずなのに、それが出来ないのであれば、結果としてこうならざるを得ないであろうと私は思っている。




