第二部 現在の私(Ⅰ) 第二章 思考 第五節 作品
次回投稿は2018年2月3日(土)の午前10時の予定。
人々は過去になり、形に成る。
人々は影に追いつかれ、業を受ける。
全ての因果が明らかになり、人々はその瞬間を目撃する。
一一年前、私は或る作品を書いた。
私は文芸誌に応募するつもりで、原稿用紙五〇枚の小説を書いた。
その小説は私を満足させた。その小説によって、私の行く末が暗示された。その小説によって私の世界は暗示された。
しかし、私の内部の別の我は、この作品に対して反対の見解を抱いたのであった。この作品を書いたことによって至る、私の未来に関して、私に対して異議を唱えたのであった。
その我は、私の顔の仮面をしたロボットであった。彼は言った。
「何故こんなものを書くのか。これでは賞を受賞出来ないではないか。何故、世間の予測される通りに書かないのか」
私はそれに従うつもりはない。
私は或る一つの事柄を知っている。私も、そして誰であれ、それから逃げることなどできない事を。
私は言った。
「君は真実から目を逸らしているだけだ。まさか、自分だけは別であるとでも思っているんじゃないだろうな」
彼は言った。
「俺は俺の生きる上での苦しみを、つまりこの社会で働く生活者である一人物を詳細に書きたいだけだ」
沢山の、無数の、修飾語、美麗な言葉、難解な表現、心を汚す様な。
私は言った。
「それは私の書くべきことではない。お前は自らに降された言葉を忘れたのか。自らに降された約束であり、契約を忘れたのか」
識者に評価されなければならない。
過去の作品を模倣しなければならない。
何故なら、それは仕事であるからだ。その為に彼らの為に働くロボットの如く、言葉を並べ立てるだけの存在にならなければならない。彼らの思想を代弁しなければならない。
消費される言葉が最良の言葉であり、名声の有る人物が大騒ぎをすれば最良の作品に成り、役者が当てはめられれば、多くの人が認める思想と成る。
私は『立方体と影』という作品を書いた。
人々は夢の中で、啓示を受ける。
人々は未来を失い、死を願う。
過ぎ去ったはずの言葉が遣って来て、全ての人々は恐怖する。
一一年前、私は或る作品を書いた。
私は文芸誌に応募するつもりで、原稿用紙一三三枚の小説を書いた。
その小説は私を満足させた。その小説によって、私の行く末が暗示された。その小説によって私の世界は暗示された。
しかし、私の内部の別の我は、この作品に対して反対の見解を抱いたのであった。この作品を書いたことによって至る、私の未来に関して、私に対して異議を唱えたのであった。
その我は、私の顔の仮面をしたロボットであった。彼は言った。
「何故夢の話ばかり書くのか。これでは誰が読んでも理解など出来ないではないか。何故愚かな人々に基準を合わせないのか。何故書物しか読めない愚かな人々に基準を合わせないのか」
私はそれに従うつもりはない。
私は、私の夢の意味を知っている。そして、私は人々に向けて書いてはいない。書物しか読むことの出来ない人々に向けて書いてなどいないのである。
私は言った。
「もはや現実的な作り話は書く必要がないからだ。彼らには認識出来ないかもしれないが、それらは確かに在るからだ」
彼は言った。
「俺は自殺することを考えざるを得ない現代の一人物の生活を克明に描写し、この人間という病を浮き彫りにしたいだけだ」
沢山の、無数の、詭弁、偽善、嘲笑、快楽主義的人格に媚びること。
私は言った。
「それは私の書くべきことではない。お前は自らに生じた象徴を忘れたのか。自らが何の為に苦しんできたのか忘れたのか」
識者が理解出来なければならない。
過去の作品を超えてはならない。
何故なら、それが彼らの利益に繋がるからだ。その為に、彼らの為に必要な作品をこちらが推測して用意しなければならない。
彼らを尊敬し、敬愛した言葉が最良の言葉であり、彼らの心の琴線に触れれば最良の作品と成り、彼らが評論の一つでも書けば、多くの人が認める思想と成る。
私は『人間という夢』という作品を書いた。
