第三部 意識体(Ⅱ) 第三章 祭祀②
2018年8月18日(土)の午前10時に投稿。
次回投稿は未定。
教室。
教壇に私が立っている。
女子生徒が五人、席に着いている。
この教室の壁には巨大な穴が開いていて奥では炎が燃え盛っている。
穴からは呻き声が聞こえる。
女子生徒達、互いに語り合っている。
女子生徒A 私達は見られている。
女子生徒B 私達は試されている。
女子生徒C 私達は消費されている。
女子生徒D 私達はもてはやされている。
女子生徒E 私達は没落している。
女子生徒A この世は理不尽で、不公平である。私達はこの世の理不尽に耐えながら、我慢し続け、歯を食いしばって生きていかねばならない。
女子生徒B そして、この先生は何も知らない。知るわけがない。お人好しで、理想主義的で、そして表面的なことしか言わない。本当のことを話す勇気が無い、意気地なしの教育者。
女子生徒C 私達には不満がある。でも解答者はいない。私達は、先生に質問する。
女子生徒D もし答えられなかったら、全員殺してしまおう。
女子生徒E もし答えられたとして、間違っていたら?
女子生徒達 責任を取ってもらおう。
私 (客席に向かって話す)皆さんに少し説明をしなければなりません。先程、三人の役者がこの劇の途中で舞台から退場してしまいました。それによって、当初の予定されていた台本や舞台を変更せざるをえなくなってしまったのです。
今、この舞台上の世界の認識は新しくなり、今まで認識されず、知られなかった、人々に意志されることのなかった世界が、現れることになったのです。
それ故に、この舞台上の登場人物の役割も変わってきてしまったのです。きっと本来ならこのような舞台ではなく、私と彼女達との関係も、もっと特殊で……、なんというか、不自然なものであったに違いないのです。
女子生徒A (手を挙げる)先生、何を言っているのかわかりません。
女子生徒達 わかりません。
私 (女子生徒達に向き直る)うむ、何と言っていいか。君達は、まだ君達として確定した存在ではない。君達は、自らで自らを規定する力もないし、存在というものを理解できていないのだ。
女子生徒B じゃあそれを教えて下さい。
私 (頷く)いいだろう。きっとそれがこの関係性における私の役割であるだろうから。しかし、私に教えられるのだろうか……?
女子生徒A 我々が確定した存在ではないとはどのようなことか?
女子生徒B 我々が自らで自らを規定する力がないとはどのようなことか?
女子生徒C 我々が存在というものを理解できていないとはどのようなことか?
私 それでは、それらを理解してもらう為に、存在とはどのようなものか、そして存在を規定する力とはどのようなものか、また、存在が確定するとはどのようなものか、を順に説明したいと思う。そしてこの順序で説明した方が理解しやすいであろう。
存在とは何か? 存在とはどのようなものか? と問われれば、存在とは因縁であると答えることができる。
それでは、存在とは因縁であるならば、因縁とは何であるのか? 因縁とは縁起の法に依るのである。
縁起の法とは何か。
Aが存在するが故に、Bが存在する。
Aが存在しないが故に、Bが存在しない。
Aが生じるが故に、Bが生じる。
Aが滅するが故に、Bが滅する。
この四の法が縁起の法である。
そして、因縁とは何か。
無知が存在するが故に、生存の意志が存在する。
生存の意志が存在するが故に、判断する為の意識が存在する。
判断する為の意識が存在するが故に、抽象の精神と身体が存在する。
抽象の精神と身体が存在するが故に、具体の精神と身体が存在する。
具体の精神と身体が存在するが故に、外部と内部の対象物が存在する。
外部と内部の対象物が存在するが故に、対象物の感覚知が存在する。
対象物の感覚知が存在するが故に、精神と身体の歓喜の認識が存在する。
精神と身体の歓喜の認識が存在するが故に、決定された行為が存在する。
決定された行為が存在するが故に、その報いを受ける世界が存在する。
その報いを受ける世界が存在するが故に、来世の私が存在する。
