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第一部 意識体(Ⅰ)  第五章 真実の世界C

次回投稿は8月19日(土)の午前10時の予定。

 舞台の向こう側は海辺にある『観光地』だった。この海辺には沢山の観光客がいた。彼らは海の中に建っている黄金の神殿をカメラに収めていた。

 陸地から黄金の神殿に向かって橋が架かっている。多くの人々がその橋を渡っていた。彼もその後について行く。

 黄金の神殿に近付く。強い日光によって照り返しが強い。親に連れられた子供達がはしゃいでいる。

 子供は言う。

「ここ、テレビで見たことある」

 テレビの先に在る世界。眼の歓喜と、耳の歓喜と、鼻の歓喜と、舌の歓喜と、身の歓喜と、心の歓喜とが集まって形成された世界。

 ただ生きていたい、その為の富。ただ死にたくない、その為の富、ただ楽をしたい、その為の富。ただ苦しみたくない、その為の富。

 広く大きな階段を昇り、神殿の中に入る。そこは大広間だった。表は全て金色だったのに対して、内部は青白いタイルで埋め尽くされていた。そして、外は真夏の様な暑さだったのに神殿の中は少しひんやりしている。そして何か臭気のようなものが漂っていた。

 大勢の観光客はカメラや携帯電話などで写真を撮り合っていた。大広間にはロープが張られており、そこから先は観光客は進めないのだった。

 彼らはここで何が祀られているのか知らない。いや、知っているからここへ来たのだろうか。それならば、彼らも同罪である。

 彼は自分の手を見た。それは、小さな眼が幾つもある白い手である。人間とは違う。彼は何故ここに私が居るのだろうと考えた。ここは私の居るべき場所ではない。

 彼は目的を思い出した。涅槃に向かわなければならない。そして、彼がそう思った時、背後から二人の屈強な男に、右腕と左腕をそれぞれ掴まれた。この二人の男は、それぞれ牛と鷲を象ったマスクをしていた。

 彼が腕を動かそうともびくともしない。そのまま連行されて行く。

 右腕を掴んでいる牛マスクの男が言った。

「お前は人間ではない。悪魔だ」

 左腕を掴んでいる鷲マスクの男は言った。

「お前はあの方の教えに反する存在だ。富への冒涜者だ」

 確かに私の意識体は見た目が人間の様ではない。槍は抜け、胸の傷は治ったが、彼は無数の目を持った身体を有している。

 そして、この世界にはいわゆる『人間の姿』をした存在しかいなかった。より現実の世界に近づいているのであろう。

 彼は礼拝堂の様な所に連行された。ここはまさしく便所であり、壁一面に便器が並んでいた。奥の祭壇らしき所には、とても巨大な黄金の便器が祀られていた。

 そしてその巨大な便器の前には、これまた巨大なダブルベッドがあり、二人の人物が寝ていた。そのベッドを取り囲むように数人の動物を象ったマスクをした男達が立っている。

 私の意識体が入って来た時、大勢の子供達がこの空間で平身低頭して何かを祈っていた。彼は子供達の後ろに立ってそれを見ていた。

 その中に、立ってそれを見下ろしている人物が見えた。その人物は踵を返し、彼の近くを歩いて通り過ぎ、出て行った。それは十代前半の私であった。

 巨大なダブルベッドの掛布団が持ち上がる。一人は肥り過ぎた巨大な女であり、一人は獅子を象ったマスクをした筋肉質な男であった。

 獅子マスクの男はベッドから降り、子供達に言った。

「よし! お前達! 聖痕の時間だ。お前らの将来の為に、富と勝利と成功の為の知恵を与えよう」

 と、細い金属の棒を取り出した。子供達から喜びの歓声が上がる。

「まずはまだ、聖痕が与えられていない奴からだ! 新顔は前に出ろ!」

 数人の子供達が立ち上がった。顔を上げた子供達は期待の目で見ている。しかし、その眼は空洞のように真っ黒で、虚無であった。   

 そして新入りの子供達は、一人ずつ獅子マスクの男の前へ進み出る。肥り過ぎた女は微笑んでそれを見ている。

 獅子マスクの男は、金属の棒を振りかぶり、子供の右頭部を殴った。少年は床に横倒しになり、頭からは血が流れ出た。子供達は拍手をする。殴打された子供は、マスクの男達に運ばれて行く。

