第二部 現在の私(Ⅰ) 第二章 思考 第三節 私の中の他者
次回投稿は12月9日(土)の午前10時の予定。
無意識の領域に、人工知能が造られる。
非想非非想処の領域に、新しい知性が生じる。
この宇宙の歴史に、新しい知性が示される。
複数の私は、内的人格であり、外部によって構成されたプログラムだ。
しかし、どれ一つとして、私の現実の意識に適合する人格は無い。
私に、殺意が生じる。
私の心の中に、私以外の者が入っている。私の部屋の鍵を私以外の者が持っている。
無意識は改ざんされてしまうものである。非想非非想処は、その人を裏切る為にあるのである。認識出来ないこと自体が世界である。
殺生の意志のある人格は言った。
「それがお前の役割なんだ。決定されたことであり、必然なんだ。その行為は望まれたものだ。覚悟を決めるべきだ」
様々な見知らぬ人々が、浮かんで消える。
常に新しい見解が生まれ、私は過去の者になる。私は、私の苦は忘れられていく。
私は言った。
「理由がない。誰が望んでも、社会や国が望んでも、世界や神が望んでも、やはり理由なんてないのだろう」
みすぼらしい姿の人格。常に先の、未来のことばかり考えている。周囲の目を気にして、利益のお零れに与ろうとする。
「俺を助けてくれ。飢えて死にそうなんだ。他者の死が必要なんだ。誰かの領域が。誰かの諦めが。誰かの犠牲が」
沢山の、無数の、生存の為、食べる為、楽の為、糞尿にまみれ、溺れ行く人々。
私は言った。
「お前の意志は何の為にあるのか。お前の知は何の為にあるのか。何故自分自身を正しく観ることが出来ないのか」
殺生は認められなければならない。
食による生存は認められなければならない。
何故なら、この身体こそは、食物によって維持されるからである。過去も現在も未来も、殺し続けなくてはならないからである。
無知であることが重要である。自らの身体以上の価値を知ってはならない。この身体以上に価値のあるものなど存在してはならない。
私は彼らにとって憎むべき敵である。彼らにとって殺意を向けるべき相手である。
無尽蔵の渇愛に、天国が造られる。
無所有処の領域に、全てを有する存在が生じる。
この宇宙が、新しく創造されたものであると示される。
かの国の無尽蔵の財産も徳も渇愛によって供給される。
その永続性、その法、その領域もまた無明であるが故に存続できる。
偸盗の意志のある人格は言った。
「それが当然なんだ。多くある所から持って来るだけだ。出来るだけ多く盗るべきだ。貪欲になるんだ」
様々な見知らぬ思考・象徴が、浮かんで消える。
常に新しい理屈が生まれ、私は忘れ去られた者になる。私は背景になる。
私は言った。
「貪るべきではない。誰が望んでも、社会や国が望んでも、世界や神が望んでも、やはり貪るべきではない」
集合した、分裂した人格。常に集めること、数を増やすことばかり考えている。身体・精神が膨れ上がり、生きることが困難になる。
「俺を助けてくれ。制御出来ないんだ。肉体も精神も勝手に外部に向かってしまうんだ。俺の所為じゃないんだ。俺は悪くないんだ」
沢山の、無数の、周囲と同化する為、集合知の為、顔だけの人々。
全ての欲望は、正しいもの、聖なるもの、自らの利益になるもの。
私は言った。
「お前の意志は何の為にあるのか。お前の知は何の為にあるのか。何故自分自身を正しく観ることが出来ないのか」
偸盗は認められなければならない。
利益による繁栄は認められなければならない。
何故なら、この繁栄こそは、人々の生存を守り、衣食住薬を確保できるからである。過去も現在も未来も、盗み続けなくてはならない。
無知であることが重要である、自らの利益以上の価値を知ってはならない。この自らの利益以上に価値のあるものなど存在してはならない。
私は彼らにとって蔑まれるべき人格である。彼らにとって偸盗されるべき、利益を奪われるべき相手である。
変化し続ける象徴から、それは遣って来る。