来世の私が存在するが故に、来世の私の決定された行為が存在する。
来世の私の決定された行為が存在するが故に、その世界における決定された事象が存在する。
これが因縁である。それによって今、我々は存在する。
そして、存在は因縁であるが故に、逆もまた成立する。
無知が存在しないが故に、生存の意志が存在しない。
生存の意志が存在しないが故に、判断する為の意識が存在しない。
判断する為の意識が存在しないが故に、抽象の精神と身体が存在しない。
抽象の精神と身体が存在しないが故に、具体の精神と身体が存在しない。
具体の精神と身体が存在しないが故に、外部と内部の対象物が存在しない。
外部と内部の対象物が存在しないが故に、対象物の感覚知が存在しない。
対象物の感覚知が存在しないが故に、精神と身体の歓喜の認識が存在しない。
精神と身体の歓喜の認識が存在しないが故に、決定された行為が存在しない。
決定された行為が存在しないが故に、その報いを受ける世界が存在しない。
その報いを受ける世界が存在しないが故に、来世の私が存在しない。
来世の私が存在しないが故に、来世の私の決定された行為が存在しない。
来世の私の決定された行為が存在しないが故に、その世界における決定された事象が存在しない。
これもまた因縁である。それによって未来に、我々は存在しないことが可能になる。
次に、存在を規定する力とは何か? 存在を規定する力とはどのようなものか? と問われれば、存在を規定する力とは智慧と無知であると答えることができる。
それでは、存在を規定する力とは智慧と無知であるならば、智慧と無知とは何であるのか? 智慧と無知とは真理に依るのである。
真理とは何か。
存在は苦である。
存在は因縁に依って成立する。
存在は因縁に依って消滅する。
存在を因縁に依って消滅させる方法がある。
これに対して、無知がある。無知とは何か。
存在について無知である。
存在の成立について無知である。
存在の消滅について無知である。
存在を消滅させる方法について無知である。
これが存在を規定する力である智慧と無知である。何故ならば、真理を知っている智慧のある存在は、無知が滅するが故に、生存の意志が滅するからである。
生存の意志が滅するが故に、判断する為の意識が滅するからである。
判断する為の意識が滅するが故に、抽象の精神と身体が滅するからである。
抽象の精神と身体が滅するが故に、具体の精神と身体が滅するからである。
具体の精神と身体が滅するが故に、外部と内部の対象物が滅するからである。
外部と内部の対象物が滅するが故に、対象物の感覚知が滅するからである。
対象物の感覚知が滅するが故に、精神と身体の歓喜の認識が滅するからである。
精神と身体の歓喜の認識が滅するが故に、決定された行為が滅するからである。
決定された行為が滅するが故に、その報いを受ける世界が滅するからである。
その報いを受ける世界が滅するが故に、来世の私が滅するからである。
来世の私が滅するが故に、来世の私の決定された行為が滅するからである。
来世の私の決定された行為が滅するが故に、その世界における決定された事象が滅するからである。
これに対して、もう一つの存在を規定する力とは無知である。何故ならば、真理を知らない無知な存在は、無知が生ずるが故に、生存の意志が生ずるからである。
生存の意志が生ずるが故に、判断する為の意識が生ずるからである。
判断する為の意識が生ずるが故に、抽象の精神と身体が生ずるからである。
抽象の精神と身体が生ずるが故に、具体の精神と身体が生ずるからである。
具体の精神と身体が生ずるが故に、外部と内部の対象物が生ずるからである。
外部と内部の対象物が生ずるが故に、対象物の感覚知が生ずるからである。
対象物の感覚知が生ずるが故に、精神と身体の歓喜の認識が生ずるからである。
精神と身体の歓喜の認識が生ずるが故に、決定された行為が生ずるからである。
決定された行為が生ずるが故に、その報いを受ける世界が生ずるからである。
その報いを受ける世界が生ずるが故に、来世の私が生ずるからである。
