第一部 意識体(Ⅰ) 第二章 目的の世界
次回投稿は7月8日(土)の午前10時の予定。
扉の向こうの世界は、意志の世界、目的の世界であった。
そして、私の意識を通して見た景色では、そこは駅の様な場所であった。駅にある『〇番線』の所に、言葉が記されている。
それぞれ、『言葉』『魂』『認識』『平静』『行為』『永遠』『喜心』……等、数限りなくあるように思われた。
しかし、ここは意志の世界であるので、私の意識体が望んでいる、もしくは目的に近いプラットホームが手前に存在しているのであった。
それなので、彼は一番手前のプラットホームに来ていた『言葉線』の列車に乗った。
その列車の中には、多数の乗客がすでに乗っていた。彼は向かい合っている、四人掛けの座席に座った。
彼の前の席には、人間の様な豚と、複眼部分が人間の目をした巨大蠅が座っていた。
そして、彼の右隣りには、三十代前半の私が座っていた。その時にはまだ、彼は私が私であるとは認識していなかった。
しばらくして列車は出発した。彼は空っぽの外の景色を見ていた。私の目から見て、外部は原色の色使いをした、風変わりな駅であり、走り出してからしばらくは家々、街並みが続いたが、進むにつれて少しずつ色が薄くなっていき、そして景色は白一色になってしまった。
しかし、この白一色の景色が本来のこの目的の世界の景色なのだそうだ。目的の世界には、一切の目的が存在しないためだ。それぞれの生けるもののための、便宜上の施設がそれぞれにあるにすぎないのだ。
私の意識体は、景色を見るのを止め、前の座席に座っている、豚と蠅が会話している様子を何気なく眺めた。
豚は自慢げに、「ほら、あのビル群を見ろよ、あの辺り一帯は、俺の支配していた場所だ」と言って、窓の外を指差した。しかし、窓の外は一面に白いだけだ。
巨大蠅は節足をこすり合わせ、言った。
「あの辺り一面は全て糞の山、まさに黄金の宮殿の様でした」
彼らにはその様なものが見えているのであろう。互いに白い世界を見ながら、過去の栄光を語り合っている。
私の意識体は、隣に座っていた私が、彼のことを見ていることに気が付いた。
私は彼に向かって言った。
「あなたは私だ」
すると、意識体の胸に拳ほどの穴が開いた。その穴から、どっと金色の血が吹き出して流れた。
彼は、「私の胸に何かが刺さっている」と言った。
確かに、彼の胸には槍が彼の胸から背中に向けて貫通している。しかし、周囲の乗客の誰もが、彼のことなど見てはいなかった。
私は、私である私の意識体に言った。
「あなたが、このままこの電車に乗っているのは、危険だ。次の駅で降りて、誰かに助けてもらうのが良いだろう」
彼は、「そうかもしれない」と呟いた。
豚の声が耳に入る。
「神とは、あの地域での俺のことだと断言できるな。俺はあの場所にただ居るだけで、毎日沢山の貢物を貰い、俺が成長するだけで、皆が喜んでいた。俺は存在するだけで、全てを幸福にしている」
そして蠅もしゃべり出した。
「私はこの世界で自由に動き回り、行動しても良いという権利をもっていました。糞と死肉にたかり、それにまみれ、恍惚と陶酔の時を私は所有することが許されていました。私は真の幸福を知っていました」
ここは意志の世界、目的の世界である。私はこの前に座っている二人に話しかけていた。
「あなた方は、この電車で何処に向かうのですか?」
豚は私の方を向いて答えた。
「俺は、一番最後の駅まで乗って行くつもりだ。というより、途中で降りる気はまったくない。富と利益は、最後の地にこそあるのだからな」
豚は豚らしく鳴いた。
蠅は羽音を立てて答える。
「私もできる限り長く乗っていたいと思います。そして、途中で降りるつもりは無く、また降りるという意志はこの世界に存在しないでしょう。降りることは許されない!」
と、蠅が言い終わった時、乗客達が一斉に、「降りることは許されない!」と復唱した。
この列車には、様々な乗客達が乗っていた。その全てが人間ではなく、何か怪物の様な者達なのであった。
きっと私の意識体から見た私もそうだったのではないかと思う。彼は何も私に言わなかったので、私には分からない。
私は彼に向かって言った。
「きっとこの電車に最後まで乗っていてもろくなことがないでしょう。僕は賭けてもいいが、この電車の終着駅は地獄ですよ。間違いない。次の駅で降りるのが賢明です」
「では、あなたはどうするつもりなのか?」
「僕はしばらく彼らと同じ意志を共有します。それは僕に降された業なのです。僕は逃げることができない。が、僕はまだ選択するだけの余裕が残っています。機会を見て降りることにしますよ」
「確かに、あなたは彼らとは違うようだ。そして私はあなたであるのであろう。しかし、今この時ではない」
私も彼と同じ思いを抱いていた。私は今しばらくここに残り、そして彼は次の駅で降りるだろう。しかし、彼とはまた会わずにいるとはいうことは起こりえないのだ。
彼は私にとってのアートマンであり、梵であり、最高原理であり、魂であり、業であり、運命であり、私の過去の一切であり、智慧であり、意識であり、そして現在の私の存在の一部であるからだ。
私は私の意識体に刺さった槍を見ていた。私は十代後半の頃を思い出した。彼の傷は治ることができるのであろうか? ひょっとしたら彼は私ではないのかもしれない。
彼の胸からは、金色の血が流れている。この傷が癒えないなら、彼は間もなく死んでしまうであろう。
そして、列車は次の駅に到着した。