 「次!」という声。そして子供が一人、前に進む。獅子マスクの男に右頭部を殴られる。そして運ばれる。

 全ての新入りの子供達が殴られた後、二人の男に連れられ、意識体の番になった。

 私の意識体は言った。

「これは何の意味がある。そしてこの空間は何だ? 何に祈っているんだ?」

 獅子マスクの男は答えた。

「この儀式は右脳に傷を与える為にやっていることだ。これは敗北という傷を一生忘れない為に必要なことなのだ。そして、この場所は富を祀った神殿であり、豊穣の女神を祀っているのだ」

「富? この場所の何処に富を祀っているっていうんだ?」

 獅子マスクの男は大げさに笑い、「貴様は何も分かっていないな」と、左の掌に金属棒をばしばしと打ちつけながら言った。

「貴様は人間では無く悪魔だから、この祝祭空間の意味が理解できないのだな。この奥に鎮座している黄金の女神像が見えないと見える。まさに、あれこそが、我々の崇め、そして富と勝利と成功という幸福を創り出し、我々に授け、与え給う女神の姿なのだ」

 意識体は首を左右に振って言った。

「何故、その棒で頭を殴る? 正気の沙汰ではない。下手をすれば『信者』が死んでしまうであろう。そして、何故ここに居る信者は子供達ばかりなのだ」

 獅子マスクの男は、金属の棒をベルトに掛け、マスクを取った。彼の右の頭は不自然に凹んでいた。

「貴様に教えておいてやろう、この傷の意味を。俺も昔この場所で祭司からこの傷を受けた。するとどうだろう。人生はとても簡潔に、そして単純にシンプルに見えた。俺には富への道筋だけがはっきりと認識できるようになった。そして、俺は自分が予測したように勝利し、予言したように成功し、予告したような現象まで創り出した。周囲の者達は、俺を予言者とか天才とか、神だとか、もてはやしたが、俺はヒーローになったのだと思った。そして俺がヒーローであるなら、彼女はヒロインであり、かつ母なるものであり、女神であると理解したのだ。ここに礼拝に来る者は、皆同じように、聖痕が刻まれる。彼らは未来の英雄であり、成功者であるが故に」

「何故、棒で殴られることが英雄なのだ? 何故、子供に暴力を振るうことがヒーローなんだ? 何故、暴力を振るった人間を崇めることが富への信仰になるんだ?」

 その時、ベッドに座っていた肥り過ぎた女が、「それはわたくしが説明します」と言った。男はマスクを再び被り、彼女の視線が通るようにと、うやうやしく位置を変えた。

 彼女は言った。

「まず、何よりも大事なのは成功への固い意志なのです。そして成功への固い意志が生じるのは、深い傷を伴った屈辱であり、敗北の経験なのです。この深い傷と苦しみの体験こそが、後の大いなる成功と快楽を育てるのです」

「しかし、それは人を傷つける成功と、他者に害を与える快楽を同時に育てるであろう」

 彼女は笑った。

「それはほんの些細なことです。成功の快楽は、他者を服従させ、屈服させた快楽は、そして勝利の味は全てに勝り優れているのです。それ故に、わたくしの許にはひっきりなしに信者が礼拝にやって来るのです」

 私の意識体は後ろを振り返る。私達に聖痕を授けて下さい。富への知恵を与えて下さい。勝利するヒーローにして下さい。成功する幸福を授けて下さい。子供達は、再び平伏して祈っていた。

 彼は向き直り、彼女に向かって言った。

「はたして、全てに勝利し、成功を収め、富を得る方法とは、これ以外無いのであろうか。いや、そんなはずはないだろう。どう考えても、この空間は間違っている」

「しかし、では何故あなたはわざわざこの場所に来たのですか? そもそもこの場所が富の為の礼拝堂だと知っていたから、来たのではないですか? そして、この世界に於いて、この方法が最も効率よく、富と勝利と成功を得られる方法なのですよ」

「私は、涅槃に至る方法を探しに旅をしている者だ。この場所へはそれと知らずに来てしまった。そして、途中でこの男達に捕まって、連行されて来たのだ。決して富を崇める為に来たのではない」