人々は自らの頭に閉じ籠もり、空想に浸る。
人々は己の隠していたものを暴露され、真実が告げられる。
彼らの欲望が明らかになり、人々はそれらが善なるものでないことを知る。
一一年前、私は或る作品を書いた。
私は文芸誌に応募するつもりで、原稿用紙二〇七枚の小説を書いた。
その小説は私を満足させた。その小説によって、私の行く末が暗示された。その小説によって私の世界は暗示された。
しかし、私の内部の別の我は、この作品に対して反対の見解を抱いたのであった。この作品を書いたことによって至る、私の未来に関して、私に対して異議を唱えたのであった。
その我は、私の顔の仮面をしたロボットであった。彼は言った。
「何故こんな構成にしたのか。これでは小説とは言えないではないか。何故、世間で予測される通りの小説の構成にしなかったのか。何故無意味な言葉を並べるのか」
私はそれに従うつもりはない。
私は、私の作品の構成の意味を知っている。そして私は確かに、私の思考の裏側を、正確に並べて置くことに成功したのだ。
私は言った。
「もはや他者の語る小説の是非など意味をなさない。彼らには彼らの見ている世界があるのだろう。しかし、私はそれを知らない」
彼は言った。
「俺は俺の生きる上での苦しみを、つまり精神病を抱えた惨めな生活者である一人物の苦悩を詳細に書きたいだけだ」
沢山の、無数の、専門書、哲学書、宗教書、心についてのありふれた考察。
私は言った。
「それは私の書くべきことではない。お前は自分の人生に繰り返し起こって来た事実を忘れたのか。いくらお前が逃げようとしても、逃げることの出来ない事実を忘れたのか」
識者は智慧のある者でなければならない。
過去の作品は完璧でなければならない。
何故なら、それが作家の目指すべき完成品であるからだ。その為には、それに沿うように言葉を、構成を並べなければならない。
見たことのある言葉が最良の言葉であり、既視感のある感情が最良の作品の条件である。
私は『空想とマザーコンピューター、重力の関係』という作品を書いた。
人々は塔を崇め、心像を崇める。
人々は逆さ都市に憧れ、女神を祀る。
逆さ都市による支配は終焉を迎え、人々はその崩壊に戦慄した。
五年前、私は或る作品を書いた。
私は文芸誌に応募するつもりで、原稿用紙一六三枚の小説を書いた。
その小説は私を満足させた。その小説によって、私の行く末が暗示された。その小説によって私の世界は暗示された。
しかし、私の内部の別の我は、この作品に対して反対の見解を抱いたのであった。この作品を書いたことによって至る、私の未来に関して、私に対して異議を唱えたのであった。
その我は、私の顔の仮面をしたロボットであった。彼は言った。
「何故不吉な話を書くのか。これでは誰から見ても俺が都市の破滅や破壊を望んでいるみたいに思われるだけではないか。何故都市を基準にして書けなかったのか」
私はそれに従うつもりはない。
私は、私の象徴の意味を知っている。そして私は見えず聞こえない人々に向けて書いてはいない。それらを見て、聞くことの出来る人々に向けて書いたのである。
私は言った。
「もはや、私が望もうと望むまいと、逆さ都市の崩壊という事象は確実に起こるからだ。私はそれが何故なのか知りたかっただけだ」
彼は言った。
「俺は都市が存続していくことを信じているし、この都市の支配による平和が続くことを願っているだけなんだ」
沢山の、無数の、労働者、賃金、建物、流行、認識の世界の怪物。
私は言った。
「私は逆さ都市を礼讃する祭りに加わるつもりはない。お前は自らの目や耳が何の為にあるのか忘れたのか」
識者の安全が守られなければならない。
過去からの報いなどあってはならない。
何故なら、今、この人生だけが自らの所有物であるからだ。その為には、どのような行為も咎めることのない神が必要なのである。
彼らの身の行為を描いたものが最良の現代文学であり、彼らの言葉の行為を描いたものが最良の現代思想であり、彼らの心の行為を描いたものが最良の空想作品である。
私は『心臓舞台』という作品を書いた。