来世の私が生ずるが故に、来世の私の決定された行為が生ずるからである。
来世の私の決定された行為が生ずるが故に、その世界における決定された事象が生ずるからである。
そして、存在の確定とは何か? 存在の確定とはとはどのようなものか? と問われれば、存在を確定する因縁は、決定された行為が生ずることにあると答えることができる。
それでは、存在の確定する因縁が、決定された行為が生ずることにあるならば、それが生ずる因縁は何であるのか。
精神と身体の歓喜の認識が生ずるが故である。精神と身体の歓喜の認識とは何か。
眼が存在するが故に、可視物への歓喜の認識が存在する。
耳が存在するが故に、可聴物への歓喜の認識が存在する。
鼻が存在するが故に、可嗅物への歓喜の認識が存在する。
舌が存在するが故に、可味物への歓喜の認識が存在する。
身体が存在するが故に、可触物への歓喜の認識が存在する。
心意が存在するが故に、可想物への歓喜の認識が存在する。
これらの歓喜が生ずるが故に、様々な想念が生ずる。
様々な想念が生ずるが故に、様々な思考が生ずる。
様々な思考が生ずるが故に、様々な願望が生ずる。
様々な願望が生ずるが故に、様々な感情が生ずる。
様々な感情が生ずるが故に、様々な欲求が生ずる。
その様々な欲求が生ずるが故に、様々な獲得が生ずる。
様々な獲得が生ずるが故に、内なる価値の決定が生ずる。
内なる価値の決定が生ずるが故に、価値の偏重が生ずる。
価値の偏重が生ずるが故に、愛着が生ずる。
愛着が生ずるが故に、これは自己であるという思いが生ずる。
これは自己であるという思いが生ずるが故に、内なる保護が生ずる。
内なる保護が生ずるが故に、外なる保護が生ずる。
外なる保護が生ずるが故に、決定された行為が生ずる。
この決定された行為によって、その報いを受ける世界が生ずるのである。これによって存在は確定するのである。
女子生徒A はい(手を挙げる)。
私 どうぞ。
女子生徒A 存在と存在を規定する力についてはわかりました。でも、存在の確定の説明については、前半はともかく、後半がよく分かりません。精神と身体の歓喜に依って行為すると、それが決定された行為になるということでしょうか?
女子生徒B はい(手を挙げる)。それならどんな行為でもあらかじめ決まっていたことになってしまうと思います。
私 (頷く)なるほど。それでは、決定された行為とは何か。について説明してみよう。
まず、六処に依って歓喜が生じ、想念、思考、願望、感情、欲求が順に生じる。ここまでを渇愛という。
次に、それら渇愛に依って獲得が生じ、内なる価値、価値の偏重、愛着、自己であるという思い、内なる保護、外なる保護、決定された行為が順に生じる。ここまでを取著という。
そして、この渇愛に依って取著をした場合、この我に依る承認が生じているのである。
我に依る承認とは何か。
過去・現在・未来の身体の我に依る取著の承認がある。
過去・現在・未来の感受の我に依る取著の承認がある。
過去・現在・未来の心の我に依る取著の承認がある。
過去・現在・未来の意志の我に依る取著の承認がある。
過去・現在・未来の意識の我に依る取著の承認がある。
つまり、過去・現在・未来の我である存在と契約・約束を交わし、成立している状態なのである。
女子学生C (手を挙げる)そんな約束をした覚えはないです。
私 それらの契約・約束は認識の領域によっては自覚できない場合があるのである。
認識の領域とは何か。
不変という認識の領域。
恒常という認識の領域。
生存という認識の領域。
我という認識の領域。
この四の認識の領域がある。
不変の認識領域には、それが停止した契約・約束・法が存在している。
恒常の認識領域には、あらゆる世界の創造・維持・破壊の契約・約束・法が存在している。
生存の認識領域には、あらゆる生けるものの行為における契約・約束・法が存在している。
我の認識領域には、あらゆる我の行為における契約・約束・法が存在している。
女子学生A (手を挙げる)それはどうやったら認識できるんですか?