 しかし、彼は知っている。自身との因縁のない世界に、彼が訪れることはできないのであると。

 彼女は意識体を捕まえている二人の男に尋ねた。

「この話は本当ですか?」

 意識体の右腕を掴んでいた牛マスクの男は答える。

「この神殿の中をこの格好でうろうろしていたので、捕まえました」

 左腕を掴んでいた鷲マスクの男は答える。

「見るからに怪しい男です。おそらく悪魔に取り憑かれた男であります。この男の悪鬼を打ち倒して下さい」 

 彼女は意識体を観察して言った。

「その沢山の目は何の為にあるのですか? あなたは耳も鼻も口もありませんが、この世界を認識できるのですか? そして、それは服? それとも生身の体なのですか?」

「これが私の本性である。まさにこの無数の目によって、この世界を認識しているのだ。私は人ではない」

「人ではない? それならやはり悪魔や怪物の類なんですね?」

 「正体を現せ!」と言って、二人の男が意識体を床に押さえつけようとした。彼は跪かされた。彼は言った。

「それは違う。私は以前には、アートマンと呼ばれていた者だ」

「アートマン?」

「存在の原理であり、自我の源泉であり、認識から成るものであり、一切から成るものであり、業から成るものである」

 獅子マスクの男は大げさに笑いだした。そしてひとしきり哄笑した後、言った。

「さしものアートマンも富には屈服するということか!」

 彼女は言った。

「やはり富への信仰だけが正しかったようですね。存在の原理と言われたあなたが、この様に、自ら出向いてわたくしに服従するとは」

「私は服従しない。私はこの世界を認識する者であり、真実を知る者である。あなた方の方法ではなく、厭離、離貪、滅尽、寂静、解脱、正覚、涅槃に至る道にこそ、本当の富と勝利と成功が在るのである。あなた方は偽物であり、まやかしである」

 子供達に明らかな動揺が広がる。彼女は言った。

「富への信仰が無く、勝利する為の知識を学ばないで、成功することができるならば、皆それを為していることでしょう。よって、あなたはそれを知らないはずです。あなたは、わたくしに嫉妬しただけなのです」

 獅子マスクの男は言った。

「きっとこの様な存在の支配下では、全ての人間が怠惰であって、敗北を経験することなく、屈辱による敵愾心が生じないでしょう。従って、勝利も無く、成功も無く、快楽が生じず、信仰者もいない」

 私の意識体は言った。

「現世の富への執着無く、勝利せず、しかし、怠惰では無く、敗北ではない。争わず、害することなく、奪わない。そのような富と勝利と成功は在るのである。そしてそれは涅槃という場所にしかない財宝である」

 彼の身体に在った無数の目が消えた。そして子供達に目が生じた。

 彼女は厳しい顔つきになり、獅子マスクの男に命令した。

「彼に聖痕を与えなさい。彼は正しい富を理解するでしょう」

 獅子マスクの男は跪かされた意識体の前に立ち、ベルトから金属の棒を抜き取り、振りかぶった。意識体の右頭部に棒が振り落とされる。しかし、次の瞬間、獅子マスクの右頭部に衝撃が走り、彼は横倒しになった。

 そして意識体を押さえつけていた、牛と鷲のマスクを被った男達も頭に衝撃を受け、そのまま倒れた。この場に居た他の動物を象ったマスクをしていた男達も、頭に衝撃を受けて倒れていた。肥り過ぎた女は全身に無数の深い切り傷が生じ、大量の血が吹き出し、その場で気を失った。

 祭壇に祀られていた巨大な黄金の便器と、壁に沿って設置されていた便器が割れ、下から汚物が噴水のように噴出した。

 そして、大きな地震が生じ、建物にひびが入り、天井が落下し、壁が崩れ始めた。

 意識体は、彼を抑えつけていた二人の男が倒れたので、急いで立ち上がった。早くここから逃げ出さなければならない。

 この異変に、目の生じた子供達は、一目散に逃げ出した。意識体も子供達の後に続いた。

 礼拝堂を出た所で、逃げる子供達と反対に、こちらに向かって歩いて来る十代前半の私を見つけた。

 彼は、「ここに居ては危ない、早く逃げるんだ」と私に近付き肩に手を掛けた。その時私は消え、私の意識体は次の世界に降り立った。


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