第二部 現在の私(Ⅰ) 第一章 想起 第五節 彼らは考える
次回投稿は11月25日(土)の午前10時の予定。
彼らは考える。人は敵対してはならない。善と悪とは曖昧なものである。人を分別してはならない。全ての人は悟り、そして解脱できるものである。その時、全ての人は……。
人間豚は考える。
自分は幸せである。私は大衆が好きである。私はこの国が好きである。私はこの都市が好きである。私は家族を愛し、両親を尊敬している。
私は与えられた物を食べている。決して盗んだ訳ではない。私の前には、私が欲した時、そのものが私の前に現れることになっている。私は選ばれた、祝福された存在であると思う。
きっと上手くいかない人々は、この目の前に在る像であり食物であり、富を理解しないのか、何らかの理由で得られなかったのだと思う。
そして、一度得られないと、次もそしてまた次も、それらは得られることが難しくなり、ついには何を願っても望んでも、この世界は無反応なものに変わってしまう。
逆に、私の様に、毎日機会を逃すことなく、餌箱に頭を突っ込み、食べられるだけ食べるなら、次の時にも、ちょうど私が腹を空かせたそのタイミングで、それらがまた補充されているのだ。
巨大な頭部は考える。
私は人に恐れられ、そして崇拝されている。それも生まれながらに。そうだ。思えば、私は子供の頃から周囲と違っていた。
私はこの世界に望まれて生まれて来た。そして、私が望んだことは全てその通りになったのだ。しかし、外から見たらその様には思わないかもしれない。
私の見解や哲学、思想を咎め立てる輩がいる。まるで私の為したことが失敗であったかのように非難する愚か者達がいる。
しかし、それは違うのだ。私にとっては、間違いですら正しいのだ。それは私が正しいからである。私の存在が善であるが故に、私は正しいのである。
そして、この私の絶対的正しさは何処から生まれて来たのであろう。それはきっと、私が○○や○○等の生まれ変わりであるためだ。私は生まれながらにして、生まれることによって世界を救ったのだ。
そうだ。世界は既に救われている。この私のおかげで、私の仕事などは余興に過ぎない。私の失敗は失敗したことでなく、この世界が、民衆が、私の存在の意味を理解できなかったことである。つまり神が失敗したのだ。
劇場の支配人は考える。
この世界にはヒーローが必要である。しかも画面に映える存在でなければならない。つまり容姿が完璧で、かつ様々な才能が有ることが望ましい。
しかし、それらが揃わなくても、人を使えば、いくらでも付け加えることができ、いくらでも加工し直すことができるのだ。
つまり、ヒーローは居ない、しかし私の頭の中にイメージすることが出来る。故に、私のその想像の才能こそがヒーローである。
獅子マスクの男は考える。
男らしさは必要だ。それは暴力的でしかも自由な行動力だ。勝手気ままな感じがいい。他人に躊躇なく暴力を振るえるといい。
勝利する事は重要だ。その為には何をしてもいい。裏で負けてもいい。頭を下げてもいい。しかし公衆の面前では勝っていなくてはならない。他人に目撃されていなければ何をしても許されるのだから。
見えない看守は考える。
この世界は暗闇の中に在る牢獄である。私は、罪人達を朝に昼に夜に牢屋から引出し、鞭で打ち据える。
私達は自らの力でこの場所から抜け出す方法も、この役割を終える方法も知らない。この世界が終る時、この牢獄も消滅するであろうという希望だけが在る。