私 それらの認識の領域を見て、知ることができるようになるためには、その人がその人の決定された行為を止めなければならない。それを為さないことによって、その契約・約束・法が眼前に生じるのである。
そして、その決定された行為を止める為には、精神と身体の歓喜が滅してしなければならない。
精神と身体の歓喜が滅するが故に、様々な獲得が滅する。
様々な獲得が滅するが故に、内なる価値の決定が滅する。
内なる価値の決定が滅するが故に、価値の偏重が滅する。
価値の偏重が滅するが故に、愛着が滅する。
愛着が滅するが故に、これは自己であるという思いが滅する。
これは自己であるという思いが滅するが故に、内なる保護が滅する。
内なる保護が滅するが故に、外なる保護が滅する。
外なる保護が滅するが故に、決定された行為が滅する。
この決定された行為が滅するが故に、その報いを受ける世界が滅するのである。
その報い受ける世界が滅するが故に、新たになったその報いを受けない世界を認識できるようになるのである。それにより、それぞれの領域の契約・約束・法がどのようなものであったかを見て、知ることができるようになるのである。
女子生徒達、納得がいかない様子。
女子生徒D 何か騙されている気がする……。
女子生徒E 何か間違っている気がする……。
女子生徒A (立ち上がって)先生! それで全部ですか?
女子生徒B もう終わり?
私 だいたいの説明はしたつもりだが……。
女子生徒C (立ち上がる)私達には不満がある。でも解答者はいない。
女子生徒B・D・E (立ち上がる)私達は先生に質問する。
暗転。
女子生徒達、客席を向いて横に並んでいる。
スポットライトが女子生徒達に当たる。
女子生徒A 何故私は生まれたのか?
女子生徒B 何故私は老いるのか?
女子生徒C 何故私は病むのか?
女性生徒D 何故私は死ぬのか?
女性生徒E 私は死んだら何処へ行くのか?
女子生徒A 私は考える。
女性生徒B 私は努力する。
女子生徒C 私は言われたことを実行する。
女性生徒D 私は人を信用する。
女子生徒E 私は忍耐する。
女性生徒達 私達は幸福になる権利がある。
女性生徒A 私達を導く存在が必要である。
女子生徒B 私達に新しい法を説く存在が必要である。
女子生徒C 私達の権利と幸福を保証する存在が必要である。
女子生徒D 私達が優先的に保護される世界が必要である。
女子生徒E 私達だけが助かり、保証され、許され、充足できる真理だけが真実である。
女性生徒達 それのみが真理である。それのみがこの世界で説かれるべき法なのだ。
照明、元に戻る。
女子生徒達、私の前に立つ。
女子生徒A この世は何故理不尽なのか?
女子生徒B この世は何故不公平なのか?
女子生徒C 私達はこの世で何時まで耐え続けなくてはならないのか?
女子生徒D 私達は何時になったら報われるのか?
女子生徒E その報いは如何なるものであるのか?
私 (頷く)なるほど、了解した。きっとそれらについて解答を与えることが、この関係性における私の役割であるだろうから。しかし、私に教えられるのだろうか……?