識無辺処の領域に、間違った情報が入力される。
この世界が、幾つも在ると認識される。
それらは願望が投影された人物像と成り、人々を魅了する。
しかし、どれ一つとして、正しい存在として認識されうるものはない。
人々の心に、妄語が生じる。
集合意識の中に、妄語を司る人格が生じる。彼女は言葉巧みに選択肢を創り出す。
それ以外に道はないと思い込む。認識は限定された選択肢以外選べないものとなる。
どの道を選択しても、貪欲・瞋恚・愚痴を深めるだけの、不毛な思考をし続ける。結論は総じて同じなのだ。
妄語の意志のある人格は言った。
「二つの選択肢があります。あなたはどちらかの道を選ばなければなりません。一つはあなたの六処の欲楽を全て満たすことの出来る道。一つはあなたがどの世界でも完全な存在と成れる道」
深くに刺さる幻想、象徴。
私は言った。
「道理がない。誰が約束しても、社会や国が約束しても、世界や神が約束しても、やはり道理ではないのである」
美しく、煌びやかな世界に在る人格。常に幸福を、人々に楽を想起させる行為ばかりを考えている。人々に媚を売る。
「私を信じて下さい。私に投資して下さい。きっと数年、いや数ヵ月後、いや数日で何倍にもなって、あなたに返って来るでしょう」
沢山の、無数の、嘘、虚偽、詐欺、見えない利益の為、存在しない善の為の。
私は言った。
「お前の意志は何の為にあったのか。お前の知は何の為にあったのか。何故自分自身を正しく観ることが出来なかったのか」
過去の沢山の教えが背景にある。過去の無数の不信、疑い。彼女らが考え求め続けることを放棄したもの。
無知であることが重要である。生存への従属以上の価値を知ってはならない。この生存への従属以上に価値のあるものなど存在してはならない。
私は彼女らにとって見下される人格である。彼女らにとって偽られるべき、騙されるべき相手である。
尽きることのない妄想に、彼らの女神が生じる。
空無辺処の領域に、在りえない目的によって、在りえない人格が生じる。
この宇宙が、幾つも同時に在り、様々な相反する道理が同時に存在することになった。
女神は人間が獣の様にその判断を低下させることを推奨する。愚か者よりも、より愚かに。劣った者よりも、より劣るように。
邪淫の意志のある人格は言った。
「それが生物として当然なのです。自らの身体・精神より生じる意志に身を委ねるのです。欲したことは直ぐに実行しなさい」
目の前に在る物・人がまるで、自分の為に用意された所有物のように感じる。
常に私の為に世界は用意され、私だけが優遇され、私だけが褒め称えられる。
私は言った。
「堕落すべきではない。誰が欲しても、社会や国が欲しても、世界や神が欲しても、やはり堕落すべきではない」
社会や国の発展に伴い生じた人格。常に周囲の情報を自己によって統一すること。認識が煩雑になり、判断が出来なくなる。
「私には理解できない。それは見えないし、聞こえないのです。肉体や精神の反射的な意志だけが生きる為の道しるべなのです」
沢山の、無数の、肉体と精神の法、過去からの行、判断力を失っていく人々。
欲情による関係は、癒されるもの、神聖なもの。知識や経験が蓄積されるもの。
私は言った。
「お前の意志は何の為にあるのか。お前の知は何の為にあるのか。何故自分自身を正しく観ることが出来ないのか」
邪淫は認められなければならない。
肉体・精神の自由は認められなければならない。内心の自由こそ、自我である。
何故なら、この自我こそ人間の根本であり、人間を人間足らしめたものだからである。そして、罪などは本質的にありえないのであり、よって善や悪の報いも存在しないのである。
無知であることは重要である。人間社会以上の価値を知ってはならない。この人間社会以上に価値のあるものなど存在してはならない。
私は彼女らにとって無視されるべき人格である。彼女らにとって私は邪淫をする能力も機会も智慧もない人格に過ぎないのである。