第二部 現在の私(Ⅰ) 第一章 想起 第三節 法則・ルール
次回投稿は10月21日(土)の午前10時の予定。
どの世界にも一定の法則・ルールがあるのである。
目的の世界では、より遠くまで、より最後まで乗っていられた者こそが勝者なのだ。それは、それぞれ目的というものが乗客の中で決まっていても、彼らはそれを自分自身では認識できず、ただ、他の乗客より長く乗っていられれば、それは成功を示し、勝利を示し、幸福であると考えているのだ。そして、自らは何もせず、外の景色を眺めながら、過去の思い出に浸るだけなのである。
巨大な頭部の考えている世界では、この世界は何者かに支配されているのである。自分達の社会の背後には、何らかの陰謀を企んでいる人々がおり、それは悪人なのである。故に、それを思考できる彼は善人なのである。
そして、何故それが陰謀なのかといえば、何らの証拠も根拠も無いからである。それらは隠蔽されているが故に陰謀なのである。
ただ、彼の感覚が何者かに追い詰められ、苦しみを感じ、心の中が不愉快であるが故に、この世界に支配者が居て、陰謀があるのである。
きっと誰かが悪いのであって、誰かが彼の(偉大なる彼の)気分を害しているのである。よって彼は自らが救われなくてはならない。そして、偉大な彼が救われる為の、主人公であり軍隊であり兵器が必要なのである。
次に劇場での法則は、永遠の対立こそ真実であるということである。故に、如何にそれを観た人間が心の中に対立を作れるか、ということを目的に作品を製作する。そしてそれが、より明確に真実であると思わせる為に具体的な造形が重要とされる。
それ故に、時事的であったり、政治的であったり、宗教的であったり、そして、時には病であったり、差別であったり、犯罪者であったり、心の中に在る異物の如き観念を対立項として表すのである。
そして、観客の中に、悪意・害意・敵意・殺意を生じさせ、対立者を殺したり、騙したり、嘘をついたり、盗んだりして、罰を下すことが彼らの創作した善である。
そして、その様にして生じた善は、認識に深い傷を残し、それは歓喜に変化する。観客は、日常の中で、よりその歓喜を得る為に、同様の行為を繰り返さざるを得なくなる。彼らの認識上にかつて観たそれと同様の法則が認識されたなら、それは強い快楽となり、それを善であると判断するのである。
黄金の神殿の法則は、より大きな、深い傷口を持っている人間が偉大であり、より大きな成功が約束されるというものである。
傷口が深ければ深い程、世界に対して敵対することが可能になり(敵対する権利を有し)、より攻撃的で能動的な人格を形成することが出来る。
そして、その様な人格は、他者から利益を奪うことを当然のことと思考し、それを為した時に、傷口の深さに比例して歓喜・快楽が生ずる。そして、その事により、一層自らの行為を過激化させ、より過剰に為すべきだと望むようになるのである。
最後に牢獄の法則は、より自己を永遠に成るほど長い間閉じ込めることが出来た人間程、この世界で優れた人間として評価されるというものである。
出来るだけ自己は閉じ込められたままがよく、出来るだけ頑丈で、誰にも見つからないほど深く、誰も訪れることがないように、辺境の地であることが重要なのである。
彼らは誰にも破られない(釈放されない)牢獄こそ、この世の天国であり、名誉であり、幸福であると思考したのである。