女子生徒達、席に戻る。
私 それでは、この世界の理不尽について、この世界の不公平について、この世界で何時まで耐え続けるかについて、報いを受けるのは何時かについて、報いとは如何なるものかについて説明したいと思う。
では、理不尽とは何か? 理不尽とはどのようなものか? と問われれば、理不尽とは非道理であると答えると答えることができる。
それでは、理不尽が非道理であるならば、道理とは何であるのか? 道理とは縁起の法に依るのである。
縁起の法とは何か。
Aが存在するが故に、Bが存在する。
Aが存在しないが故に、Bが存在しない。
Aが生じるが故に、Bが生じる。
Aが滅するが故に、Bが滅する。
この四の法が縁起の法である。では、これらをこの世界の道理として解するならば、このようになるであろうと思う。
善が存在するが故に、楽の報いが存在する。
善が存在しないが故に、楽の報いが存在しない。
善が生じるが故に、楽の報いが生じる。
善が滅するが故に、楽の報いが滅する。
悪が存在するが故に、苦の報いが存在する。
悪が存在しないが故に、苦の報いが存在しない。
悪が生じるが故に、苦の報いが生じる。
悪が滅するが故に、苦の報いが滅する。
そして、これらが道理であるならば、非道理、すなわち理不尽とはこのようになるであろう。
善が存在しても、楽の報いが存在しない。
善が存在しなくても、楽の報いが存在する。
善が生じても、楽の報いが生じない。
善が滅しても、楽の報いが滅しない。
悪が存在しても、苦の報いが存在しない。
悪が存在しないのに、苦の報いが存在する。
悪が生じても、苦の報いが生じない。
悪が滅しても、苦の報いが滅しない。
これらはこの世界の理不尽な法と言えるであろう。
次に、不公平とは何か? 不公平とはどのようなものか? と問われれば、不公平とは公正でない報いであると答えることができる。
不公正な報いとは何か。
ある人は善の行為し、楽の報いを受ける。
また、ある人は善の行為をし、苦の報いを受ける。
また、ある人は善の行為をし、楽や苦の報いを受けない。
或いは、ある人は悪の行為をし、苦の報いを受ける。
また、ある人は悪の行為をし、楽の報いを受ける。
また、ある人は悪の行為をし、楽や苦の報いを受けない。
これらのことを見て、知った人は、この世界は不公平であると判断する。
しかし、この世界は道理に依って成り、理不尽ではなく、不公平ではない。この不公平に見える報いは何故起こるのか。
それは認識の領域と承認の対象に依るのである。
認識の領域とは何か。
不変という認識の領域。
恒常という認識の領域。
生存という認識の領域。
我という認識の領域。
この四の認識の領域がある。
承認の対象とは何か。
過去・現在・未来の身体とその行為。
過去・現在・未来の感受とその行為。
過去・現在・未来の心とその行為。
過去・現在・未来の意志とその行為。
過去・現在・未来の意識とその行為。
この五の承認の対象がある。
そして、二十の報いの起こる順序がある。それぞれ遅い順に述べると、
不変の認識領域に在る承認された意識。
不変の認識領域に在る承認された意志。
不変の認識領域に在る承認された心。
不変の認識領域に在る承認された感受。
不変の認識領域に在る承認された身体。
恒常の認識領域に在る承認された意識。
恒常の認識領域に在る承認された意志。
恒常の認識領域に在る承認された心。
恒常の認識領域に在る承認された感受。
恒常の認識領域に在る承認された身体。
生存の認識領域に在る承認された意識。
生存の認識領域に在る承認された意志。
生存の認識領域に在る承認された心。
生存の認識領域に在る承認された感受。
生存の認識領域に在る承認された身体。
我の認識領域に在る承認された意識。
我の認識領域に在る承認された意志。
我の認識領域に在る承認された心。
我の認識領域に在る承認された感受。
我の認識領域に在る承認された身体。
と、このようになる。
つまり、これらの承認された契約・約束・法は、我の認識領域に在る身体の報いが最も早く適用され、不変の領域に在る意識の報いが最も遅く適用される。
よって、同じように善の行為、もしくは悪の行為を為した者達でも、それぞれ違う認識領域での承認が為されている場合、その報いは、それぞれ別の時間、環境、場所、状態において受けるのである。
そのことにより、生きている内には、その為した報いを受けなかったり、また、何も為していないのに、前世での行為により、現世で報いを受けたりするのである。
女子学生A (手を挙げる)それでもやはり理不尽だと思います。
女子学生B むしろ、それだからこそ、理不尽で、不公平なんだと思います。
女子高生C だって、生まれる前ののことなんか覚えていないし、今努力しても、生きている内に結果が返ってこないんだったら、無駄な努力になると思う。
女子生徒D 結局彼もまた、私達の問いに答えることができなかった。
女子生徒E 結局彼もまた、私達に間違ったことを教え込もうとした。
女子生徒達、意を決して、立ち上がる。
教壇に向かって歩いて行く。
暗転。
教壇にスポットライトが当たる。
私の姿は消えており、代わりに仮面を被ったスーツ姿の男が立っている。
仮面の男 君達! 君達は素晴らしい! よくあの男の嘘を見破った。君達は聡明で、美しく、勇気に溢れた人達だ。
仮面の男、拍手する。
スポットライト消え、赤い照明が点く。
仮面の男 君達は選ばれた人達だ。君達には権利がある。君達の未来には希望がある。繁栄と成功がある。誰にも君達の未来を奪う権利などない!
女子生徒達、互いに顔を見合わせる。
仮面の男、拍手する。
女子生徒達、釣られて拍手する。
女子生徒A ついに私達は認められた。
女子生徒B 私達に本当の教師が遣って来た。
女子生徒C 私達の質問に答えられる人が。
女子生徒D もしその答えが真実だったら?
女子生徒E もし私達が報われるのなら?
仮面の男 (優しく)大丈夫、君達は報われるよ。僕に任せるんだ。僕がきっと君達の疑問に答え、そして君達をこの世界から解放して、素晴らしい場所へと連れて行くよ。
そう、僕は知っている。この世界は理不尽で不公平であることを。この世界が不完全で間違っていて、君達こそが正しいということを。君達は何も間違っていないんだ。間違っているのは、この社会であり、この国であり、この世界だ。
女子生徒A 私は前からそう思っていました。
女子生徒B 私達は何も悪くないと。
女子生徒C なのに私達は苦しむばかりで、努力しても報われず、幸せになれないのです。
女子生徒D 他の人は幸せであるのに、何で私だけ不幸なんですか?
女子生徒E 今すぐ幸せになり、そして願いが叶う方法はありますか?
仮面の男 (大きく頷く)あるとも。今すぐに願いが叶う方法が。今すぐ君達の努力が報われる方法が。(大げさに)何故そんなことが可能なのかって? 天の国がもうそこまで来ているからさ。完全な世界の入り口がすぐそこに遣って来ているのだから。
女子生徒A えっ、どこどこ(探す)?
女子生徒達 (探す仕草)
仮面の男 (壁にある巨大な穴を指差す)ほらそこだよ。あれが入り口さ。輝いていて、美しいだろう。きらきらと光っているだろう。
女子生徒B 光の入り口がある。
女子生徒C 輝いている世界がある。
女子生徒D 歌声が聞こえて来る。
女子生徒E 祝福の声が聞こえて来る。
仮面の男 (手を広げ)さあ、皆で行こう! あの輝く入り口の向こう側へ! 君達が幸福で満たされ、全ての願いが叶う場所へ。
仮面の男、壁の穴へ女子生徒達を案内する。
暗転。
仮面の男は消えており、私が教壇に立っている。
女子生徒B 光の入り口がある。
女子生徒C 輝いている世界がある。
女子生徒D 歌声が聞こえて来る。
女子生徒E 祝福の声が聞こえて来る。
女子生徒達、壁の穴へと歩いて行く。
私 何だ、何だ? さっきから君達様子が変だぞ。俺の声が聞こえていないのか……?
女子生徒達、壁の前に整列する。
女子生徒A ついにこの時が来た。
女子生徒B 私達が報われる時が。
女子生徒C 私達に永遠の命と幸福が与えられる時が。
女子生徒D そして、間違った世界と国と社会と決別し、新しい完全な世界へと旅立つ時が。
女子生徒E 私達は女子であり、学生であるから天国へ入れる切符を持っていたのである。
女子生徒達、互いに抱き合う。
そして、一人一人壁の穴の中へ入って行く。
私 (客席に向かって話す)彼女達は何か幻覚でも見ているのでしょうか? 何故自ら炎の中へと入って行くのか、私には分かりません。きっと見えている世界が違うのでしょう。私はきっと無駄な説明をしてきたに過ぎないのかもしれません(頭を振る)。
暗転。